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導星のレガシー 〜世界を導く最後の継承者〜  作者: 烏羽 楓
第一章 忍び寄る灰の気配
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第35話「眠りの檻の中で」

 それは、騎士団の事情聴取から二日後の午後だった。


「……ミレーナちゃん、治療所にいるんだって」


 そうララが呟いた時、ルークの心臓がわずかに跳ねた。


 昼下がりの陽射しが窓から差し込む学園食堂の片隅。人目を避けるように座った席で、ララはトレイに手を置いたまま、ぽつりと続けた。


「騎士団の人から聞いたの。あの騒ぎのあと、すぐに隔離されたって……今は学園の付属治療所の特別区画にいるらしい」


 ルークはすぐには言葉を返せなかった。


 ミレーナが自分の意思で丸薬を飲んだ。あの力に溺れかけ、魔物化の兆候まで現れた。けれど――最後の瞬間、彼女はルークの呼びかけに反応した。


「……今は、眠ってるだけなのか?」


 ララは首を横に振った。


「昏睡状態。医療魔術じゃどうにもならないって」


 その言葉が胸の奥でひっかかる。重く、鈍く、爪で引っかかれたような感覚が残った。


「行こう」


 ルークは椅子から立ち上がった。


「え?」


「ミレーナに会いに行こう。話せなくても、顔くらいは見ておきたい」


 ララは驚いたように一瞬目を見開いたが、すぐに頷いた。


「……うん、私もそう思ってた」


 

 ◆

 


 治療所の建物は、学園の西側にある低い丘の上に建っていた。石造りの建物は白く、静寂と緊張感を抱かせる佇まいだった。


 二人は受付で目的を伝え、通されたのは一番奥の個室。

 魔力干渉防止用の結界が張られた特別病棟の中に、ミレーナはいた。


 白いベッドに横たわるその姿は、まるで眠っているだけにしか見えなかった。だが、近づいてみると、その異常は明らかだった。


 右腕に巻かれた包帯の下から、黒く染まった皮膚がわずかに覗いている。


 脈はある。呼吸もある。けれど――彼女の“意識”は、そこにはなかった。


「魔素の……浸食が、止まらないんです」


 そう言ったのは、同室にいた白衣の医師だった。老齢で、落ち着いた口調と目元の皺が印象的な人物だった。


「現在の状態は、魔力の暴走と魔素の侵食による意識崩壊の寸前です。丸薬の成分が、彼女の身体に染み込んでいる。魔力回路は過負荷を起こし、浄化魔法でも反応しない」


「……治療法は……?」


 ルークが問いかける声は、思った以上に震えていた。


 医師は首を振った。


「現時点では、ないとしか言えません。これまでの事例でも、魔素の侵食を受けた者は、そのまま目を覚まさないか……あるいは」


 言葉を濁す。


 だが、言いたいことはわかる。“あるいは”の先にあるものは、“魔物化”だ。


 ルークの拳が、ぎゅっと握られた。


(俺は……何もできないのか)


 あの日、必死で止めた。確かに一度は彼女を引き戻した。けれど、結局、元に戻すことはできていない。


 騎士団からは疑いの目を向けられ、〈灰の焔〉の男の痕跡はどこにも残っていなかった。


 ミレーナが責められることはない。だが、彼女がこのまま戻らなければ――そのすべての責任は、間接的に“止められなかった自分”に降りかかってくる。


 それ以上に、胸を占めるのは無力感だった。


 ベッドの傍らで、ルークは唇を噛みしめた。


(こんなにも近くにいるのに。俺はまた、何も……できない)


 白いシーツに包まれたミレーナの手に、自分の手をそっと重ねた。微かに冷たいその手に、強く強く、願いを込める。


「……ごめん。俺が、もっと早く気づいてれば……」


 そのときだった。


「――でも、もしかしたら」


 ふいに、背後からララの声がした。


 ルークが顔を上げて振り返る。


「……何か、心当たりでも?」


 ララは腕を組み、考えるように視線を宙へと向けていた。

 やがて、彼女はゆっくりとルークに向き直る。


「確証はないけど……なんとかなるかもしれない」


 その言葉に、ルークの瞳がわずかに揺れる。


 治療所の部屋に、夕陽が差し込む。


 「聞かせてくれ、ララ」

 

 ミレーナの眠る横で、二人の時間が、再び動き出そうとしていた。

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