第一章 20 『凍結の森』
第5層 【凍結の森】
双龍の砦最深部に存在している、まるで氷山の麓にある森を思わせるかのような木が入り組んだ地形をした階層。
ダンジョン内部は常に猛吹雪が発生しており、生身の人間ならば即座に凍りついて動けなくなる程の気候により体力を常に奪う仕組みだ。
それに加えて階層入口付近には、空腹で飢えた虎や熊などの肉食系の魔物が縄張りを作っており、相当な実力がなければこの階層からは生きては戻って来れないと言われている。
常に魔物の警戒をしながら体力の管理もしなければならないので、第5層は精神的にも肉体的にも辛いという双龍の砦で最も難易度の高い階層だった。
そんな階層にミヤマクワガタとなって取り残されたロジェは、真剣にどうするか悩んでいた。後ろからは火が迫っているので逃げない選択肢は無いのだが、どうやってこの厳しい気候を乗り越えるかが鍵である。
「このまま外に出たら即凍結して終わってしまうわね。この寒ささえ何とか出来れば、どうとでもなるんだけど…」
仮に迫ってくる火をそのまま保存して手で持ち歩く事が出来れば、この寒さだろうと熱で乗り越えられる気がするが、そんな都合の良い魔法は存在しない。ここまで搦手を使って乗り越えてきたロジェでも天候問題はそう簡単に解決するのは出来なかった。
さっき吸収した攻撃が少し残ってるから、雲で階層ごとぶっ壊す?いやいや。ここは第5層だしそれは私が潰れて死ぬ。
じゃあ魔物を寄せ付けてから洗脳して、そいつら使って脱出する?そんな都合よく魔物達がミヤマクワガタの言うことなんて聞くとは思えない。
「となれば、あの魔法を使うしかないか…。今まで使ったことがないから成功するかわかんないけど今は手段なんて選んでられないわ!」
そしてロジェは魔法を使った。
「テンプカルチャ〜!」
テンプカルチャーとは、使用者の「足元」だけを1番古い状態にする魔法だ。表現した足元の状態は、本人が感じる気候も最初期のものにするので、この吹雪でも気温を気にすることなく前に進むことが出来る。
デメリットは、過去の状態を完全に再現するため、地面を歩いていると突然見えないところから穴や水の中に落とされる事だ。再現した時の感覚は現実世界とリンクするので、何も無い場所のはずなのに突然水や穴の中に落ちた感覚が残ってしまう結構危険な魔法である。
しかし、クワガタになっているロジェは空を飛べるのでそういった危険は関係ないのであった。
「へへん!用途が意味不明すぎて使ったこと無かったけど、今だけはこの魔法に感謝しかないわ。ありがとう!この魔法を生み出してくれた人…!」
即座にロジェクワガタが、宙ずりになりながら研究所の外に出て、凍結の森を探索し始めるのであった。
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「ミヤマクワガタなんかになってるから魔物に襲われると思って心配してたけど、案外大丈夫なのね。見た目が小さいから食べるところが無いとでも思われてるのかな?」
とりあえず移動を始めて数分。色々な場所を飛んでいるが、どこを見ても周りには凍った木や魔物しかなかった。あまりにも変わらない光景にうんざりしている。
「うーん…。ここから出る為に真実の追求を使ってもいいんだけど、あれ使ったら魔力がガッツリ減るから使いたくないのよねぇ…。」
真実の追求は、望んだ情報が1つ手に入る代わりに、魔力を全体の8割も消費する魔法である。ここに来るまでもかなり魔力を消費していたし、最深部からの脱出となれば8割もの魔力を消費するのは避けたい。
どうするべきか考えていると、ポーションの変身が終わり、顎がデカすぎたクワガタの状態から解放され、即座に地面に向かって落ちた。
「いたたたた…ここはどこ?」
ロジェが落ちた場所は、雪とは違って温もりがあり、何故かふわふわだった。まるで魔物の背中に乗っているような…。
とりあえず立ち上がって周りを確認する。周りにはここまで散々見てきた凍る木々と毛皮のようなふわふわな毛の山とそこに積もった雪しか見えなかった。
「なんかとっても嫌な予感がする…。」
今までの経験からしても分かる。こういう時は大体碌な事にならないのだ。
そしてその嫌な予感は的中し、何者かの尖った爪がロジェが居た場所を目掛けて高速で飛んでくる。爪と爪の間に入って避難し、直撃を回避した。
爪が上下に動いだり左右に動くのを見てここにいるのは危険だと判断したロジェは、即座に時空鞄から箒を取り出して空中へと避難した。
「この尖った爪に、この外見。やっぱりこれは雪花熊の背中だったのね!こんなのに喧嘩売るなんてお断りよ!!!」
雪花熊は、体に色々な色をした小さな花をいくつも咲かせている全長8mを超える大型の熊である。移動速度が早く、溜めの一撃の攻撃力が異常に高い危険な魔物である。熊が怒った時の速度は、過去の文明で存在していたジェット機を超えていると言う話なんかもある。…その話はホントなの?
幸い雪花熊はまだロジェの存在に気づいていないので、まだ何とか逃げ切れる。ロジェは箒の速度を最大出力にしてその場から逃げ出した。
ロジェの箒は、定期的に箒をぶっ壊すのでそれを阻止するため、速度を出しすぎた場合に自動で障害物を避けてくれる安全装置が付いている特別な箒だが、箒を最大出力にすると安全装置だけでは賄いきれなくなる。
箒の最高速度は、周りが止まって見えてしまう程の速度になる為、少しでも集中力を切らせば装置などを無視して簡単に壁などにぶつかってしまう。
「とにかく、今は逃げなきゃ!あの熊達は妙に勘が鋭いんだからいつ来てもおかしくない。」
すると、こちらの気配に気付いたのか雪花熊が全力で走ってきた。ロジェも岩や壁などを避ける事に集中するが、どんどん雪花熊との距離が近くなっていく。
「あの熊なんて早いのかしら…!動きが早いと聞いてたけど想像以上じゃない!!雪が弱くなってきているし、そろそろ階層の出口が近いんだから何とかしないと!」
ここで1つテンプカルチャーについて補足しておこう。
ロジェ本人はまだ気付いていないが、現在彼女には1つ大きなアクシデントが発生している。
現在ロジェは箒に跨っている。そのせいで「テンプカルチャー」の効果対象である足元の判定が箒全体に変更されているのだ。つまり、ロジェが箒に跨っている限りは足元に常に触れている状態になるので、「見えてくる景色は全て過去の物」という事になる。
熊が早すぎるのではなく、ロジェが何も無い森の中で勝手に遠回りをしているので、熊に追いつかれているのであった。
「こうなったらこうよ!」
ロジェがすぐさま地面に積もった雪を手で拾い、そこにアクトピクチャを使う。魔法のかかった雪を地面に向かって捨てれば、速度も相まってそれなりに深い霧になるだろう。
…だが案の定熊は止まらない。何事も無かったのように迫ってくる。
「嘘でしょ!なんでこの雪花熊はそれなりに深い霧でも関係なく近付いて来れるのよ!おかしいじゃない!!」
補足しておくと、雪花熊はそもそも箒の速度に追いつけていない。ロジェがないはずの障害物を大袈裟に避けているので、奇跡的に雪花熊が追いつけているだけなのだ。雪花熊が霧に追いつく頃には霧も薄くなっているため、何も効果がない。
すぐさまロジェは、地面に向かって小さな氷土壁を生成し、出っ張りのようなギミックをいくつか作成する。出っ張りに引っかかった熊が一瞬怯んでいる間に逃げるつもりだ。
だが、そのギミックも難なく雪花熊は超えてきた。
「もおぉぉぉぉー!!!なんでなの!なんでこの熊はこんな障害物を難なく避けてくるの!!ちょっと理不尽すぎるじゃない!!!!」
当然である。箒との距離があるので熊は足元にあるギミックを見てから簡単に避けることが出来るのだ。
「うーん…。ここまで避けられると思ってなかったから策がないわよ。なにか使えそうな物は―」
雪花熊との距離をどう離すか考えていると、突然ロジェに衝撃が走る。
ロジェには見えていないが、目の前には本物の小屋が姿を現していた。あまりにも早い速度なので、家クラスの大きさになると箒も自動で避けることが出来ない。
そして、ロジェは案の定凄い速度で建物にぶつかり、ロジェの体の大きさと同じくらいの穴を壁に開けて無理やり着陸する。
「いたたたた…。目の前には何も無かったはずなのになんで急に小屋なんて現れたの?」
とりあえず箒を片手にその場から立ち上がる。熊が追ってくるのが壁に開けた穴から見えるので、再度箒に跨って逃げる準備をする…が、ロジェはある事に気付いた。
「なんか熊がこっち来てなくない…?もしかしてこの小屋って魔物避けか何か掛かってる?」
すると、地面に配置されていた魔法陣がロジェの魔力に反応して勝手に起動する。
「え!なになに!?なんの術式なのこれ!そんなのこんなところになかったじゃない!!!」
足元には何も無いはずなのだが、何かが起きようとしている。ロジェは箒に跨っているので、そのまま急いで魔力を込めてその場から逃げようとするが、魔法陣が小屋の床全体に書かれているため、逃げることが出来ない。
「まっずい!このままじゃどこか―」
ロジェは光に包まれ、どこか他の階層へと転移した。
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「ここは…ダンジョンの外なのです?」
リンが目を覚ますと、目の前には双竜の砦入口が見えていた。どうやら誰かの力によって、炎上する誘惑の大地から転移させられたらしい。周りを見るとヒュー達も倒れていたが、それよりも気になる者が目の前にいた。
「おー。やっと目を覚ましたね。1番まともそうな君の治療をしてるのに、いつまでもそんなとこで寝てっから、もう完全に死んでんのかと思ったよ。」
「あ、貴方は一体何者なのです…?」
目を覚ますと、目の前には鬼のような仮面を被っている小さな女の子が立っていた。
リボンを使って後ろに束ねられたツインテールを彷彿とさせる薄いピンク色の長髪に、彼女の背の高さからしてどこか幼さを感じる15歳くらいの女性に見えるが、目の前の女はリン達よりも圧倒的に強いだろう。彼女から感じる気配が異常だった。
「大丈夫大丈夫、僕は君みたいなか弱い女の子と敵対するつもりは無いよ。話もせずに暴れるのは僕の大好きな人に止められてるからね〜。僕は事情があってあまり名前をバラしたくないからそうだなぁ…ρとでも呼んで欲しいかな。で!ここからが本題なんだけど、僕はとある人を探しにきてるんだけどぉ、君達からはその人の強い匂いがするの!だからどこに行ったのかだけでも教えてくれないかな?」
自分の前に手を合わせてウインクしながら頼んできたり、如何にも優しそうな喋り方をしているが、彼女の体から感じる気配は、今まで見た事ないくらいに異常だし、恐らくリンがここで反抗すれば即座に返り討ちにされるだろう。
「そ、その。仮に私達が情報提供を断ったり、探している人の事を知らないって言ったら、ρさんはどうするのですか?」
リンは賭けに出た。こんな発言すれば即座に殺されてもおかしくは無いが、もし仮に彼女がロジェの敵ならば合わせる訳にはいかないのだ。
ダンジョンに向かう前に戦闘は全部やるって言ったし、ロジェには酷い目に合わせないと約束した以上、この場にいない彼女にこれ以上の苦労をかける訳にはいかない。
目の前の仮面を被った薄いピンク色の髪をした女性は笑いながら答えた。
「きゃははははは!君、意外と面白いこと言うじゃん。けどぉ、君がそんな事しないのはバレてるよ?君達が倒れている間に生命力を少しだけ貰って、その味から君の大体の性格は見抜いているからね。少なくとも君はこの中で誰よりも仲間思いの優しい性格だから裏切らないって信じてる。だから最後にもう一度だけ聞くね?僕をその人の元まで案内してくれないかな?案内してくれるなら君の仲間もちゃんと助けてあげるし、この中にいる雑魚との戦いも全部僕がするって約束してあげる!これはぁ、君達が生き残るための最後のチャンスだよ?このチャンスを捨ててまで協力しないって言うなら…今すぐ全員ぶっ殺すけどね?」
この人の発言に嘘はない。恐らくさっきと同じように断れば、今度こそリンは殺されてしまうだろう。リンは覚悟を決め、真面目な声で答えた。
「…分かりました。貴方の探し人かは分からないですが、探し人らしき人とはぐれてしまった場所まで案内します。その代わり、ここにいる仲間4人と途中ではぐれてしまった1人の大切な仲間には絶対に手を出さないと約束してください。それが条件です!それが守れないなら、私を殺して代わりにヒュー達を助けてください。私から提案出来るのは以上です。」
その言葉を聞いて、目の前の仮面の女の表情は仮面で見えなかったが、とても悪い笑顔を浮かべた気がした。
暫くすると、目の前の女は低い声で答えを出してくる。
「ここで覚悟を決めた提案してくるなんて、君はおもしれー女だなぁ…。僕、そういうおもしろい人が大好きなんだよねぇ…!気に入った。約束通りみんな治してあげるね♡」
そして目の前の仮面の女は、即座に倒れているヒュー達を特殊な術で治療し始めた。その治療方法は、帝都の中でもトップクラスで魔法の知識があるリンですら見たことの無い特殊な術式だったという。その姿を見てリンは1つの結論に辿り着いた。
もしかしてこの人もロジェさんと同じ特殊な種族なん――
そんなことを考えた時、リンの額に突然人差し指が刺された。しかも、摩擦熱が発生するほどグリグリされるので痛いし熱い。
そしてすぐにその攻撃をやめて、仮面の女性が明るい声を出しながら話しかけてくる。
「あー。なんかごめんね?今なんとなくだけどぉ、めちゃくちゃ嫌な予感がしちゃったからついやっちゃった!悪気があってした訳じゃないんだけどねぇ―」
そして彼女は、話した中で最も低い声でこう答えた。
「命まで取られたくないなら、余計な勘繰りはしないほうがいい。これは警告だから次はないよ。」




