39話 豹変する瞬間
「あいたた……」
穴の底に叩き落とされたセレストは、ゆっくりと起き上がった。
怪我はないが、全身が打たれたように痛い。
かなりの高さから落下したようだ。
「おい!!セレスト!!!
返事しろ!!!」
上の方から、アデルの叫び声が聞こえた。
ゆっくりと見上げると、真上のぽっかり空いた天井から覗き込む人の姿がある。
それが彼のようだ。
「あぁ!俺は大丈夫だ!!」
セレストは今出せる精一杯の大きな声を張り上げた。
なんとか無事、アデルにはっきり聞こえたらしい。
小さな人影は、頭を項垂れたような気がした。
「レイモンも無事か!!??」
「……!ちょっと待ってくれ!いま確認する!!」
辺りを見回すと、崩れた地面が積もって砂だらけだ。
そんな中に、見慣れた兵士が埋もれているのを見つける。
セレストは大慌てで近付き、彼を必死に掘り起こした。
「……見た感じ怪我はなさそうだ!
相変わらず気を失ったままだが!!」
レイモンはこんな事態のくせに、スヤスヤと気持ちよさそうに寝ている。
これなら、内傷も殆どないはずだ。
セレストはひとまず安堵し、その場で腰を降ろした。
アデルの姿の小ささから察するに、穴は5メートルくらいの深さがありそうだ。
助かったのは恐らく、地面の砂が柔らかったからだろう。
しかしレイモンが目覚めた後に協力しても、脱出は不可能だ。
近くの壁も脆そうだし、よじ登るのはやめたほうがいい。
「アデル!!ロープとか持ってるか!?」
「……ない!!」
となれば、彼に引き上げてもらうこともできない。
五感を研ぎ澄ましていると、周囲に人の気配らしきものはない。
言い換えればここは、戦場の中で最も安全だと言うことだ。
「戦況はどうだ!?」
「ヴェル兄達が既に障壁に入った!!
敵の陥落は時間の問題だろう!!」
なら、落ち着いたあとでも問題ないだろう。
そんなに長時間待つことにはならないはずだから。
「だったら、戦いが終わった後に助けに来てくれ!!
幸いここには誰もいないみたいだ!!
それまで休んでるよ!!」
アデルはしばらく何も言わなかった。
本当にそれでいいのか悩んでるのが、遠くにいても伝わってきた。
でも今のアデルでは二人を助ける手段はない。
だからといって、今の戦局で救出のために人手をさくわけにもいかない。
ここはセレストの言うとおりにするしか、方法はない。
「……分かった!!大人しくそこで待ってろ!!」
そう言ってアデルの姿は消え、戦場に戻ってしまった。
セレストはレイモンを担いで、天井が崩落してこなさそうな安全な場所に移動した。
そして彼を寝かせて、自分も隣に座り込む。
「何やってんだ、俺……
こんなとこで足を止めてる暇なんてないのに」
思い返せば、セレストは戦いに勝つよりも重要なことのためにここまで来た。
だが成り行きでレイモンの世話をする羽目になり、何となく放っておけなくなってしまった。
そのせいで、とうとうここまで来てしまった。
元々、皆とつるむつもりなんて毛頭なかった。
自分には、誰にも明かせない過去と使命があるのだから。
それさえなんとかできれば、他なんざ些細なこと。
……だから、本当はここで道草を食っている余裕なんぞない。
よく見てみると、左右に道がある。
でも奥は見えず、真っ暗だ。
携帯型ライターは持っているが、それで全てを照らすことはできない。
「大方、どっちかが出口でどっちかが行き止まりだろう。
……いや、そもそも出口があるっていう保障すらないか」
だったらやみくもに探索するのはよくない。
もし道が複雑に入り組んでいて、迷いでもしたら大変だ。
だったら確実に来る救助を慌てずに待った方がいい。
ふと、地面の上に置いていた手に違和感を感じた。
「……?何だこの感触……
硬くて、つるつるしてる……?」
見てみると、砂の中に灰色のものが埋もれている。
セレストは興味本位で掘ってみる。
……それは、鉄製の床だった。
何かしらのデザインが施されており、明らかに人工物だ。
加えてチュテレールでは見たことのない技術が使われているようで、隙間から淡い光が漏れたり消えたりしている。
これが指し示すのは、ただ一つ。
ここは、グエッラが意図的に作った何かということだ。
だとしたらここは、グエッラの秘密か何かが隠されているのではないか……?
その結論に到達した瞬間、セレストの中で何かが蠢き出した。
それは徐々に彼の心を侵食し始め、同時に得体のしれないおもしろ可笑しさが沸々と湧き上がってくる。
「……ふ……ふふっ」
セレストは必死に感情を押さえ込んだ。
しかしあまりにも嬉しすぎて、とうとう耐えられなくなる。
「アハハハハハ!!!
そうか、ここだったのか!!!
僕が探していた場所は!!!」
セレストは狂気じみた笑いを止められなかった。
やがて本人の意志と関係なく、理性の紐が解けていく。
もう、誰にも壊れていくのを止められなかった。
セレストはレイモンの近くに傘を置き、立ち上がった。
そして背中の刀を静かに抜き、勘が指し示すままに歩き始める。
その顔には、不気味な笑顔が張り付いていた。
「ハハハ……殺戮の、時間だ……」
セレストはそのまま、意識のないレイモンを置いて暗闇の中に静かに消え去った。




