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第10話 スズキ・キャリイは銀河を駆ける

 ブゥンッ……ゴォォォォ……。


 東京の地下深部、コンクリートに覆われた多目的訓練ホール。

 その空間の中央に、物理法則を嘲笑うかのような漆黒の亀裂——『ゲート』が口を開けていた。

 直径、約三メートル。

 渦巻く闇の向こうからは、この地球上には存在しない乾いた風と、微かな鉄錆の匂いが吹き込んでくる。


 周囲を取り囲むSAT隊員たちの指が、アサルトライフルのトリガーにかかる。

 防護服(PPE)を着込んだ技官たちが、震える手で計測機器を凝視している。


「……空間線量計、正常。放射線反応なし」

「ガス検知器、オールグリーン。酸素濃度20.8%、窒素78%……地球の大気と、ほぼ同一です」

「バイオハザード検知、陰性。……信じられん。呼吸可能です」


 技官の報告に、現場の空気がざわめいた。

 未知の惑星と繋がっているにも関わらず、そこは人間が生身で生存可能な環境だというのだ。


「……よし。第一段階、クリアだ」


 防護服のマスク越しに、堂島警備局長の声が響く。

 彼は冷や汗で曇りかけたバイザーを指で拭い、隣に立つスウェット姿の男——工藤創一を見やった。


「次はドローンだ。無人偵察機を投入する」

「どうぞ。まあ、今の時間は明るいんで、景色もよく見えますよ」


 創一は、あくびを噛み殺しながら答えた。

 彼にとっては、ここはただの「通勤路」に過ぎない。


 堂島の合図で、キャタピラ式の小型偵察ロボットが起動した。

 ウィーン、というモーター音と共に、ロボットがゲートの闇へと進んでいく。

 数秒後。

 ホールに設置された大型モニターに、ノイズ交じりの映像が映し出された。


「……っ!?」


 全員が息を呑んだ。

 そこに映っていたのは、紫がかった広大な空。

 赤茶色に乾いた大地。

 そして、奇妙な螺旋状の葉を持つ植物の群生。

 カメラがパン(旋回)すると、地平線の彼方に、地球の月よりも遥かに巨大なガス惑星が青白く輝いているのが見えた。


「これは……CGではないな」

「はい。リアルタイムの映像です。気温は摂氏22度。快適な気候です」


 堂島はモニターを見つめたまま、数秒間、沈黙した。

 国家の危機管理を担う者として、今、自分が歴史の転換点に立っていることを痛感していた。

 これは「事件」ではない。

 「開拓史」の始まりだ。


「……行くぞ」


 堂島は決断した。


「SAT第一班、前へ。私も行く」

「局長! 危険です!」

「ドローンで安全は確認された。それに、案内人ガイドもいる」


 堂島は創一を顎でしゃくった。


「工藤くん。先導を頼む」

「了解です。……あ、足元悪いんで、気をつけてくださいね」


 創一は軽い足取りで、ゲートへと歩き出した。

 その後ろに、厳重な装備を固めた特殊部隊と堂島が続く。


 一歩。

 境界線を越える。

 肌にまとわりつく湿った日本の空気が消え、乾いた異星の風が全身を包み込んだ。


 惑星テラ・ノヴァ。

 ゲートを抜けた先には、圧倒的な「現実」が広がっていた。


「…………」


 堂島はその場に立ち尽くした。

 防護服のヘルメット越しに見る世界は、あまりにも異質だった。

 空の色温度が違うせいか、距離感が狂う。

 遠くの岩山が近くに見え、足元の小石が宝石のように奇妙な光沢を放っている。


 ザッ……。

 SATの隊員の一人が、無意識に地面の土を掴み、呆然と見つめていた。

 その土は赤く、地球のそれとは明らかに組成が違う。

 無線機から、ザザッ、というノイズが走る。磁場異常か。


「ここが……異星……」


 誰かの呟きが、乾いた風に吸い込まれていく。

 人類史上初の一歩。

 その重みが、彼らの足を縫い止めていた。


「総員、周囲警戒! クリア!」


 数秒の遅れを取り戻すように、隊長が叫ぶ。

 隊員たちが素早く散開し、確保の声を上げる。

 彼らの迷彩服は日本の植生に合わせた緑色だが、この赤茶色の大地では逆に目立ってしまう。


「ここが……君の『職場』かね?」


 堂島がようやく声を絞り出す。

 創一は伸びをしながら頷いた。


「ええ。何もないところですけど、資源だけは豊富ですよ。

 ほら、あそこに見えるのが銅の露天掘り鉱脈。向こうが鉄です」


 彼が指差す先には、地面が抉り取られ、数台の『燃料式掘削機』が黒煙を上げながら稼働していた。

 ガション、ガション、ガション。

 無骨な機械音が、静寂な荒野に響いている。


「あれは……自動で動いているのか?」

「はい。石炭を燃料にして、勝手に掘ってくれます。

 掘り出した鉱石は、あそこのベルトコンベアで炉に運ばれて、インゴットになります」


 見れば、地面には黒いゴム製のベルトが這い回り、採掘された鉱石が川のように流れていた。

 原始的だが、極めて効率的な自動化ライン。

 一人の人間が作ったとは、到底思えない規模だ。


「……信じられん。君はこれを、たった一人で?」

「イヴのサポートがありますから。

 でも最近は輸送が大変でしてね。だから『あれ』を導入したんです」


「あれ?」


 堂島が視線を巡らせる。

 岩陰に何かが停まっている。

 異星の風景に溶け込まない、白く四角い人工物。


 堂島は目を細め、その物体に近づいた。

 隊員たちも警戒しながら追従する。

 その物体は泥と砂埃にまみれていたが、そのフォルムは堂島の記憶にある「日本の原風景」そのものだった。


 四つのタイヤ。

 荷台。

 質素な運転席。


 そしてリアゲートに貼られた、色褪せたステッカー。

 『あおぞらモータース』


「…………」


 堂島はその場に凍りついた。

 SAT隊員の一人が、困惑した声で報告する。


「局長……確認しました。

 スズキ・キャリイ……軽トラックです。

 ナンバープレートはありませんが、車体番号は確認できます」


 異星の空の下。

 巨大なガス惑星を見上げる位置に、ポツンと置かれた日本の軽トラ。

 そのシュールすぎる光景に、堂島の脳が理解を拒絶しかけた。

 オーバーテクノロジーのナノマシン。亜空間収納。

 それらを操る男の愛車が、これか。


「……工藤くん」

「はい」

「君はこれで銀河を開拓しているのか?」

「ええ。便利ですよ。燃費いいし、小回り効くし、荷台に何でも乗りますから。

 これがないと、鉱石運びで腰が死にます」


 創一は愛おしそうに、軽トラのボディを撫でた。

 堂島は深く、ため息をついた。

 馬鹿馬鹿しい。

 だが、この馬鹿馬鹿しさこそが、この男が「ただの一般人」であることの何よりの証明だった。

 侵略者でも狂信的なテロリストでもない。

 ただ仕事を効率化したいだけの、勤勉な日本人労働者なのだ。


 その時だった。


『——警告。敵性生物、接近』


 創一の懐から、イヴの声が響いた。

 同時に、周囲の茂みがガサガサと揺れる。


「っ! 熱源多数! 接近中!」

「3時方向、および9時方向! 囲まれています!」


 SAT隊員たちが叫び、銃口を茂みに向ける。

 堂島の表情が、一瞬で引き締まった。


「敵か!?」

「あー、やっぱり来ちゃいましたか」


 創一は困ったように頭をかいた。


「人間の匂いとか、ゲートが開いた時の波動に反応したんでしょうね。

 『バイター』です。この星の先住生物で、まあ害虫みたいなもんです」


「害虫だと?」


 ガサッ!!

 茂みが弾け飛び、茶色い影が飛び出した。

 中型犬ほどの大きさ。だが、その姿は悪夢そのものだった。

 硬質な甲殻に覆われた背中。六本の節足。

 そして、鋼鉄をも噛み砕く巨大なマンディブル


 キシャァァァッ!!


 耳をつんざくような咆哮。

 一匹ではない。五匹、六匹……次々と現れる。


「撃てッ!!」


 堂島の命令と同時に、乾いた銃声が轟いた。

 ダダダダダダッ!!

 SATの精鋭による正確な射撃。

 5.56mm弾がバイターの甲殻に着弾する。


 カキンッ! カキンッ!


 火花が散った。

 弾丸が硬い甲殻に弾かれ、潰れている。


「なっ……!?」

「硬い! ライフル弾が弾かれるぞ!」

「有効打になりにくい! こいつら、装甲車並みだ!」


 隊員たちの声に焦りが混じる。

 現代兵器が通用しない?

 一匹のバイターが包囲網を突破して、堂島に迫る。

 速い。

 銃口が追いつかない。


「局長!」


 隊員が叫ぶ。

 巨大な顎が堂島の喉元に迫った——その瞬間。


 ズダダダダッ!!


 横合いから放たれた重い連射音が、バイターを吹き飛ばした。

 堂島の目の前で怪物の頭部が弾け飛び、緑色の体液を撒き散らして絶命する。


「ふゥ……。危なかったですね」


 硝煙の向こうに立っていたのは創一だった。

 いつの間にか、その手にはサブマシンガンが握られている。

 インベントリから取り出したのだ。

 構えは様になっており、表情には恐怖の色がない。


「こいつら、胴体は硬いんですけど、関節と頭は脆いんですよ。

 あと動きは直線的なんで、引きつけて撃てば楽勝です」


 創一は倒れたバイターに近づき、ナイフを取り出して手際よく「何か」を切り取った。

 バイオマターだ。


「……君は毎日、こんなものと戦っているのか?」


 堂島は腰を抜かしそうになるのを堪えて、尋ねた。

 創一は血のついたナイフを拭いながら、平然と答えた。


「ええ。工場を守るためですから。

 ……これで分かってくれました? 俺が銃や装甲を必要とする理由」


 堂島は無言で頷いた。

 理解した。

 ここは戦場だ。

 平和な日本の法律など通用しない、弱肉強食のフロンティアだ。

 彼が武装しているのはテロのためではない。生き残るための「作業服」なのだ。


 SAT隊員たちが残りのバイターを、関節を狙う精密射撃で掃討し、周囲に静寂が戻った。

 紫色の空に、二つの月が冷ややかに輝いている。


 一時間後。

 地下訓練ホールに戻った一行は、直ちに厳重な防疫措置を受けた。

 持ち込んだ機材は全て焼却処分。採取したサンプルは最高度隔離容器へ。

 そして隊員たちは全員、検疫ルートへと回された。


 簡易除染を終えた堂島と創一は、パイプ椅子に向かい合って座っていた。

 ゲートはまだ開いている。

 その漆黒の渦を背に、堂島は重い口を開いた。


「……工藤創一さん」

「はい」

「政府を代表して、君に提案がある」


 堂島は、もはや彼を容疑者として見ていなかった。

 目の前にいるのは、未知の資源と脅威を管理する、唯一無二の「鍵」だ。


「君を逮捕することはできない。

 君を拘束すれば、ゲートは維持できないだろうし、あの工場も止まる。

 それは人類にとって、計り知れない損失だ」

「話が早くて助かります」

「だが放置もできない。

 あの生物バイターがこちらの世界に流出したら大惨事だ。

 それに未知の病原菌のリスクもゼロではない。

 君を野放しにすることは、国家の安全保障上、許されない」


 堂島は書類を取り出した。


「よって妥協案を提示する。

 君の身柄は、日本政府の『特別保護下』に置く。

 表向きは新種の感染症疑いによる隔離措置だ。

 今の会社は退職してもらうことになるが、給与補償は国家公務員の最高ランクで支払う」


「……つまり軟禁ですか?」

「『専属契約』と言ってほしい。

 君には引き続き、あの惑星での開発を行ってもらう。

 ただし、その成果物——資源、技術、データ、生物サンプル——は全て、日本政府に優先的に提供すること」


 堂島は創一の目を、じっと見た。


「その代わり、政府は君の活動を全力でバックアップする。

 資材が欲しいなら、鉄でもコンクリートでも好きなだけ用意しよう。

 法的な問題も全て我々が処理する。

 ……どうだ?」


 創一は少し考え込んだ。

 悪い話ではない。

 ホームセンターでちまちま資材を買うのにも限界があったし、資金繰りも面倒だった。

 国家がスポンサーにつくなら、工場の拡張速度は何倍にもなる。

 何より堂々と「仕事」として没頭できる。

 もう満員電車に乗る必要も、理不尽な上司に頭を下げる必要もないのだ。


「分かりました。受けましょう」


 創一は手を差し出した。


「ただし、条件があります」

「なんだ?」

「俺の裁量を認めること。現場の判断はとイヴが行います。背広組の口出しは無用です」

「……いいだろう。未知の現場を知るのは君だけだ」

「それと、もう一つ」


 創一はゲートの向こう、軽トラが停まっている方向を見やった。


「もっと積載量のある、デカいトラックを用意してください。

 あと燃料も大量に。

 軽トラじゃ、そろそろ限界なんですよ」


 堂島はこわばっていた表情を崩し、苦笑した。

 国家機密の交渉の締めに要求されたのが、トラックと燃料とは。


「承知した。……いすゞのエルフでも、自衛隊の73式大型トラックでも、好きなものを用意させよう」


 堂島は創一の手を握り返した。

 固く、ゴツゴツとした労働者の手だった。


「ようこそ、国家戦略特区『テラ・ノヴァ』へ。

 ……頼んだぞ、特務開拓官」


「任せてください。

 この星を、工場で埋め尽くして見せますよ」


 こうして社畜SEだった工藤創一は、日本政府公認の「異星工場長」となった。

 彼が得たものは、国家予算という無限の燃料と、銀河規模の重責。

 その代償として彼は「ただの一般市民」としての自由と日常を、永遠に手放すことになった。


 扉は閉ざされた。

 しかし、その向こうには無限の荒野と、終わらない工場の稼働音が待っている。


 ——The Factory Must Grow.

 (工場は成長しなければならない)


 【第一部 完】

最後までお付き合いいただき感謝します。


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