26話 初戦前夜
戦いの前夜は、レイモン達が入隊した時と同じくお酒の無い飲み会となった。
しかしメンバーがとても明るいため、場の雰囲気で皆出来上がっている。
流石に吐いたりする人はいなく、明日に備えて抑え気味の人が多かった。
それでも皆で国歌を歌ったり、身内や恋愛の話で盛り上がったりととても楽しい時間だった。
こんな時間がいつまでも続けばいいのにと、レイモンは何度も考えた。
しかしそんな夕食はいつの間にか終わり、後片付け後流れるように全員寝床についてしまった。
寝る前にレイモンが夜風に当たっていると、コップを持ったヴェベールが歩み寄ってきた。
「……怖いか?」
彼はそう言うとレイモンの隣に座って、水をゴクゴクと飲み始めた。
レイモンは自分の胸の気持ちを探った後、静かに頷く。
「卒業試験で戦う恐怖に打ち勝ったつもりでしたが、やっぱり明日死ぬかもしれないと考えると怖いです。
今日一緒に語らった先輩や同期達も、もう二度と話せないかもしれないでしょう?
そう考えると、眠れなくて……
僕って、兵士失格ですかね?」
レイモンは痛みを抑えるように、胸の服を握りしめた。
彼の顔はとても強張っていて、涙が溢れそうになっている。
その様子を見たヴェベールは、持っていたコップをレイモンに差し出した。
そして促されるまま、レイモンは水を少しだけ口に含む。
「失格だな」
「――っ!ゲホッ、ゲホッ!」
期待していなかった厳しい言葉を聞いて、レイモンは反射的に咳き込んでしまった。
横を向くと、少し面白そうに笑っているヴェベールがそこにいる。
しかし彼の目は、一切笑っていない。
むしろ、大真面目だ。
「前にも言っただろ?
戦場で仲間が死ぬなんて日常茶飯事だ。
いちいちそんなことでくよくよ考えてちゃあ、逆に自分が死ぬ」
ヴェベールはレイモンから水を奪い取った。
そして一気に飲み干すと、お酒を飲んでいる時のようにコップを地面に勢いよく置いた。
「だからと言って、恐怖を感じることが悪いわけじゃない。
オレだって、戦場で眠れない事なんか多々ある。
でもな、逆になれない方がいいんじゃないかって、オレは思っている」
ヴェベールはまっすぐ前を向いた。
そこには、暗闇の中いくつもの明かりが右往左往する敵の軍勢があった。
彼は一切目を逸らさず、低い声で一言だけ呟く。
「――オレは絶対に……殺戮兵器にはなりたくないからな」
二人の間に、冷たい風が吹き抜けた。
レイモンはヴェベールから目を離せなかった。
彼の言葉は心の内にある本音で、少佐という立場の人間には相応しくない言葉のように思えたからだ。
思えば、ヴェベールは人の気持ちを誰よりも重んじる人物だ。
だからこそ部下に信頼され、居心地の良い雰囲気を作り出すことができる。
若くて世間知らずだからというわけではない。
それこそが部隊に本当に必要なものだと、本気で考えているからだ。
感情を失ってしまえば、こんなに苦しまずに済む。
厳しい戦場を潜り抜けるなら、尚更好都合だろう。
だが、そこまでして人は戦う意味があるのだろうか?
ヴェベールは確実に、この質問を否定するだろう。
人間性を失ってまで生に固執しても、それは生きているとは言えない。
ただの、生きた屍だ。
それを理解しているからこそ、彼は強いのかもしれない。
考えに耽っていたレイモンは無意識に、ある言葉を呟いていた。
「……僕、少佐の部下になってよかったです」
ヴェベールは驚いて、レイモンの顔を見た。
聞き間違えではない。
本人は気づいていないようだが、彼の本心が自然に漏れて口にしていた。
ヴェベールはいつもの無邪気な笑みを浮かべ、わざとらしく顔を手で覆った。
「そんなぁ、照れるぅ!
オレに愛の告白をしてくれるなんてぇ、滅茶苦茶嬉しいよぉ!
何なら、オレと……結婚するか?」
「はぁぁぁ!?何でそうなるんですか!?」
レイモンは咄嗟に、彼から距離を取った。
耳元で優しく囁かれたせいで、冗談だと分かっていても顔が自然と真っ赤にしている。
そんな反応が面白かったのか、ヴェベールは腹を抱えて大笑いし始めた。
腹筋が痛くなり、呼吸が苦しくなるまで。
少し落ち着くと、彼は涙を拭き始めた。
「ハァ……ハァ……めっちゃ面白かった!
今度も遊ばせてくれよ、オレのお・よ・め・さ・ん」
「な――」
レイモンが絶句していると、ヴェベールは立ち上がり彼の肩を叩いた。
そして自分のテントに戻るべく、そのまま立ち去る。
彼はツボに深く刺さったようで、遠くからも時々笑い声が聞こえてきた。
レイモンは複雑な気持ちで、そのまま自分の寝床に向かった。
***
翌日の早朝、第14部隊は東軍の先頭に立たされた。
他にも三部隊が編成されているものの、真ん中や後方など比較的安全な場所に配置されている。
その中でも、レイモンは一番前になってしまった。
おかげで景色はとても開けているが、一番真っ先に死ぬ可能性の高い位置だ。
ヴェベールの指示通りに動いていたら、いつの間にかこんな危ない場所に立っていたのだ。
一方他の五人の同期はというと、第14部隊の後ろの方だった。
特にジャッドは、強そうな人達に囲まれていて恐らく一番安全。
彼女の立場的に仕方ないとはいえ、なんだか羨ましい。
「少将がお見えになられたぞ!」
突然、ある隊員の一声が響き渡った。
レイモンは皆に後れを取らないように、しっかりと敬礼を決めた。
そして少しの間待っていると、馬に乗った人達が横から現れる。
一番先頭に、身なりからしてえらい人がいた。
その人物が恐らく東軍を統括する、オランド少将のようだ。
だが顔がはっきり見えたところで、レイモンは思わず声が出そうになった。
彼はイメージとは違い、とても体が細い。
筋肉があるのか疑わしいほどで、明らかに弱そうだ。
しかもずっとぽわぽわしている感じで、頭がお花畑になっている印象を受ける。
軍人とは到底思えない。
彼は皆の前に立つと、のんびりとした口調で話し始めた。
「えっと……みんなぁ、ここまでご苦労様ぁ。
これから戦い始まるけど、頑張ってねぇ。
特に今回はぁ、どんな手を使ってくるか予想もできないからぁ、気を付けてねぇ」
それだけ言うと、オランドはゆっくりと去ってしまった。
レイモンも含め、皆拍子抜けになってしまった。
彼なりに喝を入れたようだが、あまりにも穏やかすぎて締まらない。
むしろ逆に、緊張がほぐれすぎて不安になる。
(あの人の指揮下って、本当に大丈夫なのか……?)
口には出さないが、誰もがそう思っていた。
そんな中、今度はヴェベールが姿を現した。
「聞け!4ヵ月前、グエッラは我が国の内部に潜り込んだだけでなく、大事件を起こした!
幸い犠牲者はいなかったが、これは我々への明白な挑発だ!
だからこそ此度の戦いは侵略ではなく、敵への報復戦なのだ!
オランド少将は、もう既に勝利までの筋道を描いていらっしゃる!
大丈夫だ、オレも前に出る!
安心してついてこい!」
彼が腰の刀を抜き高く掲げると、隊員は一斉に歓声を上げた。
レイモンも皆の熱気に後押しされ、大きな声を上げた。
さっきまでの不安と脱力感が一気になくなり、完璧な調子に整った。
流石、少佐だ。
こうして士気が高まった中、とうとう戦いの火ぶたが切られようとしていた。




