第51話「禍き力、鎖を断つ」
刹那の沈黙。だがその視線には、ただの沈黙ではない重みがあった。
やがて、ふっと唇が持ち上がる。
「っは……珍しゅうところに客が来たもんじゃな」
艶やかな笑みと共に、九尾の女が口を開いた。
その声音には、色気とともにどこか怨嗟の気配も混じっている。
「忌々しゅう気配を纏いつつも……芯にはどこか、懐かしさがある。お主、何者じゃ?」
「俺はルーク。このダンジョンが以前と比べて、あきらかに“異変”を起こしている。それを調査しに来た」
ルークは距離を保ちつつ、冷静に言葉を返す。
「お前こそ……ただの魔物じゃないな。封印、儀式陣、魔力の吸収。明らかに、“何かの目的”があるとしか思えない」
九尾は、目を細め、艶然と微笑む。
「くふ……わらわのことを知って、何になる? 小僧ごときに、何ができると言うのじゃ?」
次の瞬間、紫の覇気がほとばしる。
空間が揺れ、岩壁がビリビリと鳴る。禍々しく濃密な魔力が、ルークに向かって放たれた。
だが――
ルークの足元にも、静かに蒼のマナが沸き上がる。
両者の覇気が空中で激突し、紫と蒼の火花が弾け飛ぶ。
「……ほう?」
九尾は驚きに目を見開き、そしてすぐに面白そうに微笑んだ。
「訂正じゃ。ちと興味が出てきたぞ、小僧。お主は“奴ら”とは違うようじゃな」
「“奴ら”?」
「ふふ……今はなんと名乗っておるか。たしか《灰の焔》――そう呼ばれておったな」
その名に、ルークの瞳が細められる。
だが九尾は構わず、続ける。
「奴らは、わらわの存在を封じ、ここに固定した。この術式はな……わらわの魔力をダンジョンに吸わせ、魔物どもを強化し、増やし、いずれはスタンピードを引き起こす。わらわは、その“贄”として使われておるのじゃ」
ルークの表情がわずかに険しくなる。
「殺すための封印、というわけじゃないのか」
「半分は合っとる。術式が完成すれば、わらわの命も尽きよう……」
「……悪趣味な手だな」
「まあ、気の長い殺し方じゃがな」
九尾の目が、ルークを射抜くように見つめる。
「……じゃが、それ以上に気になることがある」
「なんだ?」
「お主……なぜ、わらわに“懐かしき戦友”の気配を感じさせる? そして同時に、あの《灰の焔》に酷似した禍々しき魔の気を、その身に宿しておる?」
ルークは一瞬、驚いたようにまばたきした。
だが、すぐにいつものように静かに口元を引き結ぶ。
「俺も、お前に少し興味が出てきた。……話す気はあるか?」
九尾は、喉の奥でくくっと笑った。
「それはええ。是非に話そうぞ、小僧」
「なら、まずはその鎖を解くとしよう。……話すには邪魔だろう?」
ルークが剣に手を添え、一歩踏み出す。
だが。
斬撃を振るうよりも先に、青白い火花と衝撃がルークの腕を弾き返した。
「――ッ!」
「やめておけ、小僧。この術式、触れるだけでもただでは済まぬぞ」
九尾の声が、静かに、だが重く響く。
「これはただの封印ではない。わらわの魔力を“触媒”として、何十倍にも強化されておる。生半可な力では、びくともせぬ」
ルークはしばし黙考し――やがて、微かに口角を上げた。
「……そうか。なら、少しだけ本気を出しても問題ないな」
「……小僧、何を――」
言葉を遮るように、ルークの瞳から光が消える。
その瞬間、大気が震えた。
青黒いマナが、地の底から湧き上がるように全身から噴き出す。洞窟全体が沈黙に包まれ、わずかに空気が冷えた。
「――ッ! なんと……禍々しいマナじゃ……」
九尾の背に、一筋の緊張が走る。
「少しの間、動くなよ」
溢れ出たマナは剣へと練り上げられ、音すら飲み込むような静寂の中――ルークはそれを振り抜いた。
轟音が洞窟を裂く。
鋼のように強固だった魔力の鎖が、光の軌跡とともに断ち切られる。
カラン――と砕けた鎖が音を立て、九尾の身体が地に降りた。
解放された九尾は、未だ驚きの表情を浮かべたまま、後ろを振り返る。
その背後、岩壁には斬撃がえぐり取ったような“闇の裂け目”が、果てなく続いていた。
――何層もの岩を断ち、なお止まらぬ深さ。
「……小僧、お主……ほんに、何者じゃ……?」
呆然と、そう呟く。
振り返った視線の先。
そこには、静けさの中で全てを見下ろすように立つ、異形の王の幻影があった。