22話 仲間がいないとできないこと
第14部隊は、本軍とは別に存在する部隊だ。
そのため日常的に総司令官から命令が下されることもないし、厳密である必要性もない。
だからこそ、ヴェベールは皆が気楽にすることのできる空気感を作り出すことができた。
だが、完全に好き勝手にできるわけでもない。
監査として半年に一回、総司令官の息がかかった指揮官が部隊を訪問することになっている。
そこで改善すべき点を直さなければ、命令違反として最悪部隊の指揮官の首が飛ぶ。
この日は、軍の情報を全て取り仕切るガルニエ情報官が視察に来ることになっていた。
彼は厳しいことで知られ、特にアデルの父であるドラクロワ中将との仲が険悪だ。
それ故、ヴェベールのことも良く思っていない。
正午過ぎ、本部の入り口に馬車が到着した。
部下を複数人連れてヴェベールが迎えに上がると、扉から鵺のお面を付けた男性が姿を現す。
一瞬ヴェベールの部下は彼の外見に驚いて、一瞬だけたじろいだ。
相手は冷たい空気を纏いながら、敬礼するヴェベールを見つめる。
「……出迎えご苦労です、少佐」
彼がそう告げると、ヴェベールは姿勢を楽にした。
「ここまでご足労ありがとうございます」
「ふっ、心にもないことを。
卿がわたしを快く思っていないことは、重々承知しています。
さっさと始めましょう、こう見えて忙しい身ですので」
ガルニエの嫌味をたっぷりと含んだ言葉に、ヴェベールは眉をピクリと動かした。
もし上官でなければ、いつものように相手の弱みをこれでもかと言い並べるところだ。
だがそんなことをしたら、もちろんただでは済まない。
ヴェベールは笑顔を一切崩さず、建物の中に彼を案内した。
張りつめた空気の中、ガルニエは実際の訓練の様子を見ながら第14部隊の業務や通常訓練に関する説明を受けていた。
お面のせいで本人が何を考えているのか分からない。
行動一つ一つもとても淡々としていて、彼がどんな人物なのか一切読み取れない。
まるで些細なことでも情報を漏らさんとしているように。
(これが諜報部のトップか……)
ヴェベールは感心しつつも、少しやりずらくてモヤモヤする気持ちを抑え込んだ。
ガルニエは一通り見終わった後、ため息交じりに話し始める。
「……問題点だらけですね。
まず、訓練の量。何なんですか、この過酷さは?
追い込むことにも限度があると、あのバカ剣士に教わらなかったのですか?
よく皆さん体を壊しませんね?
即刻、メニューを軽くしなさい」
正論で、ヴェベールは何も言えなかった。
彼は元々、教えるのがとても下手だった。
だから部下に強くなってほしいという一心で、師匠に課せられていたトレーニングをそのまま採用していた。
よく考えると、普通の兵士に同じものを強要するのは酷だったかもしれない。
(待てよ……この人、遠回しに先生のことをバカにしているんじゃ?)
ガルニエはそのまま話を続ける。
「それと来てから感じていたことですが、ここの雰囲気はたるみすぎです。
まるで甘ったるいお菓子を口にしているようで、反吐が出そうです。
今すぐに規律を正し、風紀をしっかり管理しなさい。
わたしの愛弟子を無理やり引き抜いた分、しっかりしてもらわないと困ります」
ヴェベールは険しい顔で腕を組んだ。
どうやらヴェロニックを入隊させたことを、快く思っていないようだ。
恐らく学校を卒業した彼女を、自分の元に置きたかったらしい。
そんな中ヴェベールが奪ったのだから、より当たりが強くなっているのだろう。
しかしそれでも限度がある。
彼にとって一番大切にしていることが、この部隊の雰囲気だ。
それを改善しろと言われることは、自分の方針の根本を否定されたのと同意だ。
上官の指示とは言え、譲れないことだってある。
ここはガルニエを説き伏せるしかない。
「いえ、この空気がこの隊の強みなんです。
と言っても、言葉だけでは納得できないでしょう。
おや?ちょうど夕方のトレーニングの時間ですね。
折角ですし、見学されませんか?
良ければそこで、オレが何を目指しているのかお示しします」
ガルニエは、お面の口元に手を添えて考え込んだ。
彼はこう見えて、理屈を一番重要視するタイプだ。
相手を説き伏せるときは、必ず合理的な事実を並べる。
であればヴェベールを気に入らなくても、否定の根拠を絶対確認しようとするはず。
「……いいでしょう、時間の無駄にならないといいですが」
ヴェベールの予想通りだった。
相手は静かに立ち上がり、早速つれて行くように無言で催促した。
そうして、実際のトレーニングの視察に移った。
ヴェベールは、グランドへガルニエを案内した。
そこでは隊員全員が、日課の過酷なトレーニングに励んでいる。
「レイモン・パイエットをご存じですか?」
突然、隊員達を眺めているガルニエに質問が投げかけられた。
ヴェベールは愛想笑いを浮かべているが、その眼はいたって真剣だ。
「ええ、もちろん。
軍学校の事件を終わらせた人物ですよね?
世間では彼を持ち上げる話が多いですが、本当は卒業も怪しかったと聞きます。
彼はいわゆる、評価と実力がかみ合っていない哀れな兵士です」
「ははっ、流石情報官!
そこまで詳しいとは、話が早くて助かります」
ガルニエはヴェベールの方を向いた。
褒めたのにも関わらず、嫌味だと捉えたようだ。
お面の奥から冷たい視線が飛んでくる。
ヴェベールは軽く咳払いした。
「あそこで励んでいるのが、その兵士です。
どうですか?何か感じることはありませんか?」
ガルニエは促されるように、黒髪の若い兵士に視線を移した。
彼は集団の中に混ざって、かなりきつそうな顔をしてランニングしている。
「……妙ですね。
彼の実力ではついていくのもきついはずですが、少し余裕がありますね」
ガルニエは少し不思議そうにつぶやいた。
それもそのはず。
レイモンは皆に遅れを取っていなかった。
と言っても汗だくになりながら、集団の後方に噛り付いている状態ではある。
だがその時点で、彼の成績から鑑みるとあり得ないことだった。
「ええ、そうでしょう。
ご察しの通り、最初は朝のトレーニングだけで伸びてしまっていました。
しばらくの間は見てもいられないような状態で、それは無様でしたよ」
突然、ヴェベールから笑顔が消えた。
いつものお調子者の雰囲気はなくなり、ガルニエの目をまっすぐ見ている。
ガルニエもそれに答えるように、真摯に彼の話に耳を傾けた。
「ですが、彼の仲間がここまで押し上げたんですよ。
彼らが基礎を徹底的に叩き込みなおし、折れそうな心を無理やり支えた。
その結果、今ではこのように皆と遜色ないレベルまで来ています」
ヴェベールは、レイモンが入隊してからどういう生活を送っていたのかを詳細に説明した。
アデルの容赦ない訓練、仲間からの励まし。
どういったことを言われ、彼にどんな影響を与えたのか一切の漏れなくガルニエは聞いていた。
その間ガルニエは、ずっとお面越しにレイモンを見つめる。
「オレも微力ながら彼を支えましたが、一人でここまで成長させるのは不可能です。
多くの仲間が支えてくれたからこそ、彼の才能が開花されつつあるんです。
こんな素晴らしい奇跡は、互いのハードルが低くないと起こりずらくなる。
だからオレは、この部隊の雰囲気こそ重要だと考えているのです」
ヴェベールはガルニエの反応を、じっくりと観察した。
ガルニエは、しばらく何かを考え込んだ。
ヴェベールからの情報をじっくりとかみ砕き、彼の言っていることを深く吟味している。
少し空気が張り詰め、ヴェベールは無意識に固唾を飲んだ。
「……なるほど、一理ありますね。
確かに軍の堅苦しい空気では、卿の言ったことは難しいでしょう。
先程わたしが言ったことは撤回させて頂きましょう」
ガルニエが淡々とそう言うと、ヴェベールは肩を落とした。
どうやらうまく、彼を説得することに成功したようだった。
ガルニエは懐から懐中時計を取り出し、時間を確認した。
「こんな時間ですか。
もう十分見ましたし、そろそろお暇しましょうか」
ヴェベールはにこやかな笑みで返した。
彼に誘導されるままその場を離れる際、ガルニエはレイモンを一瞬一瞥した。




