第22話 アキレス腱の守り方
東京都千代田区、内閣府庁舎。
その地下深くにある、地図にも載っていない一室。
壁一面が防音材で覆われ、電子機器の持ち込みが厳禁された「完全オフライン」の会議室に、数人の男たちが集まっていた。
円卓の上座に座るのは、内閣官房長官。
その右腕である日下部駐在員。
警察庁警備局長である堂島。
そして、特別強化要員として新たな身分を与えられた鬼塚ゲン。
空気は重く、煙草の煙が換気扇に吸い込まれていく。
「……さて、始めようか」
官房長官が、低い声で切り出した。
「アメリカの動きが活発だ。
新木場の『次世代植物資源研究センター』周辺での不審な接触、および電波傍受の試みが、先週だけで十二件確認されている。
彼らは確実に外堀を埋めに来ている」
「CIAの東京支局が、本腰を入れた証拠です」
堂島が、タブレットを持たずに(紙の資料だけで)報告する。
「今のところ施設内部への侵入は防いでいますが、彼らは『木材』以外の何かを探っている。
特に、頻繁に出入りするトラックの積載物と、警備体制の異常な厳重さに目を付けています」
「まあ、時間の問題だろうな」
官房長官は、眉間を揉んだ。
「だが、あそこはあくまで『物』の拠点だ。
最悪、強行突破されても、テラ・ノヴァへのゲートさえ閉じてしまえば、証拠は隠滅できる。
問題は……『人』だ」
長官の視線が、資料の一枚に向けられた。
そこに貼られているのは、何の変哲もない老夫婦の写真だ。
都内の住宅街で庭いじりをしている、初老の男性とエプロン姿の女性。
「工藤創一氏のご両親だ」
その言葉に、部屋の空気が一段と冷えた。
「父親は元メーカー勤務のエンジニア、現在は定年退職して悠々自適。
母親は専業主婦。
都内の一般住宅に居住。
ごく普通の善良な市民だ」
日下部が補足する。
「工藤氏は、彼らには『政府の極秘プロジェクトに参加するため、しばらく連絡が取りづらくなる』とだけ伝えています。
異星のことや、バイターとの戦争については一切知らせていません。
心配をかけたくないという本人の意向ですが……」
「それが最大のリスクだ」
官房長官が、資料を指で叩いた。
「工藤創一は、テラ・ノヴァ開拓の心臓だ。
彼がいなければ工場も動かないし、あの特殊なクラフト能力も使えない。
国益そのものと言っていい。
だが彼自身は、愛国心で動いているわけではない。
あくまで個人の興味と、家族への情で動いている」
長官は、鬼塚を見た。
「鬼塚君。君なら分かるだろう。
もし敵対勢力が工藤氏を動かそうとした場合、どこを突く?」
「……ご両親です」
鬼塚は即答した。
その声には、プロフェッショナルとしての冷徹な響きがあった。
「本人はFOB(前線基地)という要塞の中にいます。手出しは不可能です。
ですが、ご両親は無防備な東京で暮らしている。
誘拐、脅迫、あるいは『息子さんが事故に遭った』等の虚偽情報による接触……。
やり方はいくらでもあります」
「そうだ。
もし両親を人質に取られ、『工場を明け渡せ』、あるいは『アメリカに亡命しろ』と脅されたら、工藤氏はどうする?」
「……動揺し、判断を誤るでしょう。
最悪の場合、日本政府との協力を破棄し、暴走する可能性もあります」
「まさにアキレス腱だ」
官房長官は深いため息をついた。
テラ・ノヴァという異世界にばかり目を向けていたが、最大の弱点は足元——平和ボケした東京の日常——にあったのだ。
「では、警護を強化しますか?」
堂島が提案する。
「SPを貼り付けましょう。
自宅周辺に24時間体制でポリスボックスを設置し、外出時は車両で追尾する。
公安の精鋭を回せば、CIAだろうと手出しはさせません」
「……待て。それは悪手だ」
鬼塚が静かに、しかし断固として否定した。
「なぜだ?」
「目立ちすぎます、局長。
何の変哲もない一般人の家に、いきなりSPが立ち、黒塗りの車が張り付けば、どうなりますか?
近所の噂になるだけじゃない。
敵の諜報員に『ここが重要ポイントです』と、看板を掲げて宣伝するようなものです」
「む……」
堂島が言葉に詰まる。
その通りだ。
スパイ戦において、「隠すこと」と「守ること」は、しばしば矛盾する。
過剰な警護は、対象の重要性を暴露してしまう。
「CIAや、中国のMSS(国家安全部)は鼻が利く。
『なぜこの老夫婦が、日本政府にこれほど守られているのか?』と疑念を持たれた瞬間、彼らは徹底的に調べ上げるでしょう。
そして息子の創一氏にたどり着く」
鬼塚は腕を組んだ。
「警護は必要です。ですが、あくまで『さりげなく』行わなければなりません。
敵に気づかれず、ご両親自身にも気づかれず、しかし万が一の接触には即座に対応できる……。
そういう『透明な盾』が必要です」
「……難しい注文だな」
日下部が頭を抱えた。
SPを立たせる方が、よほど簡単だ。
「見えない警護」には、高度なスキルと人員が必要になる。
「具体的には、どうするつもりだ?」
官房長官が尋ねると、鬼塚は頭の中でシミュレーションを組み立て、答えた。
「まず、物理的な密着警護は避けます。
代わりに、環境を支配します」
「環境?」
「はい。
ご自宅の周辺に、公安の協力者を住まわせます。
向かいのアパート、近所のコンビニ店員、配達員……。
生活圏の中に、監視の目を溶け込ませるのです」
鬼塚の目が、鋭く光る。
「さらに自治会の防犯カメラ網を掌握し、顔認証システムと連動させます。
不審人物——外国籍の諜報員や、公安のブラックリストに載っている人物——が半径500メートル以内に接近した時点で、アラートが鳴るように設定する」
「なるほど。サイバー監視と、ヒューリント(人的諜報)の組み合わせか」
「はい。
そして、もし接触があった場合は……『偶然』を装って介入します」
「偶然?」
「例えば母親がスーパーで買い物中に、見知らぬ外国人に話しかけられたとします。
その瞬間、隣にいた『主婦(に偽装した女性捜査官)』が割って入り、世間話を始める。
あるいは父親が散歩中に尾行されたら、『酔っ払い(に偽装した捜査官)』が絡んで足止めする」
鬼塚はニヤリと笑った。
「決して『警察だ』とは名乗らない。
あくまで日常のトラブルとして処理し、敵に『警護されている』と悟らせずに排除する。
それが今回、求められる警護の形です」
「……まるで忍者だな」
官房長官が、感心したように言った。
「いいだろう。そのプランで進めろ。
予算と人員は惜しむな。
堂島君、人員の選抜は任せる。
ただし、指揮は鬼塚君が執れ」
「承知しました」
堂島が頷く。
かつての部下であり、今は超人的な能力を持つ鬼塚への信頼は厚い。
「鬼塚君。
君は普段は創一氏の護衛でテラ・ノヴァにいることが多いが、地球側の指揮も頼めるか?」
「問題ありません。
テラ・ノヴァと日本を行き来する『運送便』のついでに、定期的にチェックします。
それに……」
鬼塚は、自分の胸——強化された心臓がある場所——を叩いた。
「私の娘マリも内調にいます。
彼女を連絡役に使い、現場の統制を行わせます。
彼女なら女性ならではの視点で、『自然な警護』を演出できるでしょう」
「うむ。親子鷹か。頼もしい限りだ」
官房長官は、少しだけ表情を緩めた。
「頼むぞ。
工藤創一の両親は、日本の国家戦略における最大のアキレス腱だ。
ここを射抜かれたら全てが終わる。
……決して、彼らの平穏な日常を壊させるな」
「はっ。命に代えても」
鬼塚は深く敬礼した。
その目に宿るのは、単なる任務への義務感ではない。
自分の命を救ってくれた創一への個人的な恩義と忠誠心だ。
彼の両親を守ることは、創一への最大の恩返しになる。
会議が終わった後、鬼塚は一人、都内の雑踏の中にいた。
変装もせず、ただの通行人として歩いているが、その感覚は以前とは別次元に鋭敏になっていた。
数百メートル先の話し声、路地裏の気配、視線の向き。
強化された五感が、街全体の情報を吸い上げていく。
(……平和だ)
彼は思った。
行き交う人々は、異星のバイターの脅威も、水面下で進む米中との情報戦も知らず、スマホを見ながら歩いている。
この平和ボケした日常こそが、守るべきものだ。
彼は懐から、一枚の写真を取り出した。
工藤創一の両親。
人の良さそうな、どこにでもいる夫婦。
(この人たちには、何も知らせない。
ただ天気の良い日に庭いじりをし、たまに帰ってくる息子に小言を言う……そんな日常を続けさせる)
それが最強のスーパーソルジャーに課せられた、最も繊細で困難なミッションだった。
鬼塚は写真を懐にしまい、風のように雑踏へと消えた。
アキレス腱には、鋼鉄の、しかし透明なプロテクターが装着されようとしていた。
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