56話 君は一人じゃない
レイモンが咄嗟にセレストの拘束から抜け出そうとするも、力が強くて無理だった。
逆に彼の警戒を高めてしまい、さらに強く刀を押し付けられた。
そのせいか、首から温かい液体が皮膚を伝った。
「セレスト! 落ち着くんだ!
レイモンを解放しろ! 君がそんなことをする理由なんてないだろ!」
いつの間にかナタンは、蓋の空いたインク瓶を持っていた。
ヴェロニックもさっきから、バリスティックナイフの刃を飛ばさんと構えている。
そんな2人を威圧するように、セレストは睨み返した。
「……俺の要求は2つ。
1つ、ここで見たことは絶対他言無用だ。
1つ、俺は敵の拠点に潜り込んで奴らの真の目的を知りたい。
その手助けをしろ」
ナタンとヴェロニックは微動だにしなかった。
脅されていなかったら、絶対に彼の要求なんざ飲まないだろう。
自分と一緒に軍規違反を犯してくれと言っているようなものだから。
そして必ず、ヴェベールにセレストを突き出すはずだ。
しかし無力で命の危機にさらされたレイモンを見て、ナタンはヴェロニックに小さく耳打ちした。
「……ねぇ、確か君は少佐から敵の調査を頼まれていたよね?」
「……」
ヴェロニックは返事をしなかった。
もしそれが事実なら、この場でセレストの言い分を飲むのに合理的な理由があることになる。
しかし、彼女が迷うのもわかる。
こうして仲間を人質にとる輩なんて、信用に値しない。
そんな相手に、背中を預けるわけにはいかないだろう。
そんな中、レイモンは悔しくて唇を噛み締めていた。
セレストの暴走を止めると宣言したのに、この様だ。
いくら抵抗しても、どんなに必死になっても全く歯が立たない。
この前よりも強くなったはずなのに、まだ実力差がありすぎたのだ。
(クソッ! セレストを完全に止めるのは無理だ!
こうなったら、できるところまで譲歩するしかない!)
レイモンはそう決断し、ヴェロニックの方を見ながら必死に声を絞り出した。
「……僕が、セレストを監視する。
もし変な行動を取ったら、必ず止める……
だから、要求を飲んでくれ……」
ヴェロニックの体が一瞬跳ねた。
無様に人質になっているレイモンの言葉なんざ、頼りなかっただろう。
だが彼の強い意思は伝わったらしく、ナイフの刃先が少しだけ下がった。
が、それでも警戒を解かなかった。
しかし隣にいたナタンが、インク瓶の蓋を閉めた。
そして懐にしまうと、無防備であることを主張するのように両手を上げる。
どうやらナタンはそうせざるを得ないと判断したようだ。
ヴェロニックは一瞬戸惑いつつも、彼に従ってナイフを渋々しまった。
2人の敵対心がなくなったのを確認すると、セレストはレイモンを離した。
「――ゲホッ! ゲホッ!」
無意識に呼吸が浅くなっていたのか、レイモンはその場でむせてしまった。
咄嗟にナタンが近づくと、ハンカチを取り出して傷口を抑えてくれた。
その間も、ヴェロニックとセレストは睨み合っている。
「……ウチの任務に同行して構わない。
少佐にはウチがあなたをチームとして選抜したって言っておく。
でも、あなたは信用できない。
もしまた敵対したら、今度は容赦しない」
ヴェロニックがそう吐き捨てると、セレストは生返事を返した。
そしてそそくさと、敵の拠点のある方向へと歩き出す。
ヴェロニックはしまったナイフに手を掛けながら、彼の後を追った。
「レイモン、立てる?」
「……ゲホッ、大丈夫」
ナタンはレイモンに手を差し伸べ、立ち上がるのを手伝った。
「君の考えを完全に理解しているわけじゃないけど……
セレストを全力で止めたい気持ちは、なんとなくわかるよ。
だから、一人で背負い込まないでくれ。
別に僕達が止めに入っても、問題ないだろ?
仲間なんだからさ。
ヴェロニックも、ジャッドさんもアデルも同じことを思っているはずだよ?」
思わずナタンの方を向くと、彼はいつもの優しい笑顔を見せていた。
( ……そうか、自分は一人じゃないんだ)
正直、あのセレストを一人で止めるなんて無謀じゃないかと考えていた。
でも自分には仲間がいる。
もう既に巻き込んでいるかもしれないが、少しくらい彼らに頼ってもいいのかもしれない。
そもそも、彼の暴走はもう個人の問題ではなくなってきている。
軍に関わる問題だからこそ、尚更仲間を頼らないと。
レイモンは少し泣きそうになりながらも、ナタンと一緒に2人の後を追った。
少し緊張感が漂いながらも、グエッラのメイン拠点の近くまで何とか潜入することができた。
その間、セレストは目立った行動を示さなかった。
彼の目的が敵の情報収集である以上、当然と言えばそうなのだろう。
それでも、レイモンとナタンは彼をずっと監視していた。
「さてと……ここまで来たわけだけど、作戦ある人ー?」
セレストは声を抑えつつも、わざとらしく陽気に2人に問いかけた。
呆れながら黙り込んでいると、拠点の視察で別行動を取っていたヴェロニックが突然3人の前に現れた。
「……配置だけじゃ分からなかった。
これといった目ぼしいものはない」
「うーん、じゃ兵士を捕まえて情報を引き出す?
それとも会話を盗み聞く?」
ヴェロニックはあからさまに大きな吐息を漏らした。
多分平然を装っているだけだと思うが、さっきまで仲間を人質に取っていたとは思えない態度だ。
ここまで切り替えが早いと流石に脱帽してしまう。
どこか楽しそうだし、彼の精神の不安定さに背筋がゾッとした。
「……今、夕食の時間らしい。
近くで暖を取っている兵士達が見えた。
そこに近づくのがいいかも」
確かに、食事の時間というのは情報交換する場でもある。
きっと、何かしらのこちらの知らない情報や噂が行き交っているはず。
近くで盗み聞きをすれば、何か得られるものがあるかもしれない。
「よーし! じゃあそれで決まり!
どっちに行けばいいんだ?」
「……自分の立場、分かってる?
ウチが先頭、あなたはナタンとレイモンの間」
ヴェロニックは不満そうなセレストを無視して森の奥へ歩き始めた。
そりゃそうだろう、彼に道を任せるなんてレイモンでもごめんだった。
最初彼はぶーぶー言っていたが、レイモンが剣に触れると渋々ナタンの後ろに回った。
そして3人は、ヴェロニックに連れられるように敵の兵士が集まる場所へと向かった。




