白いはじまり
「……設置場所……どこ……?」
玄関で固まった彼女の脳は、配達員の手際の良さに押し流される形で現実に戻った。
台車がガラガラと転がり、玄関の框を越え、廊下の角を曲がり、見慣れた部屋の中へ“未来”が運び込まれていく。
大きい。
でかい。
思っていたより、ずっと。
配達員はあくまで丁寧に、あくまで淡々と、必要な確認だけをしていく。
「この部屋でよろしいですね。床の耐荷重も問題なさそうです。こちら、一旦仮置きになります」
「……仮置き……」
仮置きでこの存在感。
彼女は笑顔のまま、まばたきの回数だけ増えていった。
荷物を部屋に入れ終えると、配達員は深々と頭を下げた。
「それでは、また何かありましたら差出人様へお問い合わせください」
「は、はい……ありがとうございました……」
ドアが閉まる。
静かになる。
そして、現れる。
部屋の真ん中に鎮座する、巨大な段ボールたち。
(……私、ゲーム当選しただけなんだよね?)
自分に言い聞かせながら、彼女はとりあえず“ゲーム本体”らしき小さめの箱に手を伸ばした。
こっちなら、いつもの通販っぽい。安心する。
段ボールを開けると、中にはゲームパッケージ……だけではなく、紙が二枚入っていた。
一枚目。
『アルティメットパック当選おめでとうございます。
限定モデル・フルダイブ機(ベッド型)の組み立て設置は、提携業者が無料で対応いたします。
つきましては、下記連絡先までお電話ください。』
「……無料……?」
二枚目は、厚紙タイプのカード。
そこには太字でこう書かれている。
『アルティメットパック特典コード』
「え、特典……あるんだ……」
彼女はコードを見て、ようやく少し安心した。
少なくとも“損した感じ”ではない。むしろ、得してるっぽい。
……たぶん。
その勢いで、もう一度、部屋の中央にある“未来”を見る。
ベッド型フルダイブ機。
あれが組み立ったら、どうなるんだろう。
「……とりあえず、電話しよ」
彼女は紙に書かれた番号へ電話をかけた。
■
それからの一週間は、短いのに長かった。
業者が来て、組み立て設置が始まる。
説明は丁寧で、作業は早い。
そして完成したそれは、写真で見るよりさらに“医療機器感”があった。
「……これ、ほんとにゲーム用なんですか?」
思わず口にすると、業者は笑った。
「ゲーム用ですよ。最近はこういうベッド型も増えてきましたね」
増えてきた。
その言葉が怖い。
未来が当たり前に寄ってきている。
完成したベッド型は、見た目に反して触り心地が良かった。
フルダイブ中は体が固定されるため、変なところが痛くならないように“超高級マットレス”が採用されているらしい。
寝転んだ瞬間、彼女は小さく息を漏らした。
「……なにこれ。寝心地、よすぎ」
一週間の間、彼女は準備をした。
アレルギーのある彼女が、唯一もふもふに近づけるのは画面越しの動物特集だけ。
だから、待ちきれない気持ちを誤魔化すように、動物番組を流し続けた。
「もうすぐ……もうすぐだよ……」
指先がそわそわする。
胸の奥が、ずっと小刻みに震えている。
そして、サービス開始日。
■
彼女はベッドに体を預け、指示に従ってセンサーを装着した。
操作方法はシンプルだった。
起動。確認。深呼吸。
そして、スタート。
視界がふっと白くなる。
白い。
どこまでも白い。
足元はある。立っている感覚もある。
けれど床の質感が分からない。空間が“白い”という情報だけが脳に流れ込む。
「……え、すご……」
声が、ちゃんと響く。
自分の声が、ちゃんと自分の耳に返ってくる。
当たり前のはずなのに、当たり前じゃない。
彼女が周りを見渡した、その時。
「ミスリア・オンラインにようこそ!」
明るい声が降ってきた。
次の瞬間、目の前に妖精が現れる。
近い。
突然。
情報量が多い。
「うわぁ!!びっくりした!」
妖精はケラケラ笑った。
「へへへ、びっくりした? 僕はプレイヤーさんのナビを務めてるナビAIだよ!」
(ナビAI……妖精の姿なんだ)
妙に納得してしまう。
可愛い。けど、急に出てくるのは心臓に悪い。
妖精はぱん、と手を叩いた。
「まず、最低限の操作だけ。」
彼女の視界の端に、小さなヘルプ枠が浮かぶ。
『メニュー:心の中で「メニュー」と念じる
ログアウト:メニュー → システム → ログアウト
※街の外ではログアウトに数秒かかる場合があります』
「念じる……?」
半信半疑で、彼女は心の中で言ってみた。
(メニュー)
すると、視界の左側にふわりと半透明のウィンドウが現れた。
指で触れなくても、見たい項目に意識を向けるだけで反応する。
「……ほんとに出た……」
「でしょ。慣れたら一瞬。ログアウトもここからできるから、いざって時のために覚えといてね」
彼女は頷いた。
「じゃあ次。プレイヤーさんの名前を教えて!」
妖精が指を鳴らす。
ぱちん、という乾いた音と同時に、彼女の目の前に入力欄が浮かび上がった。
名前入力。
確定ボタン。
シンプル。
彼女は少しだけ悩んでから、短く入力した。
ヒヨ
「ヒヨ、だね! よろしく!」
「よろしくお願いします」
挨拶が終わると、妖精はぱん、と手を叩いた。
「じゃあ次は種族を選ぼうか!」
視界に大きなパネルが現れる。
ヒューマン
エルフ
ドワーフ
獣人
「……え、いきなり種族……」
ヒヨが数秒固まっていると、妖精が顔を覗き込むように言った。
「悩んでるようだけど、どうしたの?」
「何が何だか分からなくて……」
「じゃあ僕が説明しながら進めていこうか?」
「そうしていただけると嬉しいです!」
「おっけー! じゃあまずはヒューマンからね」
妖精は指をくるくる回しながら説明を始めた。
「ヒューマンは普通の人間。何でもできるけど、器用貧乏になりやすい。
エルフは魔法や弓が得意で手先が器用。その代わり力があまりない。
ドワーフは力があって、ハンマーとか重い武器が得意。ただし魔法は苦手。
獣人は種類によって違うけど、例えばクマの獣人は力が強いとか、狐の獣人は魔法が得意とかね!」
「なるほど……」
ヒヨは少し考えてから、ふと気になったことを口にする。
「モンスターをテイムするのに向いてる種族は、どれですか?」
妖精はにやっと笑った。
「いい質問! いろんなモンスターをテイムしたいならヒューマン。
でも獣人はね、自分の系統に近い種族の子と相性がいいんだ。
だから“この系統を相棒にする”って決めてるなら、獣人が強いよ」
「……たくさん、もふもふしたいです」
ヒヨの答えは、即答だった。
「じゃあ、ヒューマンにします!」
ヒューマンを選ぶと、確認の表示が出る。
『ヒューマンでよろしいでしょうか?』
ヒヨは「はい」を押した。
次の瞬間、目の前の白が揺らぎ、彼女自身の“素体”が表示される。
鏡のようなパネル。
まだ特徴の薄い顔。
人形みたいに整った輪郭。
妖精が言った。
「いいね! じゃあ次は外見を決めようか。現実に似せる、完全ランダム、自分で作る。どれにする?」
「現実に似せます」
迷いはない。
初めての場所で、まず必要なのは“自分の安心”だ。
「ただ……髪の色だけ変えたいです。あと、目の色も」
妖精が頷く。
「おっけー! どんな感じにする?」
ヒヨは少し考えてから答えた。
「髪は……黒より少し柔らかい感じ。こげ茶。光が当たるとふわっと明るく見えるやつ。
目は……青っぽい色がいいです。冷たい青じゃなくて、透明感があるやつ」
光が差した時にだけ見える色。
現実の自分にはない色。
それが、ここでは選べる。
操作は意外と直感的だった。
スライダーを動かすと、髪の色が変わる。
パレットを触ると、瞳の色が変わる。
“自分”が、少しずつ“ここ用の自分”になる。
こげ茶の髪は柔らかく、瞳は淡い青を宿す。
全体は現実に近いのに、ほんの少しだけ夢が混ざっている。
「うん、いい感じ!」
妖精が満足そうに言う。
ヒヨは鏡の中の自分を見て、深く頷いた。
「これで……完成です」
完了ボタンを押す。
白い空間の空気が、少しだけ変わった気がした。
まだ何も始まっていないのに、もう“始まった”気がした。
妖精が笑う。
「じゃあ次は――」
そこで、ヒヨの胸が勝手に期待で膨らむ。
もふもふ。
もふもふまで、あと少し。
ヒヨは知らない。
これから先、ヒヨの“第二の人生”は、想像よりずっと忙しくなる。
まずは、選ぶことからだ。




