第2話 通勤時間は徒歩30分だから中古車を買おう
惑星テラ・ノヴァの地平線が、紫がかった夕闇に沈んでいく。
だが工藤創一の目の奥には、まだ見ぬテクノロジーの輝きが焼き付いていた。
『——自動化技術の研究を開始しますか?』
脳内に響く声は、最初のような無機質な警告音ではなく、秘書のように落ち着いた女性のアルトに変わっていた。
創一は驚いて周囲を見回すが、誰もいない。
声の発生源は、自身の脳、あるいは右手に埋め込まれたキューブのようだ。
「……誰だ?」
『システム・ナビゲーターのイヴです。管理者である貴方の惑星開発をサポートするために起動しました』
「イヴか。よろしく頼む。……随分と人間臭い喋り方だな」
『円滑なコミュニケーションのため、最適な人格データをロードしました。不快でしたか?』
「いや、独り言を呟きながら作業するより、百倍マシだ」
創一は苦笑し、視界のウィンドウを操作した。
目の前には、あの絶望的かつ魅力的な技術ツリーが広がっている。
最初の一歩である『自動化技術(Automation)』のアイコンが、ロックされた状態で灰色に沈黙していた。
『マスター、研究を進めるには「基礎テクノロジーカード」が必要です。レシピを表示しますか?』
「ああ、頼む」
イヴの言葉と共に、必要な素材リストがポップアップした。
【基礎テクノロジーカード(Basic Tech Card)】
必要素材:
銅線(Copper Cable) x 5
木材(Wood) x 5
「なるほど。高度な電子回路を作る前の、原始的な試作基盤といったところか。
導線と、それを固定する絶縁体の木材……理に適っている」
創一は、まず周囲を見渡した。
幸いなことに、この惑星には不気味に捻じれた木々が原生している。
葉は紫色で、幹は黒ずんでいるが、スキャン結果によれば材質は地球の木材と大差ない「有機炭素化合物」だ。
「まずは木材からか」
彼はインベントリからツールを取り出し——いや、意識した瞬間に右手が斧のような形状のエネルギーを纏い、目の前の巨木に触れた。
ガッガッガッ!
物理的な衝撃音と共に、巨木がポリゴン状の破片となって崩れ落ちていく。
数秒後、インベントリには【木材 x 20】が格納されていた。
「伐採の手間がないのは助かる。……で、次は銅か」
彼はマップを開いた。
スキャナーが捉えた地形データが表示される。
現在地は「鉄鉱石」の埋蔵地帯だ。
では「銅鉱石」はどこにある?
「……おいおい」
創一はマップを縮小し、そして顔をしかめた。
資源の群生地を示すオレンジ色の輝点が、現在地から遥か彼方にポツンと光っている。
スケールバーを確認する。直線距離で約二・五キロメートル。
『推定移動時間、徒歩で約30分です』
「30分……往復で1時間かよ」
創一は天を仰いだ。
シミュレーションの中なら、キャラクターは疲労も知らずに走り続けるし、広大なマップも数秒で横断できる感覚だ。
だが、ここは現実だ。
舗装されていない荒野を、革靴で30分歩き続ける。しかも資材を持って。
「通勤時間かよ。……いや、満員電車がないだけマシか」
彼は歩き出した。
足元の土は柔らかいが、時折鋭い岩が顔を出しており、革靴のソールを容赦なく削ってくる。
十分も歩くと息が上がり始めた。
運動不足のシステムエンジニアの肉体には、異惑星の重力(地球比1.0Gとはいえ)が堪える。
「ハァ……ハァ……これ、毎回やるのか?
鉄掘って、銅まで歩いて、また戻って……」
『移動効率の低下は、生産効率の低下に直結します。早急な対策を推奨します』
「分かってるよ、イヴ。……車だ。車が要る」
この世界で作れる車両や戦車が解禁されるのは、技術ツリーのずっと先だ。
エンジン開発だけで何日かかるか分からない。
だが創一には、「現代日本」という巨大なバックヤードがある。
「次にこっちへ来る時は、車を持ち込む。……新車は無理だが、走ればいい。
専用車を買うか……」
自分の貯金通帳の残高を脳内で計算しながら、創一は荒野を進んだ。
異世界転移して最初に欲しくなったものが、「聖剣」でも「魔法の杖」でもなく、「自分専用の作業車」だとは。
我ながら夢がないと、彼は自嘲した。
三十分後。
ようやく銅の鉱脈に辿り着いた頃には、創一の足は棒のようになっていた。
だが目の前に広がる赤褐色の輝きを見ると、疲れも吹き飛んだ。
[資源反応:銅鉱石 (Copper Ore) - 埋蔵量 1.5M]
「よし……やるか」
まだ自動採掘機は、鉄の鉱脈に置いてきたままだ。
ここは手作業でやるしかない。
彼はつるはしを構え、剥き出しの銅鉱脈に振り下ろした。
カキンッ!
乾いた音が響き、赤みを帯びた鉱石がインベントリに吸い込まれていく。
単純作業だが、確実な成果が数字として増えていく感覚は悪くない。
ある程度鉱石が集まると、次は精錬だ。
彼は即席で『石の炉』をクラフトし、地面に設置した。
燃料の木材と銅鉱石を投入する。
ボォォォッ……と炉の中に火が灯り、熱風が頬を撫でる。
『精錬プロセス、正常に進行中』
炉の排出口から、熱を帯びた長方形の板——【銅板 (Copper Plate)】がコロンと転がり出てきた。
創一はそれを火傷しないように慎重に拾い上げる(実際にはインベントリ経由なので熱くないが、気分的な問題だ)。
そしてUIを開く。
「銅板を加工して……『銅線』を製作」
手の中で光が弾ける。
銅板が瞬時に引き伸ばされ、絶縁処理もされていない純粋な銅のワイヤー束へと変化した。
「よし、材料は揃った」
木材5つ。銅線5つ。
彼は深呼吸をして、UIの中央にある『基礎テクノロジーカード』のアイコンをタップした。
バチバチバチッ!!
今までのクラフトとは違う、激しいスパーク音が鳴り響いた。
彼の手の中で木材がベースとなり、銅線が複雑に絡み合い、一つの「情報媒体」としての形を成していく。
それは単なる部品ではない。
この惑星の物理法則を解き明かすための、最初の鍵だ。
『クラフト完了:基礎テクノロジーカード x 1』
『クエスト [First Spark] 達成』
手元に残ったのは、少し焦げ臭い、不格好な回路基板のようなカードだった。
だが創一には、それが宝石よりも輝いて見えた。
『おめでとうございます、マスター。報酬が付与されます』
空気が歪み、ドンッ! と重たい物体が目の前に出現した。
それは巨大なガラスドームと、複雑なパイプ、そして計測機器が一体化した施設。
【報酬:燃料式研究所 (Burner Lab)】
「研究所……! これが俺の城か」
創一は震える手で研究所を設置した。
場所は銅鉱脈のすぐそばだ。もう歩きたくない。
研究所の投入口に、先ほど作った『基礎テクノロジーカード』と、燃料の木材を入れる。
ブゥゥゥゥン……。
研究所内部のガラスドームの中で、紫色のプラズマのような光が明滅し始めた。
カチカチカチ、とリレーが動く音がする。解析が始まったのだ。
『自動化技術(Automation)の研究を開始。……進行率 10%……20%……』
UI上のプログレスバーが、緑色に染まっていく。
創一はその光景を、子供のように食い入るように見つめていた。
かつて仕事で見ていた「インストール中のプログレスバー」は、ただの待ち時間だった。
いつエラーが出るか怯えるだけの時間だった。
だが、これは違う。
これは「進化」の可視化だ。
『……研究完了。テクノロジー [自動化技術] がアンロックされました』
ファンファーレと共に、技術ツリーの一部が明るく点灯した。
そして新しいレシピが解禁される。
【解禁:自動化コア (Automation Core)】
「自動化コア……? なんだこれ」
知らないアイテムだ。創一は詳細情報をタップした。
『解説します。自動化コアは、組立機の頭脳となる重要部品です』
イヴが淡々と説明を続ける。
『これを使用することで、組立機を作成できます。現在は燃料式ですが、一度設置すれば、貴方がこの惑星にいない間も、貴方の代わりにアイテムを製作し続けます』
「……俺がいない間も?」
その言葉に創一はハッとした。
運用保守の仕事では、自分が休んでいる間にシステムが止まれば大惨事だった。
だから休日も気が休まらなかった。
だが、ここでは違う。
機械が、システムが、俺の代わりに働いてくれる。
俺が寝ている間も、地球で仕事をしている間も、文句一つ言わずに。
「最高じゃないか……」
これこそがエンジニアの夢。
完全なる自動化への第一歩。
創一の脳内でドーパミンが溢れ出した。
「作るぞ。量産だ。自動化コアを量産して、この辺り一帯を組立機で埋め尽くす」
『肯定します。自動化コアのレシピを表示』
鉄の歯車 (Iron Gear Wheel) x 4
鉄筋 (Iron Rebar) x 4
銅板 (Copper Plate) x 6
「……鉄筋? ああ、鉄板から加工する構造材か」
レシピを確認すると、鉄筋は鉄板1枚から1本作れる。
歯車も同様に、鉄板1枚から1つだ。
つまり自動化コア1個を作るのに必要な原材料は……
「鉄板が……ええと、歯車で4枚、鉄筋で4枚、計8枚。それに銅板が6枚」
結構なコストだ。
だが、それに見合う価値はある。
「まずは鉄板を回収しに戻らないとな。……くそ、また30分歩くのか」
創一は苦い顔をしたが、足取りは軽かった。
明確な目標がある。それが彼を突き動かしていた。
再び鉄鉱脈へ戻り、ドリルが掘り出していた鉄鉱石を回収。
石の炉を複数並べ、簡易的な製鉄ラインを構築する。
インベントリの中で鉄板をガシャンガシャンと歯車に変え、鉄筋に変えていく。
「ハンドクラフトじゃ、時間がかかるな……。
でも最初の組立機を作るまでは、俺がやるしかない」
カキン、カキン、ガシャン。
UI上の製作キュー(待ち行列)がいっぱいになる。
無心で作業に没頭した。
時間が経つのも忘れ、ただひたすらに「効率」だけを追い求める没入状態。
会社での単純作業は苦痛でしかなかったが、自分の工場のための単純作業は、なぜか心地よいリズムに感じられた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
最初の『自動化コア』が完成し、それを組み込んだ『燃料式組立機』が一台、二台と大地に並び始めた頃だった。
『マスター。警告します』
突然、イヴの声が思考に割り込んだ。
「ん? どうした、材料不足か?」
『いいえ。地球時間(JST)で、まもなく午前六時になります』
「……は?」
創一の手が止まった。
恐る恐るUIの左上を見る。
[現在時刻:05:58 JST]
「う、嘘だろ!? もう朝!?」
体感では数十分程度だった。
だが移動時間や、熱中していた時間を合わせれば、確かにそれくらい経っている計算になる。
窓の外……はないが、この惑星の空も白み始めていた。
「やばい、やばい!
今日は定例会議があるんだぞ!
寝てないとかいうレベルじゃない!」
社畜の条件反射で血の気が引いていく。
だが目の前には、彼が作り上げたばかりの小さな工場——数台の炉と、動き出したばかりの組立機——がある。
それらは黒煙を上げながら、力強く稼働していた。
『マスター、組立機への燃料供給は十分です。貴方が不在の間も、生産は継続されます』
「……そうか。そうだったな」
その事実に創一は少しだけ救われた気がした。
俺が満員電車に揺られ、会議室で吊るし上げられている間も、この子たちは文句も言わずに鉄の歯車を作り続けてくれるのだ。
「帰るぞ、イヴ。……これ以上遅れたら、社会的に死ぬ」
『了解。ゲート・キューブを展開します』
空間が再び裂け、見慣れた——しかしひどく狭苦しく感じる——ワンルームマンションの闇が口を開けた。
創一は最後に一度だけ、愛おしい工場を振り返った。
「次は車だ。……絶対に車を買って戻ってくる」
固い決意と共に、彼はゲートをくぐった。
イヴのサポートがあれば、地球での仕事も少しは捗るかもしれない。
そんな淡い期待を抱きながら、創一は現実世界へと帰還した。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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