記憶なき再会――運命を導く者
世界を揺るがす封印が解かれた、その瞬間。
一人の“妖精”が、情報屋として静かに現れた。
名前も記憶も失った少女、シュエル。
彼女は、もう“妖精王”ではない。
ただ、世界の歪みを感じ取りながら、“真実”を集めていただけだった。
そして出会う、“名を失った男”に。
運命の糸は、何も知らぬ二人の手の中で、静かに絡まり始める。
「……ここね」
黒い雷が消えたあとの、ひび割れた空間。
神殿の残骸を見下ろしながら、小さな妖精がふわりと宙に浮かぶ。
透き通る翡翠の羽を揺らしながら、シュエルは小さく息を吐いた。
「これが……“禁忌の力”……本物ね」
情報屋として、この世界を旅してきた彼女。
神々が“危険視する存在”――その噂を追ってたどり着いた場所が、ここだった。
けれどその視線の先には、驚くほど静かな男がひとり。
彼は地に膝をつき、壊れた神殿の中心で、ただ虚空を見つめていた。
「……名前、なんていうの?」
好奇心と、ほんの少しの警戒を込めて彼女が問いかけた。
だが、男は何も言わなかった。
まるで――その問いすら、自分には届かないかのように。
「ふぅん。言えない、んじゃなくて……思い出せないって顔ね」
シュエルの翡翠色の瞳が、彼の顔をまっすぐに見つめる。
けれど、どこか懐かしさのようなものが胸を締めつけた。
(この人、どこかで――)
その瞬間、風が揺れる。
彼の肩に降り立った光の粒が、シュエルの中に微かな震えをもたらした。
(あれ……おかしいな。なんで、涙……?)
無邪気な笑顔を浮かべてきたはずの少女の頬を、一粒の雫が滑り落ちる。
それは、記憶とは無関係に――魂が覚えていた痛み。
涙の意味はわからなかった。でも確かに、知っていた気がした。
“大切な何か”を、失ってはいけないと。
これは、初めてではない感覚だった。
そう、遠い記憶のどこかで――確かに、同じ感情を知っていた気がする。
シュエルは、その涙の理由を知らぬまま、彼の前にふわりと浮かんだ。
「名前、ないの? じゃあ、勝手につけちゃおっかな〜?」
「……」
反応はない。
それでも彼女は、ふふっと笑う。
「じゃあ“名もなき男”……かな」
(ふふ、皮肉よ。そんなの名前じゃない)
無邪気な声。
けれどその明るさの裏に、彼女自身も気づかない“哀しみ”がにじんでいた。
そのとき――彼がゆっくりと、顔を上げた。
「……やめろ」
かすれた声だった。
だが、確かに届いた。
「え?」
「名前……仮にもつけるな。俺は……もう、名前なんていらない」
「そっか……」
シュエルはその言葉に、何も言わなかった。
代わりに、小さく笑って彼の頭上をくるりと一周した。
「でも、私は知りたいな。だって、あなたは……この世界の中で、すごく“大事な何か”を持ってる気がするから」
「……何を言ってる」
「んー。情報屋の勘?」
冗談のように言って、彼女はぴょんと跳ねる。
「あとね、あなたが持ってる“何か”を狙ってる奴、近くに来てるよ」
「……は?」
その瞬間だった。
ゴゴゴ……!
空間の裂け目が生まれた。
そこからゆっくりと這い出すように現れたのは、全身を黒い鎧で覆った騎士。
「……来たか」
彼――ヴァルゼクト(まだ名を思い出していない彼)は、思わず立ち上がる。
「アレが、“監視者”。神々の手先ってやつだよ。名前も記憶も持ってないくせに、“それ”を持ってるあんたを消しに来たの」
「何を、持ってるっていうんだ……俺は……ただの……」
「違う!」
珍しく、シュエルの声が鋭くなった。
「あなたは……たぶん、“名前を思い出すだけで、世界が揺らぐ存在”なんだよ」
彼は目を見開いた。
「わかるんだ。情報屋だからじゃなくて……私の中のどこかが、知ってる気がする」
シュエルの手が、そっと彼の胸に触れる。
「私は……あなたに、もう一度名前を思い出してほしい」
「……」
「その名前を呼ぶ日が、あなたの物語の“はじまり”になる」
監視者が剣を構える。
世界が軋むように、空が低く唸りを上げた。
その中で、ヴァルゼクト(名もなき男)は、ぎゅっと拳を握った。
「……思い出せるのか、俺に」
「できるよ。だって、あなたは……」
シュエルが言いかけた瞬間――
ズォォォォン!!
監視者が突進した。
とっさにシュエルが光の壁を張るが、重い衝撃で吹き飛ばされる。
「シュエル!!」
気づけば叫んでいた。
理由なんてなかった。ただ、失いたくない――その想いだけが、名前を呼ばせた。
けれど、その声を聞いたシュエルの表情が凍った。
「……今、なんて……」
「……っ!」
彼は口を押さえる。
知らないはずの名前が、口から出た。
――それは、どこか深い記憶の奥底に刻まれていた響き。
「やっぱり……あんた、ただの誰かじゃないんだね」
立ち上がるシュエルの瞳は、もう“無邪気”だけではなかった。
「いこっか、ヴァルゼクト」
その名を呼ばれた瞬間、彼の視界がぐらりと揺れる。
世界が色を変え、空間が歪み――
記憶の封印が、またひとつ崩れ落ちた。
「私があなたを導くんじゃない。あなたが、自分の名を選び取るんだよ」
そして物語は、再び動き出す。
最後までお読みいただき、ありがとうございまし
妖精王としての記憶を失ったシュエルと、名を封じられたヴァルゼクト。
互いを知らずに再び出会ったこの瞬間が、今後の大きな転機になります。
次回からは、“禁忌の記憶”と“真実の名”をめぐる新たな展開へ。
少しずつ物語の核心が明かされていきますので、引き続き見守っていただけたら嬉しいです。
※この作品は【第13回ネット小説大賞】応募作品です。
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