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導星のレガシー 〜世界を導く最後の継承者〜  作者: 烏羽 楓
第一章 忍び寄る灰の気配
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第33話「境界を越える者」

 沈黙の中、男が懐から何かを取り出す。

 

 淡い光を帯びた、小さな丸薬瓶だった。


「――限界はすぐそこだ、ミレーナ。だが、お前なら越えられる」


 その声は、蛇のように甘く、芯に毒を含んでいた。


「……何、それ」


 ミレーナが足を止め、息を整えながら問い返す。


「《灰核の丸薬》。摂取すれば、身体マナの総量が飛躍的に拡張される。ただし――魔素の含有量が高く、適応できなければ副作用が出る」


「副作用って……魔物化?」


「一時的な適応不全に過ぎん。制御さえできれば、真の力を手に入れられる。お前なら、それができる」


 ルークの中で警鐘が鳴った。


(やめろ……ミレーナ、聞くな……!)


 声に出せないまま、ただ茂みの陰から息を潜める。


 男は言葉を続けた。


「天剣の魔女・エイネシアの“後釜(こうけいしゃ)”が、お前のような落ちこぼれでないことは分かっているだろう?」


 ミレーナの瞳が、わずかに揺れる。


「彼女が選んだのは、君じゃない。元は身体マナすら扱えなかった呪われた者――ルークだ」


 その名が出た瞬間、ミレーナの肩がビクリと震えた。


「わたしは……ずっと努力してきた。剣も、魔法も、誰にも負けないように……それなのに、どうして……!」


 赤い瞳が、憎しみに似た色を灯す。


「なんで、あんな呪われたやつが……私じゃなくて、あいつが、選ばれたの……!」


「飲め、ミレーナ。君の力を証明するんだ。自分自身に、あの女に、そして……あの少年に」


 男が差し出した小瓶を、ミレーナは震える手で受け取る。


(やめろ――!)


 ルークの全身が強ばる。思わず足が前へ出た。


「やめろ、ミレーナ! それはお前を壊すッ!」


 声が森に響く。茂みから飛び出すルークに、ミレーナが驚愕(きょうがく)する。


「ルーク……!? なぜ、ここに……」


「そいつから離れろ! そいつは〈灰の焔〉の……!」


「うるさいっ!」


 ミレーナが怒鳴った。その瞳には、怒り、悲しみ、そして怨嗟(えんさ)が入り混じっていた。


「お前にだけは……言われたくない……っ!」


 彼女は、迷いなく丸薬を口に運んだ。


 ルークが叫ぶより早く、それは彼女の喉を通った。


「ミレーナッ!」


 淡い光と共に、魔素の奔流(ほんりゅう)が解き放たれる。


 地面が震える。空気が軋む。木々がざわめき、魔力が渦を巻いた。


 ミレーナの髪がふわりと宙を舞い、瞳が深紅に染まる。


「……すごい、これ……力が、溢れてくる……っ」


 声が上ずっていた。


 だが――ルークは、見逃さなかった。


 ミレーナの右腕。その皮膚の下で、黒い紋様のようなものが浮かび上がっていた。

 鱗のような変質が、じわじわと指先へ広がっていく。


(クソッ、……始まった)


 魔物化の初期兆候。これが進行すれば、完全に人としての理性を失う可能性がある。


「ミレーナ、止まれ! お前は、今ならまだ――!」


 だが、彼女は聞いていなかった。


 むしろ、笑っていた。


「見てるんでしょう? エイネシア様……ルーク……私の力、ちゃんと見てなさいよ……!」


 爆発寸前の魔力を背負いながら、ミレーナが剣を手に取る。


 咄嗟(とっさ)にルークも剣を抜く。


(止めるしかない。もう――俺がやるしかない!)


 ――刹那、地を蹴ったミレーナの姿が、視界から消えた。


「っ……!」


 ルークが剣を振り上げるより早く、彼女の斬撃が迫った。


 重く、速い。体術に魔力が上乗せされた一撃は、かろうじて防御の構えを取ったルークの身体を後方へ弾き飛ばした。


「く……!」


 腕が痺れる。距離を取って体勢を立て直すが、ミレーナは間髪入れずに追撃してくる。


「どうしたの!? “弟子様”! その程度なの!?」


 刃と刃がぶつかるたびに、爆ぜるような魔力の衝撃波が走る。森の枝葉が次々に吹き飛ばされ、まるで嵐が吹き荒れるようだった。


(強い……こんなに、変わるのか……)


 これが、丸薬の力。否、力という名の毒だ。


 ミレーナの顔は、紅潮していた。戦っているというより、快楽に呑まれているかのように。


「ルーク……あんたにだけは、負けたくなかった……! 私のほうが、ずっと頑張ってた! ずっと、ずっと……!」


 剣を振るうたびに、叫びが乗る。

 そのすべてが、ルークに突き刺さった。


「俺は、お前と競ったつもりなんて……!」


「うるさいッ! お前が認められた時、どんな気持ちだったか、知らないくせに!」


 感情の奔流(ほんりゅう)とともに、魔力の暴走も激しさを増していく。


 ミレーナの右腕――完全に黒い鱗に覆われていた。関節の角度が人のものとは違っている。肘の先から爪のような角質が伸び始めていた。


(まずいな……もう、限界が近い)


 このまま放っておけば、理性を失い、完全な魔物になる。そうなれば、彼女を止める手段は一つしかなくなる。


(殺すしか、なくなる……)


 ルークは奥歯を噛みしめた。


「まだ、戻れる……。 ミレーナ、お前はまだ“人間”だ!」


「うるさい……うるさい、うるさいッ!」


 ミレーナの剣が振り下ろされる。ルークは体を低く沈め、懐に飛び込んだ。


(……いける!)


 渾身の一撃――剣の柄の部分を、ミレーナの腹部に向けて叩き込む。


「くぅ……っ!」


 苦悶(くもん)の吐息とともに、ミレーナの身体がよろめいた。


 そのまま、ルークは剣を捨て、彼女の両肩を掴む。


「……ミレーナ。お願いだから、戻ってこい。こんな力で、お前が壊れるなんて――そんなの、見たくない」


 魔力の波が、ぶわりと空間を揺らした。


 ミレーナの赤い瞳が、一瞬だけ大きく見開かれる。


「……ル、ー……ク……?」


 次の瞬間、魔素の光が弾け――そして、霧のように散った。


 ミレーナの身体が崩れ落ちる。ルークは慌ててその身を抱き留めた。


「……気絶、しただけか」


 彼女の腕からは、徐々に鱗のような変異が引いていく。呼吸はある。心音も安定していた。


(ギリギリ……間に合った)


 剣を交えたわけでも、圧倒したわけでもない。ただ、気持ちが届いた。それだけで止まった――奇跡だった。


「……ありがとう。戻ってきてくれて」


 ルークが静かにそう呟いた時だった。


 ――カツ、カツ。


 規則的な足音が、森の外から響いてきた。


(この音……鎧の、それも複数人……)


 すぐに、数名の騎士の影が木々の間から現れた。


「誰だ! そこにいるのは――」


 ルークは振り返らず、ただミレーナの身体を守るように膝をついたまま、目を細める。


 だがそれとは別に、森のさらに奥。騎士団の到着とは違う、もっと遠くで気配が揺れた。


(……誰か、見てた……?)


 もう一人、“何者か”がこの一部始終を、どこかから見ていた。

 その視線だけが、冷たい夜風の中で確かに残っていた。

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