命の理と“始まりの記憶”
命とは、与えられるものか。
それとも……選び取るものか。
答えは、まだ誰にもわからない。
シュエルの視点で描かれる今回は、
「命の理」が静かに語られます。
たった一つの祈りが、
大地を揺るがす予兆となり――
終焉の地では、ついに“龍”が目を覚まします。
すべての始まりは、ここから――
命は、終わるために生まれるのか。
それとも──始めるために“終わる”のか。
シュエルは、深い森の静寂の中で、
そっと目を伏せた。
誰もが息を潜めるような夜だった。
けれど、彼女の心には、暴風にも似た感情が渦巻いている。
「……命は、“使い捨て”ではない」
それは、誰に向けた言葉でもなかった。
ただ、神々の所業を知ってしまった今、
黙っていられなかった。
彼女が見たのは、ただの“破壊”ではない。
命の理を歪める、“無意味な犠牲”。
その根源にあったのは、神々の慢心だった。
「それでも、生まれてしまったのなら……」
彼女は、そっと手のひらに宿る
微かな“命の粒”を見つめる。
ミゼリアが遺したもの。
ルシェイドが背負わされた“咎”。
クロエニクスという異形に変じてもなお、
そこには命のかけらが、確かに残っていた。
「……あなたの力は、終わらせるためじゃない。
始めるために在るのよ……」
かつて、彼女がそう言葉をかけた少年。
その運命の先に、ただ破滅しかないのなら……
自分は、理を語る者として“立ち向かう”しかない。
ふと、風が一瞬、懐かしい匂いを運んできた。
あの丘の草の匂い。
記憶の回廊から戻ったあの時、
ふたりを包んだ、“あの光”と同じ匂いだった。
シュエルは、そっと目を閉じる。
「……あの丘で、あなたに名を贈ったのよ。
終わらせるためではなく、始めるための名前――」
「……ゼロ……いや、ヴァルゼクト」
「ゼロ――名前を持たなかったあなたに、初めて“命”を刻んだ日」
それは、ただの音ではない。
願いと祈りと、命への敬意をこめた“名”だった。
「命が命を終わらせるなんて――悲しすぎるわ」
風が、森を揺らす。
木々がざわめき、精霊たちが息をひそめる。
シュエルは振り返らず、ただ前を見つめた。
この世界の理がどれだけ腐っていようとも、
自分が信じる命の価値を、否定させはしない。
その瞳の奥にあったのは――“覚悟”だった。
***
森の奥。
命の息吹が宿る、大精霊の聖域。
そこは、シュエルにとって“はじまり”の場所だった。
命を受け入れ、命を返し、命を繋いできた……誰の目にも見えぬ営みの場所。
──ヴァルゼクト
あなたの力が「破滅」と呼ばれるのなら、
その名を与えた自分には、その“意味”を語る責任がある。
「神々は……命を、ただの“結果”として見ているのね」
彼女の呟きに、風が優しく応えるように吹いた。
その風はまるで、何かを受け入れるような、穏やかな意志を纏っていた。
「命には、始まりがある。だからこそ、終わりもある。
でも……その間にある“生きる時間”こそが、命の意味を宿すのよ。」
彼女の言葉に、光の精霊がそっと舞い降りる。
その小さな輝きの中に、かつて“ミゼリア”と呼ばれた少女の“温度”を感じた。
「きっと……彼女も、本当は自由に生きたかったのよ」
狂気に染まり、哀しみに歪んでいった少女の魂。
それでも、どこかにまだ“救えるかもしれない何か”が残っている気がしていた。
だからこそ、シュエルはこの場所で祈る。
この森が“終焉”の象徴ではなく、“再生”のはじまりであってほしいと。
「命を終わらせる者として、ではなく。
命を繋ぐ者として――あの子は、まだ間に合うわ」
その瞬間、どこかで鈴の音のような微かな“声”が聞こえた気がした。
それが誰かは、わからない。
だがきっと、それは“命”の声。
彼女は目を閉じて、静かに微笑んだ。
***
その頃、遥か西の空では――
終焉の龍王・エルドリクスが、
シュエルの鼓動に呼応した。
その目は、怒りでも哀しみでもない。
ただ、静かな決意を宿した“始まり”の光。
『あなたの力を、わたしにかして。
……新たな世界を始めるために』
かつてシュエルは、エルドリクス、そしてゼロと呼ばれた少年と共に、穏やかな時を過ごしていた。
その日々の中で、彼らはひとつの“約束”を交わしたのだ。
――「この世界の均衡を守るために、いつか三人で旅に出よう」と。
それは、滅びの果てに灯る、ささやかな“再生”の炎。
たとえ小さくとも、確かにそこにある未来への光。
今、その“約束”を信じる者たちが、静かに動き出す。
世界の理が崩れていくなかで――
崩れゆく世界の中で、“新たな始まり”を掴むための戦いが、静かに始まろうとしていた。
***
シュエルの願いは、
森の奥深く――命の根へと、静かに染み込んでいった。
彼女のまわりに、ふわりと浮かぶ“命の光”。
それは人ではない、けれど確かにこの世界に生まれ、
そして消えていった命たちの――記憶。
「私は……すべての命を、美しいと思いたい」
「消えていった命が“無駄”だったなんて、誰にも言わせたくない」
「たとえ理が滅びを望んだとしても……私は抗う」
「命が続く世界を、守りたい」
それは、妖精王としての祈り。
命の根源に触れる者として、
そして命に“名前”を与えた者としての――絶対の意思。
やがて、風が止み、森にひとつの静寂が訪れる。
ふと、シュエルは顔を上げた。
――大地の鼓動が変わっていた。
何かが動き始める、確かな気配。
そして……遥か遠く。
誰も足を踏み入れたことのない“終焉の地”。
そこに、静かに、重く――龍の眼が開かれた。
それは、すべての時代の終わりを見てきた“観測者”の眼。
そして、語られなかった物語を知る“語り部”の眼。
終焉の龍王・エルドリクス。
それは、かつてシュエルがそのすべてを懸けて守り抜いた存在。
神々の理に奪われぬよう、彼女は妖精王としての誇りと力、
そして“名”さえも差し出し、
ただ一つ――この“命”を封じるという選択をしたのだ。
「あの時、私は……神々と戦うことを選ばなかった。
ただ、命を守るために祈り、隠し、耐えることしかできなかった。
だけど――今は違う。
私にはもう、“何も奪わせない”という意志がある。
命を、尊厳を、愛を……二度と踏みにじらせはしない。
そのために私は、妖精王シュエルとして立つ。」
彼女の瞳には、かつてよりも遥かに強く、清冽な光が宿っていた。
この先に待ち受ける――取り返しのつかない悲劇を、
彼女はもう知っていたのかもしれない。
それでも尚、シュエルは歩みを止めなかった。
命の理に抗い、過去に抗い、
そして、愛した者たちの未来を守るために。
やがて訪れる“終焉”の時、
彼女は何を見つめ、何を選ぶのか――
その選択が、世界の運命を大きく塗り替えることになると知らずに。
物語は、いよいよ“核心”へと踏み込んでいく。
そして、忘れられた願いと失われた名が、再び呼び起こされる――
だがその眼差しの奥には、いまだ誰も知らぬ“終焉の記憶”が、
静かに眠っていた――
それが再び目覚めた時、この世界は、本当の意味で“始まり”か、“終わり”を選ばされることになるのだ。
──すべては、彼女の祈りから始まる。
ご覧いただき、ありがとうございました。
命の根に触れ、静かに祈りを捧げたシュエル。
彼女が見据えたのは、“理”に流される世界ではなく、
命ひとつひとつが尊ばれる未来でした。
そして、終焉の龍王エルドリクスが目を開いた今――
物語は“終わり”ではなく、“始まり”へと向かっていきます。
次回、『命を継ぐ者たち』
どうぞお楽しみに。




