2.家主はどっちだ?
ディネロの耳をつんざかんばかりの悲鳴に対して、謎の人影は耳を押さえながら言った。
「ちょ、うるさい。……ごめん、怖がらせるつもりはなかったんだけど」
「怖がってないわよ!」
「驚かすつもりもなかったけど」
「驚いてるんじゃない! いや、驚いてるけど! いやいや、そんなのどうでもいいのよ! あんた、あたしの家で何やってるの?」
ディネロは真上を見あげ、人影に指を突きつける。
「何って言われてもなぁ……ここ俺ん家だし」
「はぁっ? 何をたわごとを! っていうか、降りて来なさいよ。首が痛いんだけど。そもそも、なんでそんなところにぶら下がってるの? もしかしてバカなの?」
「いきなり人が入って来たからな。隠れて様子を見ようとしたんだ」
「とにかく、降りなさい」
「おう、ちゃんと話し合おうか」
そう言って人影はシャンデリアから足を外すと空中で身をよじり、猫のようにくるくるときれいに回転しながら落ちてきてディネロの目の前にしっかりと、だが、音もなく降り立った。彼女と比べて少しだけ落ちてきた奴の方が背が高い。
「む……」
目の前に降ってきた男に対して臆することなく、全身をジロジロと眺め回す。
ボサボサの長く赤い髪。紺色のツナギを首元まできっちりと締めていて、同じ色の手袋を両手にはめ、左手首から前腕にかけて、おかしな形のアクセサリーをつけている。まるで、金色の大きな鍵のようだ。
ふん。悪趣味、と彼女は思った。
そんな事を思われているとは露知らず、男は長い前髪の間から、濃いブルーの瞳で不思議そうに彼女を眺めている。
全体的に奇妙な雰囲気をまとった男だった。
「……何者なの?」
訝しげにディネロは問う。
「俺? カルディアだけど」
「カルディア?」
「そう。カルディア・クオーレ。あんたは?」
彼の質問は無視してディネロは詰め寄る。
「で、ミスター・クオーレ。あんた、一体あたしの家で何やってるの?」
「あんたは自分の家だと言うが、ここは俺ん家なんだぞ? 元の持ち主から直接譲ってもらったんだから」
「そんな馬鹿な! 何か証拠はあるの?」
「……ないけど」
しばしの沈黙の後、カルディアはボソッとそう言った。それを聞いたディネロは勝ち誇った高らかな笑い声をあげた。
「あっはっはっはっはっ! ついに正体を現したわね! この盗人め!」
犯人を追いつめた探偵の如くビシッと指を突きつけるディネロ。
「なんだと? 俺は別に盗人じゃないぞ! 第一、ここは俺ん家だって言ってんだろ! 自分家で何しようが俺の勝手だ! つーか、あんたはここが自分の持ち物だって証明できるのか?」
その言葉に彼女はニンマリ笑った。
キャリーバッグの中からしわくちゃになった一枚の紙を引っ張りだして、両手でピンと張って持ち、目の前の男に突きつける。彼女が取りだしたのはこの屋敷の権利書である。これほど確実に所有権を証明してくれる物はそうないだろう。必然的に彼女の態度はでかくなった。
「ええい! ひかえおーろー! これが目に入らぬか!」
「そんなデッケェ紙が目に入るわけないだろ」
「………………」
そんなことを真顔で言う男にディネロは絶句する。 心なしか権利書も元気がなくなった。
「……って、そんな事を言ってるんじゃない! これをよく見ろってことよ!」
彼女は驚きから立ち直って、権利書をバシバシ叩いてカルディアの眼前に突き出した。
第三者が見たら、ディネロがカルディアの目に権利書を入れようとしているように映ったかもしれない。
カルディアは突きつけられた権利書を手に取った。
「ふむふむ。権利書……持ち主……ディネロ・アルジャン……何だって! ディネロって誰だ? 持ち主は俺、カルディアだぞ!」
「ディネロ・アルジャンとはあたしの事だ!」
彼女は腰に手を当てて胸を張った。いい感じに顎も上げて、完全に相手を見下す体勢だ。
「そ、そんな……ここは俺ん家じゃなかったのか……? あいつは確かにくれるって言ったのに……」
ショックでがっくりと膝をつくカルディア。それを見下ろすディネロはサディスティックな笑みを浮かべて、非情な最終宣告を告げた。
「おわかりになったかしら、ミスター・不法侵入者? ちゃんと自分の立場を理解したなら、即刻出て行ってもらいましょうか」
うなだれる男を今にも踏みつけそうな勢いだったが、流石の彼女もそれはしなかった。
「こ、ここを追い出されたら俺はどこに住めばいいんだ? どこでも住めるけど、ここには思い出があるんだよ」
「知らないわよ。どこでも住めるんならとっとと出て行きなさい」
「そんな殺生な! ここ広いんだから一緒に住めばいいじゃん!」
泣きそうな顔で顔をあげる男にもディネロの鋼の心は揺るがない。
「得体の知れない男となんて一緒に住めないわよ! やっぱり、あんたバカでしょ!」
「ひどい……」
この馬鹿早く出て行ってくれないかしら? あたしの城を汚した罪は重いもの……このぐらいの罰は……いや、ちょっと待って。こいつにはもっと損害を賠償してもらうべきじゃなくて?
ディネロの唇の端がつりあがる。笑顔は笑顔だが、『悪魔の~』とか『邪神の~』という言葉が上につきそうな笑顔だった。
「ミスター・不法侵入者。話があるの」
彼女は怪しい笑顔で話しかける。
「なに? 俺、ここに住んでていい?」
希望に輝く顔でディネロを見あげる男。
「それはダメ。さっさと出て行ってほしいところだけど、あんたにはしてもらうことがあるわ」
悪の権化のような笑顔を浮かべて彼女は言った。
「損害を賠償してもらうわ。あんたがここを不法に占拠していた時間分のね。それが終わったら出て行って構わなくてよ」
今にも、おーほっほっほっほっとか笑いだしそうな雰囲気を醸し出しつつ宣告を告げる。それを受けてあきらめたらしい彼は落ち込みながらも気丈に答えた。
「仕方ないな……ここがあんたの物だってなら、俺が出て行くのは当然だ。あんたの言う通りにしよう。俺は何をすればいい?」
「お金。払って頂戴」
夢も希望もないが、ディネロが即物的な物が好きなのはさっき述べた通りである。
「金か……俺、紙幣の手持ちはあんまりないんだけど……宝石とかでいい?」
「いいわよ」
そう言いつつも驚きを隠せないディネロ。
こんな男が宝石? あたしにイミテーションを掴ませようって魂胆かしら? だとしたら甘いわね。あたしの目はごまかせないわよ。
カルディアは腰にぶら提げた金色の鍵束を手に取って、その中から一本の鍵を選びだすと、そのまま歩いて行った。後ろに続くディネロ。少し歩いて、階段の陰に隠れていた掃除道具が詰めこまれているらしいロッカーの前に立った彼は、そのロッカーの鍵穴に手に持った金色の鍵を差しこんだ。
無造作に扉を開けるカルディア。彼の後ろからロッカーの中を覗いたディネロはあまりの驚きに息をするのも忘れた。
ロッカーの中は信じられないほど広い部屋が広がり、まばゆく輝く黄金の野原が広がっていた。部屋中に金銀財宝があふれている。
金塊や宝石がゴロゴロと転がっていて、これだけあればどのくらいの金額になるのか、想像するのが怖いぐらいだ。
カルディアは入口近くにあったどでかい宝石を無造作に掴み取ると、扉を閉めて宝石を彼女に投げてよこした。脊髄反射でそれを受け取るディネロ。
呆然と受け取った宝石に目をやると、ソフトボール大のエメラルドが眩しい輝きを放っていた。エメラルドは完全な球体。美しすぎる。
ディネロは目を見開いたまま、顔をあげる。
「…………」
「どうした? 足りない?」
「……いや、十分」
思わずそう言ってしまう。普段の彼女なら相手が「足りない?」などと聞こうものなら迷わず「足りない」と言ってのけるが、いかんせん、衝撃が大きすぎた。
な、なに? なんなの? あのロッカー魔法の道具なわけ?
ディネロはカルディアを押しのけて、ロッカーに突進し、扉を乱暴に引き開けた。そして、黄金をその手に抱こうと部屋の中へダイブした。
彼女を出迎えたのは黄金宝石ではなく、汚れた箒に半乾きのモップたちだった。
「うわっ! くさっ!」
掃除用具に押し倒されてひっくり返る。倒れこんだ衝撃で正気に戻った。
「ど、どういうわけ? なんであんたが、あんな宝石を……っていうか、あの宝物は一体どこにっ?」
カルディアの胸倉を掴まんばかりの勢いで彼に詰め寄る。彼の手首を握って、先ほどロッカーを開けた鍵をじっくりと眺めた。
「これは……《空間の鍵》?」
「そう。あんた、よく知ってるな」
「なんであんたが、《空間の鍵》なんて持ってるの⁉」
《空間の鍵》とは異次元を切り取り、こちらの次元に送る鍵である。早い話が、異空間の倉庫だ。どんな扉もこの鍵を使って開ければそこは、プライベートな倉庫。異空間に存在するので鍵の持ち主以外はその部屋に入ることができない。
なぜ彼女がこんな事を知っているのかと言えば、父親が一つ持っていたからだ。彼女の父は《魔祓い》として様々なアイテムを使用していた。《空間の鍵》はその一つなのだ。
先ほど説明したが、ディネロは父の全財産を奪った。だが《空間の鍵》に守られた部屋だけは彼女にも手出しできなかった。
ただ、これは貴重な物で、ディネロも父親以外が《空間の鍵》を所持しているのは、今まで数回しか見たことがなかった。
それをこの胡散臭い男が? ありえない。なんでこいつがそんなもん持ってるのよ?
「じゃ、その宝石で満足してもらえたみたいだし、俺は出て行くよ……」
考えこむ彼女にそう言って、カルディアは肩を落として歩き出した。ディネロはそれを見送るわけでもなく、首元のチョーカーをいじりながら黙って宙を見つめていた。
彼女はとんでもないことを企んでいた。
なんとか、あの宝の山を手に入れる方法はないかしら?
考えていることが悪役そのものだが、彼女は今までにないほど真剣に知恵を絞った。胡散臭い男のことなどどうでもよくなるぐらいに、さっき見たお宝の魅力は強烈だった。特に金目の物が大好きな彼女にとっては。
こいつは常識なさそうだし、見た感じお金には無頓着っぽいわ。なら、うまいことやればお宝はごっそりあたしの物よ
「ねぇ、カルディアっていったけ? ちょっと待ちなさい」
「なに?」
暗い顔で振り向くカルディア。
「あんた、そんなに、ここに住みたいの?」
「そりゃ、できるなら……」
「わかったわ。住んでいいわよ」
「え? ほ、ほんとに⁉」
「ええ。その代り、あなたは毎日家賃を払ってね。ここはあたしの家なんだから。家賃は、そうね……毎日、この宝石ぐらいの金額でいいわ」
ディネロは掌に乗っているエメラルドを持ち上げる。
「…………」
彼は沈黙した。
誰がどう聞いてもひどい契約だった。彼女もそれを分かっているのだろう。緊張のあまり、彼女の頬をツゥーと汗が流れ落ちた。
しまった。流石にふっかけすぎたか?
気をもむ彼女には気づまりな沈黙が流れた。
果たして。
彼はこう言った。
「マジで? それぐらいなら全然払うよ! そしたら、ホントにここに住んでいいんだな?」
「え、ええ……これからよろしくね、同居人さん」
やっぱり、こいつはバカだ。
内心ほくそ笑みながら――僅かに心の痛みを感じつつ――彼女はカルディアと握手を交わしたのだった。
ここから、ディネロとカルディアの珍妙な同居生活が始まる。
「じゃあ、そういうことで。話がまとまったところで、あたしの相棒を紹介しておくわ。あんたの同居人になるからね。彼よ、ペル」
ディネロは今の今まで、黙ったまま足元に控えていた犬をカルディアに紹介した。
「相棒って、そいつ?」
「ええ、そうよ」
「ペルフェクトゥス・ザキィ・グレイスノービレ・カニス、だ。よろしくな」
小さな体を目いっぱい伸ばしたペルと、屈みこんだカルディアががっちり握手する。
「カルディア・クオーレだ。よろしく。えーと……ペロヘクト・ザンポン・フニャフニャ・ポンズ!」
「ペルフェクトゥス・ザキィ・グレイスノービレ・カニス、だ」
「ペルフェクトス・ザッキィ・グローリアッピレス?」
「ペルフェクトゥス・ザキィ・グレイスノービレ・カニス」
「ペルフェクトゥス・ザキイ・グレンオンビーレ・カ――」
「しつこいっ! てか、うるさい!」
ペルペル言い続ける犬と男に、ディネロがキレた。
「んなこと言ってもよ、相手の名前はちゃんと憶えないと失礼だろ」
「律儀に全部覚えなくていいわよ! 彼の事はペルって呼べばいいわ」
「だそうだ……。ペル・カニスだ。よろしく頼む」
「ああ。こちらこそ、ペル。しかし、渋い声だな」
「……フッ、よく言われるよ」
ペルは帽子のつばを持ち上げた。
「それじゃ、俺の方も友人を紹介しておこうかな。おーい! ソキウス!」
屋敷の奥に向かって声を張り上げるカルディア。
「は? ちょ、ちょっと待って! あんた以外にも誰か、ここにいるの?」
予想外の事態に慌てるディネロ。
胡散臭い男一人だと思ったから、かろうじて住む許可を出したのに! 他にもいたなんて……騙された!
怒りの声を上げようとした、彼女の目の前を黒い影が横切った。
「おわっ!」
瞬間的に跳びのく。黒い影はパタパタと広間を飛んで、カルディアの伸ばした腕にぶら下がった。
「……コウモリ?」
「そ。俺の相棒、ソキウスだ」
「カル、誰かな、この人たちは?」
コウモリは腕に逆さにぶら下がったまま、翼で顔をぬぐう。
「新しい同居人さんたちだ。人がディネロ・アルジャン、ブルドックがペル・カニス……って、ディネロ、あんた、驚きすぎだろ」
「コ、コ、コッ、コッ……!」
「ニワトリ?」
「うるさいっ! って、違う! なんで、コウモリがしゃべってんの⁉」
「あんただって、しゃべる犬を連れてるじゃないか」
カルディアは驚くディネロを呆れたように見る。
「そりゃ、だって、あたしは……あんた、もしかして《魔祓い》なの?」
しどろもどろになりながら、彼女はカルディアに疑いの眼差しを向けた。
「え? 《魔祓い》? 魔祓いって、あれか? 魔退治専門の?」
「そうよ。《魔祓い》ならしゃべる動物を連れてても、おかしくない。相棒として当然だから……」
「まさか、俺は《魔祓い》なんかじゃないさ」
「じゃあ、なんで……!」
さらに詰め寄るディネロをだったが、当のソキウスがこう言った。
「あんまり深く考える必要はありませんよ。うるわしきお嬢さん。簡単に説明しておくと、吾輩は《古きもの》です。これだけ言えば、お嬢さんにはわかるでしょう」
「《古きもの》って……まさか!」
《古きもの》とは、太古から生息する精霊のような存在の総称である。今ではめっきり姿を見せなくなったが、途方もない力を秘めた神秘の存在だ。基本的に善なる属性ではあるが、怒らせない方がいいことは、はっきりしている。
信じたわけではないが、大事を取ってしつこく追求するのはやめた。
あのコウモリが本当に《古きもの》だった場合、怒らせるのは得策ではない。
実を言えば、彼女の相棒であるペルも《古きもの》の眷族ではある。本物には遠く及ばないけれど、特殊な力を持っている。善なる《古きもの》の眷族は《闇》の怪物と敵対しており、《魔祓い》の相棒として一緒に過ごすことが多いのだ。ディネロは《魔祓い》の娘としてそんな存在を数多く見てきた。
しかし…。
この男は一体、何者なんだろう……?
目の前のヘラヘラとした、胡散臭い男を見つめる。
金銀財宝をうなる程持っていて、さらに《空間の鍵》を持ち、《古きもの》(自称だが)を相棒にしてるなんて信じられない。少なくとも、唯者ではない……お金に釣られたけど、こいつとの同居はやめた方がいいんじゃないかしら……?
ディネロの頭の中で、不吉な考えが渦巻いていた。
「あっ! やっべ!」
「っ! なによ! 急に大声出さないで!」
突然、叫んだカルディアに、ビクッと反応してしまうディネロ。
「鍋、火にかけたまんまだった! 噴いてるかもしんねぇ!」
慌てて走り出したカルディアの背を見送る。
「なにそれ……」
ひどい脱力感がディネロを包んでいた。
身構えたあたしが馬鹿みたいじゃない。
「カルに悪気はないんですがね。特定分野の知識や技術は深いものもありますが……少々、世間慣れしていないものでして。やや常識外れというか、ズレているというか……それはさておき、これから一緒に暮らすのです、ご一緒に昼食でもいかがですか? こう言ってはなんですが、カルの料理の腕は大したものですよ。こちらへ、食堂までご案内しましょう」
ソキウスは羽ばたきながら言った。
「…………」
「ディネロ、とりあえず行ってみないか?」
ペルは沈黙を保つ、ご主人様を促した。
食堂も豪華絢爛だった。
天井からはきらびやかなシャンデリアが吊るされ、壁には細かく編みこまれた幾何学模様のタペストリーが掛けられている。
とんでもなく長いテーブルに純白のクロスがかけられ、磨き上げられた燭台が金色の光を反射している。さらに、玄関ホールと同じく、チリ一つ落ちていない。
「おお、いいじゃない。雰囲気があるわ」
ホールから食堂までの短い移動時間で、サラッと元気になったディネロが嬉しそうにはしゃぐ。
「こんなところで料理を食べたら、さぞ、おいしいでしょうね」
「ここは広すぎるので、今は使っていません。我々の食卓は厨房にあります」
声に苦笑をにじませたソキウスが言った。
「……あ、そう」
食堂から厨房につながる扉を引く。
厨房は清潔な白い光に包まれていた。タイル張りの床は、やはり鏡のごとく磨きあげられている。巨大な冷蔵庫や、大型のコンロ、オーブン、高価そうな食器が収められた棚。そして、厨房の隅に邪魔にならないように、小さめのテーブルが置いてあった。木目が美しい茶色のテーブルである。
テーブルの上にはきっちりと、四人分のランチョンマットが配置され、スプーンやナイフ、フォークが整然と並んでいた。
「これ、あんたがやったの?」
ディネロは不審げな声を発し、他に誰か隠れているのではないか、と疑うように辺りを見まわす。そんな彼女に、純白のエプロンと三角巾で武装したカルディアがおたまを突きつける。
「当たり前だろ? 他に誰がいるってんだ?」
「……まぁ、そうよね」
彼女はそう呟いて、椅子に座った。ご丁寧にふかふかのクッションが敷かれている。
…………。
なに、この感じ!
なに、この家庭的な感じ!
これ全部あいつがやってんの? こんなこと、全然できそうに見えないのに! どう考えても不器用な見た目してるじゃない!
ひどい評価だったが、それも仕方ないだろう。カルディアを見て、第一印象で「ああ、こいつ料理とかできそう」と思う人はそういないに違いない。
楽しげに、しかし、手際よく動くカルディアの背中を、彼女は信じられないものを見る目で見つめる。
「っていうか、あたしとペルは飛び入り参加みたいなものなのに、よく備品を準備できたわね」
「ああ、ここは備品には困らないしな。いくらでも揃ってるし」
カルディアはスープを皿によそいながら言った。そして、慣れた手つきでテーブルに運んでくる。器用にスープ皿を四つ持っている。
ディネロは目の前に給仕された皿を見つめた。琥珀色に透き通ったスープの中に、半分に切られたジャガイモやニンジン、タマネギ、分厚いベーコンがゴロゴロと転がっていた。皿からは湯気が立ち上り、かぐわしい香りが鼻をくすぐる。
ふむ。見た目と匂いは悪くないわね。
彼女は警戒しながらスプーンを持ち上げた。
「おいおい、ちょっと待ってくれよ」
カルディアはサンドイッチが積まれた大皿をテーブルの中心に置いてから、ディネロの向かいに座る。いつの間にか、ペルとコウモリも席についていた。……ついていると言っても、二人は小さいので、ソキウスはテーブルに乗っているし、ペルは椅子の上にバケツをひっくり返して、その上に座っていた。
「いただきます」
「……いただきます」
カルディアは律儀に手を合わせた。それにつられるように、ディネロも手を合わせる。
勢いよく食べ始めるカルディアと動物二匹。
ディネロは自分の相棒を横目に見ながら、スプーンをゆっくりと持ち上げた。
ペル、あんた得体のしれないヤツの料理をそんなにがっついて大丈夫なの?
しばらく相棒を眺めていた彼女だったが、どこにも異変が起きそうにないことを確認し、ほっと一息ついた。やらせたわけではないが、ペルが毒見役を買ってくれたようなものだ。
それでもカルディアの料理の腕がいまいち信用できないディネロだったが、スープの匂いはいいし、自分が空腹なこともあり、おそるおそるスープをすくって、一瞬のためらいのあと、ぱくっと口に含んだ。
沈黙するディネロ。
次の瞬間、大きな声で叫んだ。
「うっっっっまっ‼」
表情を変えてスープを見つめる。
「なにこれ! うまっ! ねぇ、これなに?」
「ただのポトフだけど?」
「ただの? いや、これめちゃくちゃおいしいわよ? あんた、ホントに料理うまいのね! 今まで信じてなかったけど、これ食べたら信じるしかないわ! あたしの人生の中で一番おいしいスープよ!」
「ありがとう」
猛然と食事を始めた彼女の賛辞に、カルディアは照れたように笑いながらお礼を言った。
ディネロはジャガイモを食べては、うまいと言い、サンドイッチを食べてはおいしいと叫んだ。一滴たりとも残すことなくスープを飲み干し、当然のように二杯目を要求した。
しばらく経つと、彼女も流石に落ち着いて、二杯目のスープはじっくりと味わって飲んだ。
「で、あんたは何者なの?」
サンドイッチを頬張りながら、ディネロは訊いた。
「《魔祓い》じゃないし、もちろん一般人ってわけじゃないでしょ? あれだけお宝を持ってるんだから……すご腕のトレジャーハンターとか?」
「俺が? んなわけないじゃん。お宝集めは趣味だよ。あれは冒険の副産物だな。俺、好きなんだよ、冒険が」
カルディアは屈託なく笑った。
「ふーん……で、何者なの?」
「何者って聞かれてもなぁ。好きなことして、好き勝手に生きてる遊び人、かな」
彼は曖昧に微笑んだ。
教えてくれないってわけね。まぁ、いいわ。その内、わかるでしょう。これから一緒に暮らすんだし……。
追い出す追い出す、と言っていた女とは思えない心情であったが、今の彼女はそんなことすっかり忘れている。いい金ヅルだし、料理もうまい。申し分ない家政夫さんだ。
フッフッフ。
心の中で腹黒い笑い声をあげながら、ディネロはスープを飲んだ。
うまい!
昼食が終わり(後片付けもカルディアがテキパキ行った)ディネロは満腹のお腹を撫でながら、大きく息を吐いた。
「ごちそうさま……いい食事だったわ」
「ありがとう」
布巾でテーブルを拭くカルディアが答えた。
「あんた、これからヒマ?」
唐突にディネロが訊いた。
食堂には三人しかいない。食事を終えたソキウスはどこかに羽ばたいて行っていた。
「ヒマだな。庭の掃除しようかと思ってたけど、別にそれはいつでもできるし」
……掃除もこいつがやってんのね。家事が得意な不審者か……笑えるわ。
ディネロはあきれるやら、感心するやら複雑な思いを抱いた。
ちなみに言っておくと、ディネロに家事の才能はない。彼女の実家の使用人の間では、ディネロが行う家事のことを『災害』と呼んでいた。
もちろん、本人はそんなこと知らない。彼女は普段はできないけど、家事だってやればできる、という根拠のない自信に満ちあふれていた。
それはさておき。
「そうなの。ヒマなのね? じゃ、買い物につき合いなさい」
かなり上からの物言いだったが、カルディアは気にすることなく、軽やかに頷いた。
「いいよ」
「よし、じゃ、街まで行きましょ。あたし、引っ越してきたばっかりだし、色々と入用なの。もちろん、後から荷物は届くんだけど」
荷物持ちに使えそう。
どこからか(誰かの心からだと思われる)そんな声が聞こえてきそうだった。
ディネロはブルドックと男を引き連れて、さっそうと食堂を出た。