第107話 キャピトル・ヒルの熱狂と5000万ドルの盾
アメリカ合衆国、ワシントンD.C.。
ペンシルベニア大通り1600番地に位置するホワイトハウスの、ジェームズ・S・ブレイディ・プレスブリーフィングルーム。
普段から数多の歴史的声明が発せられてきたこの空間は、今、かつてないほどの異様な熱気と、血に飢えたジャーナリストたちの放つ殺気に近い緊張感で満たされていた。
無数のカメラレンズが黒い砲列のように並び、シャッターのフラッシュが絶え間なく瞬く中、演壇の中央に立つのは、第48代アメリカ合衆国大統領、キャサリン・ヘイズである。
彼女は、濃紺のテーラードスーツに身を包み、元連邦検事としての厳格さと、大衆を惹きつける洗練されたカリスマ性を漂わせながら、記者たちの怒号のような質問の波を冷徹に受け止めていた。
「——大統領!
タイタン・グループが海外の極秘医療ツアーを1回5000万ドルという法外な価格で富裕層に斡旋し、不当な利益を得ているという疑惑について、連邦議会が特別公聴会の開催を決定しました!
大統領としてのお考えをお聞かせください!」
最前列に陣取った大手ネットワークのベテラン記者が、声を張り上げて問い詰めた。
「メドベッド」というオカルトめいた都市伝説から端を発し、「軍の極秘治験薬の不正流出」というスキャンダルを経て、事態は今、アメリカ最大の軍産複合体であるタイタン・グループが『命を金で売買している』という巨大な倫理的・法的な疑惑へと発展していた。
国民の怒りは沸点に達しており、議会もこの「特権階級の医療独占」の真相を暴こうと、超党派での調査に乗り出しているのだ。
キャサリンは、演台の縁に両手を置き、ゆっくりと、しかしよく通る声で口を開いた。
「……自由主義経済を標榜する我が国において、大統領として、一民間企業の合法的な経済活動を頭ごなしに制限するつもりは毛頭ありません」
その前置きに、記者席から微かな不満のどよめきが漏れる。大企業に肩入れするのか、と。
だが、キャサリンはすぐに視線を鋭くし、言葉に力を込めた。
「しかし、何事にも『分別』というものがあります」
彼女の声が、ブリーフィングルームの空気を引き締めた。
「人間の命に関わる重大な医療技術が、もし一部の特権階級のマネーゲームの対象となり、透明性を欠いた状態で取引されているのであれば、それは国民の政府や社会に対する信頼を著しく損なうものです。
国民が抱いている当然の疑念を払拭することは、民主主義国家において最優先されるべき課題です。
したがって、私は議会がこの件に関して持つ正当な調査権限を制限するつもりは一切ありません。
むしろ、議会による徹底した調査を支持し、全ての真実が白日の下に晒されることを望んでいます」
完璧な答弁だった。
企業活動の自由を尊重しつつも、倫理的な問題に対しては断固たる態度を示し、議会の調査権を尊重する。まさに「法と秩序」を掲げて当選した彼女らしい、非の打ち所のない模範解答である。
だが、その美しい言葉を紡ぐキャサリンの胸の奥底には、冷たい鉛のような諦念と虚無感が沈殿していた。
(私は、何という滑稽な茶番を演じているのだろうか)
彼女は内心で自嘲した。
彼女は知っているのだ。タイタン・グループが扱っているのはアメリカの軍事技術などではなく、極東の同盟国——日本からもたらされた『消しゴム君』と呼ばれるナノマシン製剤であることを。
そして、その5000万ドルという価格設定すらも、医療経済の崩壊を防ぐために日本政府が意図的に設定したフィルターであり、アメリカの「影の政府」がそれを忠実に実行しているに過ぎないことを。
彼女は、全てを知った上で、何も知らない「正義の大統領」の仮面を被り、大衆の怒りをコントロールするためのガス抜きのショーに加担しているのだ。
「次の質問をどうぞ」
キャサリンは、カメラのフラッシュを浴びながら、ポーカーフェイスを完璧に維持し続けた。
◇
翌日。
ワシントンD.C.、キャピトル・ヒル(合衆国議会議事堂)。
重厚な大理石の柱と、歴史を感じさせるマホガニーの壁面パネルに囲まれた上院特別委員会の公聴会室は、テレビカメラと傍聴人で溢れかえり、文字通り足の踏み場もないほどの熱狂に包まれていた。
この日の公聴会は、全米の主要ネットワークで生中継されており、国民の関心はスーパーボウルやアカデミー賞を凌ぐほどに高まっていた。
雛壇にズラリと並んで座る上院議員たちの顔は、いずれも険しい。彼らは国民の怒りを代弁する「正義の審問官」としての役割を果たすべく、手元の資料に目を落とし、あるいは鋭い視線を中央の証言席に向けている。
そして、その証言席——無数のフラッシュが降り注ぐその場所に、タイタン・グループの若き総帥、ノア・マクドウェルが静かに座っていた。
彼は、議員たちに囲まれるという極度のプレッシャーの中にあっても、微塵も動じる様子はなかった。
完璧に仕立てられたチャコールグレーの最高級スーツ。乱れ一つないプラチナブロンドの髪。そして、透き通るような青白い瞳。
その後ろには、ワシントンでもトップクラスの報酬を取る敏腕弁護士軍団がズラリと控えているが、ノア自身は弁護士に助言を求める素振りすら見せず、ただ優雅に背筋を伸ばし、目前の議員たちを見据えていた。
「……マクドウェル氏。宣誓を」
委員長を務める民主党の急進派重鎮、デイビス上院議員が、木槌を鳴らして開会を宣言した。
「私は、真実を、真実のみを語ることを誓います」
ノアは右手を挙げ、流れるような美しい発音で宣誓を行った。
その声はマイクを通して議場全体に響き渡り、騒がしかった場内を一瞬にして静まり返らせるほどの不思議な引力を持っていた。
「よろしい。では、直ちに尋問に入ります」
デイビス委員長が、手元の分厚いファイルをバサリと開いた。
彼は、タイタン・グループの闇を暴き、大衆の支持を得ることで自らの政治的キャリアを確固たるものにしようと野心を燃やしていた。
「マクドウェル氏。
貴方が総帥を務めるタイタン・グループは、近年、表向きの軍需産業とは別に、極めて不透明な医療コンシェルジュ事業を展開しているとの疑惑が持ち上がっています。
我々が入手した内部資料によれば、貴社はアメリカ国内の超富裕層に対し、『1回5000万ドル』という法外な価格で、あらゆるガンを数十分で消し去るとされる未承認のナノマシン治療へのアクセス権を販売している。
……これは事実ですか?」
委員長のストレートな追及に、議場は息を呑んだ。
テレビの前の何千万という視聴者もまた、ノアの口から発せられる言葉を固唾を飲んで待ち構えている。
「はい。事実です」
ノアは、一切の躊躇いもなく、あっさりとそれを認めた。
ざわっ! と議場にどよめきが走った。
言い逃れをするか、あるいは「企業秘密」を盾に回答を拒否すると思われていたところを、真っ向から肯定したのだ。
「事実だと認めるのですね!」
デイビス委員長は、獲物に食らいつくように身を乗り出した。
「5000万ドル!
一般の善良なアメリカ市民が、高額な医療保険に苦しみ、時には破産してまで家族の命を救おうと抗がん剤治療に耐えているというのに!
貴方たちは、確実に治るというその奇跡の技術を独占し、それを支払えるごく一握りのエリートだけに売り捌いている。
これは資本主義の皮を被った、現代の吸血鬼の所業ではないのか!
この圧倒的な『命の不平等』について、貴方は道義的責任をどう考えているのですか!」
委員長の熱弁に、傍聴席からは拍手と同意の歓声が沸き起こった。
誰もが、この若き傲慢な大富豪が、大衆の怒りの前に立ち往生し、言葉に詰まる姿を期待していた。
だが、ノア・マクドウェルは、微かに、本当に微かに、美しく冷酷な笑みを浮かべた。
「委員長。
貴方のその高潔な正義感と、弱者に対する深い同情の念には、心から敬意を表します」
ノアの声は、怒号の飛び交う議場にあって、冷ややかな氷のようによく響いた。
「我々タイタン・グループもまた、アメリカの企業市民として、社会的責任(CSR)を重く受け止めております。
……ですから、我々は単に富裕層から利益を貪っているわけではありません。
その証明として、本日、この場をお借りして一つの発表をさせていただきます」
ノアは、内ポケットから一枚の美しい装丁が施された封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。
「我々タイタン・グループは、この治療事業から得た利益の大部分を投じ、『タイタン生命財団』を設立いたしました。
そして本日より、アメリカ国内で小児ガンと闘う罪なき子供たちを対象に、この革新的なナノマシン治療を【完全無償】で提供する慈善プログラム、いわゆる『エンジェル・チケット』の枠を用意したことを、ここに宣言いたします」
「……なっ」
デイビス委員長の言葉が止まった。
議場の空気が、一瞬にして反転した。
「すでに、数名の重篤な小児ガン患者が、この財団の支援を受けて治療を受け、完全な健康を取り戻してご家族の元へと帰還しております。
我々は、富裕層からいただいた5000万ドルという対価を、未来ある子供たちの命を救うためのシステム維持費として、適切かつ社会的に還元しているのです。
……これが『吸血鬼の所業』だと、貴方はおっしゃるのでしょうか?」
それは、完璧なまでの「慈善の盾」であった。
キャサリン大統領が事前にノアに提案した「ガス抜き」の策が、ここで最大限の効果を発揮したのだ。
テレビの前の視聴者たちは、この発表を聞いてどう思うか。
「金持ちから莫大な金を巻き上げ、それで可哀想な子供たちをタダで救っている」。
まるでロビン・フッドのような義賊的振る舞いに、さしもの大衆の怒りも急速にトーンダウンせざるを得ない。
委員長は、出鼻を完全にくじかれ、顔をしかめた。
「……そ、それは素晴らしい慈善事業だと言っておきましょう。
ですが、問題の核心はそこではありません!」
デイビス委員長は、すぐさま体制を立て直し、次なる矢を放った。
「問題は、その法外な『価格設定』そのものです。
我々の調査によれば、貴社が提供している治療に用いられるナノマシン製剤——コードネーム『イレイザー・クン』と呼ばれるものは、開発元の国では、日本円にして約5億円……アメリカドルでおよそ500万ドルで取引されているという確かな情報があります!」
委員長は、ハッカー集団によってダークウェブに流出した、あの日本の自衛隊中央病院の請求書のコピーをスクリーンに大写しにした。
「原価が500万ドルであるものを、貴方たちはアメリカ国内の患者に対して5000万ドルで売りつけている!
マージンを10倍も乗せるなど、暴利も甚だしい!
国防の安全保障を盾に独占的な仲介権を握り、4500万ドルもの利益を中抜きする。
これこそが、貴社が非難されるべき最大の汚職の構造ではありませんか!」
委員長の追及は鋭かった。
いくら子供を救っていると主張しようとも、原価の10倍もの暴利を貪っているという事実が証明されれば、タイタン・グループの企業モラルは完全に地に落ちる。
だが、ノアはスクリーンに映し出された請求書を一瞥すると、全く動じることなく、まるで教壇に立つ大学教授のような落ち着き払った態度で口を開いた。
「委員長。
貴方は、重大な事実を意図的に混同されているか、あるいは国際ビジネスの複雑な実態を理解されていないようだ」
「何だと?」
「その『500万ドル』という価格。それは確かに存在します。
ですがそれは、あくまで『日本国内の患者が、日本政府の厳しい審査を通過し、日本の施設で直接治療を受ける場合』の、いわば日本国民および日本政府の国益のための特別価格なのです」
ノアの言葉に、議場は静まり返った。
「この革新的なナノマシン技術は、アメリカが開発したものではありません。
同盟国である日本国の、極秘の国家研究機関が独自に開発した、彼らの主権に属するテクノロジーです。
我々タイタン・グループは、その技術を盗んだわけでも、不当に独占しているわけでもありません。
我々は、日本政府から正式な認定を受け、アメリカ国内においてこの治療を提供する『唯一の公式エージェント(正規代理店)』としての委託業務を行っているに過ぎないのです」
ノアは、自らの立場を「悪徳な独占企業」から「合法的な国際代理店」へと、見事な論理のすり替えで転換させた。
「考えてもみてください、委員長。
日本政府にとって、自国の極秘技術であるナノマシン製剤を、外国の——それもアメリカのVIPに提供するということは、技術流出の多大なリスクを伴う行為です。
本来であれば日本国内の患者を優先すべきリソースを、無理にアメリカ向けに割いてもらう。
そのためには、日本政府のトップ層との高度な外交的交渉、及び政治的な調整が不可欠です。
さらに、アメリカのVIPを誰の目にも触れさせずに極秘裏に日本の特別医療ブロックへ移送するための、軍用機を用いた特殊輸送ロジスティクス。
治療中の最高レベルのセキュリティの維持。
万が一の事態に備えた医療データと通信の完全な秘匿体制。
……これらをすべてアメリカ側で担保しなければ、日本政府は首を縦には振らないのです」
ノアは、両手を広げ、議場の全ての議員たちを見渡した。
「日本政府を説得するための莫大な外交的・技術的調整費用。
極秘移送と絶対的なセキュリティを維持するための作戦コスト。
そして、日米の安全保障の枠組みの中でこのシステムを運用するための、あらゆる『必要経費』。
……それらを全て合算した結果が、5000万ドルなのです」
ノアの反論は、論理的に一切の隙がなかった。
彼は「日本政府」という絶対的な盾を前面に押し出したのだ。
「我々がぼったくっているのではない。日本という外国から、特別な技術を特別に譲ってもらうためには、それだけのコストがかかるのは当然だ」という国際ビジネスの理屈である。
「我々は暴利を貪っているわけではありません。
むしろ、これほどのリスクとコストを負担してまで、アメリカの偉大な指導者たちや資本家たちの命を救うための『安全な窓口』を構築しているのです。
もし我々がこの事業から手を引き、ルートが閉ざされれば……アメリカの富裕層たちは、怪しげな闇ブローカーに騙されて偽の薬を打たれ、命を落とすことになるでしょう。
我々は、アメリカ国民の命を守るために、適正な価格でサービスを提供しているだけなのです」
デイビス委員長は、唇を噛み締め、言葉を失った。
相手は法律も、外交のルールも、資本主義の論理も全て味方につけている。
「日本政府からの委託」という大義名分がある以上、アメリカの議会がこれ以上踏み込めば、それは民間企業の追及ではなく、同盟国である日本政府の主権に対する内政干渉に発展してしまう。
それは、委員長の一存で引き起こせるレベルの外交問題ではない。
「……つまり、タイタン・グループは、日本政府の技術をアメリカに安全にもたらすための、正当なビジネスを行っていると主張するのだな」
「はい。その通りです」
ノアは、完璧な微笑みを浮かべて頷いた。
その微笑みの裏側で、彼と、そして日本の地下にいる日下部参事官の思惑が、完全に合致していた。
アメリカの怒りは「日本のせい」にし、日本の強気な価格設定は「アメリカの仲介手数料のせい」にする。互いに互いを盾にして、大衆の怒りを霧散させる完璧な共犯関係。
公聴会室には、議員たちの深い溜め息と、カメラのフラッシュの音だけが空しく響いていた。
正義を叫ぶ議会の追及は、5000万ドルという冷徹な資本の論理と、異次元のテクノロジーを持つ同盟国の影の前に、完全に手詰まりとなったのである。
ノア・マクドウェルは、勝者の余裕を纏ったまま、ゆっくりと証言席から立ち上がった。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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