34話 部下に動かされる大将
イニーツィオの障壁は、小高い丘に挟まれている。
越えるのは容易だが、障壁の突破には役立つほどの立派なものではない。
それ故、誰もその丘に関心を持つ者はいなかった。
……ただ一人を除いて。
「――おっ、あの赤イノシシが動いたぁ!
さっすがぁ、ボクの挑発にまんまとのっかったねぇ」
オランドは丘の上から、数人の部下と一緒に馬に乗ったまま戦場を見下ろしていた。
彼の目には、遠くにいる西軍が全部隊を連れて突進する光景が写っている。
その勢いはヴェベールよりを遥かに上回っており、まるで巨大な一本の矢が射られたようだった。
グエッラ軍の西側は、そのせいでかなりの混乱状態に陥っていた。
「うんうん、いい調子!
後はレジェさんが動けばいいんだけどなぁ……」
本軍は相変わらず、正面から圧力をかけていた。
その後ろには、軍の半分以上の兵が待機している。
遠くから見えるような、大きな動きは全く見えなかった。
それを見た部下は、不安を露わにした。
「少将、もしかして本軍は何もしないんじゃ……?」
「あー……それはないから、大丈夫」
オランドは突然馬から降り、カバンを漁りだす。
そしてブラシを取り出したかと思うと、愛馬の大好きなブラッシングをし始めた。
「えっと、あの、それって……どういう……?」
彼の行動に呆気にとられながらも、部下は疑問をぶつける。
するとオランドは、鼻歌交じりにのんびりと解説を始めた。
「あの人はねぇ、他人の意見を絶対に無視しないタイプなんだぁ。
『自分よりも部下の方が優れている』って信じているからねぇ。
多分レジェさんはボクの意図を察知して、今頃ぐちぐち言っているんじゃない?」
部下の解せない様子を察知したのか、彼は手を止めて振り向いた。
その顔には、空気を冷たくするほどの意地悪そうな笑みを張り付けている。
「……でもあの人なら、喜んでボクの駒になってくれるはずだよ?
彼の一番の強みは、駆け引きだからね。
勘が鋭いし、どの手に賭けるべきか的確に判断できる。
だから、すぐに何かしら起きるはずだよ?」
部下が肝を冷やしているその時、前方が急に騒がしくなった。
慌ててみると、なんと本軍の待機していた部隊が全部敵陣に突進を始めた。
まるでオランドの予言を、その場で実行しているかのように。
「……本当に、動いた」
部下全員が呆気にとられているのを、オランドは面白そうに見ていた。
そして彼は再び、不気味に口角を吊り上げる。
「多分これだけじゃないと思うよ?」
「え……それは、一体――」
部下の一人が言い終わる前に、敵陣から大きな土煙が舞い上がった。
その直後、オランド達のところまで爆風と衝撃が伝わる。
冷静なオランドと裏腹に、部下達は焦って飛ばされまいとしゃがみこんだ。
「うわぁ!あれが最新兵器の”大砲”!!
凄いの隠し持ってるじゃん!大将!!」
オランドは興奮して、子供のようにはしゃぎ始めた。
よく見ると、本軍の拠点に巨大な鉄の筒が何本も空に向かって置かれていた。
兵士達複数人がかりでその物体に魔力を送ると、先端に青白い光が溜まり始める。
そして筒からあふれんばかりに眩しくなったかと思うと、突如空高く舞い上がる。
やがて光の弾は放物線を描いて、敵陣に着弾したかと思うと再び大きな爆発を起こす。
そのような大きな攻撃が、何度も起きていた。
「アハハ!かなり派手な攻撃だねぇ!!
今、レジェさんはこう思っているのかな!?
『お前の掌に乗ってやったぞ、分かったらとっとと動け』って!!」
言われてみると、何となくだが本陣から冷たい目線が飛んできているような気がする。
だが当の本人は、爆笑して地面の上で転げまわっている。
愛馬に心配されるほど。
「アハハハ!!!……ハァ……ハァ……
じ、じゃあ、正面突破部隊と特攻部隊どっちにも見えるように、信号出して」
「は、はっ!!」
部下達は今の状況を無理やり飲み込んで、指示通りに煙弾を空高く上げた。
その赤い煙は丘の裏に待機しているジャッド達にも、しっかりと見えた。
***
ジャッドはオランドからの合図を確認すると、任された第14部隊の半分の兵士たちに向かって演説を始める。
「我々はこれから、敵陣の横っ腹に突っ込む!
そして勢いのまま駆け抜け、障壁の入り口まで向かう!
敵はいちいち倒さなくていい!ただ前を進むことだけを考えて!!
可能なら少佐率いる本部隊と合流する!!」
「うぉぉぉぉぉぉ!!!」
ジャッドに鼓舞されるように、兵士は声を挙げた。
彼らはグエッラ軍にばれないように丘の裏に隠れるため、夜中にここに移動した。
そのせいで、皆寝不足で徹夜明けの状態に近い。
にもかかわらず、隊員達は初日と同じくらい元気だ。
やっと本格的に戦いが動くことに喜んでいるだけではない。
国の誇りであるジャッド第二王女が、自分達を率いてくれることでやる気に満ち溢れていたのだ。
一方レイモンは、再び前に立たされることに嘆いていた。
「……何でまた先頭なんだよ……?」
仕方がない。
オランドから直々にそうするように指示が出たから。
しかもジャッドの賛成意見というおまけ付きで。
(『君は窮地に立たされて本領発揮するタイプでしょ?』って言われても……
限度っていうものがあるでしょ!?)
一体彼が何を期待してそうしたのか、全然理解できなかった。
そのせいで、ただ泣き言を漏らして惨めに落ち込むしかない。
今度もまた、生き残れるだろうか……?
「大丈夫だろ!多分!!」
隣にいたセレストが、レイモンの頭をむしゃくしゃに撫でた。
「もし本当にヤバかったら、俺が助けるからさ!
前だけ見りゃいいんだよ、お前は!!」
そう言って彼なりに、レイモンを励まそうとしていた。
レイモンの顔の陰りは少しだけ晴れたものの、まだ涙目になっている。
それを見たセレストは一瞬吹き出しそうになるが、本人にばれないように我慢した。
そんな二人のやり取りの間、ジャッドは馬にまたがる。
そして束の間の深呼吸をして、空気を一気に吸い始める。
「…………特攻部隊、突撃!!!」
彼女の掛け声と同時に、部隊は一丸となって雄叫びを挙げる。
直後全員走り出し、丘を乗り越えるように進んでいった。




