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偽りの影、自由を喰らう

“自由”とは、誰かに与えられるものではなく、本来、誰もが持つべきものだった――

だが、それを恐れた存在がいた。

それを否定し、封印し、“災厄”と呼んだ神々が。


今、世界の底で蠢くものが、封印の鎖を喰い破る。

命を、理を、そしてこの世界の“正しさ”を問い直すために。


“理”に従う者たちと、抗う者たち。

30話では、決して交わらないと思われた価値観が、ついに激突する転機となる――

ズル……ズリ……ズズッ……


湿った音が、闇の底から滲み出す。

鼻腔を突くのは、血と腐肉が煮詰まったような重い匂い――


誰も歩いていない。

風も吹いていない。

それでも、“何か”が()っている。


空気がぬめる。

鉄と腐肉の匂いが混じる。

思わず喉の奥がひくりと動いた。


――べちゃっ……

ぐちょ……

カツン。


無音だったはずの空間に、異様な“足音”が(にじ)むように落ちた。


それは、湿った肉塊が硬質の床を踏みしめた音――

だが確かに、“誰かの歩く音”にも聞こえた。


“誰かが来た”というより、

“何かがこちらに姿を変えた”ような――


そんな、皮膚の下を這われるような感覚だった。


闇の奥で、赤黒い“目”が(うごめ)いている。


……(わず)かに動く瞳の数と色が微妙に異なっていた。


その瞳は、光を映さず。

その体には、骨も皮もなかった。


ただ、“形”を模していた。

ただ、“誰か”になっていた。



ぞわり、と世界が粘ついた。


そして、それは確かに――


笑っていた。


 


「……命令は、キ……キライなんだよねぇ」


 


それは、声の“ようなもの”だった。


一つの音に聞こえて、次の瞬間には、

いくつもの喉が、時間差で同じ言葉を模倣しているかのように重なって響く。


ざらついた低音、かすれた女の声、泡立つような囁き。

まるで“誰の声でもない声”が、耳の奥をなぞるように染み込んでいく。


空気が(きし)み、心がざわめいた。


 


――それは確かに、人の言葉で、

人の魂を侵していた。


ズズ……ズル……ッ


粘膜のようにうねる音が地を這い、空間がじわじわと濁っていく。

赤黒い目が数えきれぬほど、地にも、天にも、壁のように張り付いていた。


視線の暴力――

見られているのではない。

(むさぼ)られている。



 「“ワタシ”を……閉じこめた、アノ人たち……」


「……こわかったんだよ、“ナニカ”が生まれるのが……ワタシの中から……」


「――だから、鍵をかけた。壊れる前に……壊そうとしたんだ。」



その声はまだ続いていた。

耳の中に、直接、ぬめるように届く。


 


「……コワ……かった……かんじょう……が……ッ」


ぶよぶよとした何かが、形を変えながら、地に立ち上がる。

背骨のような軋む音を鳴らしながら、

誰か――かつて誰かだった形に、似せてゆく。


 

「イカリ……カナシミ……ニクシミ……そして……フリィィィ……」


「ねぇ、それらがうごめくのって……神さまには……ね、とっても――ジャマ、だよねぇ……?」



にぃ、と裂けた“口らしきもの”が歪む。

笑っている――“それ”のすべてが。


 

「ダカラ……命令、スルんだ……」


「“こうイキロ”……“こうシネ”……ねぇ、ソレ……まるで、壊れた人形みたい」


「――そんなの、“生きてる”って、言えないよね?」


 


空間が、ボコボコと泡立った。

瘴気(しょうき)が天井を這い、血のような雨がぽたりと落ちる。


 

「……だ、か、ら……こわ、すことに、したんだぁ……」


「いのちを、ならべて、並べてぇ……言うんだもん……『こうしなさい』って……」


「――うるさい。まとめて、ぜんぶ……黙らせるのが、いいよねぇ……?」


 

ずるっ……。


一歩踏み出した“それ”の足元で、大地が音を立てて割れた。

粘性のある肉のような脚が地を踏みしめ、じゅぶ、とぬめる。


 


「……さぁ、遊ぼ?」


 

その言葉と同時に、**“クロエニクス”**と呼ばれる災厄が、世界を喰らうために目を覚ました。




「……うぅわっ♪ なにあれ……きもっ。」


 ミゼリアが、あからさまに顔をしかめる。


真っ白なロリータドレスの裾をつまみ上げ、

まるで道端のゴミでも見るようにクロエニクスを見下ろした。


 

「ぶよぶよだし、赤黒いし、目はいっぱいついてるし……

なんかこう……ゼリー?失敗したスライム? 」


 

ぱちぱちと手を叩いて笑ったあと、彼女は一歩前に出ると、無邪気に言葉を投げつけた。


 


「ねぇ、あんたさ――わたしたちの味方でしょ?

だったら、さっさとやっちゃいなよ。

あいつら、ぜーんぶ殺しちゃって♡」


 


……その瞬間だった。


 


――ぴたり。


 


“それ”の動きが止まった。


全身の目が、ぴくり、と震える。


 


次の瞬間。


 


ズズ……ズリ……


目の一つが、真紅に染まった。


それは、怒りそのものだった。


 


「命令……?」


 


じわりと赤黒い液体が、目元から滴り落ちる。


それはまるで、“涙”を真似たような――不気味な模倣。


 


「命令……キライ…おまえ殺す」


 


――ズバァッ!!


空間そのものが引き裂かれた。


何が起きたのか、誰も見えなかった。


ほんの一瞬、ミゼリアの瞳が驚愕に見開かれた――

そして、白いロリータドレスが宙を舞った。


次の瞬間には、もう姿はなかった。




ズシャアアアアッ!!


 


赤黒い血と、裂けた布の残骸が雨のように降り注ぐ。


 


ミゼリアは、一瞬で消えた。


 


クロエニクスは、口らしきものを歪めた。

赤く染まった目の群れが、ゆらりと揺れる。


 


「……命令するな。

“命”は……俺の“喰いもの”だ」


 


静寂が落ちた。


世界が、震えていた。


「……神々の失敗作……なんてものを創り出したのだ……」


 


七柱の一体が、押し殺した声で呟いた。


その言葉は、まるで忌むべき真実を口にしてしまったかのように、空気を重く沈ませた。


 


ネフィリアが、はっと振り返る。


冷静沈着だったその顔に、明らかな“揺らぎ”が走っていた。


 


(嘘……)


 


その瞳に映っているのは、血に染まった“白”。


そして、裂けたドレスだけだった。


……ミゼリアの肉体はなかった。


さっきまで、自分の隣で笑っていた“双子の片割れ”は、クロエニクスによって無残に引き裂かれた。


  ――それが“妹”だったものだと気づくのに、数秒もかからなかった。




召喚した七柱の一柱は、すでに破滅の魔女ノクシアによって葬られている。


 


ネフィリアの喉が、“ゴクッ“と鳴った。


 


(……神々……あなたたちは……本当に……正しかったのですか……?)


 


その様子を、ヴァルゼクトは無言で見つめる。


ルシェイドもまた、鋭い視線をクロエニクスへと向けていた。


 


(……なんだ、あれは……)


(いや、違う。“誰か”に――似ている……)


頭の奥をかすめるのは、記憶ではない。

どこかで聞いた“声”でもない。


それは、もっと深いところ――魂の底で、自分でも気づかぬ何かが震える感覚だった。



(……まさか、な)



思考を打ち消すように、彼はそっと首を振った。


だが、胸の奥に走った“異物感”だけは、まるで(とげ)のように、抜けずに(うず)き続けていた。


 


ノクシアはぽつりと呟く。


 


「神は、自らの過ちを……封印したのか」


 


その言葉に、妖精王シュエルが静かに歩を進め、

翠の瞳で“それ”を真っ直ぐに見つめた。


そして、優美に――けれど、どこか哀しげに微笑む。


 


「可哀想に……命とは、本来、こんな姿ではないのです。

命は縛られるものではなく、自由に咲くもの。

私は――その花を、守りたい。」


 


それは、命の尊厳と希望を慈しむ者だけが放てる、澄んだ祈りのような言葉だった。


 


“命は、奪うためにあるのではない”

――その想いが、確かにそこに宿っていた。



 


「ネフィリア。ここは危険だ。一度、神々のもとへ戻るべきだ」


 


別の七柱が進言する。


ネフィリアは一度だけ振り返り、無言で(うなず)いた。


だがその時だった。


 


「……かみ……?」


 


ヌルッ。


“それ”の身体が、音を立てて動き出した。


「……どこだ……神……」


「……ころす……どうぐにした……」


声は(にご)り、震えていた。

それは、憎しみ、痛み、悲しみ――すべてが混じり合った、呪いにも似た言葉だった。



肉体が波打ち、**“白いドレスの少女”**がそこに立っていた。



ミゼリアの姿――しかし、まるで人形のように不気味だった。


 


「……お……おまえたち……死にたいか?」


 


声が……いくつもの声が重なって聞こえる。


 


ネフィリアの全身が、がくがくと震える。


恐怖にのまれ、声も出ない。


……ただ、首を――ゆっくりと横に振った。



 


七柱の他の者たちも、誰一人として言葉を返すことはできなかった。


彼らは理解していた。


そして神々は知ることになる。



“それ”が、ただの災厄ではないことを。


――神々が創り、神々が封じたもの。


今、その裁きが、“理”という名を持って――牙を剥く。


 


……“それ”は、怒りでも破滅でもなかった。


それは、かつて誰かが夢見た「自由」。


だが、神々はその芽を「災厄」と呼び――封印したのだ。


最後までお読みいただきありがとうございました。


今回は、「命」と「自由」をテーマに、クロエニクスという存在を通して

“神が創ったものが神を超えてしまう”という背徳と真理を描いてみました。


ミゼリアの退場、ネフィリアの動揺、シュエルの決意、

そしてルシェイドが抱いた“正体不明の共鳴”――

すべてが次なる展開へと繋がる布石です。


次回、「神々の沈黙」が破られる時、物語はさらに深みへと進みます。

どうか引き続きお付き合いください。

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