30話 駆け抜けろ!
レイモンの心の準備が整うと、ナタンは窪地から出て何本ものインク瓶のふたを開けた。
そして魔術を使って、空中に大きな魔法陣を描き始める。
(魔術の規模と陣の大きさは比例する。
だからできるだけ大きいものを作らないと……!)
しかし、四割ほど完成したところでインクがなくなった。
陣を小さくすることもできるが、それでは周囲の仲間に気付いてもらうことはできない。
「やっぱり足りないか!
だったら――!!」
ナタンは小さなナイフを取り出すと、自分の掌を切りつけた。
そして滴る血を使って、魔法陣の未完成の部分を補う。
その光景はまるで、彼の手から陣が生まれ出ているかのようだった。
大昔は、血液のみで陣を作っていた。
だが必要な血の量があまりにも多かったため、特殊な材料で血液を薄めて使うようになった。
現在では、微量の血で描けるほどまで発展している。
(でもインクを作る材料も、作ってる時間もない!
なら昔のように、貧血で倒れる覚悟でやらないと!)
陣が形成されるほど、ナタンの顔は徐々に白くなっていく。
八割ほど完成した時には、立つこともままならなくなりその場で膝をついた。
視界も少しぼやけ、眠気がだんだん出始める。
それでも彼は役目を果たそうと、集中力を切らさなかった。
周囲にいた一体の兵器が、ナタンが何かを企んでいることに気付いた。
数体のロボットが彼の方を向いて、駆けだす。
ナタンは魔法陣を作るのに必死で、そのことに一切気付いていなかった。
だがそこに、レイモンが立ちふさがった。
彼は的確に相手の弱点を突いて、破壊する。
その後反射的にナタンが無事か確認すると、もうニメートルサイズの魔法陣が出来上がっていた。
「はは……これが僕の……全力だ……!」
ナタンはありったけの魔力を魔法陣に注ぎ込んだ。
すると陣の周囲にビリビリと電気が走ったかと思うと、ビームのような巨大な稲妻が発射された。
空気がバリバリと大きく割れ、近くにいたレイモンでも肌がひりひりする。
そんな派手で巨大な魔術は、十秒近く続いた。
周囲の人達は、一体何事かと一瞬戸惑っていた。
ロボットも状況を処理できずに、動作を一瞬だけ止めている。
しかし一つだけ、誰の目にも明らかなことがあった。
それは巻き込まれた兵器たちが黒焦げになり、再起不能になっていたことだ。
それらは一直線上に転がっており、敵の司令塔の姿が露わとなっていた。
レイモンは魔術が途切れた瞬間に走り始めた。
ナタンの横を通り過ぎる際、彼がぐったりと座り込んでいるのが気にかかった。
だが彼は「行け」と目で合図を送ってきたため、レイモンは不安を胸のうちに押し込んで通り過ぎる。
もう、目的地は見えている。
今はただ、そこに辿り着くことだけを考えないといけない。
周囲のことは気にするな。
兵器がこちらに向かって来ているが、見てはいけない。
ただ真っ直ぐ、走り続けるんだ……!
ふと、背中をそっと押される感覚がした。
その瞬間、体が軽くなり地面を蹴るスピードが上がっていく。
ナタンが魔法陣を書き換えて、追い風を起こしているようだ。
しかもレイモンの足がもつれない程度に調整された突風だ。
(ナタン……ありがとう)
レイモンは涙をこらえながら、全力の馬と同等の速さで駆け抜け続ける。
数百メートルまで距離を詰めた頃、敵が道中に立ちふさがるようになった。
レイモンは一瞬剣に手を伸ばそうとしたが、敵の拠点から会話が聞こえてくる。
「隊長!敵が一人こちらへ猛スピードで迫ってきています!」
「ちっ!やられた!
さっきの雷魔術でここは既にバレている!
すぐに移動の準備をしろ!」
――もう時間がない。
足止めを食らっていては、彼らは逃げてしまう。
(ジャッド様の言葉を信じよう!
絶対に止まるな、レイモン!)
レイモンは奥の生身の兵士だけを見て、周囲に何があるのかを厭わずさらにスピードを上げる。
髪が後ろに流れる中、とうとうロボットに衝突しそうになる。
しかし、ぶつかることはなかった。
寸前のところで、相手は体を何か小さなもので貫かれて倒れてしまった。
その後も周囲の兵器が襲い掛かろうとするも、レイモンの背後から稲妻が走り動作不能となる。
二人が支援してくれたのだ。
ジャッドは窪地に隠れながら、レイモンの邪魔をする個体を狙撃してくれる。
ナタンは複数の魔法陣を制御しているらしく、後押ししながら敵を足止めしてくれている。
レイモンは一切足を緩めることなく、とうとう残り数十メートルのところまでたどり着いた。
「隊長!来ます!」
「大丈夫だ!すぐには乗り込めないはずだ!
その間に逃げろ!」
ジャッドの読み通り、拠点のところには魔術で障壁が張られていた。
そのまま突っ込んでも、はじかれてしまうだろう。
物理的に壊そうにも、かなり時間がかかりそうだ。
レイモンは借りたナイフを握りしめた。
そして勢いを緩めることなく、刃先を障壁に向かって振り下ろす。
「はぁぁぁぁ!!!」
障壁はあっけなく、バリンと音を立てて簡単に割れてしまった。
同時に役目を終えたナイフも、手の中で粉々に砕け落ちる。
「なっ――!!」
敵兵士は予想外のことに慌てふためいている。
レイモンはそのすきを突くように、剣を抜いて一番手前の人間の心臓を貫く。
「隊長!?」
兵士はそのまま、声を上げることなく倒れた。
その拍子で引き抜かれた剣には、鮮血が滴り落ちている。
残された四人の兵士は、怒りのままにレイモンに向かって剣を抜いた。
そして一斉に畳みかけ、物量で彼を殺そうとする。
レイモンの体は、既に限界を迎えていた。
ここまで全速力で走ってきたせいで、足がもうパンパンでいうことを聞かない。
それに息も荒く、疲弊がどっと押し寄せてきていた。
それでも必死に抵抗するが、やはり数が多すぎる。
正面で攻撃を受け止めれば、別の敵が背後から迫って来る。
寸前のところで対処するも、また別の方向から攻撃が来る。
(これ以上は無理だ!
捌ききれない……!)
そう思った途端、不意に足がもつれてしまった。
その一瞬の隙を見逃さなかったグエッラの兵士たちは、こぞって彼を殺しにかかる。
あぁ、死ぬ――
その時、空中に見慣れた人物が舞い上がった。
彼は腰の刀を抜くと、体を大きく反らして攻撃を構える。
「――――散れ!!」
彼は全身を使って勢いよく刀で大きく円を描いたと思うと、大きな斬撃を放った。
グエッラの兵士たちは反撃する間もなく、背中から大量の血を噴き出した。
そしてそのまま、こと切れた人形のようにバタバタと倒れる。
助っ人は地面に着地した後、刀を鞘に納めた。
近寄ってきた彼の顔を見ると、相手はヴェベールだった。
「よくやった!
これで周辺の兵器を無力化することができた!
ここはしばらく安全だから、少し休憩するといい」
ヴェベールはレイモンの頭を撫でた後、口笛を吹いた。
すると彼の馬が駆け寄ってきて、ヴェベールは跨ってすぐに戦火の中へと戻ってしまった。
(な、何とか……なった?)
レイモンは崩れるように座り込んだ。
自分がやったことが、まだ信じられない。
でも目の前の敵の姿が、それが事実だと物語っている。
自分は役目を果たした上に、生き残ることができたのだ。
レイモンが余韻に浸っていると、ナタンを担いだジャッドが彼のもとに歩み寄ってきた。




