もふもふへの招待状
春野ひよりは、株で大勝して暇だった。
そしてその大勝をきっかけに、仕事も辞めた。
毎朝の満員電車。鳴りやまない通知。意味の分からない会議。
それらを全部やめても、生活は困らない。数字がそう言っていた。
辞表を出した日は、たしかに気持ちよかった。
世界が静かになって、肩が軽くなって、呼吸が深くなった。
――その静けさが、いつの間にか“退屈”に変わった。
金はある。時間もある。
なのに、何も面白くない。
「……はぁ。株で大勝したのはいいけど、暇だな」
ソファに沈みながら、ひよりはテレビを眺める。画面では動物特集が流れていた。子犬が跳ね、子猫が丸まり、ふわふわの毛並みがアップになるたびに、胸の奥がむずむずする。
「大金を得たって、動物アレルギーが治るわけでもないし」
現実で触れたら、くしゃみと涙で終わる。
可愛いのに、近づけない。そういう理不尽だけが、手元に残っていた。
動物特集が終わり、次に流れたのはゲームの特集番組だった。興味はない。そもそもゲームはほとんどやらない。
ぼんやり眺めていただけなのに、画面の文字が妙に目に刺さった。
『第2の人生を歩んでみませんか?』
続いて流れたPVは、やけに真面目で、やけに眩しい。
そして次の一文で、ひよりの眠気は吹き飛んだ。
『フルダイブで完全五感再現!』
「……完全五感、再現?」
次の瞬間、ひよりはスマホを掴んでいた。
検索窓に打ち込む指がやたら速い。自分でも笑えるくらい必死だった。
「完全五感再現ってことは……もふもふ、し放題……!」
ゲームをしないひよりは知らなかった。
フルダイブ自体はもう珍しくない。普及していて、持っている人は持っている。
ただひよりが無縁だっただけだ。
そして、ひよりの視線を釘付けにしたタイトルは――
《ミスリア・オンライン》。
画像の中の草原は、現実より現実っぽかった。
風で揺れる葉の影に、気配のない空気の密度に、やけに喉が鳴る。
「これ……触れるってことだよね。匂いも……」
もふもふ。
現実では禁制品みたいな幸福が、当たり前みたいに置かれている世界。
ひよりは公式サイトを開き、発売情報を探した。
すると、ページ上部にある特設バナーが目に入る。
限定モデル・フルダイブ機 予約受付
何気なくタップして、ひよりは固まった。
普及している一般モデルはヘッドセット型だ。頭に装着して潜る、あのタイプ。
けれど限定モデルは違った。
医療現場などで使われている最新のベッド型。
人ひとりがすっぽり収まるカプセルのような寝台で、体を預けるだけで潜れるらしい。
画像のそれはゲーム機というより、未来の設備に見えた。
「へぇ……ヘッドセット以外にも、こんなのあるんだ」
感心しつつも、ひよりが本当に欲しいのはゲームだ。
ひよりはページを戻り、ゲーム本体の購入画面へ進んだ。
……が。
「プレミアム? デラックス? アルティメット?」
プランがやたらある。
違いの説明も長い。初心者のひよりにとっては、読むほど分からなくなるタイプの文章だ。
「うーん……もういいや」
ひよりはあっさり結論を出した。
「一番高いやつが、一番いいやつでしょ」
そうして、一番上の一番高いプランをタップする。
そこには、いちばん目立つ文字でこう書かれていた。
アルティメットパック(応募)
内容:ミスリア・オンライン初回ロット抽選(10,000本)
+限定モデル抽選付き(当選者5名/ベッド型フルダイブ機)
書いてある。
めちゃくちゃ書いてある。
……が、ひよりは深く読まなかった。
読めば分かるのに、読む前に諦めた。
「長い。無理」
公式だし。
高いのは良いやつ。
たぶん“いちばん豪華なゲーム版”なんだろう。
そう思い込んで、応募を確定させた。
数日後。
スマホに通知が来た。
【ミスリア・オンライン】当選のお知らせ
「当たった!!」
ひよりはその一行だけで、もう満足だった。
メールは開いた。
けれど本文は流し見。丁寧すぎる文章の海で目が泳いで、すぐ閉じた。
大事なのは一行だけだ。
当選。それだけ分かれば十分。
「やった……! これで、もふもふ……!」
さらに数日後。
玄関のチャイムが鳴った。
「お届けものです」
その一言で、ひよりの心拍が跳ねる。
当選通知が来ていた。つまり、これは――。
「はーい! 今行きます!」
ドアを開けると、配達員がにこやかに立っていた。
手元の端末を確認しながら、事務的に告げる。
「株式会社ミスリア・インタラクティブ様からのお届け物です。こちら、受領印お願いします」
「はいっ!」
ひよりは勢いよくハンコを探しながら、頭の中で勝利のファンファーレを鳴らした。
来た。来た来た来た。ついに来た。
押印を終えた瞬間、配達員がさらっと続けた。
「それと、荷物の設置場所なんですが、どちらにいたしましょう?」
「……え、設置?」
配達員は一ミリも動揺せず頷く。
「はい。こちら、サイズが大きいお荷物なので。搬入して置かせていただきます。通路幅だけ確認しますね」
通路幅。
その単語で、ひよりのテンションに小さなヒビが入った。
(え、私が当たったのって……ゲーム、だよね?)
ひよりは玄関の外を覗き込もうとして、視界の端に“台車の影”を見た。
影が、明らかに大きい。
「……あの、これって……ゲーム、ですよね?」
「はい。差出人はゲーム会社さんですね。内容物の詳細までは分からないんですが」
配達員はあくまで丁寧で、あくまで淡々としている。
淡々としているからこそ、嫌な予感が現実味を帯びる。
ひよりは固い笑顔のまま、玄関の奥を振り返った。
「……設置場所……どこ……?」
玄関の外で、未来が待っていた。




