79話 託されたもの
アデルの服装と髪型は全く変わっていない。
なのに、レイモンが知っている彼ではない。
目は大きく見開き、瞬きはほとんどしない。
まるで何日も徹夜を続けて限界を迎えた人のような顔だ。
それに雰囲気も今まで以上に冷たく、すごく怖い。
あまりにも恐ろしくて、レイモンは膝をついてしまった。
そして呆気にとられる彼の横をアデルは通り過ぎ、ナタンの目の前に立ちはだかった。
「立場や家の事情など、兵士にはどうでもいいことだ。
俺達兵士はただ敵を殺すことだけを考えるのが務めだ。
そんな簡単なことができない奴は、とっとと辞めてしまえ。
目障りだ」
アデルは無機質に、人とは思えないことを平然と言い放った。
普段の彼なら、刺々しくも何らかの気遣いを見せてくれる。
なのに今は、そんな面影もない。
まるで機械が冷酷な言葉を発しているかのようだった。
ナタンとジャッドは、何も言えずに目を逸らしていた。
対してヴェロニックは、突然立ち上がりアデルに迫った。
明らかに、怒っている。
「……アデル、言い過ぎ」
いつものように短い言葉だが、すごく鋭い声だった。
彼女がここまで感情を表に出すのは見たことがない。
しかしアデルは、これといった反応を示さなかった。
「意味が分からん。
俺はただ事実を述べているだけだ。
兵士は心を殺し、ただ敵を屠ればいい。
それのどこが間違っている?」
ヴェロニックは肩を震わせ始めた。
反論したいのに、言いたいことが多すぎてどこから言えばいいのか分からないようだ。
レイモンも腰を抜かしながらも、彼を一発殴ってやりたい気分だった。
それを代弁するかのように、ナタンが徐に立ち上がった。
「アデル、自分が何を言っているのか分かっている?
……『心を殺す』だって?」
彼は息を荒げながら、ヴェロニックとアデルの間に入った。
そしてそのまま、乱暴に彼の胸倉を掴んだ。
ナタンは表情を変えないアデルの目の前で、鬼の形相で言葉をまくしたて始めた。
「ふざけるな!
少佐がどんな軍人を目指していたか、君が知らないわけないでしょ!?
あの人は、心を絶対に失わないように努力してきたんだよ!?
それをたやすく殺すだなんて――」
「貴様にあいつの何が分かる!!??」
アデルは前触れもなく、ナタンの顔を殴った。
その衝動でナタンは彼を掴む手を放し、地面に倒れこんだ。
「ナタン! 大丈夫!?」
近くにいたジャッドとヴェロニックはナタンに慌てて駆け寄った。
幸い彼は唇を切っただけで、大した怪我はない。
そのことに安堵していると、アデルは腰の刀に手を伸ばした。
「――!?」
3人が反応する前に、アデルは引き抜いた刀を振り下ろした。
しかし、誰も傷つかなかった。
恐る恐るよく見てみると、刀は根本付近で既に折れていた。
おそらく、戦っている最中にやってしまったのだろう。
アデルはそれでも構わず、3人に刀を突き付けた。
「……ヴェル兄が死して教えてくれた。
心を残すからこそ、俺達は弱くなるのだと。
だから俺達兵士は、心を捨てなければならない。
無心で敵を殺して殺して殺して……それ以外に、この世で生き残る方法はない」
そういうとアデルは刀をしまった。
そして絶句する3人をよそに、彼は後ろを振り向く。
そのまま振り返ることなく、アデルは立ち去ってしまった。
「……あれ、大丈夫?」
ナタンはその場で固まったまま、ぼそっと言葉を漏らした。
その疑問に、誰も答えることはできなかった。
レイモンは何もできずに、絶望するしかなかった。
同期のみんなが全員生きているのはとてもうれしい。
でも、それ以上に彼らが負った傷が深すぎる。
(もし僕が復帰できても、あの楽しかった生活には戻れないのか……?
これから僕は、どうすればいいんだ……)
思いつく限りの励ましの言葉を贈る?
ナタンやジャッドはそれで少しばかり元気を取り戻すかもしれない。
けれども、アデルは絶対に無理だ。
今の状態では、こちらの言葉は絶対に届かない。
下手をすると殺し合いになってもおかしくはない。
そもそも、これからもずっと生きて帰れるのか?
あの新兵器PLUTO-0001は、まだ完成したばかり。
これから量産されたり、さらに機能が向上するかもしれない。
だとしたら、チュテレールはこれからも負け戦を強いられる。
そんな中、自分が生還できる自信が湧いてこなかった。
レイモンが沈んでいると、ヴェベールが肩を叩いてくれた。
そして振り返った彼の目の前に、片手を差し出す。
座り込んでいるレイモンを立ち上がらせそうとしているようだった。
レイモンはその手を取ろうとした。
しかし途中で止めてしまい、伸ばした手を引っ込めてしまった。
「立ち上がったところで、僕達はどうすればいいんですか?
こんな先の見えない未来に向かって、努力することに意味はあるのでしょうか?
ただでもみんなで引っ張っていくべき少佐がもういないのに……」
ヴェベールは真顔のまま動かなかった。
言葉が通じたのかは不明だが、レイモンの不安と恐怖をじかに感じ取ったようだ。
彼は仕方なく手を引っ込めると、下を向くレイモンをただ眺めていた。
しかしふと、思い立ったかのように彼は懐を漁りだした。
そして何かを取り出すと、レイモンの目の前に差し出す。
それは、二通の手紙だった。
どちらもそこまで分厚いものではないが、絹のように真っ白だった。
その封筒の真ん中に、それぞれ宛名がある。
片方は「第14部隊諸君」と書かれていて、もう片方は……
「『アデルへ』……?」
ヴェベールはレイモンに受け取るように促した。
彼は死しても尚、部下や大切な人のことを気にかけてくれていたのだ。
そして彼らの心の傷を癒せるのは、自分しかいないと悟っている。
だからこそ自分の言葉を皆――特にアデルに届けてほしいと、そう願っているようだった。
レイモンは涙をこらえながら、ゆっくりと立ち上がった。
そして彼から手紙を受け取り、大事にそれを胸に押し当てた。
レイモンはそのままヴェベールの瞳をまっすぐとみて、伝わるか分からない思いを口にした。
「ありがとうございます、少佐。
この手紙は、絶対に皆に届けます。
……本当に、僕はあなたの部下になれてよかったです」
レイモンは泣きそうな顔で、額に手を添えて敬礼をした。
堅苦しいのが苦手なヴェベールは、明らかに困惑していた。
だがまんざらでもないようで、すぐに不器用な笑顔を作ってくれた。
直後、ヴェベールはレイモンを突き飛ばした。
「え――」
体が後方に引っ張られるのを感じる。
まるで水平方向に落下しているかのように。
一瞬何が起きているのか分からなかった。
でも、笑顔を崩さないヴェベールを見て察した。
もう、時間切れなのだと。
「待って!? 少佐!! まだ話が――」
言い終わる前に、レイモンはものすごい勢いでヴェベールの姿が小さくなっていく。
周囲の風景もどんどん暗くなり、体の感覚も鈍くなっていくのが分かる。
そうして視界が徐々に漆黒に包まれる中、ヴェベールの口が動くのが見えた。
声を出さずに、ただ一つの言葉を発するかのように。
――生きろ、と。




