1話 底辺兵士レイモン
軍事大国、チュテレール。
かの兵士は個々が強く、十人以下のチームで一部隊を壊滅させることができる。
特に幹部は人智を超えた才能と実力を持ち、数多の戦場で勝利を挙げていた。
そんな国の軍学校の訓練は、常軌を逸していた。
一日の始まりは、朝の五時。
ラッパの号令が鳴り響くと皆目を覚まし、そのままグランドに集合する。
大きな声で点呼した後、腹筋百回、腕立て伏せ百回、外周二十週のランニングを開始。
七時を回ると、制服に着替えた学生達は朝食を済ませる。
八時を過ぎれば、夜の五時まで座学と実技の授業が気持ち程度の休憩をはさみながら続く。
放課後皆で校舎を隅々まで掃除し、夕食後に早朝の特訓をもう一度行う。
九時には各自寮に戻って寝支度を整え、十時に就寝する。
チュテレールの兵士は、そのような生活を六年過ごして一人前となる。
中には逃げ出す人も少なくないが、その代わりに「兵士の責務を放棄した」というレッテルが張られる。
いわば、社会的に抹消されてしまうというわけだ。
それでも、安定した生活が保障された軍人を志す人は後を絶たない。
名声、富、そして地位――
己が欲するものを手にするために、国民は戦いに憧れるのだ。
少年レイモンも、例外ではない。
彼はこれと言った才能はないが、貧乏な家族に楽な生活を与えたいと軍学校に入学した。
しかし、待っていた学生生活は彼の想像以上の過酷さだった。
一年生の頃は朝の特訓で何度も吐き気を催し、時には意識が飛びかけた。
二年生の頃は自分と同じく苦心していた同級生達には余裕が出たものの、レイモンは相変わらず苦しんでいた。
三年生になると、ランニング中毎日一番後方で息を上げながら走るのが当たり前になっていた。
けれども、逃げ出せばもっとつらいことが待っている。
だからレイモンは、何とかみんなに噛り付いた。
そうやって四年目、五年目、六年目とあっという間に時が過ぎた。
卒業間近のレイモンの成績は、真面目に受けていたにも関わらず最低ラインを掠っていた。
これと言った得意分野や持ち味もなく、ただの平凡な一般人だった。
でも、兵士として生きていくには最低限の教養と実力は身に付いていた。
それだけで、彼にとっては十分だった。
戦場に行って、生きて帰り、両親の顔を見ることができればそれで良い。
違和感を感じながらも、無理やりそう自分に言い聞かせた。
軍学校の最後の試験は、チーム戦だ。
ランダムなくじ引きを行い、五人程度のグループを作る。
評価基準は自分の持ち味を生かした立ち回りと、協調力。
誰と組むかは運任せで、当たれば優秀な人と組めるし最悪の場合は自分の実力を発揮できない可能性もある。
そんな環境でも勝利を収めようとする姿勢が、この国の軍人として求められているものだった。
レイモンのチームは、その中でも大当たりだった。
……いや、彼にとっては大外れだった。
仲間があまりにも優秀すぎて、逆に彼の実力が悪い意味で目立ってしまうからだ。
一人目はきつそうな見た目の少年、アデル・ドラクロワ。
彼の父は有名な軍人で、”剣聖”と呼ばれるほどの剣の使い手だ。
その血はアデルにも受け継がれていて、同級生の中でも実技の成績は頭一つ飛び出ている。
二人目は高貴な品格を持った、ジャッド第二王女。
王位継承者第三位でありながら、優れた指揮官としての素質を持つ。
彼女の観察眼、そして得意とする銃の腕前は国中で噂になるほどだ。
三人目は陽気な印象を受ける少年、ナタン・グレゴワール。
物理戦闘の実力はレイモン以下だが、魔術の扱いはトップクラス。
加えて頭の回転も速いため、技術の応用が上手で出来ることがとても幅広い。
四人目は黒い狐の面を被った少女、ヴェロニック・ロラン。
彼女の師は国の情報官らしく、情報収集がとても得意らしい。
気配を消すのもお手の物で、模擬戦の際はよく不意打ちをして相手を翻弄させるようだ。
そして五人目の和傘を差した少年は、セレスト・ヴェベール。
かなり飄々としていて掴みどころがないが、核心を突くのがとてもうまい。
成績は全体的に上位らしく、理想的なバランスタイプと言っていいだろう。
そんな色々な方面で極まっている人達の中に、底辺が紛れ込んでしまったのだ。
正直、レイモンはとても居心地が悪かった。
自分が足を引っ張ってしまうのが目に見える。
それも相まってか、皆の会話についていくことができず、孤独感に胸が痛くなった。
突然、チームの初顔合わせ中に流れを仕切っていたアデルの視線がレイモンに向けられた。
「レイモンとか言ったか?
貴様、何が得意だ?」
「へっ!?あ、ええと……
大剣を振り回すのが、得意です」
緊張で強張るレイモンの言葉を聞いた途端、アデルはあからさまにため息を漏らした。
「阿呆か?武器のことではない。
持ち味はなんだと聞いているのだ!」
その気迫に、レイモンは悲鳴を上げそうになった。
明らかに相手はレイモンのおどおどした態度に苛ついている。
それが返って、レイモンの焦りを募らせていた。
「君さ、どんな魔術の刻印を持ってるんだ?」
気持ちを察してくれたのか、ナタンが助け舟を出してくれた。
"魔術の刻印"というのは、魔術を使うために体に刻む特殊な模様の刺青のことだ。
炎魔法や雷魔法、更には召喚魔法や分身魔法……種類は多様だ。
一人前の兵士であれば必ず何か刻んでいるのが、この国の常識である。
ただ二つ以上刻むと、体内の魔力の流れがグチャグチャになり、最悪死に至る。
だから自分の相性との吟味がとても重要となり、相応しいものをひとつだけ選ばないといけない。
自分の特技さえ分からないレイモンに、そんな重要な選択をする勇気は全くない。
そのせいで、彼はナタンの質問にこう答えるしかなかった。
「……ありません」
その瞬間、空気が凍った。
魔術の刻印がないということは、一人前の兵士にまだなりきれていないことを意味する。
それが卒業間近の六年生なのだから、どれだけ底辺の学生なのかを物語っている。
「……ありえない、兵士失格……」
ヴェロニックの棘のように痛々しい言葉は、先生にも散々言われた。
そのたびにレイモンは下を向き、地獄にいるような気持ちで押し黙るしかなかった。
「ヴェロニック、言い過ぎよ。
もしかすると自分の得意分野を中々見つけられてないだけかもしれないじゃない。
私もそうだったからわかるんだけど、こういう時は心に負荷が掛かるだけのジレンマに陥ってしまうのよ?」
流石のジャッド王女だ。
彼女の器の大きさには、本当に救われるような気持ちだ。
それだからこそ、皆を指揮するものとしての資格があるのかもしれない。
そう考えると、レイモンの気持ちは余計に沈んだ。
アデルは爪を噛みながら、しばらく黙り込んだ。
「――そこまでお前が言うなら、特別にテストしてやろう」
彼はレイモンから少し距離を取ると、腰にある刀を地面に突き刺して代わりに鞘を構えた。
「一分間、俺の攻撃を全て捌いてみせろ。
戦場というのは想像より過酷なものだ。
これをこなせないなら、貴様は初戦で真っ先に死ぬだろう。
そんな弱いクズなんぞ、この国の兵士には必要ない。
ジャッド、審判をしてくれ」
「えっ?ちょっと待って、そんなの無――」
戸惑うレイモンをよそに、王女は軽く頷き二人の間に立った。
こうなれば、やるしかない。
一分間耐えて、自分には最低限の力があることを証明しないといけない。
レイモンは自分の大剣を構え、こちらを睨むアデルに狙いを定める。
緊張でどうにかなりそうなところを、レイモンは何度も深呼吸して何とか理性を保った。
ジャッドは一歩後退すると、力強く号令を掛けた。
「――始め!!」