6.心と魂
父親と最後となる会話を終え、父を失った喪失感はあるものの、分かり合えたという安堵を感じながらディネロが目を開けると、眼前に肌色をした壁が見えた。
ん? なにこれ?
不思議に感じて思わず顔を上げると、カルディアの顔面が半端じゃないぐらいの至近距離にあった。鼻と鼻がくっつきそうなほど近く、カルディアの濃いブルーの瞳に映った自分の顔がはっきりと認識できる。
どうやら、さっき壁だと思った物はカルディアの胸だったらしい。
遅まきながら自分がカルディアの胴体に腕を回して、がっちりと抱きしめている事に気がついたディネロはそのままの体勢で硬直する。
数秒間たっぷり息を吸いこんでから、彼女は盛大な悲鳴を上げた。
「ぎゃああああああああ!!」
光速に近いスピードでカルディアの体を激しく突き飛ばして、自分は後ろへと跳び退る。
「何やってんの⁉ あ、あんた何やってんの⁉ あたしをあんなに抱きしめて! 一体何をやろうとしてたのよ! ど、どんないかがわしい事を企んで……! この変態! クズ! スケベ! バカ! 大バカ! バカ野郎! 色魔! この×××! ○○○! ♯♭※☆△~~!」
突き飛ばされて床に転がったカルディアに向かって、彼女は罵倒の嵐を投げつける。最後の方は何を言っているのかさっぱり聞き取れない。
「……これはあくまで事実確認なんだが、俺はあんたの事、抱きしめてないからな。抱きしめてたのはあんただけだ」
床に倒れたまま、天井を見上げながらカルディアはぼそりと言った。
「……ボス、落ち着け」
ペルは肩で息をするディネロの足をポンポンと叩く。
「俺はあんたのためを思って、頑張ったのに」
カルディアはガシガシ頭を掻きながら、上半身を起こした。そして、手に持っていた『ハート』と胸にある『ハート』を交換する。
「でも、あれって何だったの?」
「……あとで説明するよ。今は、あんたの親父さんの亡骸をどうにかしてやろうぜ」
はだけていた服を喉元まで留めながらカルディアは言った。
「ハッ! そうよ! パパをあのままにしておけないわ!」
ディネロは風のように部屋から走り去った。
「……何をしたのかはわからないが、ありがとう。ボスがあそこまで立ち直れたのはお前のおかげだ」
「お礼はいいさ。さて、俺らも彼女の手伝いに行こうぜ」
彼らはストリック・アルジャンの亡骸を自分たちの屋敷に運んだ。
そこで質素な棺桶に亡骸を横たえた。
「もうお別れは済んでるもの。悲しいけど、泣き叫ぶのはやめるわ。パパに笑われちゃう」
ディネロは最後に愛おしそうに父親の額に触れて、最後の別れを行った。
彼女たちは屋敷から見える丘に棺桶を埋めた。
お葬式はしなかった。親族と仲がよくないので呼びたいような人間はいなかったからだ。ディネロとペル、サヴァー、そしてカルディアとソキウスだけが参列者だった。
黙々と作業を続け、完全に棺桶を埋めて地面をならし、最後に墓石を置いた。ディネロがその前に花束を供える。
みんなで頭を垂れて静かに手を合わせる。
しばらく経ってから、ディネロは晴れやかな笑顔で立ち上がった。
「これで終わり。辛気臭いのはもうやめよ。暗い顔してたらパパに悪いわ。これからは元気よくいくわよ!」
「わかった」
ディネロは真新しい父の墓の隣に目をやった。そこには古びた墓がある。どのぐらい古いのか、墓石に刻まれた文字はすり減っていてまったく読み取ることができない。
しかし、墓前には綺麗な、まだ新しい花束が置かれている。
「これは誰のお墓なの……?」
訊ねられたカルディアは横目でディネロを見つめた。
「答えたくなかったらいいわ。無理に聞かない。ちょっと気になっただけだから」
「いや、大丈夫だ。これは友達の墓……俺の墓だと言ってもいいかもしれないけど」
ディネロは沈黙を保った。
「まぁ、何言ってるかわかんねぇよな……」
だけど、とカルディアは続ける。
「今晩にでも全部説明するよ。説明するって約束したしな。俺の正体も、この墓のことも」
彼は少しだけ笑った。
その夜。
屋敷で一番高いディネロの部屋。その部屋に備えつけられたテーブルでカルディアとディネロは向かい合っていた。カルディアのそばにはソキウスが、ディネロのそばにはペルとサヴァーが控えている。
「さて、説明するとは言ったものの……長い話になるぜ」
ディネロはグラスを片手にほほ笑んだ。
「かまわないわ。……夜は長いってよく言うでしょ?」
「夜は長い、か。じゃ……聞いてくれ」
「あんたは知ってるかな……昔々に存在した人形のことを?」
「人形?」
「そうだ。遥かな昔、とある施設において、様々な方法で、人工的に人を造ることが目的とした研究があった。結局その研究すべては途中で頓挫したが、研究過程の一つで成果が生まれた。限りなく人に近い人形が、生まれた」
カルディアはテーブルを見つめながら語る。
「限りなく人に近い、それでも絶望的なまでに人から離れている、そんな人形たちがいた。その人を模して造られた人形たちは構造上なんの欠点もなかった。身体能力は人を遥かに上回ったし、耐久力その他についても人を超える。自我をもって自身で行動できた……ただ、その人形たちは魂と心を持たなかった。ざっくり言うと『人らしい感情』がなかったんだ。人形たちには喜怒哀楽がなく、ほとんど何事にも興味を示さず、ただ動き続けるためだけの行動したしなかった。研究者どれだけ研究を重ねても、どうしても魂を、心を与えることができなかった。人工的な魂というものを作り出すことができなかったんだ。人形はどこまで行っても人形だった。故に、人形たちはこう呼ばれた」
「《虚ろな人形》と、そう呼ばれた」
「そして、俺はその人形だ」
カルディアははっきりとそう言った。
「《虚ろな人形》は人の『心』をエネルギーにして活動する。『心』を『ハート』と呼ばれる物体に変化させて、自らの胸にはめこむんだ。あんたも見ただろう。俺の胸にあった奇妙な物体を。あれが『ハート』だ。『ハート』に溜めこまれたエネルギーを消費することで活動する。研究所がどんな方法を使ったのかは知らないが、これも人工的な『魂』を追い求める結果の一部さ」
カルディアはテーブルの上に左腕を置く。
「『ハート』はこの『アニマ』という機械で作り出すことができる。『起動』と言って人に向けて撃つだけだ。簡単だろう? 誰でもできる」
カルディアは「起動」と言ってアニマが動くところを見せた。
「『ハート』は心でできている。すなわち、人の思いそのものだ。その思いが強ければ強いほど強力な『ハート』になる。俺はあんたの親父さんの心から『ハート』を作り、その力で親父さんの思いをあんたに届けた。できたての『ハート』からは思いや記憶を引き出せるからな」
「そう。その……心を取られた――言い方がわからないから、そう言わせてもらうけど――心を取られた人はどうなるの?」
「どうにもならない。俺たちが貰うのはあくまで心の一部で、通常なら人に対してほとんど影響はない。弱りきった人なら話はべつだけど。」
「わかったわ、心を奪うわけじゃないのね。それから、使い終わったハートはどうなるの?」
「エネルギーが切れたら俺たちの使い物にはならない。物質としては残るが、それだけだ。でも、俺は捨ててない。全部とは言わないが、かなりの数の使用済みハートを保管している。あれは人の大切な思いの欠片だ。それを俺に分けてくれた人たちを思うと、そう簡単に捨てられないんだ。……ああ、なんでこんなこと聞くのかなって思ったが、親父さんのハートが心配なんだな? あんたの親父さんのハートはあのあとから大事に保管してある。安心してくれ。まだ使ってないし……あ、あんたが欲しいって言うんならやるぞ。形見にすればいい」
「いらないわ。パパもあんたに使って欲しがるでしょ」
「そうか……なら、いつか、ありがたく使わせてもらうよ」
カルディアは感謝をこめて頷いた。
そんな彼を見つめ、彼女は話の続きを促した。
「えっと……俺たちは――つまり《虚ろな人形》は人の心からできた『ハート』で活動するにもかかわらず、『心』を持てなかった。……何の感情もなく、ただ動くだけ。それでも、自我はある。製作者の言う事を聞くわけでもないし、自我によって適当に動き回る。正直役に立たないんだよ。そのうち研究はすたれ、俺たちは捨てられた。感情がないから何も感じなかった。俺もそうだ。どこかに行けと言われたから、フラフラとあちこちさまよって、習性として、定期的にハートを作って生活……生活じゃないな、ただ存在していただけだ」
「でも、今のあんたは感情が――『心』がないようには見えないけど?」
ディネロはグラスを回しながらそう言った。グラスに反射する光の乱舞を見ながらカルディアは語る。
「『心』は感情の器だ。そして『魂』は『心』を内包する人の本質そのもの。『魂』を持たない俺たちが『心』を、ひいては感情を持つことなんて、到底不可能だった。俺だって持てるとは思っていなかったし、そもそも、そんなこと興味はなかった。自分が感情を持とうが持てまいが、そんなことどうでもよかったんだ。それだけじゃない。何事にも興味がなかった」
でも、とカルディアは続けた。
「俺は変わったんだ。あいつ――クオーレという少年に出会って、俺の人生は一変した」
クオーレはいつものように窓の外の暗い景色を眺めていた。
今夜は比較的体調がよく、外は無風状態なため、本当に久しぶりに窓を開ける許可がおりた。
窓を開ける事ができたからといって、外に出られるわけでもなかったが、外の空気を感じることはできた。上体を起こして壁に寄りかかり、窓の外を見つめる。辺りは真っ暗で何か見えるわけではないが、手を伸ばせば外の空気に触れられる。生まれながらの病のせいで、自分の部屋から出られない彼にとってそれが唯一、外の世界と触れ合うことができる瞬間だった。
これほど近いのに、どうしても届かない。
ふいに手を伸ばすことが空しくなり、クオーレは手をベッドに戻した。
代わりに暗闇に目をこらし耳をそばだてる。
真っ暗なので景色は見えないが、聞き耳を立てる彼の耳には虫の声やフクロウの鳴き声が微かに聞こえた。
フクロウも虫も現物などほとんど見たことがない。
見たことがあるのは、ときおり部屋に出没する蚊やハエといったうっとしい虫だけで、彼が見てみたいのは美しい音色を奏でる虫たちなのだ。
どんな姿をしているのだろう? あれだけの音を出せるのだから、それは綺麗な姿形に違いない。
いつもと同じような想像が頭をめぐる。しかし、どれだけ想像したところで本物が見られるわけじゃない。
クオーレは暗い気分になったが、習慣で聞き耳を立てつづけた。
突然、パキという音が響いた。
実際は微かな音だったのだが、聴くことに集中していたクオーレの耳には異常なほどよく聞こえたのだった。
誰だ? 父や母であるはずがない。夜も遅いので使用人ということも考えにくい。第一、こんな時間に外をうろつく用事があるとも思えないし……。
不安にかられながらも、いつもとは違う展開に胸がドキドキした。発作によって引き起こされる辛い動悸とは全く違った胸の高鳴りだった。
またもパキという音がした。何かを踏みしめるような音。
「…………」
動物? いや、屋敷の周りは柵で囲まれているから、迷い込んだとは思えない。
声をかけようか? いや、泥棒だったらどうする? 襲われるのでは? でも、泥棒だったら声をかければ逃げて行くんじゃないだろうか? となると、ぼくは泥棒から家を守ったことになるぞ!
興奮のあまり汗が出てきた。震える手でハンカチを掴んで汗をぬぐう。
三度めの音がした。
さっきよりも離れている? 音の主がどこかに行ってしまう!
慌てて腕を伸ばしたら握っていたハンカチが手から滑り落ちて、窓の外へと飛び出してしまった。
「あ……!」
ヒラヒラと舞うハンカチはすぐに視界から消える。
ハンカチが落ちたせいか、離れていたモノが戻ってくる音が聞こえた。
これから何が起こるのか、まったくわからないため緊張する。
大丈夫さ……ハンカチが落ちたぐらいで何が起こる? 音の主が届けてくれるとでも? ありえない。方法がないし。玄関や窓は鍵がかかっている。唯一開いているのはこの窓だが、ここは屋敷でもかなり高い部屋だ。音の主がどれだけ親切であろうとも届けようがない。
そんな事を思って安心している――音の主に会いたいという思いがないわけではなかったが、やはり安堵が先にくる――と、
突然、下から何かが飛び上がってきた。
その『何か』は開いた窓の桟に足をかけ、部屋の中を覗きこんでくる。
「う、うわぁああ!」
思わず悲鳴が出た。
「た、たす――」
「落としたか?」
ひどく平淡な声がした。
「助けて……って、え?」
「落としたか、と聞いている」
また同じ声が聞こえた。何の感情もこめられておらず、ただ言葉を発しただけ、そんな声音だった。
声を出したのはどうやら眼前にいる人影のようだ。窓枠の上に危なげなく立ったまま、こちらを見下ろしている。
目を疑いながら姿を確認すると、ボロボロの外套を着こみ、燃えるような赤毛を無造作に伸ばし無表情な顔でクオーレを見つめる人物がいた。
「落としたって……あ! ハンカチ?」
「ハンカチ? この布きれのことだ」
人影はスッとハンカチを握った手を突き出した。
「そう! それがハンカチだよ。僕が落としたんだ……拾ってくれたんだね。ありがとう。でも、ここはすごく高いのに……どうやって来たの?」
「跳んだ」
輝きのない瞳でこちらを見ていた人物はそっけなく言った。
「跳んだって……ジャンプしてここまで?」
「そうだ」
「……すごいね。僕には絶対にできないよ」
クオーレは感心して言ったのだが、それに対する反応はなく謎の人物はくるりと後ろを向いて、飛び降りようと足を踏み出そうとした。
「待って!」
ピタリと動きを止める人影。ぐるりと首を回してクオーレの顔をじっと見る。
反射的に声をかけてしまったものの、何を言えばいいのかわからない。
「……あ、あの……また来てくれる?」
無意識で口から出てきたのは、そんな言葉だった。
それに対する反応はやはりなく、彼は外を向いた。
「ねぇ、君の名前は……?」
「カルディア」
一言だけ呟いて、彼は外の闇に消えた。
次の日は日中からソワソワして落ち着かなかった。
彼の変化のない日常に、突如現れた異分子。ひとっ飛びでこの窓まで到達するような超人だ。
会える確証はない。約束をしたわけでもないし、彼は来ると明言もしなかった。だから、会えない確率の方が高い。
それでも、クオーレの胸は高鳴っていた。
きっと会える。
根拠のない自信がある。
その夜。
眠い目をこすりながら耐えた。欠伸を連発しながら窓をにらんで待った。
彼は来なかった。
その夜も次の夜も、さらに次の夜も。
落胆しなかったと言えば嘘になる。それどころかショックで体調を崩した。高熱にうなされ、激しく咳きこんでベッドから起き上がれない日々が続いた。
やっとのことで体調が落ちつき、なんとかショックを乗り越えたころ、突然の来訪者があった。
カルディアだ。
相変わらずの無表情で身じろぎすることもなく、静かに窓枠に立っている。
「カルディア! やっと来てくれたんだね!」
嬉しさのあまり窓辺にすり寄った。対照的にカルディアの顔には何の感情も浮かんでいない。
「……君は嬉しくないの?」
「うれしい? よく意味がわからない。うれしいとは何だ?」
カルディアは抑揚のない棒読み口調で言う。疑問を発してはいるが、顔にも不思議そうなようすはない。あまりにも無表情。
「嬉しいっていうのがわからないの?」
「そうだ」
「……嬉しいっていうのは……楽しくて仕方ないとか、喜ばしいって意味だよ。……悲しくないってことかな」
「たのしい? よろこばし? かなしくない?」
ブツブツ呟きながら、ちっとも不思議そうでない表情で首を傾げるカルディアは、面白いというより不気味だった。
「もしかして、君は感情がわからないの……?」
「感情か。ないな。俺は《虚ろな人形》だ。感情というものは持ち合わせていない」
「ホロウ・マタ? それが何かは知らないけど、感情がないっていうのは大変だね」
「俺は長く存在している。数いる人を見てきたが感情を持っている方が大変だ。感情というものは理解の範囲外だが、よくわからないものに振り回される人間を見てきた。大抵はそれで失敗している」
「そんなことないよ! そりゃ、感情をなくせる時があれば、とは思うよ。それでも、感情を持っていればいい事だっていっぱいあるよ!」
「理解不能」
カルディアは無情な声を出した。
それを聞いたクオーレはしばらく考え込んで、にっこりと笑った。
「カルディア。僕と友達になろう。僕は友達がいなくてさみしんだ。僕と友達になって欲しい」
「ともだち」
「そうだよ。友達」
クオーレは笑って続ける。
「僕と友達になろう。カルディア、君に感情の良さを教えてあげるよ。ってまぁ、偉そうなこと言ってるけど、僕が一人でさみしいだけなんだけどね」
クオーレはそう言って、にっこりと笑った。
「そうやって俺はクオーレと友達になったんだ。何事にも興味のなかった昔の俺がどうしてそんな事をしようと思ったのかはわからない。気まぐれか偶然か……どちらにせよ、俺はその事を誇らしく思う」
「そう。今のあんたを見れば、そう思ってもいいんじゃない?」
「クオーレは俺の正体を説明しても一向に怖がらなかった。俺が人でないことも、『心』を食う人形だと知っても、だ。俺は頼まれるままにクオーレの元を訪ねるようになった。最初の頃は数週間おきに、それが一週間おきになり、数日と短くなっていき、最終的にはほとんど住みついているような状態になっていた」
「その子に会うのが楽しかったのね」
「……そうだろうな。もっとも、当時の俺はそんなことに気がつくような奴じゃなかったけど」
カルディアは自虐的に笑う。
ディネロは何も言わずに彼のグラスに飲み物を注ぎ足した。それを一息で飲み干してカルディアは話を続ける。
「お前はどうしてベッドに寝たままなんだ」
それはカルディアがクオーレの部屋に入り浸るようになったころ、カルディアの口から出た疑問だった。
それまで散々外の世界について知りたがっていたのだから当然だ。
「お前は外に行きたいんだろう? なら行けばいいじゃないか。俺の話を聞くよりずっと楽だし、簡単だ」
それに対してクオーレは弱々しい笑みを浮かべるだけだ。
「それができればどんなにいいか……でも、僕には無理なんだ。体が弱すぎる。すぐに熱が出るし、体力もない」
「俺はけっこう長くお前を見てきたつもりだが、熱が出てるところなど、見たことないぞ」
そう言われてクオーレはハッとした。
確かに彼の言う通りだ……僕は近頃倒れ込むことがなくなった。どうしてだろう? カルディアのおかげかな? 彼と話していると気分がよくなるから。
カルディアはクオーレの憧れになっていた。彼が語る荒唐無稽とも思える話――実際はよくある自然現象の話がほとんどだった――は外に出ることができないクオーレにとってまだ見ぬ素晴らしい光景だったのだ。想像力が刺激され、それを見てみたいと強く思うことができる。
それは生きる希望となる、命の原動力だった。
クオーレの体は僅かずつではあったが強くなっていた。初めての友人の存在が刺激になたのかもしれないし、ただ体が成長しただけかも知れなかったが、一番の理由は前向きになったことだった。
それまでの彼は物事を諦めるように考えることが多かった。夜に鳴く虫たちの姿が見たいと思っても、どうせ無理だと諦める。しかし、カルディアはあっけなくその虫たちを捕まえて来て、彼の目の前に無造作に差し出した。
これが、あの鳴き声の正体。
想像よりもただの虫で、空想のように綺麗でもなかったが、クオーレの目には輝いて見えた。虫もさることながら、それをあっさりと捕まえたカルディアが。
彼はこんなにも簡単に僕の願いを叶えることができるんだ……。
そして彼はこう言った。
「簡単な事だ。誰にでもできる」
「ぼく以外ならね……」
「なぜ、できないとしか考えない? 試したことはあるのか?」
いつもと同じ抑揚のない平淡な声だったが、クオーレは目から鱗が落ちる気分だった。
試したことはない。なぜなら、どうせ無理だと思っていたから。
体が弱いから、すぐに熱が出るから、体力がないから、動くと咳がひどくなるから。
さまざまな理由で無理だと思っていたし、周りからも無理はするなと言われていた。
でも、やってみて、意外と簡単だったら?
無理だと思い込んでいただけで、僕にもできてしまったら?
もし……そうなればどんなに素晴らしいだろう。
「僕に……できると思う?」
「知らん。知りたいのならやってみろ――誰か来た」
そう言ってカルディアはヒラリと窓から出て行った。
クオーレはカルディアとのつき合いを家族や使用人には秘密にしていた。クオーレ自身は彼のことをいい人だと確信しているが、父や母から見れば得体のしれない人物に見えるだろう。
無表情で感情がなく、とんでもない大ジャンプのできる脚力の持ち主だと知ったら両親はひっくり返るに違いない。
怖がられるだけならまだいいが、友人付き合いをやめろと言われるかも知れない。それだけはなんとしても避けたかった。
クオーレにとっては初めての友人だ。彼がいなくなると退屈でしょうがなくなるだろう。彼と出会う前の自分が何をして過ごしていたのか、どんな風に時間を潰していたのかクオーレ自身もわからなかった。
「クオーレ? あら、あなた、また窓なんか開けて、体に障ったらどうするの?」
部屋の扉が開いて、心配そうな表情を浮かべた母親が顔を覗かせた。
「大丈夫だよ、母さん。こうしてると気分がいいんだ。風も気持ちいいし、虫の声もきれいだよ」
クオーレは安心させるように笑いながら言ったのだが、母親の表情は晴れなかった。
「そんなこと言って……いつも体調を崩しちゃうじゃない」
「最近はそんなことないよ! 僕の体は強くなっているんだよ」
むきになって反論する息子をなだめ、母親は言った。
「まぁ、確かにね。母さんだってそう思うけど……」
「ならお願いがあるんだけど……」
「お願い?」
「うん。外を出歩けるようにして欲しいんだ」
「それは……」
言いよどんだ母親に対してクオーレは食いつくように口をはさんだ。
「大丈夫! 最初はちょっとだけでいいんだ! 長い時間じゃなくていいから! チャレンジしたいんだよ!」
息子の剣幕に押された母は曖昧に頷いた。
「そうね。お医者さまと相談して……考えましょうか。クオーレがそこまで言うなら」
「本当⁉ できるんだね!」
喜色満面ではしゃぐ息子を見て目を細めながら母親は言う。
「落ち着きなさい、クオーレ。……今夜はもう遅いから早く寝なさい」
ニコニコ笑う息子をベッドに寝かしつけてから母親は部屋を出て行った。
「外に出られるらしいな」
窓の縁からひょっこりと顔を出したカルディアが言った。
「カルディア! 聞いてたの? そうなんだ。僕も外に出られるよ。がんばるから、いつか一緒に外を歩こうね!」
ガバッと身を起して興奮した様子で叫ぶ。
「今夜は寝ろと言われただろう。寝ろ」
「そっけないね、相変わらず……」
苦笑いのクオーレは大人しく横になる。
「元気になりたいならしっかり寝ろ。崩すぞ、体調を」
「心配してくれてるの?」
「心配……? 俺が……?」
「そうだよ。……僕が成長してるみたいに、君も成長してるんじゃないかな。少しずつ感情が宿ってきてるんだよ、きっと」
「寝ろ」
「はいはい、わかったよ。……おやすみ、カルディア」
「ああ。また、明日来る」
カルディアはベッドに横になるクオーレに背を向けて窓から飛び降りる。彼の姿が闇夜に紛れたのを確認し、クオーレは眠りの世界へと足を踏み入れた。
クオーレが外を歩き回るようになって数週間。
外を歩き回ると言っても、屋敷の庭を少しだけ散歩するような他愛ないものだったが、それでもクオーレは満足だった。
少しずつ力がついている、という実感がある。
ベッドに縛りつけられていた今までの僕じゃない。
やればできるんだ。
ときおり、少し体調を崩す日もあったが、大抵は一日程度で治まり不調の日は長く続かなかった。
運動することで食欲も増え、顔色もよくなった。
元気になっていくクオーレの姿を見て、両親やなじみの使用人たちはみな我がことのように喜んだ。もちろん、一番喜んだのは本人だったが。
「すごいね」
カルディアに――家の者には内緒で――屋敷の屋根にひっぱりあげてもらい、そこに仰向けに寝転がって星を眺めている時にクオーレが言った言葉だ。
「こんなにきれいに見えるんだね。部屋から見るよりはっきり見えるや」
「さほど変わらないだろう」
クオーレの隣で同じように星を眺めていたカルディアが言う。
「たぶんね。気分の問題なんだと思うよ。それでもやっぱりきれいだよ。……あれが見える? あれが動かない星。天極星だよ」
「全て同じに見える」
「一番輝いてるじゃないか。それから、あのフォークみたいな形をしたのが天秤座。その隣の四つをつなげたのが鏡座で、あっちの三角形が狼座だよ。夜空で星が一本に集まってる場所があるよね? それが天の長川」
「まったくわからん。何かの形になっている? 全部点々じゃないか」
「えー……あんなにはっきり見えるのに」
「星に詳しいんだな」
「まぁね。星空はベッドからでも見えたから色々勉強したよ。教えてあげようか?」
「俺に理解できるとは思えない」
「そんなことないよ。カルディアならすぐに覚えられる」
「…………」
「……急ぐ必要はないけどね。でも、きれいだとは思うでしょ」
「きれい、か。よくわからないな……」
それに対してクオーレが口を開こうとしたとき、カルディアが続けてこう言った。
「でも、気分は悪くない」
「っ! それがきれいだって思ってるってことだよ!」
「これがか」
「カルディア、君は感情を持ってるよ。君は今、きれいな光景を見て、感動してるのさ」
「これが……感情……。これが……かんどう」
成程、そうか。
カルディアはそう呟いた。それから小さく一言。
「いいものだ。かんどうは」
そう言った彼の顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
それまでずっと無表情だったカルディアに初めて浮かんだ表情。
喜び。
しかし、二人は星空を見上げていたため、そのほほ笑みに気がつく者はいなかった。
「僕はね、もっと色んな事をしてみたいんだ」
輝く星々を見上げながらクオーレは強気な言葉を発した。
「どんなことだ?」
「冒険がしたい。色んな所を見て回りたいんだ。冒険して色んな発見をするんだ。この間、読んだ本にはお宝が眠っている洞窟の話が載ってたよ。キラキラ輝くお宝さ。あれを困難を乗り越えて手に入れたら気持ちいいだろうなぁ……」
「他には?」
「他愛ないけど、料理も掃除もしてみたい。埃が立つから咳に悪いって掃除はさせてもらえないし、料理だって全然したことないんだ。危ないって言われてさ。でも、やってみたいよ。掃除はやればやるだけきれいになった、っていう手ごたえがあると思うんだ。料理だって、おいしいものを作ってごちそうしてあげたいじゃないか。『おいしい』って言ってもられたら幸せな気分になれると思うし……あ、そうだ! 僕の手料理は一番にカルディアにごちそうするよ! って、あれ? そう言えば、君は食べ物は食べられるの?」
「ああ。口からの摂取も可能だ。食事は必要ないが、やろうと思えばできる」
「そっか。じゃ、カルディアに一番に食べてもらうよ。まぁ、うまくできるかどうかわかんないけど」
「そうか。約束しよう。俺が一番に食うと」
「ありがとう。僕、がんばるよ」
クオーレはにっこりと笑う。
「まだまだ、やりたいことはいっぱいあるよ。できる事は全部やってみたい。……できるかな?」
「また、やる前からあきめるのか」
「あきらめないよ! 僕は絶対にやるよ!」
そこでクオーレはいきなり声をひそめた。カルディアの方を向いて、恥ずかしそうに告げる。
「僕が冒険に行く時は、カルディアも一緒に来てくれる? 最初はやっぱり一人じゃ心細くて……」
「いいだろう。ついて行ってやる。それもしっかりと約束しておく」
カルディアがそう言うとクオーレの顔がパッと輝いた。
「約束だよ! 絶対だからね!」
「せいぜい、体を鍛える事だ。足手まといは困るからな」
「言ったな、この! 見てろよ! いつかカルディアにだって勝ってやる!」
「あいつには本当に色んな事を教えてもらったよ。星の話とか、世間一般の常識とか、感情の機微についても講釈してもらった。その頃のクオーレが一番元気だった。やる気に満ちあふれていて、まぶしいほどだったよ。……全部後から思った感想だけど」
「そう」
「でも、すぐに状況は変わった」
カルディアの表情が暗くなる。
「……どこか遠方に有名な医者がいると聞いて、どこかに出かけた帰りだった。クオーレとその親、たくさんの使用人が乗った馬車が行く道の途中で、崖から降ってきた大岩に押しつぶされた。その事故でクオーレ以外はみんな死んだ。あいつがあの場で生き残ったのは奇跡だ。俺はこっそりついて行ってたんだ。だから、全部見た。助けようと思った。でも間に合わなかった。俺には死にかけたクオーレを助け出すのが精いっぱいだった……」
クオーレは青白い顔でベッドに伏せていた。数日前の事故からずっとだ。時間が経ってもよくなる気配はなく、それどころかじわじわと悪化しいる。
両親も使用人たちもみんな死んでしまった。涙が枯れるほど泣いても、気持ちは晴れなかった。
気を強く持とうとしても、すぐに弱気になってしまう。
体がひどく重かった。事故に巻き込まれた際、体を強く打ちつけたのでおそらくその所為だ。
唯一の救いはカルディアがそばに居てくれること。
彼がいなかったらとっくの昔に僕も死んでいただろう。
「カルディア……」
「どうした」
クオーレの顔を覗きこむ彼の表情はいつも無表情と違い、奇妙に歪んでいた。
「僕は……もうだめだ」
「あきらめるのか。あきらめないと言っただろう」
「僕だってあきらめたくない……でもわかるんだよ。これはもう、どうしようもないんだ……僕はもう助からないんだよ」
「ふざけたことを言うな」
「自分の体のことだから……よくわかる。……それで、お願いがあるんだ」
「聞きたくない。体をなおすことに全力を注げ」
カルディアはゆるゆると首をふる。
「お願いだから聞いてくれ」
「……言え」
必死に懇願するクオーレに押されてカルディアはしぶしぶ頷いた。
「僕が死ぬ前に……僕の全てを『ハート』にしてほしい。心をすべて、欠片と言わずに丸ごと、魂も全部ひっくるめて『ハート』にしてくれないか」
「それは……」
「できるだろう? 君ならできるはずだ。……何にもできなかった僕だけど、君の糧になる事はできる」
「お前は何もできなくなんてない。……俺のともだちじゃないか」
「友達だって認めてくれるんだね、嬉しいよ。……でも、だからこそ僕の心を糧にしてくれ。そして、僕の思いと共に生きてほしい。……僕ができなかった全ての事を、僕の魂に経験させてほしいんだ」
クオーレは苦しそうに咳こみながらも、カルディアの目を見つめしっかりと言いきった。
「僕はカルディアと一緒に冒険したい」
僅かなためらいの後、カルディアは重い口を開いた。
「……約束しよう。お前がやるはずだった全てを、お前の『心』と『魂』に経験させると」
「ありがとう」
クオーレは青い顔でほほ笑んだ。
「今となってはこの屋敷の持ち主は僕になってしまった。君に譲るよ。僕のわがままを聞いてくれたお礼にね。好きなように使ってくれ」
「そんな物はいらん。……俺はどうすればいい? どうすればこのおかしなもの体から取り除けるんだ。体に異常はないのに、何か、何か重いものがあるような気がする。教えてくれ。これがくるしい、ということなのか? これがお前の言う、気分が悪いというやつか? 俺は今、気分が悪いんだ。お前を見ていられない。どうしても助けてやりたいんだ」
「それは……悲しいじゃないかな。僕もそうだからよくわかるよ。君ともう直ぐ会えなくなるのが悲しい。すごくさびしい」
「悲しい……確か、なみだを流せればマシになるんだったな。……でも俺には無理だ。俺にはなみだという液体を流す術がない。どうすればいい?」
「…………」
「感情がない。俺にはどうして感情がない? どうすれば手に入る?」
クオーレはそっとカルディアに目を向け、弱々しい手を伸ばして彼の腕に触れた。
「今の君を見て、感情がないなんて言う人はいないよ。君はもう感情を持ってる。まだ持ちたてで、意識できないだけだよ。カルディア、君はもう人形じゃないよ。心を持った立派な人さ」
「ヒト……」
「そうだよ。……僕の友人、カルディア。君ほど高貴なる心を持った人はいない。君と出会えてよかったよ。本当に楽しかった。感謝してもしきれない、本当にありがとう」
「お礼を言うのはこっちだ。俺はお前のおかげで人に……クオーレ? どうした? 返事を……」
クオーレの腕が力なく落ちた。揺すっても反応がなくなり、顔からは血の気がどんどん引いていく。
「……『アニマ』起動」
顔をゆがめながらカルディアは動かないクオーレにアニマを向ける。部屋が白い光に包まれたあと、カルディアはほのかに輝く『ハート』を手にクオーレのぬけがらを見下ろしていた。
服を開けてそれまではめられていたハートと新しいモノを交換する。新しいハートが体にぴたりとはまった瞬間、今までのハートとは比べ物にならないエネルギーがカルディアの体をかけめぐった。
体の中心に火がついたように熱くなり、体の奥底から熱い何かが広がっていく。
クオーレを見下ろす彼の眼から水がこぼれた。
「……涙を流しても……全然マシにならないじゃないか……うそつきめ……」
彼はクオーレの亡骸をそっと持ち上げる。
「約束は守るぞ。……俺たちは何でもやれるし、どこへだって行ける。世界中を冒険して、掃除も料理も何もかも、全部できる。全部やろう。すべて俺に任せておけ。お前は……楽しむだけでいい」
「クオーレは俺に心と魂すべてを残して死んだ。……はっきり言って、心と魂をすべて『ハート』にしたところで、魂が手に入るわけじゃない。クオーレの『ハート』はとっくの昔に使いきったけど、あいつの『魂』は今も俺の中にいる。奇跡だとでも言えばいいかな、俺は『魂』を持てたんだ。俺はクオーレのおかげで人らしい生活を送れてるんだ。……あんたが見た墓はクオーレのものだ。定期的に花を供えている。どれだけ感謝しても足りないからな」
「そう……あのお墓古く見えたけど、何年ぐらい前のものなの?」
「大体……百四十年ぐらいかな。俺は人形だから壊れるまでは半永久的に動けるから寿命というか、とにかく長生きなんだ」
「そんなに……それで、あんた、ハートを手に入れてからどうしたの?」
「あちこち冒険したぜ。俺の持ってるお宝はその時の収穫だよ。ソキウスともその時出会ったんだ。《古きもの》だって言われたんだけど、何がすごいのかさっぱりわかんなくて怒られた」
「そりゃ怒られるでしょ」
「つーか、《古きもの》って言ってもソキウスは半分封印されてるから、本来の力は出せねえんだよ。すごさを見せてくれってお願いしたけど、あんまりすごいのは見れなかった」
「失礼ですよ、カル」
口を尖らせたソキウスが口をはさんだ。
「吾輩、あなたの武器になってあげてるじゃないですか」
「それについては感謝してる。でも、弾は俺の『ハート』から引き出したエネルギーじゃねぇか」
「エネルギーを引き出せるようにしている吾輩がすごいのです」
「内輪モメは後にしてくれるかしら?」
ディネロが逸れそうになっていた話を修正する。
「えーと……何したか、だったよな? ……それから掃除とか料理の修業して、洗濯したり、色んなスポーツやったり、きれいな景色を見に行ったりだな。とにかくクオーレがやりたかったこと、知らなかったことをたくさんやったよ。時々屋敷に帰って来て、休んだりしたけどな。そう言えば、この屋敷を訪ねてきた人を驚かせたりしたこともあったなぁ……みんなめちゃくちゃ怖がってすぐ逃げるんだぜ。一回声かけただけで逃げられたこともあった。俺が冒険して帰ってきたら、屋敷に知らない人が住んでたこともある。びっくりしたけど、まぁいいかって、俺もこっそり一緒に暮らしてたら、なぜか怖がられて、みんないなくなっちゃうんだよな。見つからないように掃除とかしてやっただけだぜ? ひどいもんだ……最近じゃ俺を見て逃げなかったのはあんたぐらいだぜ。まぁそれはともかく、俺は色々と楽しいことをやり続けてるのさ。これが俺のお話のすべてだな」
ディネロは話を終えたカルディアを見つめる。
「……なんかごめんね」
「なにが?」
「いや、色々と。語るには辛い話だったでしょうし、知らなかったとはいえ、屋敷から出て行けって言ったりしてさ」
「いやいや、あんたが気にすることじゃねぇよ。昔々の話だし、楽しい思い出だ、なんてことは言えないが、悪い思い出じゃない。久しぶりに話してみて色んな事を思い出せたし。屋敷の話もそうだ。口約束でしかなかったし、よく考えたらさ、俺、もらうなんて一言も言ってないんだよな。我が物顔で使ってたけど、反省するべきかも……」
カルディアはテーブルの上のグラスや空きビンを片づけながら言う。
「すっかり遅くなっちまったな。もう寝た方がいいぜ。夜更かしすると肌が荒れるっていうぞ」
「ふん。余計なお世話よ」
「……まぁいいや。後で後悔しても俺は知らねーぞ。じゃ、おやすみ」
重ねたグラスをガチャつかせながら、カルディアは部屋を出て行こうとした。
「あんた、立派だと思うわよ。ちゃんとした人よ。第一、あたしはあんたが人だろうが人形だろうが気にしないけどね。いい奴だし。……役に立つって意味でね。おかしな勘違いはしないように」
ディネロの声が聞こえたので、カルディアが後ろを振り返ると、ベッドに寝転んでこちらに背を向けた彼女が目に入った。ベッドのかたわらでペルとサヴァーがそろって肩をすくめている。
「寝言よ寝言! なにグズグズしてんのよ! ここは乙女の部屋なのよ! さっさと出て行きなさい!」
「器用な寝言だな」
「うっさい! 早く行け!」
「俺もあんたのこと、いい奴だと思ってるぜ」
「うっさい! 早く行け!」
しつこく寝言が続くので、カルディアはソキウスを頭に乗せて、笑いながら彼女の部屋を後にした。