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自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~  作者: パラレル・ゲーマー
第十一部 第五種接近遭遇と、銀河帝国「日本国」編

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第156話 神の火、点火成功。中国、禁断症状

第十一部 第五種接近遭遇と、銀河帝国「日本国」編開始



 東京都千代田区、首相官邸。

 地下深く、何重もの物理的・電子的隔壁に守られた『特別情報分析室』。

 矢崎薫内閣が発足し、怪物選挙という名の熱狂的な信任を経てから初めて、この部屋にアンノウン案件に関わる主要閣僚が集結していた。

 円卓を囲む顔ぶれは、かつての副島政権時とは顔ぶれを一部変えつつも、その眼差しの鋭さと、肩にのしかかる責任の重さは変わっていない。むしろ、技術の社会実装という未知の領域に踏み込む現政権において、その緊張感は一段と増していた。


「——ジャミング、オン」


 官房長官が低い声で宣言し、コンソールのスイッチを入れる。

 微かな極低周波の駆動音が室内の空気を震わせ、外部からのあらゆる電磁波、音声、物理的振動が遮断された。この瞬間から、この部屋で語られる内容は、日本国、ひいては人類文明の最深部に属する極秘事項となる。


 矢崎総理は、手元の資料を一度もめくることなく、背筋を伸ばして円卓を見回した。


「副島前総理から引き継いだ案件は、どれも人類の歴史を一変させるほど重いものです。しかし、我々には立ち止まっている時間はありません。今日は、現在進行中の三つの重要案件について、優先順位と具体的な対応策を決定します」


 矢崎の声は、かつて法務副大臣や厚生労働大臣として国会答弁に立っていた時のような柔らかさを保ちつつも、その芯には揺るぎない覚悟が宿っていた。


「日下部さん、まず中国の動向から報告をお願いします」


 円卓の端で、いつものように無機質な表情を崩さない内閣官房参事官、日下部が静かに立ち上がった。


 ◇


「結論から申し上げます。巨竜は現在、猛烈な禁断症状に苦しんでいます」


 日下部が提示した資料には、中国共産党指導部の内部情勢を分析した生々しいレポートが並んでいた。


「中国の李総理周辺から、非公式の接触が異常な頻度で増えています。内容はすべて、オリジナル医療用キットの追加提供を求めるものです。彼らの要求は、もはや外交的な要請というより、懇願に近い形に変質しつつあります」


 日下部は淡々と続けた。


「表向き、李総理側は『過度の公務による健康不安』や『不測の事態に備えた職務継続上の備え』といったもっともらしい理由を挙げています。しかし、我々の分析では、趙最長老がオリジナル医療用キットを使用して全盛期の肉体を取り戻し、マイアミで優雅な引退生活を送っている動画——いわゆる『マイアミの亀仙人』映像が、現役指導部を底知れぬ焦燥へと突き動かしているのは明白です。自分たちだけが老い、死にゆくことへの恐怖が、彼らの理性を焼き切ろうとしています」


 会議室の空気が、嫌な湿り気を帯びる。


「彼らは、台湾の民主主義的独立承認という、中国共産党の存在意義を根底から覆すカードすら切ろうとしています。武力統一を完全に放棄する引き換えに、不老不死の切符を手に入れようとしているのです。ですが、ヘイズ大統領との会談でも確認された通り、あまりに急進的な承認は中国国内の強硬派や軍の暴走、あるいは民衆の動乱を招くリスクが極めて高い。我々日米は、現在、彼らの暴走にブレーキをかけている状態です」


 日下部は、李総理側からの最新の要望を読み上げた。


『李総理は、ストレスで心身ともに限界に近い。医療用キットを一つだけ、予備として預けてほしい。直ちに使用するつもりはない。ただ、自らの命が保障されているという安心感が欲しいのだ。保険として持っているだけでいい。どうかお願いだ』


 矢崎総理が、眉間に深い皺を寄せた。


「……保険として、持っているだけでいい、ですか」


「本格的に体調が悪いわけではないのですよね?」


 綾瀬真琴厚生労働大臣が、確認するように問うた。


「ええ。中国政府高官の一人が、あまりの無様さに呆れたのか、我々の情報員に対し『あれは仮病だ』とこぼしてきました。李総理本人は至って健康ですが、精神的なパニックに陥っているようです」


「国家指導者の姿としては、なかなか見苦しいものだな」


 霧島大悟防衛大臣が、鼻で笑った。


「彼らにとって、不老不死はもはや政治目的ではなく、個人的な生存本能に直結する欲求となっています。矢崎総理、これに対する我々の公式回答は?」


 矢崎は、静かに首を振った。


「無視で良いのではありませんか? ここで安易に要求に応じれば、彼らはさらなる要求を重ねてくるでしょう。命に関わる緊急時ではない以上、特例を認めるべきではありません」


 会議室の閣僚たちの多くが、矢崎の正論に頷こうとした。

 だが、日下部は資料をめくる手を止め、眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせた。


「無視も一つの選択肢ですが、私はあえて別案を提示します。……保険として、医療用キットを一個、預ける案です」


 会議室が、一瞬で静まり返った。


「本気ですか、日下部さん?」


 綾瀬厚労大臣が、信じられないというように身を乗り出す。


「本気です。もちろん、無条件で渡すわけではありません。日本側が特別に設計した『特殊封印ケース』に収納し、開封には日本側が生成する時限式解除コードを必要とする。さらに、開封時には我々への即時通知と正当な理由の承認を義務付け、保管場所には常時、日本側が監視できるセンサーを設置する。これを条件にします」


「数の問題ではありません。これは医療ではなく、政治的な中毒物です。そんなものを餌にするのは……」


「おっしゃる通り、中毒物です」


 日下部は、綾瀬の言葉を遮るように言い切った。


「だからこそ、管理下で渡すのです。李総理がもし本当に過度のストレスで倒れ、その際に日本がキットを出し渋ったという認識が中国内部で広がれば、彼らの恨みの矛先はすべて日本に向かいます。正常な判断力を失った巨竜が、死に物狂いで牙を剥く。そのリスクを回避するための『鎮静剤』として、一個のキットを使います。……ですが、私の真の狙いは別にあります」


 矢崎総理が、日下部を真っ直ぐに見据えた。


「理由を聞きましょう」


 ◇


「正直に申し上げれば、ここで完全に中国共産党のトップを我々の制御下に置くのが、国家戦略として最も効率的です」


 日下部の言葉に、閣僚たちの表情が凍りついた。


「李総理は現在、国内で実質的な独裁に近い権限を握りつつあります。しかし、その権力の源泉はアンノウン技術、特に医療用キットへの独占的なアクセス権に基づいています。彼が不老不死の薬への依存を強めれば強めるほど、彼は我々の操り人形として機能しやすくなる」


「日下部さん、それは……医療を餌にして、他国の指導者を脅迫するということですか?」


 綾瀬厚労大臣の声が、微かに震えていた。


「はい」


 日下部は、微塵の迷いもなく認めた。


「認め……認めるのですか、それを」


「認めます。綺麗事や民主主義の理念で中国共産党を制御できると信じている者が、この部屋にまだいるのであれば、今の職を辞することをお勧めします。彼らは力と欲望の言葉しか理解しません。ならば、我々もその土俵で戦うべきです」


 霧島防衛大臣が、膝を叩いて低く笑った。


「悪辣だな。だが、現実的だ」


「失礼な。官僚として、国益のために最も効果的な手段を講じているだけです」


「いや、日下部さん。今のはかなり悪辣でしたよ」


 御堂周作経済産業大臣も、苦笑いしながら口を挟んだ。


「ならば、『効果的な官僚』と言い換えていただいても結構です」


 日下部は平然と返し、矢崎総理を見た。


「総理。私の狙いは、この一個の薬を餌に、李総理から『白紙の小切手』を引き出すことにあります」


「白紙の……小切手」


 矢崎が、その言葉の重さを反芻する。


「はい。キットを一個預ける代わりに、通常の外交文書では不可能なレベルの包括的な譲歩を要求します。台湾問題の段階的かつ平和的な清算の文書化、武力統一の完全放棄、日本への不可侵と工作活動の完全停止、重要鉱物や医療素材の優先供給。さらに、中国国内で進められている劣化ナノマシンの研究資料の提出や、万一の動乱時の軍暴走防止策への協力。……これらを一纏めにした契約を結ばせます」


 会議室の温度が、数度下がったかのような錯覚を覚えるほどの冷酷な提案だった。


「これは、一個の薬の対価ではありませんね」


 矢崎が、絞り出すように言った。


「はい。一個の薬ではなく、『次の薬が欲しいなら、今後、日本が定めたルールの中で、日本の管理下で振る舞い続けろ』という、国家レベルの首輪です。彼ら自身が欲しがって、自ら首を差し出している。これを逃す手はありません」


「恐ろしい言い方をしますね……」


 綾瀬が絶句する。


「恐ろしい相手には、恐ろしい手段が必要です。彼らが我々の技術を盗もうとし、あるいは力で奪おうとしてきた過去を忘れないでください」


 日下部は、安全措置についても詳細に説明した。

 医療用キットは特殊な不透明・防振ケースに封印され、外部からのスキャンや破壊行為、無許可の解体を検知した瞬間に、内部の薬剤を不活性化させる。不活性化した後は、単なる無価値な液体へと変わる。さらに、ケースにはGPSと複数のセンサーが組み込まれ、所在と状態を日本側がリアルタイムで把握し続ける。


「解析しようとした時点で、すべてを炭化させる措置も検討しています」


「医療資材の話をしているのですよね、我々は?」


 綾瀬の問いに、日下部は表情を変えずに答えた。


「いいえ。これは『外交資材』です」


「……言い切りましたね」


 矢崎が、日下部を見つめる。


「医療用キットを国家指導部の延命のために渡す時点で、それはもはや純粋な医療ではありません。毒か薬か、それを選ぶのは受け取る側の覚悟次第です」


 矢崎は沈黙した。

 法務と医療を歩んできた彼女にとって、日下部の提案は生理的な嫌悪感を伴うものだ。しかし、一国の総理大臣として、東アジアの平和と、自国の技術覇権を維持する責任がある。


「アメリカとの調整は必須ですね、日下部さん」


「はい。特にノア氏とエレノア氏には事前に話を通す必要があります。彼らなら、この案の有用性を即座に理解し、アメリカ側による監視体制への参加を求めてくるでしょう。日米で中国の首輪を握る。それが、東アジアを安定させる最も現実的な解です」


 矢崎は、少しだけ目を閉じて考え込んだ。

 不老不死を欲し、国家の理念すら投げ捨てようとする巨竜。

 ここで突き放せば、彼らは絶望し、暴走するだろう。

 だが、薬を渡せば、日本は中国という国家の主権を、欲望を通じて半分奪うことになる。


「……医療用キット一個を、保険として預ける案を採用します」


 矢崎が決断した。綾瀬が短く息を呑む。


「ただし、日下部さんが提示した条件をすべて、一文字の妥協もなく文書化し、李総理に飲ませることが前提です。自由使用は認めない。解析も認めない。台湾問題の段階的処理と、軍の暴走防止を最低限のバーとします。そして、アメリカと事前調整を行い、日米共同の監視体制を敷くこと」


「承知しました」


「日下部さん」


「はい」


「これは医療ではなく、毒を管理する行為です。その毒が回りすぎて、中国が自壊するような事態になれば、我々もその返り血を浴びることになります。毒を扱う者として、最後まで責任を持ってください」


 日下部は、静かに頭を下げた。


「逃げるつもりはありません」


 その言葉は、矢崎に対する忠誠というよりは、自らの宿命を受け入れた者の響きを持っていた。


 ◇


「——重い話が続きましたが、次の議題に移ります」


 官房長官が、空気を切り替えるように資料を配布した。

 次に登壇したのは、榛名理人科学技術担当大臣である。若手ながら、アンノウン機関と地球側科学者の橋渡し役として、最も過酷な現場を指揮している。


「次の議題は、13m級教育用核融合炉の限定実証試験についてです。……結論から申し上げます」


 榛名は、少しだけ高揚した表情を隠せずに、力強く言った。


「成功しました。神の火は、灯りました」


 会議室に、今日初めて、明るい衝撃が走った。


「成功……点火したのか?」


 御堂経産大臣が、食い入るように資料を見つめる。


「はい。ヤタガラス内部の閉域研究区画において、先刻、1分間の限定稼働実証を行いました。出力は理論上の最低限に制限されていますが、炉心内のプラズマ保持、磁場制御による安定、熱回収プロトコル、そして予定通りの緊急停止。すべてがアンノウン側の教科書通り、かつ地球側の数理モデルが予測した範囲内で動作しました」


「本当に……ついにやったのですね」


 矢崎の目にも、素直な感動の色が浮かんだ。

 人類が何十年も追い続け、何兆円もの予算を浪費しても届かなかった『究極のエネルギー』。それが、たった13メートルの、アンノウンから見れば『教育用』に過ぎない装置の中で、確実に産声を上げたのだ。


「1分間限定とはいえ、稼働中のパラメーターは極めて安定していました。磁場がプラズマを完璧に封じ込め、炉壁への熱負荷も設計通り。……これは、アンノウンのオーバーテクノロジーが、ついに我々地球人の『理解可能な技術』として接続されたことを意味します」


「商用化への目処は?」


 御堂が、気が早い質問を投げかける。


「まだ先です、御堂大臣」


 日下部が、釘を刺す。


「今回はあくまで『教育炉』の限定実証。送電網への接続、大規模化に伴う安定性、長期的な材料負荷の検証など、課題は山積みです。来週から5分、10分、30分と連続稼働時間を伸ばし、ストレステストを繰り返します。ですが……」


 日下部は、そこで一瞬だけ口角を上げた。


「地球科学にとっては、文字通りの特異点です。昨日までの不可能が、今日、我々の管理下で可能になったのですから」


「軍事的にはどう見る?」


 霧島防衛大臣が、安全保障担当としての義務的な問いを発した。


「現段階では巨大な発電機に過ぎません。ですが、これを潜水艦や大型艦艇に積めば、航続距離と出力の概念が根底から覆ります。もちろん、現時点では非公開。技術中核はアンノウン機関が完全に封印しています」


「分かっている。神の火を兵器に変えるのは、まずエネルギー問題を解決してからだ」


 霧島は、満足げに頷いた。


「今後の共有範囲は、日米仏の既存枠組みに準じます」


 日下部が整理を続ける。


「成果の概要は即時共有しますが、詳細な制御データは段階的に。EU議会に対しては、安全評価の結果と成功の事実のみを報告します。生データは渡しません」


「EU議会は、また荒れるでしょうね」


 外務大臣が、溜め息混じりに言った。


「でしょうね。神の火が本当に灯ったとなれば、彼らの『共有要求』はさらにエスカレートするでしょう。ですが、我々には実証の成功という揺るぎない実績がある。フランス政府には、引き続き『自国の功績』として胸を張ってもらい、EUの防波堤になってもらいます」


 御堂が、拳を握りしめた。


「いずれにせよ、これは矢崎内閣の、最初の巨大な『光』の成果です。国民への発表時期を慎重に選びましょう。電気代の低下、産業の自立……夢はいくらでも描けます」


「夢を描くのは結構ですが、同時に法整備を進めてください」


 矢崎が、釘を刺した。


「夢に制度をつけるのが、我々の仕事です」


 ◇


「——最後に、最もロマン溢れる、しかし最も書類仕事が重い議題です」


 官房長官が、会議の締めくくりに向けた資料を提示した。


「スペースX、NASA、そして我が国のJAXAによる、火星有人飛行計画についてです」


 榛名大臣が、最新の航行スケジュールを説明する。


「スペースX側は、火星周回・近傍飛行ミッションを、数カ月以内に実行する準備を進めています。……以前の報告通り、アンノウン由来の150km/s級超高速推進技術と慣性ダンパーを使用します。火星までの航行時間は、わずか五日。人類が、初めて『近所』へ行くような感覚で火星に到達することになります」


「火星まで……五日」


 御堂経産大臣が、呆然と呟いた。


「はい。初回は着陸ではなく、火星周辺をぐるりと回って帰還するフライバイ計画です。ですが、それでも人類史上初の試みです。使用技術の中核は日米で厳重に管理し、スペースXには機体運用と民間宇宙船技術の提供を、NASAとJAXAが全体の安全監督とミッション管理を担当します」


「150km/s級の航行体を民間企業が運用する。……日下部さん、これは安全保障上、極めて危険な玩具ではないか?」


 霧島が、警戒を露わにした。


「その通りです、霧島大臣。地球の大気圏内でその速度を出せば、それだけで大量破壊兵器になり得る。だからこそ、制御中核はJAXAとNASAの認定チームが暗号キーを握ります。スペースX単独での加速・減速は不可能です。……彼らが火星に国境線を引く自由はありません」


 矢崎が、かつてヘイズ大統領に言った言葉をなぞるように言った。


「夢を止めるわけにはいきませんが、夢には法律とリミッターが必要です。事故が起きた際の補償、搭乗者の国籍、救難プロトコル、そして民間企業の責任範囲。……火星に行く前に、地上の会議室で片付けるべき書類が山ほどありますね」


「はい。火星まで五日でも、国際法を五日で書き換えることはできません。欧州や中東、インドからも参加の打診が殺到しています」


 日下部が、うんざりしたように続けた。


「特に中国は、医療用キットの件と並行して、この火星ミッションへの参加を強く要求してくるでしょう。彼らにとって、宇宙は国家の威信そのものですから」


「それも『白紙の小切手』の項目に加えましょう」


 矢崎が、冷徹な声で提案した。


「火星を見せて、地上で譲歩させる。……アンノウン時代の外交とは、欲望と夢のトレードオフですね」


「はい。放っておけば、すべてが自分勝手に暴走する時代です。我々の仕事は、そのすべてに首輪をつけ、制度という檻の中に押し込めることです」


 会議は、各議題の優先順位と、日米仏の連携強化、そして中国への「毒入りの餌」の提供方針を最終決定して幕を閉じた。


 ◇


 閣僚たちが、それぞれに重い課題を抱えて退室していく中、特別情報分析室には、矢崎総理と日下部の二人が残された。

 ジャミング装置の駆動音だけが、不気味に響いている。


「副島前総理は、本当に途方もないものを残していかれましたね」


 矢崎が、椅子の背もたれに深く体を預け、ポツリと漏らした。


「はい」


「中国は一個の薬で国家の主権を切り売りし、核融合炉は一分間だけ地上の太陽を灯し、民間人は五日で火星に行こうとしている。……まるで、神話の時代に放り込まれたような気分です」


「アンノウン時代、とはそういうものです、総理」


「簡単に言いますね」


「そう自分に言い聞かせないと、胃が持ちませんので」


 日下部が珍しく自嘲気味に言うと、矢崎は微かに笑みを浮かべた。


「日下部さん」


「はい」


「医療用キットの件、あなたの案は、法律家としての私からすれば、救いようもなく悪辣です。人道の名を借りた、魂の誘拐に近い」


「……承知しております」


「ですが、一国の総理大臣としては、それ以外の選択肢がないことも理解しています。中国の暴走を止めるには、彼らの最も汚い部分を握るしかない」


 矢崎は、真っ直ぐに日下部を見つめた。


「やりましょう。李総理に首輪をつけてください。ただし、その重みに、我々日本政府も耐え続けなければなりません。毒を管理するということは、自らも毒を飲み続けるということですから」


「承知しております。返り血は私が浴びます」


「いいえ。内閣の責任です。……これからも、よろしくお願いしますね、日下部さん」


「……承知しました」


 日下部は、深く一礼した。

 矢崎の瞳には、副島とはまた違う、冷徹な「正義」と「責任」の炎が灯っていた。

 日下部は内心で、また一つ逃げ道が消えたことを悟った。

 この女性総理も、副島に劣らず、自分を地獄の果てまで使い倒すつもりなのだ、と。


 神の火は、一分だけ灯った。

 火星は、五日の距離に縮んだ。

 そして巨竜は、一個の小さな薬に、国家の未来を差し出そうとしていた。

 矢崎内閣の最初の本格会議は、アンノウン時代の目も眩むような光と、底知れぬ漆黒の闇を、同じ机の上に並べて、静かに終わった。



最後までお付き合いいただき感謝します。


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― 新着の感想 ―
日下部さんが実に悪辣でたくましくなったなあ。
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