第一章 15 『崩壊』
ヘンリックは、状況の理解が追いつかないまま落下を続け、しばらくするとついに地面に着地した。周りを見ると、小さな空間に5つほど通路があった。恐らくここはこのダンジョンの隠し階層だろう。
全ては数分前の出来事に遡る。
本来ならば、一方通行になっている空洞から出てくる彗星の神子とあの女に攻撃魔法を当てて始末するだけで良かった。
なのに空洞を破壊して出てきたのは、ヘンリックが宝箱に仕掛けていた「忍者ゴーレム」だった。それも最初に仕掛けておいた数の10倍の数がいるし、全員が暴走していた。恐らくあの女が青いボタンを押して起動させたのだ。
仲間意識の強い冒険者達が、地中に埋まった仲間を見捨てずに助けようとするのは予想出来ていたが、暴走したゴーレムが10倍近くまで増えているのは完全に予想外である。
あの忍者ゴーレムは危険だ。過去に滅んだ文明にいた「忍者」と呼ばれる戦闘員を再現したゴーレム達は、水を新たに吸収する限り、ゴーレム自体の機動力と攻撃力が上がり続けるのだ。
キングスライムによって階層全体の水が減ったとしても、少しでも水が階層に残っていれば、無限に強化されるのである。
ボタンを押して起動させた人間には攻撃しない仕様になっているが、奴らはもう一度同じボタンを押すまで止まらない。このゴーレム達の暴走を止めようにもボタンが地面に埋まってしまっているので、完全な動作の停止は望めないだろう。
ヘンリックは即座に穴の空いた場所まで移動し、魔法で忍者ゴーレムを凍らせて数匹ほど行動不能にしたが、それでも時間稼ぎにもならない。奴らはこのダンジョンの全てを破壊するまで止まらないのだ。
オマケにヘンリックは、ゴーレムに足元の地面を割られて他の階層へと落ちてしまったので、ゴーレムに暴れる現場に戻ることはほぼ確実に不可能になっている。こうなればいくら足掻こうが手の施しようがないのだ。所謂詰みという物である。
「クソっ…!あの女と関わってから散々だ!一体奴は何者だ!」
空洞内部の天井を迷いなく破壊し、仲間を見殺しにしようとするイカれた思考といい、埋もれたゴーレムを起動させた事といい、あまりにも狂っている。それがヘンリックの判断した「あの女」の本性だった。
仲間にゴーレムの暴走を伝えようにも、忍者ゴーレムが飛ばした手裏剣により、現在地が分かる細工がされていた連絡石が完全に破壊されてしまっている。これでは情報共有どころか、助けを求めることすら出来ない。
「だが今は情報収集が先だ。この場所に関する情報を――」
「あのすみません。私はあなたのことは知らないのですが、ここはどこなのでしょうか?突然地面が崩壊してしまい、ここに来た仲間達とはぐれてしまったのですが…」
突然ヘンリックは後ろから声をかけられた。
声をかけてきたのは、予想外の事ばかりを発生させ、弟子の中で誰よりも冷静沈着なヘンリックをここまで混乱状態に陥らせた原因の女。ロジェだった。
「!? き、貴様はあの時の…!どうしてこんな所にいる!あの時貴様は岩に潰れて動けなくなったはずだろ!次から次へと厄介な事ばかりしやがって…いい加減にしろ!」
そう言いながら急いでロジェから距離をとる。攻撃される可能性も考慮し、すぐさま自身に魔法耐性の強化を使って相手を警戒する。
すると目の前の女は、まるで何も知らないかのように答えた。
「? 厄介な事とはなんですか? 確かに先程厄介な事になりそうなボタンを押してしまいましたが、別にあれは悪気は無かったんです!あれはそもそも不可抗力で…あんな物押すまでもなく問題が全て解決していたというか、周りの状況が分かっていなかったというか…。あ!何か壊してしまったなら私が治しますよ!じゃないとこのダンジョンに沢山いた珍しいスライムを研究するスライム研究所の研究員の方は迷惑しますもんね!」
「――っ!貴様!一体どこまで我々を侮辱すれば気が済むのだ!!!」
少なくともヘンリックは、この女の発言を挑発と捉えた。
『あんな危険なゴーレムなど起動させなくても、私ならば周りの状況を把握せずにネオリス程度なら簡単に潰せます。』
という文言にしか捉えることが出来ない煽りに加え、我々の目の前でネオリスのことを『スライムの研究員』などと言い張るその態度に、ヘンリックも我慢の限界だった。
ダンジョンの入口で、魔物の研究1つも成功出来ない未熟者だと煽られていた事も思い出し、尚更気分が悪くなる。
決めた。この女だけは絶対にここで始末する。何があってもここで絶対…絶対に始末を―
「え?別に私はあなた達の事を侮辱なんて一度もしてませんよ?」
本当に悪気がなさそうな顔をしながら話す彼女の言葉を聞き、怒りが完全に爆発した。
「アイスキルライン!」
この場でまだ煽ろうとする目の前の女に我慢が出来なくなり、ロジェに向かって氷魔法を使った。少なくとも100本以上ある氷柱を即座に召喚し、一斉に飛ばす。
氷柱は確実にロジェに当たっている音がしていた。こんな攻撃だけでこの女を倒せるとは思っていないが、確実なダメージを与えていることにヘンリックは少し笑みを浮かべる。
氷柱を飛ばし終えたので様子を確認する。すると、ボロボロになっている小さな氷と土の壁に守られている割には、体の様々場所から少しだけ血を流してボロボロになっている女がそこに立っていた。
この壁は恐らくキングスライムの時に使った物と同じだろう。属性や見た目がそっくりだった。だが、今はそこに驚いている場合では無い。
「馬鹿な…ただの魔導師が私のアイスキルラインに魔法を間に合わせるなど有り得ない!」
ヘンリックの詠唱速度は、組織の中でもトップクラスの実力者であるエリーと肩を並べるほど早い。そもそもヘンリックが生み出したアイスキルラインという魔法は、術の名前を出す前に技が発動するような魔法だ。一般的な魔導師はもちろん、その辺の実力者でもアイスキルラインを見てから魔法を間に合わせることは不可能だ。
消費魔力が多い事で有名な上級魔法や広範囲魔法を1日に何度も使えるほどの異常な魔力量を持つ彗星の神子の魔導師ですら、この攻撃は避けることは出来ないだろう。
それなのに何故こいつは魔法で壁を召喚して生き延びている?
「…私。岩とかのダメージも相まってかなり限界が近いんです。なので、本来なら受けないような攻撃も詠唱が間に合わず受けてしまっただけで、別にあなたが強い訳ではありません。勘違いしないでください!普段ならあんな遅い魔法なんて食らうはずがないのに…つまり何が言いたいかと言うと、あなたと私には力の差がありすぎます。今ならまだ許しますので、降参して頂けませんか?」
その言葉を聞き、ヘンリックが言う。
「そんなわけがないだろ!大体貴様は今満身創痍ではないか。そんな状態の人間なんかに降参する者など居ないし、そんな提案受け入れるわけが無い。降参ならむしろ貴様がしやがれ!!」
当たり前の返答だった。そもそも現在、ヘンリックの方が圧倒的に有利なのだ。ヘンリックには体力的にも精神的にもまだ余裕がある。こんな状態で降参しろなどと言われ従う者はいない。
「はぁ…。ここで大人しく引いてくれたら良かったのに。仕方ないですね。」
即座にヘンリックが大量の大きな氷塊を出現させ、トドメを刺そうとする。
その時、ロジェが煙幕をこの空間に炊いた。なにやら赤色の液体のような物も見えるが、恐らく奴の血だろう。ヘンリックはあまり意識をしなかった。
「チッ。煙幕か。まさかこんな初歩的な小細工を使うとは…。」
この世界において煙幕は、魔法を使えばすぐに解除出来るので役に立たない。役に立つとしても魔物から逃げること出来るくらいだろう。
しかし今いる空間はとても狭い。仮に通路に逃げたとしても氷塊を使って1つずつ通路を潰せば、逃げている途中でも潰れて死ぬのだ。
迷いなくヘンリックは空間を破壊するかの如く氷塊を飛ばす。壁に、地面に、通路に氷塊が深く刺さり、3つほど通路が潰れた。壁を壊すと隠し階段まで出てきている。階段にはいくつも氷の結晶が出来上がり、生き残るのも不可能な状態にした。
しかし、この場所にあの女の姿は見当たらない。
正確に言うと、氷塊などにはダメージを食らった血痕はあるが、あの女の姿を確認することができなかった。
元々奴は致命傷を負っていたし、仮にこの場から逃げたとしても、血の出血量的に生き残ることは不可能だろう。他の階層に辿り着いても、ネオリスが改造した魔物が解き放たれているこのダンジョンで生き残れるとは思えない。
この空間に刺さった氷塊を解除し、自らの魔力に還元する。氷や土など物質を生み出す魔法は、作った固形物を自ら消した時に使用した魔力の20%ほどを自分の魔力として再利用ができるという数少ないメリットがある。
とりあえず、ヘンリックか落ちてきた場所について調べようとした時、聞き覚えのある声が耳元から聞こえてきた。
『貴方は本当に優しい方ですね。あまりにも優しすぎて、敵の死体を確認せずに魔法を解くなんて言う情けを私に掛けて大丈夫ですか?そんな事を繰り返していれば、そのうち取り返しのつかない事になりますよ?』
「!? 誰だ!誰かこの場所にいるのか!」
急いで周りを見渡し警戒する。本来この空間に人が居るなど有り得ないのだが、ここはダンジョンだ。ゴーレムが暴れた影響で何か不思議なことが起きてもおかしくは無い。
しかし、どれだけ周りを探しても周りには誰もいない。
『そんな誰だなんて…私の事、忘れてしまったのですか?さっきまであんなにも私の事で怒ってくれていたのに…。私、とっても悲しいです…』
それにさっきから聞こえてくるこの声は間違いなく「あの女」に違いない。確かにあの女の死体の確認はしていないが、周りにある血痕の量からして出血量が明らかに異常だった。だから死んだと勝手に判断していた。
――だって人間の血液の量からして、この狭い空間の1/3を赤色に染めているのに生き延びるなんて、どうやっても不可能なのだから。
「貴様…まだ生きていたのか。居るなら姿を見せろ!いくらかこちらも聞きたい事もある。いい加減決着を付けようではないか!」
その言葉を放った事をヘンリックはすぐに後悔した。
その発言をした瞬間に、自分の目の前に追っていた女が突然現れた。
体や顔は全体の8割が赤く染まり、傷によって現在も血を大量に流しており、服がボロボロになっている。傷も流す血の量も先程と桁違いに酷くなっており、見るだけでおぞましさを感じる姿をしていた。
なぜこの状態で生きているのかも、今までどこにいたのかも分からない。突然現れた女の見た目はまるで生きる屍人だった。
「!?」
突然の出来事にヘンリックはパニックになる。あまりにも有り得ない現象の数々によって<恐怖>の感情に包まれた。
『あれあれ?目の前に現れろと言ったのは貴方ですよ?人の姿を見ておいて腰を抜かすなんて…とってもお可愛い事ですね。ヘ、ン、リ、ッ、ク、さん♡ 私は貴方は一番弟子として尊敬するエリーさんの元で毎日こんなにも頑張っているのに、全く報われないヘンリックさんが可哀想で仕方がありません。同情します!』
ヘンリックがあの女に与えてもいない情報を言い事始めた事に動揺し、更に<恐怖>が加速する。
「!? き、貴様!いつ私の名前と師の存在を知ったのだ!我々の事を一体どこまで―――」
『私はヘンリックさんの事全て知っていますよ?貴方がどこで生まれ、どこで育ち、誰と関係を持って成長し、秘密結社ネオリスに入った理由も、貴方達が私と彗星の神子がこのダンジョンに入ってからずっと隠れて監視して攻撃を仕掛けてきた事も。 全部。全部。全部全部全部全部全部全部全部全部全部――全部を私は知っています。だって、私は貴方のここまでの人生を見てきましたから。』
その言葉を聞き、血の気が引く。今まであった怒りの感情は消え、目の前の得体の知れない存在に<恐怖>する。気力を何とか絞り、先程使ったアイスキルラインを目の前の女に向かって打った。
しかし、氷柱は全て彼女を貫通し奥の壁へと深く突き刺さる。
「馬鹿な…。私の攻撃魔法が効かずに貫通するだなんて…!」
ヘンリックの攻撃による土埃が止むと、目の前の女が頬を膨らませながら明るい声で話しかけてきた。
『もう!攻撃せずに最後まで話を聞いてください!話をしたいと最初に言ったのはヘンリックさんですよ?約束は守らないとダメじゃないですか!』
攻撃が全く効かない。攻撃しても全て貫通する。その事実に震えが止まらない。もう目の前の女の事しか考えられなくなる。
目の前の女が怖い。姿を見るのが怖い。声を聞くのが怖い。存在を認識するだけで怖い。同じ空間に居るだけで怖い。同じ空気を吸うだけで怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い――――
『ヘンリックさん、どうかしましたか?顔色が悪いですよ?私に質問したいことがあるんじゃ無かったのですか?』
その言葉を最後に精神が完全に<恐怖>で染まってしまったヘンリックは壊れてしまった。尊敬する師の名前を叫びながら謝罪の言葉を述べ、その場に叫ぶ。
『…うるさいです。少し静かにしてください。まだ話は終わっていませんよ。』
目の前の女がとても低い声でその言葉を放つと、一瞬で自分の目の前に大量の氷柱が現れる。数本の尖った氷柱がヘンリックの首元に当てられ、何時でもヘンリックの命を刈り取る準備が行われた。恐らくこの女は即座にヘンリックの使ったアイスキルラインを再現したのだ。ヘンリックが余計なことを言えば、目の前の女はすぐにでもその術を発動させるだろう。
『はぁ…。なんだか私までやる気がなくなってしまいました。せっかく呼ばれたから姿まで見せたのに…仕方ないですが、これで最後にしますね。貴方は私に対してまだ言いたいこと事はありますか?』
ヘンリックは最後の気力を振り絞って震えた声を出しながら質問をした。
「あ、貴方は一体何者なのですか…?」
『最後はそんな質問で良いんですね。では答えてあげましょう!』
すると、ロシェはとびきりの笑顔で両手を合わしながら答える。
『私の名前はロシェ。通りすがりの魔導師です!』
その言葉を言い切ると、アイスキルラインが発動してヘンリックに突き刺さり、彼はその場で意識を失った。彼の耳が最後に捉えた声は、その場で高い声で笑い声を上げながら術を発動させる『魔女』の声だった。
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攻略難易度☆8ダンジョン【双竜の砦】
ダンジョン全てを破壊する事を目的に行動していた忍者ゴーレムが、1人の小さな影を発見する。
「シンニュウシャ、ハッケン。シンニュウシャ、ハッケン。ハイジョ!ハイジョ!」
忍者ゴーレムが慣れた動きで、クナイを大量にその影に向かって投げる。彼らは絶対に油断しない。影に向かって手裏剣を大量に投げ、ゴーレム自体も敵との間合いを図り、首に向かって斬りかかった。
その洗練された動きで、誰もが侵入者を排除出来たと思った。
「ハイジョ!ハイジョ!シンニュウシャハ、ハイジョシマ――」
「―うっさい。黙って死ね。」
その言葉が聞こえた瞬間、忍者ゴーレムは首が切断され吹き飛び、動作を停止した。彼は何故自分が負けたのか分からないままダンジョンのマナとして還元され、自分の投げたクナイや武器と共に消滅していく。
鬼のような奇妙な仮面を被った薄い桃色の髪をした侵入者はこういった。
「あぁ…やっと見つけたぁ!今まで全く匂いがしなかったけど、この匂いは間違いなく本っ物だぁ…!待っててね。今すぐ僕もそこに行くよ。」
何かに気付いた侵入者は、まるで誰かを探しているかのように、目を輝かせながらダンジョンの中へと入っていった。
双龍の砦の入口付近にいた忍者ゴーレムは、1人の小さな女によって、全員何が起きたのか分からないまま消滅していった。
今回少しグロ描写があります。そういう物が苦手な方は注意してください。




