共鳴する刻印——禁忌の鼓動が始まる
かつて神が恐れ、封印した“禁忌の存在”——その痕跡が、今まさに姿を現そうとしていた。
シュエルの胸に浮かび上がる黒き紋様。それはただの模様ではない。“共鳴”する鼓動とともに、眠れる記憶が、真実が、ゆっくりと目を覚まし始める。
破滅の魔女ノクシアは微笑む。そして告げる。
「その印は、黒き終焉の龍王——エルドリクスのものだ」と。
……彼女はなぜ笑ったのか? “誰”に向けて「元気そうでよかった」と呟いたのか?
刻まれた運命は、ただの偶然ではない。 すべてが、深く絡み合った“真実”へと繋がっていく。
さあ——“禁忌の鼓動”が鳴り始める。
「その紋様は——黒き終焉の龍王の印だ」
ノクシアの言葉が、静かに空気を裂いた。
シュエルの胸元に浮かぶ刻印が、まるで脈を打つように黒く輝く。
それは、命あるものの息吹を宿すように——確かに“生きていた”。
禁忌の存在。
それが彼女の中に——?
ヴァルゼクトは、無意識に息をのんでいた。
「……シュエル、お前……その刻印……」
言葉が、喉の奥でひっかかった。
目の前の彼女が、“異質”に見えてしまいそうで——
だけど、その表情は変わらず無垢で、まるで何も知らない少女のようだった。
「ん? これ? なんか、さっきからドクンドクンってしててさ〜」
シュエルは刻印を見下ろしながら、無邪気に笑った。
だが、その笑みを見て、ノクシアの瞳が僅かに陰る。
「……元気そうだな」
その声はどこか寂しげで、まるで遠い昔を想うかのようだった。
誰に向けた言葉なのか——それは、誰にもわからない。
「……動き始めたな」
ルシェイドの表情が険しくなる。
「この印……やはり、“黒き終焉の龍王”と交わした契約の刻印だ」
「契約……」
ヴァルゼクトが静かに呟く。
「シュエルの中で眠っていたその記憶が、今――目を覚まそうとしている」
シュエルは、自身の胸に浮かぶ紋様をそっと見つめた。
「……ドクンって……また鳴ってる」
ノクシアはただ、微かに目を細めていた。
「待て。それってまさか……」
ヴァルゼクトが言いかけた瞬間、シュエルの瞳がふわりと揺れた。
「……なんだろ、懐かしいような……痛いような……」
小さな肩が、ほんのわずか震える。
刻印の中心から黒い輝きが強くなり、胸に手を当てた彼女の表情に、わずかな苦しみが浮かぶ。
「やっぱり……“奴”の鼓動と共鳴している」
ノクシアが小さく呟いた。
「“奴”……?」
「——エルドリクスだ」
その名を聞いた瞬間、空気が凍りついた。
「黒き破滅の龍王」
「神々に最も恐れられ、最も憎まれた存在」
「そして、かつて——“妖精王”によって封印された者」
その封印の痕跡が、今、目の前の少女に浮かび上がっている。
ヴァルゼクトは、視線を逸らせなかった。
まるでそこに、何か大切な“真実”があるようで。
「……まさか、君が……」
その問いは、声にならなかった。
だがノクシアは静かに言った。
「大丈夫。今の彼女は、“シュエル”だ。
お前たちの知る、小さくて、可愛くて、平和が好きで……世界に微笑みを届ける少女だ」
「でも……?」
「でも、もし彼女の記憶が戻り、すべてを思い出せば——」
ノクシアの声が一段、低くなった。
「“世界”がひっくり返るぞ」
黒き刻印が消えたあとも、シュエルの胸には熱の名残が残っていた。
それはまるで、封じられていた何かが目覚めの準備を始めたかのようだった。
ノクシアは、そんな彼女を横目に見ながら、静かに歩き出した。
まるで“何か”を確かめるように、一歩ずつ大地を踏みしめて。
「ねぇノクシア、さっきの紋様って……そんなにすごいものなの?」
軽い口調で尋ねるシュエルの声には、不安と無邪気さが入り混じっていた。
ノクシアは答えない。
代わりに、ふと立ち止まり、振り返らずに問うた。
「シュエル、お前は——“誰の命を守るために、力を使った”?」
「え……?」
一瞬の沈黙のあと、シュエルは戸惑ったように笑った。
「えっとぉ……みんな、かな? ううん、わたし、よくわかんないや」
ノクシアの背中が、ふっと揺れた。
「……それで、いいさ。今はまだ、な」
その言葉がどこか寂しげに響いたとき——
ルシェイドが、何かに気づいたように立ち止まる。
「……この気配」
ノクシアもすぐに振り向いた。
その眼に宿るのは、まぎれもない警戒と、確信。
「来るぞ。あれは……“神の手”ではない」
「なら何だ?」
ヴァルゼクトが剣に手をかけた。
ノクシアの答えは短かった。
「——“監視者”だ」
一瞬、空気が緊張に凍りつく。
「待て、監視者は……戦う意思はないはずだろ?」
ルシェイドが鋭く言う。
ノクシアはかすかに笑った。
「戦う意思はない。けれど、別の目的がある」
「別の目的……?」
「そう。彼らは“確認”しに来る。この世界に、まだ“目覚めてはならぬ者”がいるかどうかを」
そのとき、ノクシアの視線が、シュエルの背中に向けられた。
まるで、“すべてを知っている”者のように。
「……それって、もしかして」
「言わなくてもいい」
ノクシアがかぶせるように口を開いた。
「まだ、運命は動き始めたばかりだ。
真実は、一度に全てを明かせば壊れる。
壊したくないだろ?」
そう言って、彼女は優しく微笑んだ。
そしてふと、静かに空を見上げた。
「——エルドリクス」
その名が、風に溶けて消える。
そのときだった。
シュエルの胸元が、再び脈を打った。
そして、淡く輝く黒き刻印が、わずかに浮かび上がる。
その輝きを見て、ノクシアはただ一言、つぶやいた。
「……元気そうでよかったよ、“あいつ”も」
その言葉が、いったい誰に向けられたのか。
ヴァルゼクトもルシェイドも、誰も答えを持たなかった。
だが——その時、確かに“何か”が、動き出していた。
そして次の瞬間、大地が微かに震えた。
妖精の森は、もうすぐそこだった。
「……その紋様は、“ただの刻印”じゃない」
ノクシアの言葉が、重く森の空気を揺らした。
妖精の森の入り口へと続く道。
そこに立ち尽くすシュエルの胸元には、黒き紋が淡く脈を打つように浮かんでいた。
その波動が、まるで森そのものと“共鳴”しているかのように——。
「“黒き終焉の龍王”——エルドリクス。
神々が最も恐れ、封じた禁忌の存在のひとつだ」
ノクシアが静かに言った。
「……シュエル、お前の中に、その龍王の力の“残響”が宿っている。
つまり、かつて深い契約を結んだ証——“魂の盟印”が残されているんだ」
「魂の……盟印?」
シュエルが、不思議そうに自分の胸元を見つめた。
「うん……なんか、ドクンってして、あったかいの。痛くはないけど……」
「それは——“絆”の証だ」
ノクシアは静かにうなずいた。
だが、その瞳の奥には、ふと一瞬だけ影が差す。
まるで遠い昔を思い出すかのように、微かに唇を噛みしめる。
(……私も、あれほど強く結ばれた“絆”が欲しかった)
誰にも言えなかった、誰にも届かなかった想い。
それを今、目の前の小さな妖精が当然のように手にしている。
ノクシアは目を伏せ、そっとシュエルの髪を撫でながら、小さく微笑んだ。
「……大事にするんだよ、その絆を」
それはまるで、自分に言い聞かせるような声だった。
「エルドリクスは滅ぼされた存在ではない。
“お前の力”によって封印された。——そうだろ、シュエル?」
「……私の力で?」
小さく問い返すシュエルの瞳が揺れる。
ノクシアはその様子を見つめながら、続けた。
「お前は、かつてその龍を守るために全てを差し出した。
妖精王としての力も、記憶も——そして、未来さえも」
ヴァルゼクトが言葉を失ったように、じっとそのやり取りを見つめていた。
「だが……どうして、俺はそんな話を知らない?
エルドリクスって名前すら、初めて聞いた気がする……」
その問いに、ノクシアが鋭い視線を向ける。
「当たり前だ。
お前はその記憶を——自ら封じた」
「……!?」
「禁忌に手を伸ばし、“神々の敵”となる選択をしたお前は、
自分の名と記憶を封じた。
“ただの村人A”として生きるために」
その言葉に、沈黙が落ちる。
シュエルも、ルシェイドも、誰も何も言えなかった。
ノクシアの声だけが、静かに響いていた。
「……この刻印は、ただの呪印ではない。
それは“共鳴”の証。
魂が深く結ばれた者同士しか持ち得ない、運命の痕跡」
彼女の視線がシュエルに向く。
「お前が覚えていなくてもいい。
でも、エルドリクスは今も——お前を守ろうとしている。
その印がそれを証明している」
ドクン。
刻印がまた脈打つ。
その波動に呼応するかのように、
遥か遠くの空で、黒雲が静かに渦を巻いた。
まるで、何かが目覚めようとしているかのように——。
ノクシアが、わずかに空を見上げて微笑む。
それは、どこか懐かしく、どこか切なげな笑みだった。
「……もうすぐ、会えそうだな」
ぽつりと落ちたその言葉に、
隣にいたシュエルが不思議そうに首をかしげる。
「ノクシア……今の、“誰”に言ったの?」
だが、ノクシアは答えなかった。
ただ、遥か空の彼方に目を細め、風にそっと髪を揺らすだけ。
まるで、遠い記憶に呼ばれるかのように。
黒雲が、まるで意志を持つように空を這い、
その渦の中心から淡い光が一筋、地上へと伸びていた。
その瞬間、
シュエルの瞳がふわりと揺れた。
どこか懐かしいような、寂しさを孕んだ表情。
「……あの雲、知ってる気がする。ずっと、前に——」
ノクシアは微笑んだまま、何も言わなかった。
その横で、ヴァルゼクトはただ、空を見つめていた。
静かに、じっと。
黒雲の渦の中にある"何か"に、本能がわずかに反応していた。
だが、思い出せない。
思い出したくない、何かの気配。
胸の奥が、わずかに軋んだ。
まるで思い出そうとするたびに、その扉が内側から——
“何か”によって、そっと押し返されているかのように。
記憶の底に沈む何かが、
「まだ触れるな」とでも言うように、静かに、しかし確かに——拒んでいる。
ヴァルゼクトは、理由のない不安と共に、
その感覚を振り払おうと、目を伏せた。
ただ一つ——
今見上げるその空が、なぜか"懐かしくない"ことだけが、
妙に心に引っかかっていた。
(……俺は、何を……)
空を見上げる三人の背に、風が吹いた。
それは、これから始まる何かの前兆。
そして、眠れる記憶と、解かれゆく封印の、静かな鼓動だった。
共鳴は始まった。
そして運命は、再び動き出す。
そして、誰にも聞こえないほど小さな声でつぶやく。
「……願わくば、お前たちが壊れずに済みますように」
——まだ、すべては始まったばかり。
「……あの紋様を見るたびに、胸が焼けるのよ」
破滅の魔女ノクシアは、静かにつぶやいた。
かつて、黒き終焉の龍王——エルドリクスにすべてを捧げた魔女。
彼の隣に立つのは自分であるべきだと、信じて疑わなかった。
「なのに……」
その瞳に、かすかな嫉妬が揺れる。
「……あんな小娘に取られるなんて、冗談じゃないわ」
その瞬間、背後から明るい声が響いた。
「それって……私のことだったりする?」
くるりと飛び込んできたのはシュエル。
黒き龍王と心を重ねた少女の無邪気な笑顔に、ノクシアは一瞬だけ目を細める。
「……ふふ。まったく、図々しいわね。だけど——」
彼女はかすかに笑った。
「……あの子が命を賭してエルドリクスを守ったあの日。私は、敗北を知ったのよ。
あの子の愛は、私よりも深くて、真っ直ぐだった」
それは、苦い記憶であり、誇らしくもある過去。
「私はあの小娘を——心から尊敬している。あの子は、愛を知る者よ。偉大な、光の中にいる者」
彼女の声は優しく、どこか寂しげだった。
……刻まれた運命は、再び動き出す。
シュエル、そして黒き龍エルドリクスの物語の行方を、どうか見届けてほしい。
次回、さらなる真実が刻まれます。
ブックマーク、していただけると嬉しいです。
あなたのそのひと押しが、物語をもっと先へとコミカライズ化へと導いてくれます。




