第163話 地球の位置、もうバレてます
東京都千代田区永田町、首相官邸。
地下五階に設けられた『特別情報分析室』は、外界の喧騒も、気候の変化も、時間の流れすらも完全に遮断された、無機質で冷徹な絶対の密室である。分厚い鉛と特殊コンクリートの壁に囲まれたこの空間には、今日も空調の微かな稼働音と、高度な電子機器が発する微細な熱気だけが滞留していた。
だが、この日の空気は、これまでに日本政府が経験したどんな国家危機の際とも、決定的に異なっていた。
円卓を囲むのは、矢崎薫内閣総理大臣を筆頭に、官房長官、霧島大悟防衛大臣、外務大臣、榛名理人科学技術担当大臣、御堂周作経済産業大臣、綾瀬真琴厚生労働大臣、そして内閣情報官。必要最小限のコアメンバーと記録官のみである。
そして、スクリーンの傍らには、内閣官房参事官の日下部と、いつものように着古した作業着姿で、どこかふらりと立ち寄ったかのような場違いな空気を纏う男——工藤創一が立っていた。
「これより、テラ・ノヴァ側異星文明接触に関する緊急報告会を開始します」
官房長官が、重々しく宣言した。
出席者たちが無言で自らのスマートフォンやタブレットを金属製のボックスに収めると、官房長官は手元のコンソールを操作した。
「——ジャミング、オン!」
ブゥン……という、内臓の奥底を微かに震わせるような極低周波の駆動音が室内の空気を満たす。テラ・ノヴァの技術を応用した『位相干渉装置』が稼働し、室内の照明が警戒を示す薄暗い赤色へと切り替わった。
外部通信の遮断。盗聴防止。電磁波の完全監視。そして記録の極限制限。
世界で最も安全で、最も重い密室が完成した。
工藤は、ぐるりと会議室を見回した後、上座に座る矢崎総理に目を留めた。
「おっ、総理は初めてですね!
遅れましたが、工藤です!」
その、あまりにも近所のおじさんに挨拶するような気軽なトーンに、日下部の動きが一瞬だけ完全に固まった。
「……工藤さん、相手は総理です」
日下部が、歯を食いしばりながら小声で窘める。
「あ、すみません。よろしくお願いします」
工藤は悪びれる様子もなく、ぺこりと頭を下げた。
国家の命運、いや人類の命運を握るオーパーツの創造主でありながら、その態度はどこまでも一般市民の枠を出ない。
矢崎総理は、その工藤の様子を見て、少しだけ苦笑いを浮かべた。彼女は法務と制度設計のスペシャリストであり、どんな曲者政治家を相手にしても表情を崩さない冷徹さで知られているが、この規格外の男の「普通さ」には毒気を抜かれたようだった。
「どうも、矢崎です。お噂はかねがね」
矢崎総理は、落ち着き払った声音で応じた。
彼女の泰然自若とした態度と、工藤の平常運転のコントラストが、この会議室に奇妙な安堵感をもたらしていた。
「では、報告をお願いします」
矢崎総理の促しを受け、日下部がスッと表情を引き締め、報告の口火を切った。
◇
「さて、状況の報告に移ります」
日下部は、手元のタブレットを操作し、メインスクリーンにデータを投影した。
表示されたのは、ヤタガラス外宇宙船団が捉えた異星船団の光学映像と、中立会見モジュールでの接触記録の概要である。
「日本時間で数時間前、テラ・ノヴァ側で自動運行中のヤタガラス外宇宙船団と未知の異星船団が接触しました。我々は、中立会見モジュールを展開し、私と工藤氏が『義体』を用いて会談を行いました」
日下部は、会議で決定された方針通りに接触が進んだことを確認する。
「こちらは、事前の政府方針通り『日本国』と名乗りました。地球、テラ・ノヴァの存在、本拠地の場所、座標、文明圏の規模や種族の詳細は一切秘匿しております」
円卓の閣僚たちが、静かに頷く。
日下部はスクリーンをスワイプし、万能翻訳機を通して得られた相手の情報を箇条書きで表示した。
「相手は『ミコラ族』と名乗りました。
外見は、身長二・三メートルほどで、巨大でずんぐりとした『きのこ型』の知性体です」
スクリーンに、ロモ・ミコラとピリ・ミコラのシルエットのスケッチが表示される。その愛嬌のある姿に、霧島防衛大臣が思わず眉をひそめた。
「代表はロモ・ミコラ、補佐はピリ・ミコラ。
彼らの宇宙船は、生体船などではなく、流線型の極めて高度な工学に基づく機械式の宇宙船でした」
日下部は、外交的な感触について詳述する。
「ミコラ族は、我々が彼らの言語を理解したことに驚愕し、初めて知性体と遭遇したと強く喜んでいました。彼らはFTL(超光速)航行を開発済みであり、星間通信技術も有しています。すでに母星へは『日本国との接触』を連絡済みであり、彼らの母星では現在、お祭り騒ぎになっている可能性が高いとのことです」
外務大臣が、手元の資料に目を落としながら静かに息を吐く。
「我々は、今後の交流のために万能翻訳機を内蔵した通信機を譲渡しました。相手はそれを喜んで受け取り、さらに……彼らの『母星座標』まで我々に提供してきました。また、別の知性体と接触した場合には、日本国へ知らせるという約束も得ています」
日下部は、報告を締めくくった。
「というわけで、ファーストコンタクトそのものは成功でした。
少なくとも、初回接触において敵対行動はなく、相手は極めて友好的でした」
その報告に、会議室の空気が少しだけ緩むのを感じた。
矢崎総理が、確認するように問いかける。
「いい異星人だった、と受け取ってよいのかしら?」
「第一印象としては、そうです」
日下部は、慎重に言葉を選びながら答えた。
「母星の座標まで渡してきたのですか?」
外務大臣が、信じられないというように目を見開いた。
「はい」
「無防備すぎる……」
霧島防衛大臣が、軍事の常識からかけ離れた相手の行動に、顔をしかめて唸った。国家の安全保障を担う者として、初対面の相手に自国の心臓部の位置を教えるなど、正気の沙汰とは思えないのだ。
「初回接触で母星座標を渡す星間文明……警戒心が薄いのか、文化的にそういうものなのか」
榛名科学技術担当大臣が、知的好奇心を刺激されたように顎を撫でる。
そこで、工藤が事もなげに口を挟んだ。
「たぶん警戒心が薄いです。俺でも母星の場所は隠しますから」
会議室に、微妙な沈黙が落ちた。
あの、セキュリティ意識がガバガバで、なんでも「便利だから」という理由でオーパーツを作ってしまう工藤創一にすら、「俺でも隠す」と言わしめるほどの無防備さ。
それが、逆にミコラ族の異質さを際立たせていた。
「その点は、私も同意見です」
日下部が、胃のあたりを押さえながら同意した。
◇
だが、霧島防衛大臣は、その「無防備さ」を手放しで喜ぶことはしなかった。
彼は鋭い視線を工藤へ向けた。
「では、警戒は必要ないのですか?」
工藤は、即座に首を横に振った。
彼の顔から、いつものヘラヘラした笑みが消え、真面目なエンジニアのそれに変わっていた。
「いやいや、警戒は必要ですよ」
工藤は、言葉に確かな重みを持たせて説明を始めた。
「ミコラ族は友好的です。そこは本当にそう見えました。
でも、テクノロジー的にはかなり危険です」
「危険、ですか」
矢崎総理が、目を細めて聞き返す。
「少なくともFTL航行と星間通信を持っています。船を遠距離スキャンした限り、武装もそれなりにありました。好意的でいる間はいいですけど、何かの間違いで敵対的になれば、かなり危険な相手です」
「武装あり……」
霧島の表情が、一段と険しくなる。
「あれだけの星間船団が完全非武装なわけないですからね。攻撃態勢ではありませんでしたし、防衛用っぽいです。でも、平和的だから脅威ではない、という話にはなりません」
工藤の分析は、技術的な裏付けに基づく冷徹なものであった。
武力を持たない平和主義ではなく、武力を持ちながらそれを行使しない平和主義。それは、一歩間違えれば、強力な武力を行使し得るということでもある。
「油断は禁物ということね」
矢崎総理が、静かに結論づける。
「はい。接触した感じではかなり友好的で、過剰に疑うのは杞憂に近いと思います。ただ、技術的にはテラ・ノヴァ側と同等級です。工場長として、防衛リスクを考えるなら、敵対は絶対に避けたいですね」
「なるほど。頼もしいです」
矢崎総理は、工藤の「工場長」としての合理的なリスク評価に、確かな信頼を寄せた。
「私も工藤氏と同意見です」
日下部が、官僚としての視点で補足する。
「ミコラ族は友好的です。ですが、友好的な星間文明であっても、技術的危険性は別問題です。相手の善意に国家の命運を全ベットするわけにはいきません」
◇
ここで、内閣情報官が会議用の資料として、ミコラ族への評価を整理したリストをスクリーンに投影した。
【好材料】
・初回接触で敵対行動なし。
・安全距離を維持し、こちらの警戒を尊重。
・少人数で会談に応じた。
・日本国への好意が強い。
・初めての知性体接触を喜んでいる。
・通信機を受け取り、別知性体接触時の通知に同意。
・母星座標を提供。
・平和主義的傾向が強い。
【懸念点】
・FTL航行あり。
・星間通信あり。
・母星に日本国の存在が伝わっている。
・宇宙船に武装あり。
・警戒心が薄すぎる。
・別の危険文明と接触する可能性。
・日本国を星間文明として認識している。
・地球秘匿を今後も維持する必要がある。
・通信機経由で継続外交が始まる。
「相手が善意であるほど、こちらの対応責任が重くなります」
外務大臣が、外交のセオリーから懸念を口にする。
「善意の相手をこちらの都合で傷つければ、それは将来の深い不信になります。嘘を重ねれば、必ず綻びが出る」
「はい。ですので、嘘は最小限にしています」
日下部が、自らの打った布石を説明する。
「国名は日本国。敵対意思なし。……地球の存在は秘匿。出さない情報は多いですが、積極的な虚偽は避けています。これなら、後から関係が深まった際にも『安全保障上の理由で初期は伏せていた』と弁明が可能です」
「この方針は継続しましょう」
矢崎総理が、日下部の堅実な外交手腕を承認した。
◇
ファーストコンタクトの報告が一段落したところで、日下部が声のトーンを一段階低くし、新たな議題へと進んだ。
「総理。テラ・ノヴァにいる間、工藤氏と話をしたのですが、地球近縁を至急調査すべきかと考えます」
「地球近縁?」
矢崎総理が、怪訝そうに聞き返す。
「はい」
日下部は、円卓の全員を鋭く見据えた。
「異星文明が実在すると分かった以上、地球側宇宙にも星間文明が来ている、あるいは今後来る可能性を排除できません。太陽系全体を監視し、防御する防衛ラインの構築が急務です」
「当然です」
霧島防衛大臣が、即座に身を乗り出して賛同した。
「日本周辺だけではなく、地球全体の早期警戒網が必要になる。テラ・ノヴァ側で接触が起きたということは、宇宙には我々が観測できていないだけで、無数の星間航行文明が存在しているということだ」
「ただし、地球側宇宙とテラ・ノヴァ側宇宙が同一かどうかは未確定です」
榛名科学技術担当大臣が、冷静な留保をつける。
「承知しています。ですが、未確定であるからこそ調査が必要です。『同じではないはずだ』という希望的観測で放置するには、リスクが大きすぎます」
日下部の言葉には、国家の安全保障を担う者としての絶対的な危機感があった。
「分かりました。至急、進めてください」
矢崎総理が、決断を下す。
「じゃあ、ヤタガラス外宇宙船団の一部を地球側に回して、太陽系外縁から探索します」
工藤が、ポンと手を叩いて具体的なプランを並べ立て始めた。
「月軌道、火星軌道、木星圏、土星圏、オールト雲方面、近傍恒星方向。あと人工通信波とか重力異常も見ます。イヴに指示を出しておいたので、もう船団の再編は始まってます」
「規模が大きい……」
霧島防衛大臣が、その途方もないスケールに思わず唸った。
地球の防衛省がレーダーで近隣諸国を見張っている間に、この男は木星や土星、果ては太陽系の外側のオールト雲まで防衛ラインを広げようとしているのだ。
「宇宙は広いですからね」
工藤は、こともなげに笑って答えた。
◇
その時だった。
工藤が、ふと思いついたように、極めて悪気のない、軽い口調で言葉を発した。
「まあ、人類が電波を使い始めてから約150年が経過してますから、位置はバレバレなんですけどねー」
——ピタッ。
特別情報分析室の空気が、完全に、そして絶対的に凍りついた。
ジャミング装置の低い駆動音だけが、不気味に響いている。
「……今、何と?」
矢崎総理の顔から、スッと血の気が引いた。
「え?」
工藤は、なぜ皆がそんなに怖い顔をしているのか分からないというように、きょとんとして説明を続けた。
「地球から出た電波って、光速で宇宙に広がってるじゃないですか。ラジオとかテレビの電波とか。
だから、ざっくり半径150光年くらいの範囲には、人類文明の痕跡が漏れてるんですよ。
その範囲に、ミコラ族みたいにFTL(超光速)航行を持ってる文明がいたら、普通に気づかれていてもおかしくないです」
榛名科学技術担当大臣の顔色が、完全に青ざめた。
「理屈としては……そうです。電波の到達範囲内に高感度な観測装置があれば、地球に文明が存在することは容易に特定されます」
「数千の恒星系に位置バレしてても不思議じゃないですね」
工藤は、指を折りながら恐ろしい事実を積み重ねていく。
「正直、明日にでも宇宙艦隊が来てもおかしくないです!」
その一言で、会議室は完全なる絶望のどん底に叩き落とされた。
官房長官は、重く目を閉じて天を仰いだ。
外務大臣は、持っていたペンを力なくテーブルに落とした。
霧島防衛大臣は、唇を噛み締め、押し黙ってしまった。
榛名科学技術担当大臣は、震える手で資料をめくり直している。
そして、矢崎総理は、両手で口元を覆い、言葉を失っていた。
地球の存在は秘匿する。先ほどそう決めたばかりだ。
しかし、人類自身が過去150年にわたって、宇宙に向けて「我々はここにいる」と大声で叫び続けていたのだ。
今さら隠すなど、無意味だった。
地球は、生まれたての赤子のように、広大な宇宙の暗闇の中で丸裸のまま放置されていたのである。
「工藤さん?」
日下部の声が、地を這うような低さで響いた。
「あ、す、すみません」
工藤も、ようやく会議室の異常な空気に気づき、縮み上がった。
「そういう話は、もう少し段階を踏んでください」
「いや、でも事実としては……」
「事実でも、言い方があります。皆さんの寿命が縮んでいます」
「すみません」
工藤が素直に謝罪する中、矢崎総理がゆっくりと顔を上げた。
彼女の目は、恐怖を乗り越え、何とか一国のリーダーとしての理性を総動員して事態を受け入れようとしていた。
「……つまり、私たちは、すでに宇宙に見つかっている可能性があるのね」
「可能性としては、はい」
工藤が申し訳なさそうに答える。
矢崎総理は、深く、長く息を吐き出した。
絶望している暇はない。脅威が現実のものとして存在するのなら、それに対処するしかないのだ。
◇
「だ、大丈夫です。ヤタガラス総勢で地球防衛します」
工藤が、慌ててフォローの言葉を並べ立てた。
「俺もガンガンテクノロジーツリー進めるので、安心してください!」
「それはそれで気が重いんですよ……」
日下部が、胃薬の箱を握りしめながら呻いた。
「え、なんでですか?」
「工藤氏が本気でテクノロジーツリーを進めると、地球の安全保障、産業、外交、倫理、全部が爆発的に変わるからです。地球のインフラが物理的に追いつきません」
「でも異星艦隊が来るよりはいいですよね?」
「反論できないのが嫌です」
日下部は、完全に白旗を揚げた。
「安心はできません。ですが、手段があるだけ幸運と考えましょう」
矢崎総理が、場を落ち着かせるように言った。
何もない状態で宇宙艦隊を迎え撃つよりは、工藤のチート技術にすがりつく方が、生存確率は遥かに高い。
「ヤタガラス総勢、と言いましたが、どの程度の防衛が可能ですか?」
霧島防衛大臣が、具体的な戦力の確認に入る。
「今あるヤタガラス都市艦と外宇宙船団を組み合わせれば、少なくとも日本と地球周辺の要所は守れます。ただ、太陽系全域の常時防衛となると、監視網と追加船団が必要です」
「追加建造は可能ですか?」
榛名科学技術担当大臣が問う。
「資源とラインを増やせば可能です。テラ・ノヴァ側で自動化を進めます」
「また生産ラインが増える……」
日下部が、増え続ける工藤のタスクと、それに伴う地球側の外交的負担を想像して項垂れた。
◇
ここで、政府としての『太陽系防衛ライン計画』の全体像が整理された。
スクリーンに、四段階のフェーズに分かれた壮大な防衛構想が投影される。
【第一段階:監視】
・地球周辺軌道監視
・月軌道監視
・火星軌道監視
・木星圏監視
・土星圏監視
・太陽系外縁監視
・オールト雲方面の長距離探査
・近傍恒星方向の通信波探索
・未確認人工電波の分析
・重力異常・慣性異常の検出
【第二段階:早期警戒】
・太陽系外縁に無人センサー網構築
・高速通信中継網の整備
・ヤタガラス外宇宙船団との連携
・異星船団接近時の分類プロトコル(友好・不明・敵対の三段階判定)
・官邸直通警報ラインの確立
【第三段階:防衛】
・日本周辺防衛
・地球低軌道防衛
・月軌道防衛候補
・火星・木星方面の監視拠点
・非公開迎撃ラインの設定
・民間宇宙計画との衝突回避
・地球側への被害最小化方針
【第四段階:外交】
・地球側で異星文明と接触した場合の初回応答文案
・日本国として応答するのか、地球代表を装うのか、相手次第で秘匿対応するのか
・アメリカとの役割分担はどうするのか
・国連への開示はいつか
・一般国民への情報統制をどうするか
「まずは監視と早期警戒を最優先」
矢崎総理が、毅然とした声で指示を出した。
「防衛ラインの構築は、工藤氏、日下部さん、防衛省、科学技術担当で進めてください」
「承知しました」
霧島と日下部が同時に頷く。
「了解です」
工藤も、作業着の袖をまくり上げながら答えた。
◇
「問題は、アメリカです」
外務大臣が、最もデリケートな外交の火種について口を開いた。
「太陽系防衛ラインを構築する以上、いずれ何らかの調整が必要になる可能性があります」
会議室の空気が、再び重く沈み込んだ。
アメリカにどこまで事実を共有するのか。それは、日米同盟の根幹を揺るがす問題だ。
「ミコラ族の件は明かしません」
日下部が、強い意志を込めて即答した。
「断言するのですね」
矢崎総理が、その覚悟を問う。
「はい。ミコラ族との接触は、テラ・ノヴァ側で起きた事案です。これを説明するには、テラ・ノヴァの存在を明かす必要があります。現段階では不可能です」
日下部の論理は明確だった。
「では、アメリカには何を共有するのですか」
外務大臣が食い下がる。
「当面は何も。ただし、地球側の太陽系近傍調査で異常が見つかった場合、あるいはヤタガラス運用上どうしても調整が必要になった場合のみ、別名目で限定協議を検討します」
「ミコラ族については?」
霧島防衛大臣が確認する。
「テラ・ノヴァを開示する時まで秘匿です。順番を間違えれば、接触場所、ヤタガラス外宇宙船団、工藤氏の権限、すべて説明不能になります」
矢崎総理は、深く目を閉じて思考を巡らせた。
アメリカを欺き続けるリスク。しかし、テラ・ノヴァの存在を明かした際のアメリカの強欲な介入リスク。天秤にかけた結果は、明らかだった。
「分かりました」
矢崎総理が、最終的な決断を下す。
「ミコラ族の件は、テラ・ノヴァ開示までアメリカにも共有しない。これを方針とします」
「記録します。ミコラ族接触事案は、日本政府内の最上位機密。対米共有なし」
官房長官が、冷徹な事務作業として記録に残す。
「ヘイズ大統領、後で怒りそうですね」
工藤が、少しだけ申し訳なさそうに言った。
「怒られるだけで済むなら安いものです」
日下部が、胃の痛みを堪えながら吐き捨てる。
「怒られる未来は私が引き受けます」
矢崎総理が、一国のリーダーとしての覚悟を見せた。
「今は地球とテラ・ノヴァを守る方が先です」
◇
「では、ミコラ族との定期通信は誰が担当しますか?」
外務大臣が、今後の実務について尋ねる。
「初期は私と工藤氏で対応します。ロゴスとイヴが翻訳・記録補佐。ただし、恒常的な外交窓口が必要です」
「地球外文明接触対応準備室の中に、ミコラ族対応班を設けましょう」
矢崎総理が、新たな組織の立ち上げを指示する。
「贈答品や文化情報の扱いは?」
日下部が懸念を示す。
「当面は最低限。地球文化を出すと、地球の存在や文明レベルが推測される可能性があります」
「じゃあ、テラ・ノヴァ産の無難な工業製品とかでいいですかね」
工藤が軽く提案する。
「無難な工業製品とは」
「高性能だけど、座標情報も文化情報もないやつ」
「それは“無難”なのかどうかから検討します」
日下部は、工藤の「高性能」という言葉を一切信用していなかった。
「ミコラ族から母星座標を受け取っている以上、いつか訪問要請に応じる必要も出るでしょう」
榛名科学技術担当大臣が、将来の星間外交の可能性を指摘する。
「それも準備室で検討します。焦らず、しかし関係を冷やさないように」
矢崎総理が、慎重な対応を命じた。
◇
「整理しましょう」
矢崎総理が、本日の会議の決定事項を総括する。
【決定事項】
・ミコラ族との第一接触は成功。
・ミコラ族は友好的・受容的であるが、FTL航行・星間通信・武装船を持つため、技術的警戒は継続する。
・ミコラ族との敵対は絶対に避ける。
・定期通信を開始し、地球外文明接触対応準備室にミコラ族対応班を設置する。
・母星座標は隔離解析。
・ミコラ族が別知性体に接触した場合の通知は、早期警戒情報として扱う。
・地球近縁宇宙の調査を至急開始し、太陽系防衛ライン構築を開始する。
・ミコラ族接触事案は対米共有しない。テラ・ノヴァ開示まで、ミコラ族情報は日本政府内に封印する。
・地球側で異常が見つかった場合のみ、別件として対米調整を検討する。
・工藤氏はテクノロジーツリーを進めるが、解放技術は日下部経由で管理する。
・ヤタガラス総勢による地球防衛体制を検討する。
「我々は、初めて宇宙に友人を得ました」
矢崎総理は、円卓の全員を力強く見回した。
「しかし同時に、宇宙が安全ではないことも知りました。
……喜ぶのは後です。まずは守る準備をします」
◇
会議が終了し、工藤と日下部が特別情報分析室を退室する。
二人は、官邸の地下廊下を歩きながら、短い会話を交わした。
「なんかすみません。地球位置バレバレとか言って」
工藤が、珍しくしょんぼりとした顔で謝った。
「事実なので仕方ありません。ただ、会議室で爆弾を投げる癖は直してください」
日下部は、冷ややかな声で窘める。
「努力します」
「努力では困ります」
日下部の厳しいツッコミに、工藤は苦笑した。
「でも、地球はちゃんと守りますよ。そこは任せてください」
その言葉には、いつもの軽さの中に、確かな責任感が込められていた。
日下部も、その思いを汲み取り、少しだけ表情を緩めた。
「そこは、頼りにしています」
「じゃあ、テクノロジーツリー進めますね!」
工藤が、パッと明るい顔になって宣言する。
「……ほどほどに」
日下部が、胃を押さえながら釘を刺す。
「宇宙艦隊が来るかもしれないのに、ほどほどでいいんですか?」
「全力でお願いします。ただし報告してください」
「了解です」
「本当に報告してください」
「たぶん」
「不安です」
二人のやり取りは、人類の存亡を賭けた防衛計画の始まりとしては、あまりにも日常的で、そして少しだけコミカルであった。
◇
その夜。
テラ・ノヴァの工場群では、新たな生産ラインが一斉に起動していた。
外宇宙探査船団用の特殊なレーダー部品、慣性ダンパーの増設ユニット、そして迎撃用の未公開兵器群。それらが、自律ドローンたちの手によって凄まじい速度で組み上げられていく。
ヤタガラスの一部が、地球側宇宙への展開準備を始めていた。
地球近傍軌道には、誰の目にも見えないステルス監視網が、密かに、しかし確実に設置され始めていた。
月、火星、木星。太陽系の要所に、日本の眼が向けられる。
官邸では、『地球外文明接触対応準備室』がひっそりと稼働を開始した。
ミコラ族から受け取った母星座標は、隔離されたサーバー内で慎重に解析が進められている。
通信機の回線は、24時間体制で厳重に監視されていた。
矢崎総理は、官邸の窓から、雲の切れ間に覗く夜空を見上げた。
見慣れた星々の輝きが、今日からは全く違う意味を持って彼女の目に映っていた。
日本国は、銀河で最初の友人を得た。
だが、その友人の存在は、宇宙が空っぽではないことを証明してしまった。
そして宇宙が空っぽではないのなら、地球はもはや、誰にも見つかっていない孤独な星ではなかった。
その夜、日本政府は初めて、国土ではなく、惑星そのものを守るための会議を始めた。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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