第一章 19 『施設』
「魔法を相殺してばかりで何もしてこなかったのに、突如逃げを選んだか。今度は何をするつもりだ?」
エリーは、目の前の女の動きを一瞬たりとも見逃さなかった。目の前の女が、不思議な『雲』を使って攻撃を相殺しているのも見逃さなかったし、雲の弱点を見つけるため様々な属性の魔法を使って探っていた。
だからこそ相手が今まで攻撃を相殺するだけで、何も仕掛けてこなかった事に違和感を抱く。一体何をするつもりなのだろうか。
そんなことを考えていると、奴の逃げた通路に1つの雷型の結界が現れる。これではいくら魔法に長けているエリーでさえも、直ぐに壁を壊して追いかけることは出来ないたろう。
「時間稼ぎなどしおって。こんな小細工が通じると思うな!」
エリーは即座に土属性の魔法を使い、ロジェが逃げた通路の床の材質を泥に変換し、結界を地中に沈めて突破しようとする。
地面や壁などの材質変換の魔法は土の上級魔法であり、土魔法の中で1番難易度が高いとされている。泥に変わった床によって自然由来の結界が放電しながら、少しずつ地面に向かって沈んでいく。
沈んだ結界に向かってエリーは、炎と風を組み合わせた斬撃を大量に飛ばし、逃げようとするロジェを倒そうとする。結界が地中に沈めば沈むほど、攻撃を通すことが出来る空間が広がっていくためだ。先程から雲が炎と風魔法を吸収出来ていないことに気付いていたので、確実にトドメを刺しに来ている。
しかし、状況が突如大きく変わる。
燃えている雷の結界が熱に耐えられなくなったので、泥の中から大爆発が起こったのだ。突然の出来事にエリーですらも直ぐには対応出来ない。
風魔法で突風を起こして、飛んでくる熱風を跳ね返そうとするが全然返すことが出来なかった。通路側から飛んでくる風が強すぎるのだ。まるで台風が近くにあるような…。
「まさか、奴はここまで読んで私を嵌めたのか…?」
でなければ、ここまで爆発と熱風に対して完璧に対応する事など出来ない。
狭い通路に作った結界に攻撃を誘導して爆発させるなど明らかに自殺行為だが、狭い空洞を壊して仲間の金縛りを解放するような危険な思考を持つイカれた女だ。奴なら何してもおかしくない。
最初から奴は、この意味深な単独行動も、繰り返される挑発行為も、全てはこの支部の根っこから完全に破壊する為に仕組んだ行動だったようにも見えてくる。
ここまで研究所を跡形もなく破壊させれば、あとはエリーを捕まえるなり消すなりした瞬間、この研究支部は完全に情報をなくして崩壊するのだ。
この支部は割と組織の中でも高い位置に存在するので、帝都支部を壊滅させたとなれば、ネオリスの組織自体に大きなダメージを与える事が出来るだろう。
あの女がそこまで考えているのであれば、ずっと掌の上で転がされていた事になる。
何度もそんな訳が無いと考えるが、妙に納得してしまうのがとても腹立たしい。
「だが貴様のプランは甘い。切り札を用意しない者など存在しないのだ。貴様の掌の上で泳がされるのもここまでだ!」
エリーは自身の時空鞄から1つの星型の魔道具を取り出す。それは転移型魔道具だった。
この魔道具は、2箇所しか設定出来ないという欠点があるが、起動させれば事前に設定した魔法陣にいつでも飛べるようになるというシンプルで便利な魔道具だった。魔法陣からでも転移はできるが、相当な魔力がない限り魔法陣が勝手に起動することはない。
1つは第5層に。2つ目は第1層入口に魔物避けの術を掛けた小さな小屋の中に魔法陣を設置してある。
「そのうちこの研究所は火の海になり、第5層と共に消滅するじゃろう。貴様はここで終わりだ。」
そう言い残し、エリーは魔道具を起動させる。すると、足元に転移魔法陣が出現し体が少しずつ消えていく。そしてエリーは他の階層へと逃亡した。
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さて…これはどうしたらいいんでしょうか。
ロジェは魔法の効果が切れたので、周りを見渡しながら通路の奥へと走りつつ脱出方法を考えていた。どこを走ってもスライム研究所の人は見当たらないので、この施設から脱出する方法がわからない。…あれこれ詰みなのでは?
「使えるものがないか探してるけど、どこにいっても燃えてるし使えそうな物はないからこれは本格的にまずいわね。てかこの施設、どこ行っても燃えてるから暑過ぎて辛い…」
色々な通路を通ってきたが、どこも燃え始めている。この施設が完全に燃えてなくなるのも時間の問題だろう。
それにロジェは属性魔法が使えない。水魔法が使えたら状況も変わったかもしれないが、ロジェは属性魔法を覚えたら攻撃魔法も使いたくなるという理由で覚えてこなかったのだ。術式を観察すればある程度使えたりはするが、部屋の魔導書は燃えているし、人もいないのでその手段は取れない。
どうするか考えていた時、ロジェは天井が崩落している一本道に来てしまった。後ろからは黒煙が回ってきている為、恐らく火も近いだろう。完全に詰んでしまった。
やってくる黒煙だってそう長く耐えられるものでは無い。双龍の砦に存在する高すぎる濃度のマナのおかげでギリギリ何とかなっているが、そうした応急処置だって長くは持たないのだ。
普段からダンジョンに潜る冒険者ならば半日くらい黒煙を吸っても耐性が出来ているので問題ないが、ロジェは違う。
ロジェのマナの吸収速度は、感覚が鈍い一般人の1/10くらいの速度でしかマナを吸収出来ない。しかもロジェが最後にダンジョンに入ったのも半年前とかになるので、現在のロジェの体はダンジョン跡地に住む帝都の一般人と同程度の状態異常耐性しかないのだ。
マナを定期的に吸わないと、状態異常耐性が落ちてしまうので、ロジェは黒煙への耐性がかなり低いのである。
「行きは行き止まり。帰りは火の海。こうなったらポーションで身体強化して脱出するしか無いわね…。」
ロジェはなにか使えるものが無いか、薬品鞄を漁り出す。記憶が間違えてなければ確か質量増加のポーションがあったはずだ。どこの質量が上がるのかは分からないが、ロジェ自身が重くなれば殴る威力もかなり上がるだろう。そう考えたのだ。
すると、ロジェの目は目的のポーションとは違う別のポーションの存在を捉えた。
「そういえばこの<ミヤマクワガタ>ってポーション、どんな効果なのかな」
ロジェは、得体の知れないポーションを手に取って観察する。そんなことしてる暇は無いのだが、このポーションに興味が湧いてしまった。
「普通に行けば変身系だけど、これって召喚系の可能性もあるわよね。うーん…。 」
質量増加のポーションと組み合わせれば、ある程度使えそうな気もするが、もし召喚系だった場合は、召喚したカブトムシの重さを増やすだけなので、完全に空振りになってしまう。でもカブトムシの顎ってそこら辺の物なら挟んで壊し切る程の力があるって聞くしなぁ…。
どうするか悩んでいると、後ろの道から大きな爆発音がした。どうやらもう時間があまり無いらしい。
「えぇい!もうこうなったら使ってやるわ!どちらにせよ失敗したら死ぬんだし、こうなったら一か八かよ!」
ロジェは即座に質量増加ポーションを取り出し、ミヤマクワガタポーションと同時に自分の足元にばら撒く。すると、足元からピンク色の煙があがった。
「!? ごほっごほっ。なにこれ煙?ただでさえ黒煙で辛いのに、こんなきつい仕打ちはやめてよ!」
しばらくすると、ピンク色の煙は消えて解放される。するとロジェは違和感に気ついた。
「ようやく解放されたけど、なんか視点が低い気がするわね。あとさっきよりも周りの熱がしんどいような…。」
もしかして成功したのかと思い、ロジェは試しに動きを念じてみる。
(私はカブトムシ…私はカブトムシ…今なら空を飛べる…私はカブトムシ!)
すると、ロジェは魔法を使わずとも空に浮かび上がった。その事で何が起こったのかを確信する。
「やったわ成功ね!あのポーションが変身系なら話が早いわ!ビックスポットン!」
そう言ってロジェは、最初から予定していた魔法を発動した。
ビックスポットンとは。魔法を当てた箇所のみが30分間巨大化する魔法である。
デメリットは、巨大化する倍率が20倍な事である。
すると、ミヤマクワガタに変身したロジェの顎が巨大化する。あまりにも顎が巨大になりすぎて、宙ずりのような状態にならないと、上手く空を飛ぶことが出来なかった。
顎に宙ずりになって飛ぶ姿は、『グリコ』という滅びた文明にあった有名な看板にそっくりだったという。く、首がしんどい…。
しかし、やるしかないのでロジェは顎に宙ずりにされながら壁の方向に向かって飛ぶ。ようやく壁の近くに辿り着き壊そうとしたその時、1つの問題に直撃する。
…あれ?どうやって顎で壁を壊すの…?
根本的な問題である。ロジェは顎だけで物を挟んで壊した事など1度もないので、顎の正しい使い方が分からないのだ。魔法を使う前にこれに気付いていれば、他の魔法を使えていたのでこの問題を回避出来ていたが、この魔法は途中解除が出来ないので、後戻りする事が出来ない。
「んもぉぉぉー!!!なんでいつもいつもこう絶妙な所が足りないの!もー!!!!」
その場でロジェが嘆くが、火が近くまで迫っているので、何か行動を起こさないと私が死ぬし、熱に弱い昆虫に変身したので体が凄く辛い。
「こうなったら、私の真骨頂を見せてやるわよ!どうにでもなれー!!!」
そう言うと、ロジェは思考を放棄して顎を壁に直接ぶつけ始めた。顎を使えないならデカくなった顎を壁にぶつけて壊してしまえという結論に至ったのである。
ミヤマクワガタにになったおかげか、ぶつけてもあまり痛みを感じなかったし、質量増加ポーションのおかげで壁にみるみる罅が入っていくので攻撃を続けると、施設の厚い壁が1枚割れた。
「やったわ!この調子で壁を破壊し尽くしてやるわよ!」
そう言いながら壊した壁を通り、宙ずり状態でロジェクワガタは壁を破壊し続ける。5つほど壁を壊すと、外の景色が見えてきた。
「ようやく出口かしら…?とにかくこんな危険な場所からおさらばよっ!」
ロジェクワガタがそう言いながら外に顎を出す。すると、凍りつきそうな冷気に曝され、顎を施設の中に戻した。
…もしかしてこの外って、ランス達が言ってた『氷山』?
外に出たそこは、木々も地面も全てが凍りつき、食糧難により血に飢えた熊や自我を持った植物などの魔物が日々餌の奪い合いを行う過酷な階層。
研究所を出たそこは、双龍の砦で最も攻略が難しいと噂されている第5層【凍結の森】だった。
余談/この時点でダンジョンの探索を開始してから、大体15時間近く経過しています。
ダンジョン内部は、時の流れが遅く感じるので、相当長いこと中に居ない限りは空腹状態になる事がありません。




