7話 魔導書職人の家系
アデルが攻撃し始めたことを、遠くにいるジャッドは目視で確認した。
「……どうやら苦戦しそうね、アデル」
とうとう、レイモン達のチームは本格的な戦いに挑むことになった。
彼女の推察通り本陣にはヴェベールとシュヴァリエが残り、ジェラールとレニエが迫っている。
彼らが到着するのは、恐らく早くて二十分後だろう。
ジャッドは敵が来るであろう道の方向へと歩を進めつつ、イヤリングにそっと触れた。
「ナタン、セレスト。
敵が二人そっちに向かっている。
臨戦態勢を敷いて」
彼女が指示を送ると、ナタンの気まずそうな声が返ってきた。
『あぁ、ジャッドさん……
その、驚かないで聞いてほしんだが……
…………もう来てる』
「――っ!」
ジャッドは慌てて麓を確認すると、そこには既に二人の教師の姿があった。
『たぶん、魔術で転送してきた……
はぁ、念のためにワープ妨害の準備しておいて正解だった』
どうやら二人は直接ジャッドのもとに行こうとしたが、ナタンがそれを阻止したみたいだ。
おかげで敵が急に彼女の前に現れずに済んだが、それでもこんなに早く来るのは予想していなかった。
『ジャッド様、大丈夫さ。
もう相手は俺達の罠にかかってる。
あんたはあんたができることをやりゃいい』
セレストの言葉に、ジャッドは落ち着きを取り戻した。
そして少し深呼吸をして、手元の銃の装弾を始める。
(私もまだまだね……こんなことで取り乱すなんて……
もっと経験を積まないと)
幸い、アデルの暴走で他の敵はいない。
ジャッドは、遠くにいる教師の動きに全神経を尖らせた。
***
丘の麓に到着したレニエは、思わずため息を漏らしていた。
「ったく、転送が妨害された。
ここから坂登んないといけないのか……だる……」
レニエは運動が大嫌いがゆえに、この仕打ちは本人にとって痛手だった。
彼はこの後どうしようかと考えながら、手元の魔導書をパラパラめくりだした。
「レニエ!それだからお前はもやしみたいにヒョロヒョロなんだぞ!
俺みたいに鍛えればこんな坂道ちょちょいのちょいさ、ガハハハ!!」
「おい待て、ジェラール。
相手は俺の魔術の邪魔をできる奴だ、慎重に行かないと――」
レニエが止める前に、ジェラールはずしずしと進み始めた。
その時、不意に足元が赤く光り始めた。
「ん?何だこれ?」
「まさか魔法陣!?避けろ!!」
ジェラールは大慌てで避けようとしたが、陣の発動の方が僅かに早かった。
彼は赤い閃光に包まれた後、空から降ってきた大きな雷に打たれた。
「ジェラール!!
――おいおい、どうなってる!?
陣を仕込むなんて、どうやったらできるんだよ!?」
魔術行使は本来体に刻印を刻むか、魔法陣を描くかの二択だ。
前者は速射性に優れるが、一つしか使えない。
後者は何種類も行使可能だが、術者の血が入ったインクで陣を書く必要がある。
その上に魔法陣の模様はかなり複雑で、即席で書くのが困難だ。
そのため既に魔法陣が描かれた魔導書を持ち歩くのが一般的だった。
ジェラールのいた場所からは、黒煙と焦げ臭い匂いが漂っている。
明らかに魔法陣を利用した、雷の魔術だ。
恐らく魔法陣は他の場所にも仕込まれているだろう。
レニエのような経験豊富な人物はともかく、ただの学生にできるものではない。
(このチーム、かなり厄介だぞ……!)
レニエが慌てて相方の無事を確認しようとした時、死角から突如赤いものが飛び出てきた。
「――ぐっ!」
反射的にレニエは体に刻んだ防御魔術を発動し、バリアを展開した。
相手は赤い和傘を手にした、セレストだった。
(コイツ、刀背負ってるくせに傘で攻撃してきた!?)
レニエがセレストの頭を疑っている最中も、笑顔のセレストはジリジリと彼を追い詰めている。
やがて傘の石突が彼の目前に迫ってきたその時、黒煙からジェラールが大剣を持って現れた。
「おらぁぁぁぁぁ!!」
ジェラールは思い切り剣を振り下ろしたが、セレストはひょいと躱した。
そして少し離れたところに立ったかと思うと、ケロッとした顔で傘の下で涼み始めた。
「……レニエ、援護を」
「はぁ、分かったよ」
レニエは手持ちの魔導書を構え、ジェラールは剣を構えてセレストを睨みつけた。
「へへっ、俺を楽しませてくれよ……先生方」
セレストはとても満足げに笑うと、二人の教師の方に向かって走り出した。
遠くから隠れて見ていたナタンは、セレストの戦いに感心せざるを得なかった。
「なんだよ、あの変な戦い方……初めて見た」
彼の傘はかなり丈夫らしく、レニエの数多の氷をぶつける攻撃を平然と生地の部分で防いでいる。
ジェラールの重い一撃に関しては、傘を畳んで受け止めても一切折れない。
更に反撃の際は、広げた傘を回しながら露先の部分で切りつけようとする始末だ。
だが、これは試験。
本来は本物の武器を持ちこむことはできないが、彼のような特殊な武器の場合は例外だ。
面倒な審査を抜けた後に、相手を絶対に傷付けないことを約束されてやっと持ち込みができるようになる。
魔術使いの場合もそもそも扱う武器がないから、全員このステップを踏む羽目になる。
だからこそ、セレストの立場をナタンは痛感していた。
相手を傷つけてしまえば即失格となるため、手加減しないといけない。
故に、本気を出せないし自然と防御に徹するしかないのだ。
このまま一人で戦わせては、ただ体力を無駄に消耗させるだけだ。
しかし、ジェラールがナタンの仕掛けた魔法陣を再び踏んだ。
「ビンゴ」
ナタンは魔術を発動させ、再び雷を落とした。
それでも相手は少しだけ黒ずんだだけで、一切ひるまなかった。
「おいおい!雷撃何度も食らって動じないとか、タフすぎにも限度があるでしょ!」
相手が死なない程度の威力に調整しているのもあるが、ジェラールにはほとんど効果ない。
そのうえレニエは一切その場から動く気配がなく、仕込んだ魔法陣で攻撃できない。
このままでは戦力を削げそうになかった。
「仕方ない、ここは僕が動くしかないか」
ナタンは重い腰を上げると、懐から赤色の液体が入った瓶を取り出した。
彼は蓋を開けた後、体の魔力の流れに意識を向ける。
すると、彼の体に刻まれた魔術の刻印が緑色に光り、液体が宙に漂い始めた。
ナタンはそのまま集中し続けると、やがて赤い液体で魔法陣が形成された。
「魔術使いの醍醐味は不意打ちだ。
悪く思わないでくださいよ、先生」
ボソッと呟いた後、ナタンは魔力を魔法陣に集中させて無数の雷を相手に繰り出した。
「ジェラール、横だ!」
魔力の流れを感知したレニエは、相方に向かって声を荒げた。
ジェラールが横を向くと、既に目の前に雷が迫っていた。
――直撃だ。
「――が――あ――――こい――つ――――!」
レニエも防御が間に合わずに、感電していた。
だが痺れる体を駆使して、魔導書のページをめくりだした。
恐らく、反撃するつもりだろう。
「ジャッドさん、出番だよ」
ナタンがそう言った矢先、空を切って何かが飛び始めた。
何事かと相手が理解しない間に、レニエの眉間に銃弾が当たった。
「いったぁぁぁぁぁ!!」
ナタンが攻撃をやめると、そこにはインクが付いた顔でしょんぼりとするレニエの姿があった。
「……はぁ、散々な目にあった」
レニエがブツブツと愚痴をこぼす中、セレストがわきからひょいと顔を出した。
どうやら無事だったみたいだ。
「なぁナタン……少しは俺に配慮してもいいんじゃない?
せめて事前に言うとかさぁ」
彼は相変わらずニコニコしているが、流石にさっきのは参ったようだ。
「君が以前レイモンに色々無茶ぶりをしたから、代わりに仕返しした次第さ」
そうナタンがいうと、セレストは明らかに不貞腐れていた。
「……ナタン君、でいいのか?
一つだけ聞かせてくれ。
魔法陣で罠を張った上に、さっきは即座に複雑な陣を描いただろ?
何でそんなことができる?」
レニエは少し不機嫌ながらも、好奇心に負けてナタンに問いかけた。
「えっと……僕の家系は魔導書の職人なんです。
幼い頃から父に魔法陣の知識を叩き込まれて、一通りの陣の模様を記憶しています。
だから僕なら簡単に魔法陣で罠を張ることが来ますし、この体に刻んだ”液体を操る魔術”で持ち歩いているインクで自在に描くことも可能なんです」
ナタンの説明を聞いたレニエは、がっくりとうなだれた。
見事に完敗して、かなり落ち込んでいるようだった。
ナタンがこの試験でやったことは、それほど常識外れだった。
「そういや、もう一人は?」
セレストの突然の一言に、ナタンは顔面蒼白になった。
慌てて周囲を見渡したが、ジェラールの姿はどこにもない。
「まさか――!」
ナタンは大慌てで、丘の頂上へと走り出した。




