43話 引き返せない境界線
中は、鉄臭い異臭で満ちていた。
入口付近は警備用と思わしきロボットの残骸が散乱しているだけで、別に戦場と変わらなかった。
だが奥に進んでいくにつれ、人の死体が転がり始めた。
彼らは無残に斬り殺されていて、そこら中に血が飛び散っている。
「酷、すぎる……」
レイモンはその光景を直視できなかった。
犠牲者の中には軍人らしき人物が少しだけ混じっていた。
だが大半は皆白衣らしきものを纏っていて、何かの研究員らしい。
でも、武器は持っていない。
抵抗する間もなく、惨殺されていたようだった。
まるで心のない機械のように。
それに、周囲に人の気配がまったくない。
時々空いている部屋に入って生存者を確認してみたが、見つからなかった。
どうやら、ここに居た人達は皆殺しにされたらしい。
レイモンの体は、恐怖でとても冷えていた。
かなり寒かったが、温まる気力が起きない。
ただでも震える足を前に出すのがやっとなのに、それ以外のことができなかった。
だから彼は、地獄絵図と化した通路をふらつきながら奥に進むしかなかった。
「な、なんで……こんな……」
敵兵を殺すのは分かる。
でも戦闘の意思のない人達まで殺めるのは、やり過ぎた。
それでは、兵士からただの殺人鬼に成り下がるだけ。
セレストの行動の真意を、レイモンは全く理解できなかった。
ふと、奥の部屋から物音が聞こえた。
そこは他の部屋と比べて入口が大きく、扉が閉まっていても中が広いことが分かる。
多分、この施設のメインの部屋なのだろう。
(もしかして、生き残っている人がいるのか……!?)
レイモンは後先考えず、走り始めた。
そしてそのまま部屋の中に入った途端、自分の愚かさに後悔せざるを得なかった。
中は他の場所と比べ物にならないほど、見たことのない機械で溢れていた。
そんな圧巻すべき光景の中、大量の死体が至るところに転がっている。
その中心には、人の姿をした一匹の怪物。
彼はゆっくりとレイモンの方を向くと、いつもの意地悪な笑顔を見せた。
「おっ、レイモン!気が付いたんだな!
いやぁ、あんな寂しい場所に置いていっちまって悪かったな!」
レイモンは体を強張らせた。
セレストが右手に持つ刀は、本来金色なのに真っ赤に輝いて雫を垂らしている。
逆に左手には、研究員の骸の首根っこを摑んで乱暴に引きずっている。
そんな状況で、いつものように振る舞う彼の神経を疑った。
「お前が……やったのか……?
全部……」
「ん?あぁ、びっくりしたか?
実は俺、結構強いんだぜ!
ここに入る時なんか――」
「うわぁぁぁぁぁ!!!」
レイモンは怒りに任せ、剣を振り上げた。
そして戸惑うセレストを襲おうとするも、いとも簡単に防がれた。
しかも、素手で。
「おいおい、落ち着け!」
「落ち着けるかよ!!
何で……何で、無抵抗な人を皆殺しにした!?
敵国の人だからって、こんなことをしていい理由にならないだろ!?」
レイモンは剣を握る手を、一切緩めなかった。
なのにセレストは、死体を手放した左手で刃を掴んでいる。
正確には、親指と人差し指だけだ。
そこには、圧倒的な実力差が目に見えていた。
セレストはそのまま、剣と一緒にレイモンを放り投げた。
その勢いで壁に激突し、成すすべなく地面に打ち付けられる。
しばらく激痛で動くことができず、レイモンは血の味を噛み締めるしかなかった。
「少しは頭、冷めたか?」
レイモンは首を大きく横に振った。
いくら時間を置いたところで、この熱は収まりそうになかった。
彼はそのまま、必死に遠くに転がる剣に手を伸ばそうとした。
セレストはわざとらしく、大きなため息を漏らした。
「ったく……いいか、良く聞け。
ここはグエッラの機密の軍事施設で、兵器の開発と研究をしている。
確かにここの人間は非戦闘員だ。
だがな、その頭脳はこの世界を滅ぼしうる危険分子だ」
「……は?」
理解ができない。
なんだか、聞いていてすごく気持ち悪い。
言葉の意味は分かるのに、脳がそれを受け入れるのを拒んでいた。
セレストはそのまま続けた。
「卒業試験の時、毒ガスを仕組んだロボットに苦しまれただろ?
あれよりも相当厄介なものを、ここで作っているんだ。
だからここを壊滅させる必要がある。
これで満足か?」
一気に上っていた血が引いていった。
確かに、ここを無力化するのは理にかなっていることかもしれない。
だが、納得ができない。
理由をつけて殺戮を正当化しているような気がする。
本当にこれでいいのか、レイモンにはわからなかった。
それに、もう一つ引っ掛かりがある。
「……何で、お前がそれを知っているんだ?」
「……」
セレストは押し黙った。
グエッラのそんな重要な情報を、一兵士の彼が知っているわけがない。
なのに、確信しているどころか熟知している。
「お前、なんか隠しているだろ?」
「……」
セレストの顔から、笑みが跡形もなく消えた。
そしてさっきとは別人のように、レイモンをギロッと睨み返す。
その灰色の瞳は、まるで死者のように汚く濁っていた。
やがて彼は、聞いたことのない低い声を放った。
「……お前には、関係ない」
痛みを堪えて起き上がろうとするレイモンをよそに、セレストは近くの死体に歩み寄った。
そして眉一つ動かさずに、手早く硬直し始めた手を切り落とす。
それを持って奥の機械に向かうと、何やら操作を始めた。
「セレスト、お前は間違っている。
どんなに理屈を並べても、それは人殺しの理由にはならない……!」
「……」
レイモンの言葉を、彼は無視した。
だがずっと鋭い目つきで睨んでいると、セレストは徐に手を止めた。
そして背中を向けたまま、彼は冷たく口を開く。
「……お前も人、殺してるじゃないか。
”戦争”という名目で」
「――っ!?」
何も言い返せなかった。
彼の言ったことは、どこも間違っていない。
だからただ、下を向くしかなかった。
自分が今、まっとうな人間か殺人鬼なのか自問自答しながら。
そのせいで、心がすごく痛くて空虚な感じがした。
セレストは、切り落とした研究者の手を何かの台に乗せた。
その後レイモンの方に向き直り、真剣な表情を見せる。
「もし、お前が本当に正しいというなら……
この施設の爆発から生き延びてみろ。
十秒だけ猶予をやる、その覚悟を見せてくれ」
「……え?」
セレストが何かのスイッチを押すと、急にブザーの音が響き渡った。
どうやら、施設の自爆装置を起動させたみたいだ。
「お、おい!ちょっと待て!!
そんなことをしたらお前も――」
「問題ない、僕には例の魔術がある。
死ぬことはない」
「ぼ、”僕”……?」
いつの間にか、セレストの一人称が変わっていた。
理由はよくわからないが、彼が本気なのは確かだ。
冗談抜きで、レイモンを殺そうとしている。
「安心しろ、レイモン。
お前がここで終わらないことは、既に保障されている。
だからこれは、”仲間殺し”ではなく”テスト”だ」
「は?何言って――」
訳が分からないまま、セレストは「10」と言い放った。
レイモンが戸惑うのも関係なしに、彼は次に「9」と口にする。
その左手は、明らかに危なそうなボタンに添えられている。
セレストが「8」と言った瞬間、レイモンは走り始めた。
「7」で大部屋から出て、
「6」で角を曲がり出口を視界に捉える。
しかし「5」で転がっていた死体に躓き、
「4」でそれと目が合う。
「3」では一瞬放心状態になるも、
「2」で我に返り咄嗟に立ち上がる。
そして「1」で再び走り始め――
「0」で、出口から数十メートル手前まで到達した。




