エピローグ
ディネロはハッと目覚めた。ガバッと身を起して周囲を確認する。太陽はけっこう高く昇っているらしく、窓から射しこむ光に照らされた、いつもと変わらない自室が見えた。寝すぎたせいか少し痛む頭を押さえながら記憶を探る。
えっと……あたしどうしたんだっけ? 昨日、車の中で傷の手当をしながら、帰って来てから、おっそい晩ご飯を食べてる途中に……そこから記憶がない。あれ? ご飯食べてる途中で寝ちゃったのかしら? なら、どうして自分の部屋に?
まさか、あいつに運ばれた?
チラリと自らの体を窺うと、昨日と同じズタボロの服のままだ。
ふむ。運ばれたのかもしれないけど、どうやら服を着替えさせようとはしなかったみたいね。
寝てる間に服を着替えさせられていたら、さすがにキレる。キレて暴れてカルディアを灰にするだろう。
「とりあえず、お風呂かな」
お腹もグーグー鳴っているが、一日お風呂に入っていないせいで不快感が耐えられないレベルまで悪化している。それにもう少しちゃんと傷の手当てもする必要があるだろう。
彼女はお風呂セットと手当セットを用意して、部屋を出るところで足を止めた。ふと横を見ると、椅子の背に真新しいドレスが掛っている。色は鮮やかなエメラルドグリーン。それはいつだったか、彼女が買った布と同じ色だった。服には小さな紙切れが張り付けてあった。
『やっとできた。だから置いとく』
ディネロは頬を緩め、その紙をゴミ箱に投げ入れると、用意していた服をベッドに放り投げ、真新しいドレスを掴んで足取り軽く浴室へ向かった。
三十分ほど浴室にこもり、鼻歌を歌いながら昨日の疲労と汗と戦塵をきれいさっぱり洗い落す。
二十分ほど時間をかけて髪を乾かし身なりを整えて、傷の手当をしてから、食事のために厨房へ駆けこんだ。
「今日の朝ごはんは?」
厨房へ入った瞬間、開口一番にそう言ってテーブルの前に着席する。
「お、起きたのか。つーか、もうお昼すぎだぞ」
いつものように真っ白な三角巾とエプロンに身を包んだカルディアが、あきれたようにフライ返しを振った。
「そんなのどうでもいいわよ。それよりお腹ペコペコなの。早く用意してよ」
彼女はバンバンとテーブルを叩いた。
「まぁ、丸一日寝てたんだから腹も減るだろうな」
「は⁉ 丸一日⁉ あたしそんなに寝てたの⁉」
「うん。そりゃもう、ぐっすりと」
「そうなんだ。そりゃ、お腹が鳴るはずだわ……」
唖然とするディネロを見て笑いながら、カルディアはお皿をテーブルに置いていく。
ポテトのポタージュ、アスパラとトマトのサラダ、皮がパリパリに焼かれた白身魚のムニエル、分厚く切られたベーコンと満月のような目玉焼き、たっぷりとバターが塗られたたくさんのパン。
「いっただっきまーす!」
両手を合わせて元気よく叫んで、ディネロは猛烈な勢いで食べ物を口につめこみ始めた。
「もがいへば、べろどざぼーはぼこぬ?」
「飲みこんでから言ってくれ。あとそんなに慌てて食べない方がいいぞ」
「ごくん。ペルとサヴァーはどこに?」
「二人してボロボロだったから、包帯でぐるぐる巻きにして部屋に寝かしつけてるよ。ソキウスが様子を診てるから安心していい。でも、あんたのこと心配してたから後でお見舞いにでも行ってやれ」
「へぇ……まぁ、言われなくてもお見舞いは行くけどね。大事な相棒だもん」
安心したように一息ついて、ディネロは食事に戻った。
「あー食った食った」
満足げにお腹をポンポン叩きながら彼女は言った。
ペルかサヴァーがいれば、たしなめられるであろう態度……いや、そうでもないかもしれない。どうせ言っても聞かないだろうから、二人とも流す方向で処理するのかもしれない。
そんな事はお構いなしに、彼女は料理長を褒めた。
「今日も最高だったわ。相変わらず料理上手よね、あんた」
「ありがとう」
「そういえば、これどう? 似合う?」
彼女は立ち上がってその場でくるりと一回転する。ドレスのすそがふわりと広がった。
「似合う、と思う……いや、よく似合ってるよ」
「ふふ。あたしは何でも似合うからね。……作ってくれて、ありがと」
ディネロは最後の一言を小さく呟いた。カルディアは微かにほほ笑みながら頷いた。
「ところでさ、家賃はどうなってるの?」
彼女は食後のコーヒーを飲みながら、洗い物をするカルディアの背中に向かって言った。
「二日分たまってると思うんだけど」
「…………」
カルディアは沈黙を保つ。
「ちょっと、あんた聞いてる? 家賃のこと!」
「聞いてる。それについて俺にも言いたいことがある」
洗い物の手を止めて、カルディアは振り向いた。真っ直ぐにディネロに視線を合わせ、真剣な声で告げた。
「今日をもって、家賃の支払いを停止する」
「なんで⁉ ま、待ちなさい! ちょっと、何言ってるのよ⁉」
ディネロは慌てて立ち上がる。それを手で制し、カルディアは一切の冗談もなしに、ひどく真面目に続けた。
「よく考えたらおかしいと思わないか。俺はあんたの衣食と掃除、その他もろもろを支えてるんだ。あんたから賃金をもらってもいいぐらいじゃないか? 少なくとも、家賃と相殺できる働きはしているはずだ」
「それは……そうだけど。ねぇ、あんた、なんか急にお金にシビアになってない? 急にがめつくなっちゃってさ。なんで?」
「俺にもよくわかんねぇんだけど……あの戦闘から帰って来てからちょっと考え方が変わったんだ」
「だから、その理由は?」
「たぶん、新しい『ハート』のせいだ」
「はぁ⁉」
ディネロはすっとんきょうな声を上げた。
「俺はさ、『ハート』からのエネルギーで活動してんだよ。それで、『ハート』は人の『心』から作られてる。『ハート』には個性があるんだ。俺はそれを引き出してエネルギーにしてるから、『ハート』が変わると、微妙に性格が変わるんだよ」
カルディアは申し訳なさそうに言った。ディネロはそれを聞いて複雑な表情を見せた。
「それは……つまり、こういうこと? あんたはあたしのハートのせいで、お金にシビアになり、がめつくなった……そう言いたいわけ?」
怒りの表情でカルディアに詰め寄っていくディネロ。その迫力に押され、じりじりと後ろに下がりながら彼は言い訳する。
「あー……うん、そんな感じかな」
「そんな感じじゃないわよ! それじゃ、あたしがお金に汚い欲深人間みたいじゃない!」
ディネロはわめきながら、カルディアの胸倉をつかんで激しく揺さぶった。
こう言っちゃなんだが、あんたはけっこうお金に汚いし、欲深いぞ!
のどまで出かかった言葉を飲みこみ、カルディアは彼女を落ち着かせようと必死の努力を重ねるのだった。
しばらくして、ディネロはなんとか落ち着きを取り戻し、洗い物を終えたカルディアとテーブルをはさんで座っていた。
「ま、家賃についてはもういいわ」
彼女は音をたててコーヒーをすする。カルディアは下手な事は言わずに頷くにとどめる。余計は事は言わない方がいい。ディネロの怒りがぶり返すと厄介なことなるということを、しっかり学習しているカルディアだった。
二人とも黙りこんでしまい、静かな時間が流れた。
沈黙を破ったのはディネロだった。
「……あんた、顔の傷、治ってないのね」
「ああ……たぶん、そのうち直るよ。時間はかかるけど、俺にも自己修復機能があるから」
左目の周りの亀裂に触れながらカルディアは言った。
「あんた、これからどうするの?」
「どうって、いつものように過ごしていくさ。家事は全部引き受ける。それは安心してくれ」
「じゃなくて、冒険に行ったりするの?」
「そうだな、また時期を見て出かけるよ」
「その時はさ、あたしも連れて行きなさいね」
ディネロは我が意を得たり、とばかりに指を突きつける。
「そこで見つけたお宝は山分けよ。……くくく、これであたしも財宝ザックザクね」
家賃は諦めても、お宝はあきらめない彼女だった。
したたかな女性である。
まぁ、ただ諦めが悪いということなのかもしれないが。
「それに『友達』と一緒に行く冒険はしたことないでしょ? いい経験になるわよ。あなたにとっても……もちろん、『魂』にとっても、ね」
「いいように言うじゃないか。でも、危険だぜ。簡単じゃない」
「ふふふ。望むところ、よ。大体、安心が保障された冒険に意味なんてないわ。冒険にはそれなりの危険は付き物よ。障害が大きければその分、お宝のグレードもアップするはずだし」
「ははは。それは、あんたらしい目標だな。でも、そういうことなら、ぜひお願いしよう」
カルディアは笑う。
「それで、あんたはどうするつもりなんだ?」
「自由気ままにのんびり暮らす……と言いたいところだけど、《魔祓い》の仕事も引き受けようと思ってる」
ディネロはコーヒーをぐっと飲み干した。
「あたしはやっぱり、《魔祓い》の娘なのよ。それが性に合ってるの。パパが最後の瞬間まで誇った仕事を継ぐのも悪くないって、そう思ったの。それに敵をぶっ飛ばした後は、スッキリするしね。……もちろん、やるからにはパパを超えるつもりよ。当代最強じゃなくて、歴代最強を目指すわ」
「あんたならできると思うね、おれは」
「仕事の時は、あんたにも手伝ってもらうけど」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、ディネロはテーブルの下でカルディアの足をポンと蹴った。
「俺、戦闘はあんまりなんだけどなぁ。あんたが言うなら、全力で手伝うよ。久しぶりにできた友達の手伝いだ。微力ながら、全身全霊でお供しよう」
「微力って……十分強いくせに、よく言うわよ」
ディネロはカラカラと笑った。それにつられてカルディアも笑い声を上げる。
午後の柔らかな日差しが差しこんだ明るい厨房は、二人の笑い声に包まれた。
「さて、ペルとサヴァーのお見舞いに行って、あたしの《魔祓い》事務所の看板でも作ろうかしら? 宣伝は派手な方がいいわよね。ビラでも配った方がいいかな」
「いいね。俺は日曜大工も、お絵かきも得意だぜ。完璧な看板とビラを作ってやる」
「くっくっく。あんたってホント使える人材だわ。友達として申し分ない。最高ね。……本当に色々と感謝してるわ」
最後の一言は聞き取れないぐらいの小声だった。それから彼女は心の中で付け足す。
改まったお礼は恥ずかしくてちゃんと言えないから、また今度。今は心の中で言わせてもらうわ。
ありがとう、カルディア。
まさか、心の声が聞こえたわけではあるまいが――あるいは『心』がつながったのか――カルディアは微かに笑った。
「じゃ、行きましょうか」
「おう」
ディネロとカルディアはそろって厨房を後にした。
《魔祓い》の少女と《虚ろな人形》。
二人は同じ『心』を持っている。
例え、他のすべてが違っても、それだけあれば二人は仲良くやっていけるだろう。
だがしかし、もしも『心』が違ってしまうことがあったら?
それでも、やはり問題はない。
『友情』とはそういうものだろう?
ノーブル・ハーツ、一旦終了です。
つたない物語を最後までお読み頂いた方、ありがとうございました。