第105話 天空の箱舟と終わらない工場拡張
次元の彼方、無尽蔵の資源と未知の生態系が広がる異星の地、テラ・ノヴァ。
かつては手付かずの大自然が支配していた広大な平野は、今や見渡す限りの鋼鉄とプラント群に覆い尽くされた超巨大な前線基地へと変貌を遂げていた。無数の自律型ドローンが空を飛び交い、地平線の彼方まで続く生産ラインが昼夜を問わず稼働し続けている。
だが、今日この日、その巨大な基地施設すらも小さく見せてしまうほどの『規格外の怪物』が、ついに産声を上げようとしていた。
超巨大飛行空母兼、自律型移動式生産プラント。
コードネーム『ヤタガラス』。
全長は数キロメートルにも及び、幾何学的で流線型の黒鉄の装甲に覆われたその威容は、もはや「船」や「航空機」といった既存の概念で測れるものではない。それは空に浮かぶ一つの『島』であり、移動する『国家』そのものであった。
そのヤタガラスの心臓部にあたる、最上層のメイン司令室。
全面を覆うパノラマモニターには、テラ・ノヴァの青い空と眼下に広がる前線基地の全景がクリアに映し出されている。室内は無駄な計器類が一切排除され、洗練された流線型のコンソールと、空中に浮かび上がる無数のホログラム・インターフェースだけが淡い光を放っていた。
「えー、大変長らくお待たせいたしました」
司令室の中央に立つ工藤創一が、まるで休日のバーベキューパーティーの始まりを告げるかのような、極めて軽い口調で手を叩いた。
「皆さんのご協力もありまして、超巨大移動式プラント『ヤタガラス』一番艦が、無事に完成いたしました!」
パチパチパチ、と創一自身が拍手をする。
傍らに控えていたAIのイヴも、ホログラムの姿で滑らかにお辞儀をし、上品な拍手を添えた。
しかし、彼らの背後に並ぶ「観客」たちの反応は、歓喜というよりも、圧倒的なスケールを前にした畏怖と困惑が入り混じったものであった。
彼らは、地球から次元ゲートを越えて視察に訪れた、日下部参事官を筆頭とする日本政府の極秘視察団の面々である。
地球では現在、一本5億円の「消しゴム君」を巡って、アメリカのディープステート、ロシアのオリガルヒ、そしてヨーロッパの王侯貴族たちが血みどろの権力闘争とマネーゲームを繰り広げている。各国の指導者たちが命の選別に狂乱し、市場が崩壊と再生を繰り返す地獄のような状況下において、日本政府の官僚たちは神経をすり減らしながら、その国際的な重圧を最前線で捌き続けていた。
そんな血を吐くような地球での日常から一転、この異星で突きつけられたのは、人類の常識を数世紀は軽く飛び越えた「空飛ぶ都市」の完成披露である。
彼らの脳は、そのあまりのギャップとスケール感に処理が追いつかず、ただ引きつった笑みを浮かべながら、力なく拍手を返すことしかできなかった。
「では、さっそく起動テストを兼ねて、初陣と行きましょうか。イヴ、メインエンジンに点火。重力制御システム、アクティブ」
創一が空中のインターフェースを指で軽くスワイプする。
『了解しました、マスター。ヤタガラス、発進シークエンスへ移行します』
イヴの透き通った声が司令室に響き渡った次の瞬間。
轟音は、全く鳴らなかった。
これほどの巨大な質量を空へ持ち上げるのだから、大地を揺るがすような爆音と、周囲を吹き飛ばすような猛烈なブラストが発生すると、視察団の誰もが身構えていた。耳を塞ぎ、顔をしかめて衝撃に備えていた官僚たちは、しかし、足元から伝わるわずかな微振動以外の何も感じなかった。
音もなく。
ただただ、静寂に包まれたまま。
全長数キロメートルの黒鉄の巨体が、大地からふわりと離れ、ゆっくりとテラ・ノヴァの空へと浮かび上がり始めたのである。
「お、おおお……!」
「信じられん……これほどの巨大な鉄の塊が、反作用の噴射もなしに浮上しているだと……?」
パノラマモニター越しに、地上の風景がみるみるうちに遠ざかっていくのを見て、官僚たちの口から驚愕のどよめきが漏れた。
物理法則を根底から無視した、重力そのものを支配するテクノロジー。地球の最新鋭のステルス爆撃機や巨大空母が、まるで子供のおもちゃの延長線上に思えるほどの、圧倒的な隔絶であった。
「よしよし、各セクターの出力も安定してますね」
創一は、次々と表示されるホログラムの稼働データを満足げに眺めながら頷いた。
「とりあえず、この一番艦はテラ・ノヴァのまだ手付かずの別大陸に出張してもらいましょうか。あっちにはまだ見ぬ希少鉱脈があるみたいですし、上空から資源を根こそぎ吸い上げながら、現地でプラントを展開して開拓を進めてもらいましょう。……いやー、設計から組み上げまで結構なリソースを食いましたが、やっと出来た!」
創一は、やり遂げたという清々しい笑顔で大きく伸びをした。
その背中を見つめながら、日下部参事官は安堵の息を長く吐き出した。
彼にとっては、この規格外の化け物が地球の空に現れないというだけで、当面の胃痛の種が一つ減ったことを意味していた。もしこんなものが東京やワシントンの上空に姿を現せば、その日を境に世界の軍事バランスは完全に崩壊し、パニックどころの騒ぎではなくなる。
「……やりましたね、工藤さん。本当に、お疲れ様でした」
日下部は、心からの労いの言葉を口にした。
「これほどの移動拠点兼生産プラントが完成したとなれば、テラ・ノヴァ側の開拓速度は劇的に跳ね上がるでしょう。地球への資源供給網も、これで盤石となります。……大仕事でしたね。これでようやく、一段落ですか?」
日下部の言葉には、「どうかここで少し休んで、これ以上の突拍子もない発明はしばらく控えてほしい」という切実な願いが込められていた。
しかし。
創一は、日下部の言葉を聞いて、不思議そうな顔をして振り返った。
「一段落?
いえ、ヤタガラスはこれから本格的に量産しますよ?」
シン、と。
司令室の空気が完全に凍りついた。
「……は?」
日下部は、自分の耳を疑った。
いや、耳だけでなく、自分の脳が正常な処理を行えているかどうかすら疑わしくなった。
「りょ、量産……とおっしゃいましたか?」
「ええ」
創一は、まるで「コンビニで水をもう一本買ってくる」とでも言うような、極めて日常的でフラットなトーンで答えた。
「飛べる工場が複数あれば、それだけ開拓も生産も効率が上がるでしょ? 一隻だけでちまちまやってたら、この星全体を開発するのに何十年かかるか分かりませんよ。
手始めに、これと同じスペックの移動式の工場を、あと10個は作らないと……!」
「じゅ、10個!!」
同行していた外務省の若手官僚が、思わず素っ頓狂な声を上げてのけ反った。
全長数キロメートルの超重力制御要塞が、空に10隻。
もはやそれは、一つの星の生態系を強制的に作り変えるための神の艦隊ではないか。
「それにですね」
創一は、官僚たちの絶望的な表情など全く気にする様子もなく、さらに追い打ちをかけるような提案を弾んだ声で口にした。
「テラ・ノヴァの開拓用だけじゃなくて、地球の『日本守護用』にも、一船作らないといけませんからね……!
これを日本の領空のギリギリ高いところに滞空させておけば、ミサイル防衛も、不審船の排除も、災害時の物資の緊急生産と投下も、全部この一隻で賄えますよ。究極の抑止力です!」
ズキリ。
日下部の胃袋の奥底で、かつてないほど鋭い痛みが走った。
日本守護用のヤタガラス。地球の空に浮かぶ、無敵の浮遊要塞。
確かに防衛力としては究極だろう。だが、そんなものを日本の空に浮かべた瞬間に起きる国際社会の反応を想像すると、目の前が真っ暗になる。
ただでさえ『消しゴム君』の存在によって、世界中から羨望と嫉妬、そして得体の知れない恐怖の目を向けられているのだ。アメリカはメンツを潰されて発狂し、ロシアは恐怖のあまり暴発し、中国は国境を完全に封鎖するだろう。
究極の抑止力は、時に究極の緊張状態を生み出すのだ。
「い、いや……工藤さん。お気持ちは大変ありがたいのですが」
日下部は、冷や汗を拭いながら、必死の作り笑いを浮かべて両手を前に出した。
「日本向けは、いらないですよ……。
現在の日本の防衛体制は、工藤さんに提供いただいた技術で十分に機能しております。これ以上のオーバーテクノロジーを地球圏に持ち込めば、世界経済と外交のバランスが致命的に崩壊してしまいます。どうか、このヤタガラスはテラ・ノヴァ専用ということで……!」
「えー、そうですか? せっかく完璧な防衛システムを設計したのに」
創一は少し残念そうに唇を尖らせたが、すぐに気を取り直したようにパチンと指を鳴らした。
「まあ、そう言わないで! 百聞は一見に如かずです。
とりあえず、船内を案内しますよ! 見ればきっと、地球にも一隻欲しくなりますから!」
「は、はあ……」
創一のペースに完全に巻き込まれる形で、日下部たち日本政府の視察団は、ヤタガラスの内部ツアーへと連れ出されることとなった。
◇
司令室を出て、最新鋭の無重力エレベーターで降下していく。
視察団が最初に案内されたのは、この艦の本来の目的である『生産プラント区画』であった。
ガラス張りの通路から見下ろすその空間は、もはや一つの工業地帯と呼んで差し支えない規模だった。地表から吸い上げられた無機物が、ベルトコンベアやエネルギーチューブを通じて次々と運ばれ、巨大なナノマシン・アセンブラー(分子組立機)に放り込まれていく。
火花も、騒音もない。ただ淡い青色の光に包まれた機械群が、無機物を原子レベルで分解し、再構築していく。地球で各国の首脳が血眼になって奪い合っている『消しゴム君』のベースとなる医療用ナノマシンも、ここで息を吐くように大量生産され、保管カプセルへと詰められていた。
その他にも、未知の合金の建材、ドローンのパーツ、果ては高度な電子部品に至るまで、ありとあらゆる物資が全自動で生み出されていく。
「このプラントだけで、現在の日本の年間工業生産高の約三倍の出力を持たせています。まあ、原料となる資源を地表から直接吸い上げながら飛ぶので、補給の必要もありませんしね」
淡々と解説する創一の背中を見ながら、経済産業省の役人は膝から崩れ落ちそうになっていた。
この船一隻が地球に出現すれば、世界の製造業は一瞬にして壊滅する。資本主義というシステムそのものを内側から破壊する、純然たるバグであった。
「さて、次はこちらです。居住・生活区画ですね」
さらに別の階層へと移動すると、そこには信じられない光景が広がっていた。
巨大なドーム状の天井には、青空と白い雲がホログラムで完璧に再現され、本物と寸分違わぬ人工太陽の光が降り注いでいる。
足元には緑豊かな芝生が広がり、清らかな水が流れる人工川、そしてその周囲には、機能的でありながらも洗練されたデザインの居住棟が整然と立ち並んでいた。
無機質な宇宙船の内部ではなく、完全に管理された『理想の都市環境』が、そこには存在していた。
「将来的に、テラ・ノヴァでの長期開拓任務に就くスタッフや、地球から技術者を招き入れることを想定して作りました。居住スペースは最大で十万人分まで拡張可能です。天候も気温も完全にコントロールできるので、一年中快適ですよ」
「十万人……。もはや、地方の中核都市の人口じゃないですか……」
日下部は、あまりのスケールに眩暈を覚えながら呟いた。
「そして、お待ちかねのメインディッシュです。
こちらへどうぞ」
創一が案内したのは、居住区画の中でも一際高い位置に設けられ、厳重なセキュリティゲートで仕切られた特別エリアだった。
ゲートを抜けた瞬間、空気の質が変わった。
床には最高級の天然大理石が敷き詰められ、壁面には荘厳な美術品が飾られている。間接照明に照らされた廊下を進むと、和の趣を取り入れた枯山水の庭園までが完全な形で再現されていた。
そこにある全てが、極限まで贅を尽くした、圧倒的なまでの豪奢さを放っている。
「ここは、『日本政府専用区画』です」
創一は、自慢げに胸を張って振り返った。
「日下部さんたち官僚の方々や、いずれ来るかもしれない総理大臣などの要人をお迎えするために、特別に設計しました」
「な……」
日下部は絶句した。
案内された一室(もはやスイートルームという言葉では収まらない広大な空間)には、最高級のアンティーク家具が配置され、壁一面の巨大な窓からは、テラ・ノヴァの雄大な自然を雲海の上から見下ろすことができる。
専用のスパルーム、最高ランクの人工知能シェフが控えるプライベート・ダイニング、果ては源泉掛け流しを完全再現した露天風呂まで完備されているという。
「く、工藤さん……。お気遣いは非常に光栄なのですが……」
日下部は、あまりの豪華絢爛さに戸惑いを隠せず、恐る恐る口を開いた。
「我々はあくまで公務で視察に来ている身です。
仮にここに長期滞在するとしても、こんなに豪勢にしなくてもいいのでは? 我々は最低限の寝泊まりと通信設備さえあれば十分機能します。これでは、まるでどこかの王族の宮殿です……」
税金で作られているわけではないにせよ、一介の公務員が利用するにはあまりにも過ぎた代物だ。地球の一般市民が見れば、特権階級の極みであると非難の的になるのは火を見るより明らかであった。
しかし、創一は日下部の懸念などどこ吹く風で、あっけらかんと言い放った。
「えー、でもどうせ作るなら、最高峰の高級ホテル並にはしたいじゃないですか。
設計ツールを使ってインテリアを配置していくの、結構楽しいんですよ。シムシティやマインクラフトの延長みたいな感覚で」
神の如き創造力を、完全にゲーム感覚で楽しんでいる。
「それにですね」
創一は、ふかふかの特注ソファにドスッと腰を下ろし、窓の外の雲海を眺めながら続けた。
「あと、これは『船』ですからね。
一度出航すれば、次の拠点に到着するまで、かなり長くこの中で過ごすことになる。閉鎖空間でのストレスは馬鹿になりません。
だからこそ、生活する空間は極限までリッチにしたいんですよね! 旨い飯を食って、広い風呂に入って、綺麗な景色を見る。それが人間の最高のパフォーマンスを引き出す一番の近道だと思いますよ」
その言葉には、創一なりの人間への理解と、彼らしい合理主義が同居していた。
圧倒的な力と知能を持ちながらも、根本のところでは「快適さ」や「楽しさ」を追求する一個の人間である。その奇妙なバランス感覚こそが、彼が狂気に呑まれることなく、テラ・ノヴァの主として君臨し続けられる理由なのかもしれなかった。
「……なるほど。工藤さんの哲学には、いつも感服させられます」
日下部は、抵抗することを諦め、静かに息を吐いてソファの向かいに腰を下ろした。
背中を包み込むようなクッションの感触は、確かに地球のいかなる高級家具よりも心地よく、長年の激務で強張った官僚の筋肉を優しく解きほぐしていくようだった。
その後も、創一による船内ツアーは続いた。
世界中のあらゆる映像作品を完全没入型のホログラムで体験できる大劇場。
無重力状態を体験しながらスポーツが楽しめるアミューズメント施設。
そして、万が一の事態に備えた、地球の全医療機関の英知を凌駕する完全自動型の超高度医療センター。
全てを見終え、再びパノラマモニターのある展望ラウンジへと戻ってきた視察団の面々は、誰もが言葉を失い、窓の外に広がる夕焼けの空を見つめていた。
「……本当に」
日下部の隣に立つ外務省の役人が、ぽつりと漏らした。
「巨大な船、という次元じゃない。
ひとつの巨大な『街』が、そのまま空に収まってるなぁ……」
その呟きは、視察団全員の偽らざる本音であった。
このヤタガラス一隻で、地球のいかなる国家よりも豊かで、安全で、高度な文明を維持することができる。
そして恐ろしいことに、目の前にいる中年は、この箱舟を「あと10個は作る」と平然と言い放ったのだ。
地球では、人々が限られた資源と短い命を奪い合い、憎しみ合いながら資本主義の歯車を回し続けている。
だが、ここテラ・ノヴァの空には、そんな泥臭い争いを全て過去のものにする、圧倒的な「未来」が悠然と浮かんでいた。
夕日に照らされて黄金色に輝く雲海を割りながら、ヤタガラスは音もなく前進を続ける。
工藤創一の終わらない工場拡張は、いよいよ大地を離れ、見えざる大空へとその版図を広げようとしていた。
第八部 天空の箱舟と見えざる大空編完
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