禁忌を継ぐ者たち
――世界は今、静かに震えている。
少女は“妖精王”として目覚め、封印された黒き龍がその影を地に落とした。
命の代償として傷ついた青年。
その手が再び動いた時、向けられた剣先は――かつての“同志”だった。
交差する記憶。
揺らぐ忠誠。
そして、語られなかった“禁忌”の物語が、ついに幕を上げる。
それは、神すら干渉をためらった、忘れられた記録。
目覚めた者たちが、世界の真実へと踏み込む第21話――
《禁忌を継ぐ者たち》、開幕。
――世界は、まだ“沈黙”していた。
大地は震えを止め、風は凪ぎ、命あるものすべてがその場にひれ伏していた。
シュエルのまとう光は、なお微かに揺らめき、空に立ち昇る。
その背にそびえる黒き影――エルドリクスは、ただ在るだけで、この世界の重力すら歪めていた。
誰もが息をのんでいた。
剣を握る手が震え、魔力を帯びた指先でさえ、容易に動かせない。
「……あれが……伝説の、黒き龍王……?」
ノクシアが呟いたその声すら、空気に溶けて消えるほどだった。
そして次の瞬間、
何かが“砕ける”音がした。
それは、これまで信じてきた秩序の音か。
それとも、まだ語られてこなかった“真実”の扉が軋んだ音か。
すべては、ここから始まる。
──静寂だった。すべてが、息を潜めていた。
陽の光は届かないはずの森の奥。けれど今、そこには別格の輝きが満ちていた。
柔らかな光の中心に、白銀の髪を風に揺らす一人の妖精が立っていた。
それは、かつて“少女”と呼ばれた存在ではない。
彼女の姿は、細やかな装飾の施された長衣に包まれ、
その立ち姿には凛とした気高さと、誰もがひれ伏すべき“威厳”が宿っていた。
瞳にはわずかに混濁が残っているものの、
その奥に見えるのは、すでに目覚めた者だけが持つ“深淵の覚悟”。
まるで“神々に選ばれた統治者”のように、
その存在ひとつで、空気も、時間さえも従わせる。
彼女は――
妖精王シュエルとして、そこに“在った”。
足元には刻印が脈を打つように光り、彼女の背後、空を裂くようにそびえるのは――
漆黒の龍。
闇そのものを纏ったかのような巨大な影、黒き龍王エルドリクス。
その存在は、ただそこに“在る”だけで、世界を圧していた。
風が止み、木々の葉一枚すら揺れない。まるで、空間ごと“時間”が凍ったかのようだった。
「……あれが……」
誰かがかすれ声で呟いたが、それすら森には届かない。
この場にいるすべての者が、“ただの存在”へと還されたかのようだった。
妖精たちは、誰からともなく膝をついた。
羽根を伏せ、額を地に。言葉などいらない。それは本能――支配されるものとしての畏敬だった。
妖精たちの頂点に立つセリフィーナでさえ、その冷えた金の瞳を伏せ、長いまつ毛が揺れる。
「……陛下……」
その声は、祈りにも似ていた。
ルシェイドは、思わず剣を地に突いて片膝をつく。
恐怖ではなかった。ただ、“圧”だった。
(……何だ、この感覚は……。俺は、何に……屈している?)
彼の心の奥に、かつて神の側にいた者としての“理性”と、“否応なき敬意”が交錯していた。
そして、その中心に立つシュエルだけが――唯一、何も言葉を持たず、ただ“立って”いた。
彼女は何も語らず、ただ、その場に立つ資格を持つ者のように、静かに息をしていた。
それだけで、世界の意味が変わってしまうような、圧倒的な“始まり”の気配。
この時、誰もが悟っていた。
彼女は、もうただの少女ではない。
あの刻印が、その瞳が、それを物語っていた。
そして……その背に寄り添う黒き龍が、
彼女の“選ばれし存在”であることを、否応なく証明していた。
その時、静寂の中に、微かにざわつく気配が走った。
それは、神々の側に繋がる者にしか感じ得ぬ“上位の圧”――。
エルドリクスの覚醒に呼応するかのように、空間そのものが揺らぎ始めた瞬間。
「ふぅん……これは、さすがに“上”も黙ってられないみたいねぇ」
ミゼリアが、ふわりと白銀の髪を揺らしながらくるりと回る。 その瞳は笑っているのに、どこか“退屈”そうですらあった。
「命令、変更だわ。ね、ネフィリア?」
「……ええ。“今は撤退”。それが“あの方”の判断よ」
黒きゴシックの裾がふわりと舞い、ネフィリアが淡々と応える。 双子の間に言葉はいらない。ただひとつ、上位存在からの“気配”に従うのみ。
「……命の価値を、あなたたちが知る日が来るといいわね」
ネフィリアはちらりとルシェイドの方に目を向けて、そう告げた。 それは警告ではない。ただ“感想”に近い温度のない言葉だった。
一方、ミゼリアはシュエルを見上げながら、まるで舞踏会の終わりを惜しむかのように笑った。
「ふふっ……次はもっと楽しいといいなぁ♡ ……ねぇ、エルちゃん?」
冗談とも本気ともつかないその言葉に、誰も返す者はいなかった。
彼女たちの足元から、赤く滲むような魔法陣が浮かび上がる。 血のように、花弁のように。美しくも禍々しいその“残滓”を残して、 ミゼリアとネフィリアは、ふわりと宙へと舞い上がる。
「また、遊びにくるねぇ〜♪」
魔法の残響だけが、森に小さな余韻を残し、 その身はやがて、霧のように消えた。
彼女たちは、“神の秩序”に従う存在。
その姿が去った後にも、不穏な余熱は確かに残されていた。
――血の花が咲いたような魔法の痕。それが、次なる波乱の“種”となるとは、
この時まだ、誰も知らなかった。
世界は、再び“呼吸”を取り戻しつつあった。
だが、その中心で――彼だけは、まだ沈黙の中にいた。
静かに歩み寄り、シュエルは膝をつく。
その背にはなお、神聖な光が薄く残っていた。
彼女は言葉なく、そっとヴァルゼクトの前に座す。
深い眠りに囚われたような彼の表情は、安らかで……けれど痛々しかった。
「……目覚めてください、ヴァルゼクト」
その声は、涙でも叫びでもない。
静かなる祈りのように、大気へと溶けていく。
ノクシアが彼の背に手を当て、眉をひそめた。
「……これは、“神の呪い”ね。肉体だけじゃない。魂を穿たれてる。 これは、常の癒しでは……届かないわ」
その言葉に、シュエルは目を伏せ、彼の手をそっと握りしめた。
「……あなたが私を、守ってくれた」
細く、震えるような指先から、柔らかな光が流れ込む。
それはほんの微かなものでしかなかったが、
ヴァルゼクトの指がわずかに動いた――ように、見えた。
「私は……“王”として、あなたに命じるわ」
「どうか、生きなさい」
その言葉は命の律動となり、空気を震わせた。
すると次の瞬間――
ヴァルゼクトの胸元、そこに宿る“命の滴”が淡く光を放つ。
それは紋でも印でもない。
ただひとつ、彼という存在をかろうじてこの世に繋ぎとめている、儚くも尊い命の灯。
その光に、シュエルの祈りが重なる。
「命の炎よ……消えるには、まだ早い」
彼女の手のひらからこぼれた小さな光は、まるで妖精の羽音のように舞い、彼の胸元へと吸い込まれていった。
――そして。
ほんのわずかに。
風も木々も、耳を澄まさなければ聞こえぬほどに。
ヴァルゼクトの指先が、かすかに動いた。
静かに――しかし迷いなく。
彼の手にあった剣が、音もなく引き抜かれる。
その刃は、まっすぐにルシェイドの喉元へと伸びていた。
「……神を裏ぎりし者は……」
低く、どこか機械的に響く声。
それは、まるで“かつての彼”が目を覚ましたようだった。
その瞬間――
シュエルの記憶の深淵に、かつての光景が閃いた。
神々の軍勢が黒龍を討たんと迫った、あの日。
その最前線に立ち、冷ややかな瞳で剣を振るっていた男。
シュエルが全身で拒絶し、心に刻んだ“存在してはならぬ者”。
今、目の前にいるヴァルゼクトの姿が、あの日の男と重なる。
「……神を裏切りし者は……」
ヴァルゼクトの口から漏れたその言葉に、ルシェイドは動揺を隠せなかった。
シュエルは、彼の剣先がルシェイドの喉元に向けられているのを見て、息をのんだ。
「……あなたは……何者なの……?」
その声は、かつての少女のものではなかった。
王としての意志が、その響きに宿っていた。
その問いは、彼女自身の心の奥底から湧き上がったものだった。
ヴァルゼクトの瞳が、微かに揺れる。
まるで、自らの存在に疑問を抱くかのように。
風が再び森を撫で、静寂が訪れる。
だが、その静けさの中に、確かな変化の兆しがあった。
シュエルの問いかけが、物語の新たな幕開けを告げる。
次回――《記憶の迷宮— 封じられし剣、醒めゆく影 —》
かつて“神の兵”だった男が、今、己の剣をかざす。
その刃の先が、かつて共に神を否定した者に向けられたとき——
歪められた記憶の中に、封じられた真実がゆっくりと動き始めた。
それは偶然ではない。
歴史に埋もれた“禁忌”が、いま再び息を吹き返そうとしている。
何者かが語り継ごうとせず、
誰もが“無かったこと”にした物語。
だが、それは確かに存在していたのだ。
そしていま、
妖精王シュエルという“希望”の名のもとに、
その封印が、ゆっくりと解かれ始めている。
この世界の輪郭が変わるまで、
……それは、そう遠くない未来のことだった。
物語の続きが、あなたの心に残るのなら——
どうか、そっと“しるし”を。
ブックマークを、よろしくお願いいたします。




