第一章 21 『化物①』
エリーは魔法陣を置いた小さな小屋から出て、静寂の湖階層からダンジョンの外へと向かって移動していた。
「双龍の砦はもう終わりじゃ…。この破壊の規模と、第3層と第5層の炎上により、恐らく再生するのもかなりの時間がかかるだろう。」
ダンジョンの再生には時間がかかる。ダンジョン内部に溢れるマナという存在により破壊された地層や壁は再生される。小さな破壊の跡ならば5分もあれば完璧に治るだろう。
だが今回は規模が違いすぎる。忍者ゴーレムの手で行われた破壊の跡や階層が2つも燃えたことを考えると、再生するまでには最低でも半年はかかってしまう。
「しかし例の女ならここで始末出来た。奴が転移魔法が使えないのは調査済みだし、あそこから回避する事も出来ん。あの忌々しい女が始末できたなら大儲けだ!あとはここから――」
「ねーねー。その女って、一体誰の事?」
「!? 誰だ!姿を現せ!」
突然どこかから女性の声が聞こえる。周りには誰もいないが、エリーが即座に戦闘態勢を取って周りを警戒する。この階層に居るとすれば彗星の神子だが、奴らならば自信家のリーダー辺りが姿を隠さず、最初から堂々と前に出てくるはずだ。だからその線は切ってもいい。
ならさっきの声は一体…?
「聞こえてなかったかもしれないしぃ、もう一度だけ…チャンスをあげるね?その女って、一体誰の事?」
「ならば姿を見せよ。貴様が誰なのかは知らんが、姿を知らない者に情報を漏らすのは私に得が無さすぎる。それが出来ないなら教えることはせん。」
「はぁ…隙あらばすぐ損得考えるから人間は相手しててつまんない。そんなことしてもどうせ僕相手に駆け引きですら勝てないのに。でも今回だけはいいよ。今は僕の機嫌が良いので教えてあげるぅ!あんただけの特別待遇だよ?と・く・べ・つ♡」
謎の女はそう言い、ダンジョンの天井から落ちてきてエリーの目の前に姿を現す。目の前の女は、過去の文明に存在したと言う『般若』と呼ばれる生物に似た奇妙なピンク色の仮面を被ったまま、ダンジョンの天井から降りてきた。
リボンを使って髪を分けた特徴的な薄いピンク色の髪型に、その小さな見た目からは考えられないほど赤い大きな羽根2つも背中から生えている。最低限大事な部分を隠した軽装を見れば、ただの盗賊職の人間だが、彼女から感じる気配だけが桁違いだった。ここまで強いプレッシャーは、長く裏社会にいたエリーですら感じたことは無い。
「あー。まーたやっちゃった〜…羽を生やしてるとこを見られちゃったら面倒なことになっちゃうのにぃ。」
突然目の前に現れた圧倒的強者の気配に恐怖が走る。まるで今まで、どこかに擬態して気配を完全に消していたかのように…。
この大きな特徴的な羽といい、まさかこいつは、かの有名な絶滅危惧種の『吸血鬼』か?
「………こいつからはかなり色濃くあの子の匂いがする。喋り方からしてほぼ確実に何か知ってるし、殺してでも情報を引き出さなくちゃ。」
目の前の女が低い声で何かぶつぶつ言っている。どうやらここには誰かを探しに来ていたらしい。
「吸血鬼が一体何が目的でこんなところに来た。答えよ!」
両手を合わせて彼女は何事も無かったかのようにテンション高く提案してくる。
「やっぱり私の羽を見ちゃうとそこまで分かっちゃうかぁ。ち、な、み、に!僕はとある人を探しに来ただけなの!あんたからはあの子の匂いをとても感じるし、今のうちに彼女の事を教えてくれたら僕からは手を出さないよ?約束してあげる!だからぁ…教えてくれないかな?」
「貴様の探している者など私は知らん。そこをどけ!私は貴様になど構ってる暇はない!このダンジョンはもう終わりじゃ!」
「はぁ。せっかくチャンスをあげたのに、僕の提案を飲まないんですか。そうですか、そうです…か。」
謎の女が少しガッカリした表情をしている。すると、彼女の後ろから遅れて彗星の神子がやってきた。どうやら彼女は彗星の神子と共に行動しているらしい。
「急にに飛んでくから時間かかったけどやっと追いついt…って思ったら君はエリー・アーロンか!?帝国法で禁止されている研究に何度も手を出した挙句、投獄された大監獄で集団脱獄事件を起こした主犯格で有名な伝説の犯罪者がこんな所で何をしているんだ!」
「……ここで貴様ら彗星の神子にまで見つかってしまうとは運がない。先程第5層であの忌々しい女をようやく処分したと言うのに、貴様らまで相手にする余裕などないわ!」
「!? 絶対に嘘なのです!ロジェさんが貴方みたいな人に負けるわけがないのです!」
「いいや。本当じゃ。奴なら既に詰んでおる。いくら実力があるものでも最深部に落ちれば、あの迷路の様な森の攻略法を知らない限り生きては帰って来られん。無駄な希望を持つのは諦めろ!」
その言葉を聞き、突然仮面を被った女は、今までのふざけた態度からは考えられない程の殺意をエリーに向けてくる。まるで中身が完全に別人へと変わったかのように…。
「あいつは危険です!なのでここは俺達に任せてください!ρさんは俺の後ろに下がって――」
彗星の神子の盾を持った大男が言葉を言い終わる前にエリーが雷の上級魔法『疾風迅雷』を一瞬で発動させた。即座に召喚した大量の雷が竜巻のような形を作ってダンジョンの床へと落ちていき、彗星の神子と仮面の女に襲いかかる。
エリーは即座に彗星の神子の大男が盾をかまえ、魔導師が自分達の周りに障壁を貼って攻撃を回避し、そこから弓や斬撃を放とうとしているのは確認したが、その中に仮面の女の姿だけは何処にも見えなかった。
「あの者は一体どこへ…」
すると、突然エリーの目の前に仮面の女が姿を現す。目にも捕えられない速さで移動し、エリーの元まで飛んできたのだ。
「!? 馬鹿な!この短時間で移動出来るはずは――」
「さっきからいちいちうっせぇんだよ"!クソがッ"!さっさとあのこのじょう報だけ吐けっつってんだろ"!!!」
そう言ってエリーに向かって仮面の女が、大きく剥き出しになっている綺麗な脚を使って体を貫くレベルの強力な蹴りを放ち、エリーが壁を貫通しながらすごい速度で吹き飛んでいった。
「これだけで終わると思うなよッ"!」
そう言って仮面の『悪魔』が飛んで行ったエリーを、高速で追いかけて行った。その姿は、完全に殺人鬼を彷彿とさせる姿だったと、後に彗星の神子は語るのだった。
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「ここは…静寂の湖?」
魔法陣によって、凍結の森から見覚えのある階層に戻ってきたロジェは、小さな小屋から出て、外へと続いてそうな一本道を歩いている。どうやら、謎の魔法陣のおかげで5層目から1層目まで戻ってきたらしい。
周りを見ると、首が破壊されて消滅している途中のゴーレムが転がっていたり、魔物の死骸の山が大量にあった。…匂いもきついし何かの地獄かな?
「この小屋になんか変な術式が組まれてるけど、小屋の魔法陣と言い、この死骸の山といい、一体誰がこんな事してたんだろう。」
術式の詳細は、見た事もなかったので効果は分からなかったが、なにか確実に細工がされていた。つまり、転移先に敵に待ち伏せされている可能性があるのだ。…ここまでもう散々な目に合ってるのでそろそろきついのは勘弁してください。
そんなことを考えながらしばらく一本道を歩いていると、見覚えのある白い長髪の魔導師を見つけた。よく見ると、岩陰に隠れて何かに怯えながら蹲っていようにも見える。とりあえず声をかけることにした。
「見つかったら私も殺される…見つかったら私も殺される…見つかったら私も殺される…見つかったら――」
「リン…こんなところで何してるの?」
「ひゃいっ!?ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさ…ってロジェさん!?」
私と離れている間、リン達は何があったのだろうか?明らかにこの子の反応がおかしいんだけど…
「うわあぁぁぁぁん!ロジェさあぁぁん!本当に無事でよかったのですうぅぅぅぅぅ!」
リンは話しかけるまで顔を真っ青にし、まるで死んだ魚のような顔をしていたが、ロジェの顔を見た瞬間何かに救われたかのような顔をし、泣きながら抱きついてきた。
私こういう時何していいのか分からないんだよね…。普段こうやって泣く事はあるけど、慰める側になる事はほぼ無いから何をしていいか分からない…。
「とりあえず落ち着いて。何があったかは知らないけど、私が来たからもう大丈夫よ。あなたに何があったか話せるようになったら私に話してちょうだい。」
とりあえず頭を撫でながらそれっぽいことを言ってリンを落ち着かせる。リンはしばらくの間泣き続けていたが、少しすると、ここであった出来事を話し始めた。
「ぐすんっ…。実はヒュー達と一緒にもう一度ダンジョンの中へ入って居なくなったロジェさんの事を探してたのです。外で出会った私たちに協力してくれている優しい人が突然殺人鬼みたいな性格に変わって、全てがバーン!ってなってしまって…。それを見て途中で怖くなった私は現場から逃げて来ちゃったんです。ヒュー達は最後まで戦場を見届けるから、怖かったら離れた場所で隠れてても良いって言ってたので私はここに…。その殺人鬼はずっとこの階層を飛び回ってるから考えるだけでも怖くて…」
…うん。彼女が言ってる事が何一つ分からない。
優しかった人が殺人鬼みたいな人格に変わって暴れてるってそれただヤベー奴に絡まれただけなのでは?
あとリンが耐えられなくなるほどのやばい現場に残るなんてヒュー達は何考えてるの…?もしかして一緒になって魔物の大虐殺パーティでもしてたりする?
あそこはヒュー以外はまともだと思ってたのに全員やばい奴らの集まりなんですか?そうなんですか!?
「…何一つ言ってる事が分からないけど、とりあえずその現場とやらに案内してくれる?このダンジョンはかなり危険だし、早く逃げないとこのダンジョンの混乱に巻き込まれかねないから全員連れてここから早く脱出するわよ。」
言いたいことはあったが、ロジェはそれを全力で抑え込み、とりあえずその現場へと案内してもらう事にした。
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「み、みんなの場所にいくなら…この分岐は左です…。なのですこわい…こわいなのです…」
リンが私の後ろに隠れて震える指を動かしながら道を案内してくれる。なんだか道を進めば進むほどリンの震えが酷くなるし、どんどん口調までおかしくなっている気がする。…本当に私が離れている間に何があったのだろうか?
「念の為確認しておくけど、ヒュー達は無事なのよね?その殺人鬼?とやらに攻撃されていなければって話だったけど…。」
「…はい。私が離れるまでは攻撃される気配はなかったし、最初にヒュー達には攻撃しないって約束していたので…。その後は知らないけどまだ生きてるはず。わ、わわわ私も殺される…」
本当に大丈夫なのだろうか?殺人鬼とやらが全く信用出来ないんだけど…。そこに行ったら私殺されたりしないよね?そこに行って殺されるなら、私は彼らを見捨ててリンと共に帰りたいです…
そんなことを考えながら道を進んでいると、突然緑色の薄暗い壁からピンク色をした壁に変わる。階層と階層を繋ぐ階段が近いことを示すダンジョン特有の現象だ。
壁を確認すると人型の大きな穴が明らかに異常なくらい残っているし、この通路にも案の定様々な種類の魔物の死骸が山となって大量に置かれていた。…本当に大丈夫だよね?
きつい刺激臭に耐えながら道なりに進んでいると広い空間に出たので、岩の影に隠れてロジェ達は中の様子を見ることにした。何か乱闘騒ぎが起きている可能性がある為、慎重に動く。
そして中を覗こうとした瞬間、ロジェたちの真横を高速で何かが駆け抜けて行った。
「!? あれなに!?なんかめっちゃ早いのが来たんだけど!?」
「あわわわわ。あ、あれが…私の言ってた殺人鬼…なのです。ひいぃぃぃ…。」
リンの目から涙が止まらなくなっている。完全に彼女は限界のようだった。彼女の事を安心させる為話しかけようとした瞬間、何かが壁にぶつかった音がする。
すると、ダンジョンの階層を繋ぐ階段のすぐ隣で1人の老人が蹴り飛ばされてきて壁に直撃した瞬間、壁が軽く崩れた。
それとほぼ同時に、仮面を被った薄いピンク色の髪をした女性が目で追えない速度で飛んできて、更に追い打ちをかけようとしている。
『ねーぇー…そろそろ教える気になったぁ…?』
しかも、そこで暴れている仮面の女の方には、ロジェには見覚えがあった。リボンで髪をまとめたツーサイドアップと呼ばれる特徴的な髪型に、あの背の高さ、そして装備している変な鬼の仮面。恐らくだが仮面の力で今は私にしか見えていないであろうあの赤い大きな羽。
その姿を見てロジェは誰なのかを確信した。こんな所で何をしているのかな?何をしに来たかは大体分かるけど!
そしてロジェは、何も考えずに思ったことを口に出した。
「――――あの暴れてる子、あーるんじゃない。村で大人しくしているはずの彼女が、こんな所で何してるのかしら?」




