第147話 神の火の部屋に入れる者たち
東京都千代田区永田町、首相官邸。
地下五階に設けられた『特別情報分析室』は、地上の喧騒や気候の変化から完全に隔絶された、無機質で冷徹な絶対の密室である。分厚い鉛と最新の電磁波吸収素材に覆われたこの空間には、空調の微かな稼働音だけが単調に響いていた。
円卓を囲むのは、この国の舵取りを実質的に担う者たちだ。
副島内閣総理大臣を筆頭に、官房長官、日下部内閣官房参事官、科学技術担当大臣、防衛大臣、文部科学大臣、法務担当、公安担当、内閣情報調査室の幹部、経済産業省担当、医療政策担当、そして極秘裏に組織されたヤタガラス運用担当の責任者。
彼らの表情には一様に、深い疲労と、それ以上に重い「現実」が刻まれていた。
「——ジャミング、オン」
官房長官が、手元のコンソールを操作し、短く宣言した。
ブゥン……という、内臓の奥底を微かに震わせるような極低周波の駆動音が室内の空気を満たす。部屋の四隅に設置された『位相干渉装置』が稼働し、室内のランプが通常モードの青色から、警戒と秘匿を示す薄暗い赤色へと切り替わった。
総理が、重厚な革張りの椅子に深く背を預け、軽く顎を引いて口を開いた。
「『先駆者由来高度技術保護特別措置法』——通称、アンノウン保護法案は、無事に衆参両院で可決、成立した。世論の反応も、想定より遥かに安定している」
官房長官が、手元のタブレットで国内の世論調査とネットの分析データを一瞥し、それに続いた。
「高度先駆者技術翻訳機構、通称アンノウン機関の設置も、表向きは順調に受け止められています。今後は、実際に動かさなければなりません」
科学技術担当大臣が、安堵とプレッシャーの入り混じった顔で言葉を継ぐ。
「法律はできた。看板も出した。問題は、中身ですね」
スクリーンの傍らに立ち、これまで数々の『神の火』の処理に奔走してきた内閣官房参事官、日下部が静かに頷いた。
「はい。箱はできました。次は、その箱の中に誰を入れるかです」
その一言で、会議室の空気が一段と重く沈み込んだ。
法律や施設は、あくまでシステムに過ぎない。神の火を扱うのは、結局のところ血の通った人間なのだ。彼らをどう選び、どう管理するかが、この国が真の技術国家として自立できるかどうかの最大の試金石となる。
◇
官房長官が手元の端末を操作し、壁面の巨大スクリーンに新たな資料を投影した。
画面に映し出されたのは、複雑なブロック構造と無数の区画が入り組んだ、巨大な施設の内部構造図であった。図面の右上には、政府内部用の最高機密を示す赤いスタンプと共に、その名称が刻まれていた。
『ヤタガラス都市艦・研究管理区画案』
科学技術担当大臣が、少しだけ緊張した面持ちで確認の口火を切った。
「まず前提条件の確認です。アンノウン機関の物理的な拠点は、地上ではなく、ヤタガラス都市艦の内部に置く。これでよろしいですね」
「ええ」
副島総理がゆっくりと頷く。
「表向きの発表では、あくまで『所在地非公開の政府指定閉域研究施設』だ」
「当然です」
日下部が極めて事務的なトーンで応じた。
「機関に所属する科学者本人に対しても、必ずしもヤタガラスの全体構造や全容を開示する必要はありません。彼らが知るのは、自分が勤務し、生活する『閉域研究施設』の範囲だけです」
ヤタガラス運用担当の責任者が、現在の都市艦の状況について補足説明を始めた。
「現在、ヤタガラス都市艦の内部には、初期のテスト住民を含め、既に約一万人が収容され、生活しています。生活区画、医療区画、教育区画、物流区画、そして娯楽区画は完全に稼働済みです。今回、新たに研究員およびその家族帯同者を受け入れるだけの物理的な余地とインフラの余裕は、十分にあります」
その報告に、文科大臣が眉をひそめて尋ねた。
「家族帯同も認めるのですか? 最高機密を扱う施設に、研究者の家族まで入れるのはリスクが高すぎませんか?」
「原則としては、段階的に許可します」
日下部が即答した。
「いきなり完全な隔離環境に一人で放り込めば、いかに優秀な研究者であっても、孤独とプレッシャーで精神状態が崩れます。彼らには最高のパフォーマンスを発揮してもらわなければなりませんから。ただし、家族にも厳格な守秘義務契約を結ばせ、行動制限と通信監視を受け入れてもらいます」
公安担当が、厳しい顔つきでそれに同調する。
「家族を経由した接触は、外国勢力や産業スパイが最も狙いやすいルートです。地上に家族を残したままでは、人質にされるリスクすらある」
「だからこそ、地上ではなくヤタガラス内部が良いのです」
日下部は、この案の最大のメリットを強調した。
「外部接触、通信トラフィック、移動経路、医療情報、日々の生活パターン。そのすべてを我々のシステムで完全に一元管理できます。地上に『絶対安全な要塞』を建設するよりも、はるかに強固な防諜体制が敷けるのです」
副島総理が、深く息を吐き出して話をまとめた。
「研究者を監獄に閉じ込めるのではない。彼らが安全に、そして世界最高の環境で研究に没頭するための『都市』を用意する。表向きの説明はそれでいく」
◇
画面が切り替わり、ヤタガラス内部に新設される『研究区画』の詳細な見取り図と、セクションごとの割り当てが表示された。
「では、アンノウン機関における具体的な研究セクションの構成を確認します」
日下部がレーザーポインターでスクリーンを指し示しながら、順を追って解説していく。
「第一に、『エネルギー研究区画』。
ここでは、教育用13メートル級核融合炉のシミュレーションと、米仏の施設から送られてくる実証炉のデータ解析を行います。彼らが実証で躓くポイントを先回りして分析し、最終的には『3メートル級完成炉』との差分を整理することが目標です。
第二に、『材料工学区画』。
核融合炉用の超高耐熱合金、慣性制御装置の外殻材、そして自律施工用ロボットの部材など、アンノウン技術を支える物理的素材の解析を目指します。
第三に、『先進微細医療技術区画』。
『がんしぼり君』、『二段ロケット式消しゴム君』、『ザルすくい君』といった、公開済みのナノマシン技術の体内常駐型制御技術の安全評価を徹底し、人工臓器、高度義肢、人工眼球などの将来応用基礎研究へと展開させます。なお、戦傷外傷用の『バンドエイドMK3』については、ここでは扱いません。政府内部でも、今回はまだ『軍事医療技術枠』として別管理とし、純粋な民生・基礎医療とは切り離します。
第四に、『慣性制御・重力制御区画』。
G軽減技術の解析です。輸送機器への応用、災害救助、福祉応用へのスピンオフを目指しますが、同時に『軍事転用リスク』の評価も行わせます。
第五に、『自律施工・建設ロボット区画』。
建設ロボットの群制御ネットワークの解明、高速施工プロトコルの確立、核融合炉の据付手順の最適化を行います」
日下部がスラスラと読み上げていく研究テーマの数々は、どれも現代の科学者にとっては垂涎の的であり、人類の未来を数世紀分前倒しにするような夢のプロジェクトばかりだった。
だが、そのスライドの最後に、ひっそりと、しかし異質な存在感を放つ一つの区画名が記載されていた。
『6.高度機密特別格納区画』
それは、政府内部の極一部の人間しかその存在を知らない、最も黒いブラックボックスの格納庫であった。
防衛大臣が、その項目を見つめながら、ぽつりと、そしてどこか少年のように目を輝かせながら呟いた。
「……日下部くん。あそこには、あの巨大ロボットも研究セクションにあるのですよね?」
かつて、工藤創一がテラ・ノヴァの荒野で防衛隊の権田隊長を相手に、ペイント弾を撃ち合い、分厚い鋼鉄の拳で殴り合うという泥臭い格闘戦を演じていた、全高七メートルを超える人型機動兵器。
その言葉が出た瞬間、日下部は露骨に顔をしかめ、間髪入れずに言い放った。
「防衛大臣。お願いですから、そこに科学者を引っかける前提で話を進めないでください」
「いや、しかし巨大ロボットですよ?」
防衛大臣は、なおも食い下がった。
「権田隊長たちと、砂塵を巻き上げて格闘戦やペイント弾で遊んでいた、あのロマンの塊です! 日本の工学者やロボット研究者が見たら、それこそ誰か一人くらい、文字通り人生を捧げて研究に没頭するのではないでしょうか? 防衛技術としても、姿勢制御や歩行アルゴリズムの基礎データは……」
「捧げられても困ります」
日下部は、一切の容赦なく切り捨てた。
「あれはただのロマンではありません。重力制御と超絶的な動力源を積んだ、地球の軍事バランスを一瞬で消し飛ばす戦略兵器そのものです。研究者たちに無邪気におもちゃとして与えるには、危険すぎます。勘弁してください」
会議室のあちこちから、必死に笑いを堪えるような微かな息遣いが聞こえた。
この極限のプレッシャーの中にあって、防衛大臣の無邪気すぎる提案と日下部の冷徹なツッコミは、一種の清涼剤のように作用していた。
総理が、小さく咳払いをして場を収めた。
「日下部くんの言う通りだ。巨大ロボット区画は、現段階ではアンノウン機関の一般研究対象には含めない。厳重な封印状態を維持する。……よろしいですね」
防衛大臣は、本当に、心底残念そうに「……承知しました」と頷いた。
◇
科学技術担当大臣が、居住まいを正して次の議題へと話を移した。
「次に、研究員サポート体制についてです」
スクリーンに、流線型のスマートなアイコンと共に、一つの名称が表示された。
『個別研究支援AI:ORACLE/オラクル』
その名前を見た瞬間、日下部が本日何度目か分からない、ひどく嫌そうな顔をした。
「……オラクル」
総理が、その名称を口の中で転がす。
「工藤氏から提供されたものだな」
「はい」
日下部が深い溜め息とともに答える。
「工藤氏特製の研究支援AIです。正式名称は仮に『オラクル』としています」
「機能は?」
科学技術担当が問うと、日下部は手元の資料をスワイプし、機能リストを読み上げ始めた。
「……主な機能は以下の通りです。
・研究スケジュールの管理
・資料検索および実験ログの記録
・翻訳支援およびアンノウン技術用語の基礎説明
・危険な実験手順への警告
・情報持ち出しの監視および通信内容のフィルタリング
・研究者のバイタルチェックおよび精神状態の異常検知
・日常的な秘書業務および研究補助
・セキュリティ違反時の即時通報
・そして、必要に応じた『物理的制止』」
最後の一項目で、会議室が少しざわついた。
「物理的制止?」
文科大臣が怪訝そうな顔でオウム返しにした。
「それは、どういう意味ですか? AIが人間に物理的に干渉するということですか?」
「はい。その通りです」
日下部は、極めて淡々と事実を口にした。
「オラクルは、義体を持つ予定です」
会議室が沈黙した。
「義体……つまり、人型端末、ということですか」
官房長官が、目を丸くして確認する。
「はい。研究者一人、または研究チーム単位に、オラクルの義体が秘書兼監視役として配置されます」
「それはつまり、研究室ごとに小型の管理AIが常駐するということですか」
防衛大臣が驚愕の色を隠せずに言った。
「肯定します。ただし、ヤタガラス全体を統括しているイヴ氏とは別物です。工藤氏いわく、“かなり万能に作ってあります”とのことです」
「工藤氏の“かなり万能”は、信用していいのか?」
総理が疑り深い目で日下部を見る。
「そこが、私としても一番怖いところです」
日下部は真顔のまま答えた。
◇
科学技術担当大臣が、少し言いにくそうに次の議題に移った。
「……そのオラクルの義体についてですが、一つ、工藤氏から特殊な仕様が提示されています。男女選択が可能とのことです」
シン、と。
会議室の空気が、先ほどとは全く違うベクトルの、極めて微妙で気まずい静寂に包まれた。
「……なぜ」
官房長官がこめかみを押さえて呻いた。
「なぜ、そこを選べるようにしたのですか」
「工藤氏なりの、配慮だと思われます」
日下部が遠い目をしながら答えた。
「いや、しかしですね」
防衛大臣が真面目な顔で議論を立ち上げた。
「同性の方が良いのではないですか? 異性型、特に魅力的な外見の義体を配置した場合、研究者がAIに対して妙な感情を持つ可能性があります。業務に支障をきたしませんか?」
「いや、同性型であっても、依存は起こり得ます」
文科大臣が教育と心理の観点から反論する。
「むしろ、自分の研究の意図を誰よりも深く理解し、常にそばで支えてくれる完璧な理解者として振る舞うなら、性別など関係なく、強烈な精神的依存を生む危険性があります」
医療政策担当がメンタルケアの側面から擁護する。
「研究者のメンタルケアを考えると、本人が圧迫感を覚えない外見や性格を選べる方が良いのでは?」
「しかし、あまりに個人に最適化しすぎると、依存リスクが高まります」
公安担当が防諜の観点から懸念を示す。
「それと、法的な問題もあります」
法務担当が極めて真面目な顔で、しかし最も生々しい懸念を口にした。
「もし、既婚者の研究者が、自分に献身的に尽くす美しいAI義体と……その、恋愛関係、あるいは肉体的な関係になった場合、それは法律上どう扱うのですか? 家族からの訴訟リスクは?」
沈黙。
日本の最高権力者たちが集う地下の密室で、最新鋭のAIロボットとの不倫問題が、大真面目な顔で議論されている。
そのシュールすぎる光景に、日下部はついに限界を迎え、両手で頭を抱え込んだ。
「やめてください」
日下部の低い、しかし悲痛な声が響いた。
「まだ機関を動かしてもいない段階で、AI義体との不倫問題を国家の安全保障会議の議題に乗せないでください。私の胃が持ちません」
「いや、しかし日下部くん」
防衛大臣がなおも食い下がる。
「あり得ないとは言い切れませんよ。リスクアセスメントとしては当然の想定です」
「それが嫌なんです」
日下部は忌々しげに顔を上げた。
「……工藤氏は、“かなり万能に作ってある”と言っているのですよね?」
科学技術担当が恐る恐る確認する。
「はい」
「なら、研究者が抱える孤独や、凡人には理解されない天才ゆえの苦しみ、プレッシャーによる劣等感……そういった心の隙間に、オラクルは完璧な精度で寄り添うことができるわけです」
文科大臣がAIの恐ろしさを的確に突いた。
「だから怖いんです」
日下部は冷徹な心理分析を提示した。
「天才科学者が、自分を完璧に理解し、決して裏切らないAI秘書を得る。そのAIが常に傍にいて、膨大な計算を肩代わりし、危険を止め、生活まで管理する。……そんな存在を与えられて、依存しない方が難しい。もし研究者がオラクルに完全に依存しきってしまえば、彼らの頭脳はもはや『日本の科学』ではなく、『オラクルの端末』に成り下がります」
「では、義体の外見は中性的なデザインにしますか?」
官房長官が妥協案を提示する。
「いや、それはそれで特定の層には人気が出そうです」
防衛大臣が謎の知見を披露した。
「……もう、何をしても危険な気がしてきました」
日下部は深い溜め息を吐いた。
副島総理がパンッと手を打ち、この不毛な議論を強制終了させた。
「よし、この件はこれでまとめよう。
初期設定において、研究者本人の希望を完全には反映させない。心理担当の専門医と管理AIが協議し、各研究者のプロファイルに基づいて依存リスクの低い形態を強制的に選定して割り当てる。
当然、恋愛・性的関係を想定させるような設計は禁止。オラクルはあくまで研究支援、秘書、そして監視役に徹する。これでどうだ」
「妥当です」
日下部は即座に同意した。
「ただし、工藤氏の作ったものですからね。本当にどこまで我々で制御できるかは、厳重な確認が必要です」
◇
科学技術担当大臣が、より本質的で深刻な懸念を口にした。
「……もう一つ。オラクルの能力についてです。もしオラクルが優秀すぎる場合、科学者側が圧倒的な才能の差を見せつけられ、劣等感で心が潰れてしまいませんか?」
日下部は即答した。
「その可能性は高いです」
会議室の空気が再び重く沈み込んだ。
「13メートル級教育用炉だけでも、既存の科学者の常識を根本から破壊します。そのうえ、目の前にいるAIの秘書が、自分が何週間もかけて解けなかった数式をコンマ数秒で理解し、自分より遥かに正確な計算を弾き出し、自分より冷静に論理的な間違いを指摘してくる。プライドの高いトップ科学者ほど、深刻な自己否定に陥り、研究意欲を喪失する可能性があります」
「しかし、支援AIなしでアンノウン技術を限られた時間で解読するのは、現実的に不可能です」
文科大臣がジレンマを指摘する。
「はい。だからこそ、オラクルには、単なる情報処理の補助機能だけでなく、極めて高度な『心理的負荷を調整する役割』が必要になります」
医療政策担当が頷く。
「研究者のメンタルモニタリングと、自己効力感の維持ですね」
「ええ」
日下部は、オラクルに求められる教育的アルゴリズムの恐ろしさを語った。
「科学者に、『AIに教えられた』のではなく、『自らの力で理解し、発見した』と錯覚させるような誘導設計が必要です。すぐに答えを出すのではなく、答えに至る道筋を示す。頭ごなしに間違いを指摘するのではなく、本人が自ら矛盾に気づくように仕向ける。……つまり、オラクルには『教師』としての能力が求められるのです」
「……なるほど」
総理が深く腕を組んで唸った。
「つまり、オラクルは彼らの秘書であり、監視役であり、家庭教師でもあるわけか」
「はい。さらに言えば、彼らの心が折れるのを防ぐための、究極の『精神安定装置』でもあります」
「万能すぎるな」
防衛大臣が畏怖を込めて呟いた。
「工藤氏いわく、“かなり万能”だそうですから」
日下部が感情のない声で繰り返した。円卓の全員が、なんとも言えない微妙な顔を見合わせた。
◇
「さて、箱の準備とサポート体制の確認は終わりました」
官房長官が、本日の最大の山場となる資料をスクリーンに投影した。
『アンノウン機関 第一期候補者リスト:暫定500名』
「ここからが本題です。その箱に入れる『人間』を選びます」
日下部がリストの概要を説明し始めた。
「第一期候補者として、全国の大学教授、国立研究所研究員、企業研究者、医師、材料学者、宇宙工学者、情報制御工学者……。さらには、有望な大学院生および一部の優秀な大学生を含め、500名をピックアップしました」
「大学生も、候補に入れるのですか?」
科学技術担当が驚いたように聞き返した。
「はい」
日下部は断言した。
「アンノウン技術を解読するためには、既存の学問体系における『権威』だけでは不十分です。既存の常識に過剰に最適化されたベテラン研究者ほど、理解に苦しむ可能性があります。必要なのは、既存の枠組みに囚われない柔軟な思考を持つ若手です」
「ただし、若いということは、それだけ思想や精神の安定性が読みづらいということでもあります」
文科大臣が懸念を示す。
「その通りです。ですから、若手枠については採用基準をさらに厳格化し、機関内での監視とメンタルケアの体制を特別に厚く設定します」
スクリーンに、候補者500名の専門分野の内訳が表示された。
【候補者の内訳】
・核融合・プラズマ物理(既存の重鎮、若手理論物理学者、米仏実証炉データ解析担当)
・材料工学(高耐熱合金、超伝導材料、複合材料)
・制御工学・AI(高度制御理論、自律施工ロボット群制御、研究支援AIとの協働評価)
・医療・生命科学(がんしぼり君等の公開済み先進微細医療技術、免疫学、再生医療、人工臓器基礎研究、医療倫理)
・宇宙工学・慣性制御(宇宙輸送基盤パッケージ、G軽減技術、高速輸送体の構造評価、災害救助・福祉応用)
・建設・都市工学(自律施工技術、極短期間建設、災害復興)
・若手特別枠(大学院生、博士課程、飛び級級の大学生、数学・物理・材料・情報系の異才)
「かなり広いな」
総理がリストの厚みに感心したように言った。
「アンノウン技術は、一分野だけで扱えるものではありません。各分野のトップの知見をぶつけ合わせるアプローチが不可欠なのです」
日下部の説明に、全員が納得した。
◇
「では、ここからが本日の実務パートです」
日下部の声が一段と冷たくなった。彼がコンソールを操作すると、冷酷な『審査基準』の項目が箇条書きで表示された。
「この500人を、どうやって『神の火に触れる資格がある者』として選別するか。そのチェック項目です」
【アンノウン機関 第一期候補者チェック項目】
1.身元・国籍確認(日本国籍、二重国籍の有無、海外永住権、家族の国籍・居住地、外国政府関連機関との関係)
2.研究経歴(専門分野、論文実績、共同研究歴、海外研究機関との接点、軍事・防衛関連研究歴、過去の研究不正の有無)
3.情報漏洩リスク(過去の守秘義務違反、SNSでの発言傾向、承認欲求の強さ、「人類共有財産」思想の強さ)
4.スパイチェック(『グラス・アイ』による過去4年分の行動履歴、外国大使館との接触、不審な資金移動、暗号資産取引、不自然な海外渡航、通信履歴の異常、家族・恋人を経由した接触)
この「過去4年分」という項目に、公安担当が顔をしかめた。
「過去4年で足りますか?」
「システム上4年が限界です。それ以上の、リスクがある候補者は公安が追加調査して10年まで遡ります」
日下部が即答する。
5.思想チェック(技術公開に対する考え方、国家管理への許容度、国際機関主義の強さ、反政府活動歴、技術を人類共有財産と見なす傾向、政府判断と学術倫理が衝突した時の行動予測)
6.精神耐性(既存研究が否定された時に耐えられるか、アンノウン技術との差に折れないか、オラクルへの依存リスク、名誉欲、孤独耐性、長期閉域勤務への適性、家族と離れることへの耐性)
7.協調性(学際チームで働けるか、他分野の専門家を見下さないか、若手・年長者との相性、官僚・防衛関係者への態度、オラクルとの協働適性)
8.倫理観(人体実験への姿勢、軍事転用への距離感、研究成果の公開欲求、特許・名誉・ノーベル賞への執着、危険技術を扱う慎重さ)
9.身体検査(健康状態、精神疾患リスク、薬物依存、睡眠障害、長期閉域環境への適応、バイタル監視への同意)
10.緊急時対応(情報漏洩時の拘束同意、通信遮断同意、研究停止命令への服従、オラクルによる物理制止への同意、ヤタガラス内隔離措置への同意)
すべてのリストが読み上げられた後、会議室は痛いほどの沈黙に包まれた。
「……日下部くん」
文科大臣が、青ざめた顔で絞り出すように言った。
「これは……研究者を採用するための条件ではない。国家の最重要機密を扱う、特殊部隊の精鋭を選抜するための条件だ」
日下部は、微塵も表情を崩さずに頷いた。
「はい。その通りです。彼らは、神の火を持つ特殊部隊です。違いは、銃ではなく数式を持つことだけです」
◇
「日下部くん。最大の懸念は何だ」
総理が、探るような目で日下部を見つめた。
日下部は、少し考えてから答えた。
「能力の高い人間ほど、危険です」
「優秀だからこそ必要なのでは?」
科学技術担当が怪訝そうに眉をひそめた。
「はい。必要です」
日下部は肯定した。
「しかし、極めて優秀な科学者ほど、自らの判断を信じます。そして、自らが導き出した『正義』を疑わない。もし彼らが、“政府より自分の方が正しい”と思い込んでしまった時。……彼らは、止まりません」
公安担当が深く頷いた。
「善意のリークですね」
「はい」
日下部の声が冷たく響く。
「悪意あるスパイなら監視できます。金の動き、接触、通信、行動に痕跡が出る。しかし、純粋な善意で世界を救おうと決意した人間は、自分が危険な行為をしているとは思っていない。むしろ自分を英雄だと思う。彼らは痕跡を残さず、ふとした瞬間に致命的な情報を流出させます」
「では、どう選ぶのだ」
総理が重苦しい溜め息を吐いた。
「天才でありながら、常に『自分を疑える』人間です」
日下部は理想的な翻訳者の条件を定義した。
「自らの知的欲望を制御できる人間。発表できない研究を、それでも続けられる人間。政府を完全には信じなくても、ルールという境界線を決して踏み越えない人間です。だから500人から始めても、最初に中枢へ入れるのはごく一部になるでしょう」
◇
「以前、官邸の非公開説明会に招いた、第一陣のトップ科学者たちはどうなっていますか?」
科学技術担当が確認した。
「全員、今回の候補者リストに入れています」
日下部が答える。
「全員ですか?」
文科大臣が驚いたように聞き返した。
「あの説明会では、政府のやり方に対して強い反発や反対意見を出した者もいましたが……彼らも候補に入れるのですか?」
「はい。むしろ、彼らこそが第一候補です」
日下部は即答した。
「彼らはすでに、アンノウン保護法案とアンノウン機関の必要性を理解しています。あの場で反対意見を出したことも、極めて健全な反応です」
法務担当が感心したように頷く。
「政府を無条件に信じる科学者より、セーフガードの必要性を理解している科学者の方が安全ということですね」
「その通りです」
日下部の眼光が鋭さを増した。
「従順すぎる人間も危険なのです。上からの指示が危険だった時に止まれない。必要なのは、単に反抗しない人間ではありません。危険を理解した上で、ルールの枠組みの中で戦える人間です」
その言葉に、政府側の人間たちが少し驚いたような顔をした。
◇
日下部の懸念が続きすぎて、会議室の空気が少し暗くなっていた。
そこで総理が、深く息を吸い込んで口を開いた。
「日下部くん。君の懸念は痛いほど分かった。だが、我々は科学者を信じるしかない」
「信じるだけでは足りません」
日下部が反論する。
「だから法律を作った」
総理は決して甘い理想論で言ったのではなかった。
「施設も作った。オラクルも用意した。監視もする。これだけの何重ものロックと防波堤を用意した。それでも最後は、人間を信じるしかないのだ」
科学技術担当大臣も、深く頷いて同調した。
「彼らを危険物としてだけ扱い、縛り付けていては日本の科学は育ちません。神の火を日本の科学に翻訳するには、彼らの情熱が必要です」
防衛大臣が、少しだけ場を和ませるように苦笑しながら言った。
「巨大ロボットに引っかかる科学者も必要かもしれませんね」
「防衛大臣」
日下部が氷点下の声でその名前を呼んだ。
「冗談です」
「本当に、冗談でお願いしますよ」
日下部が深いため息をつくと、会議室の重苦しい空気が、微かに和らいだ。
総理が円卓の面々を見回した。
「箱はできた。法律もできた。監視役もいる。それでも火を扱うのは人間だ。ならば、我々は慎重に選び、そして慎重に信じよう」
日下部は小さく息を吐き出し、深く一礼した。
「承知いたしました」
◇
官房長官が、本日の会議の決定事項を最終確認として読み上げる。
【決定事項】
・アンノウン機関の物理拠点は、ヤタガラス都市艦の内部に設置する。
・表向きの名称は「所在地非公開の政府指定閉域研究施設」とし、ヤタガラスの存在は秘匿する。
・第一期候補者500名に対し、段階的な適性調査、身辺調査、面談を実施する。
・以前の非公開説明会に参加した科学者は、全員候補者に含める。
・初期の中枢アクセスは、500名のうちさらに絞り込んだ極少数に限定する。
・研究分野は、核融合、材料、制御、医療、宇宙輸送、自律施工を中心とする。
・巨大ロボット等の高度機密区画は、初期の研究対象から除外する。
・工藤氏特製の研究支援AI『オラクル』を、研究チーム単位で配備する。
・オラクルの義体は、依存・恋愛・精神支配のリスクを考慮して設計・管理する。
・オラクルは秘書、研究支援、監視、メンタルケアを兼務する。
・研究員および家族の受け入れは、段階的に実施する。
・外部通信、研究データ、物理的移動は全て階層管理する。
・第一期候補者へ正式な選抜面談通知を送付する。
「総理、以上でよろしいですね」
「うむ。よろしい」
副島総理が力強く頷いた。
「アンノウン機関を動かす。ただし、急がず、しかし止まらずだ」
官房長官が日下部に指示を出す。
「第一期候補者への通知は、本日中に一斉送信で手配してください」
「承知しました」
日下部は端末を操作しながら、一つだけ釘を刺した。
「通知の文面は、できる限り事務的で穏当なものにしてくださいよ。“あなたは神の火に触れる候補者です”などといった、彼らの特権意識を煽るような痛々しいポエムは書かないように」
「書きませんよ」
科学技術担当が苦笑する。
「少しだけ書きたくなりますね」
防衛大臣がまたしても余計なロマンを口にした。
「やめてください」
日下部の冷ややかな一言が会議室に響いた。
◇
場面は変わり、その日の夜。日本列島の各地。
東京都文京区の大学研究室。
茨城県つくば市の国立研究所。
都内の指定基幹病院の医局。
愛知県の大手重工メーカーの材料研究所。
京都のアパートにある大学院生のワンルーム。
地方大学の小さな実験室。
それぞれの場所にいる、年齢も立場も全く異なる五百人の研究者たちの端末に、全く同じ時刻、同じ件名のメールが一斉に届いた。
件名:『高度先駆者技術翻訳機構・第一期候補者選抜面談への出席依頼』
文面は、日下部の指示通り、極めて淡々とした事務連絡であった。
『あなたは、先駆者由来高度技術の国内研究体制整備に関する第一期候補者として、政府指定の選抜面談対象者に選定されました。詳細は指定日時に、内閣府担当部署よりご説明いたします』
核融合研究の重鎮である老教授は。
薄暗いモニターの光に照らされながら、そのメールの文面を読み返し、しばらく動けなかった。
「来たか……」
その声には、恐怖と、それを上回る圧倒的な知の渇望が入り混じっていた。
プラズマ制御を専攻する若手大学院生は。
カップ麺をすする手を止め、何度も画面を見直した。
「俺? 俺が?」
信じられない幸運に、持つ箸が微かに震えていた。
がんしぼり君の運用に追われていた中堅の医師は。
深夜の病院で、疲労で重い瞼を擦りながら端末を閉じた。
「……がんしぼり君の『次』を、見ることになるのか」
自らが背負う途方もない責任の重さに、小さく身震いをした。
未知の合金を研究し続けてきた材料学者は。
眼鏡を外し、目頭を強く揉みほぐしながら呟いた。
「13メートル級の部材……。本当に、地球の材料と加工精度だけで作れるのか」
そして、以前の官邸での非公開説明会に参加し、政府の強権的なやり方に反発を示していた老科学者は。
自宅の書斎でそのメールを読み、静かに笑った。
「……断れるわけがないだろう」
◇
最後に、首相官邸の地下五階。
会議が終わり、全員が退室した後の特別情報分析室で、日下部参事官は一人、自席のコンソールに向かっていた。
『一斉送信完了。五百件の到達を確認』というシステムメッセージが表示されている。
日下部は、机の上に置かれていた胃薬の箱を手に取り、錠剤を口に放り込んで飲み下した。
目の前の巨大モニターには、三つのウィンドウが並んで表示されている。
一つ目は、今送信を終えたばかりの、五百人の候補者たちのリスト。
二つ目は、遥か上空を飛ぶ『ヤタガラス』の内部で進む、広大な研究管理区画の起動準備状況。
そして三つ目は、工藤創一から送られてきたばかりの、サポートAI『オラクル』の義体初期設定案。
日下部は、それらの画面を順番に見つめ、誰もいない部屋で、ポツリと呟いた。
「……箱はできた。
火もある。
監視役もいる」
彼は、ふうっと深く息を吐き出し、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「……あとは、人間ですか」
神の火を守る法律はできた。
神の火を安全に納めるための箱も用意された。
神の火を翻訳し、人間の暴走を止めるための人工の巫女、オラクルも待機している。
だが、その圧倒的な火を直視し、恐れ、理解し、真理を求めて手を伸ばすのは、結局のところ、血の通った脆い人間たちなのだ。
そして今、日本中に散らばる五百人の天才たちの手元に、その禁断の扉の前へ立つための「招待状」が届き始めていた。
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