1.家出少女は大金持ち
ギャリュウゥゥゥン!
土埃を巻き上げ、爆音を響かせながら黒塗りの高級車が突き進んでいた。
見通しのいい一本道とはいえ、何かが飛びだしてきたら避けられるスピードではない。車のガラスにはスモークがかかっているため、車内の様子を窺うことはできなかった。
車はそのままスピードを緩めることなく疾走して、どでかい屋敷の門の前で急停止し、辺りに焦げたタイヤの嫌な臭いを撒き散らした。
立派な鉄柵でできた門の前で止まった車の運転席のウインドウが開いて、何やらリモコンのような物を持ったほっそりした手が外に突き出された。手の持ち主はリモコンを門に向けて『開』のボタンを押す。ギギッ! という音がして……
何も起きなかった。
リモコンの持ち主は門が開かなかったことに対してかなりイラッとしたようで、続けざまにボタンを激しく連打する。
しかし、何も起きなかった。今回は音すら鳴らなかった。
リモコンを持つ手はしばらく沈黙を保ったあと、サッと車内に引っ込んだ。
次の瞬間、運転席のドアが開け放たれ、一人の少女が地面に降り立った。
肩がむき出しになった緑色のドレスに同じ色の手袋。頭にはフリフリのカチューシャをして亜麻色の長い髪が無造作に背中に流れている。
少女はズンズンと門に近づき、柵を掴むと足を踏ん張って思いっきり門を前に押した。
だが、何も起こらなかった。やはり音すら鳴らない。
彼女はドレスや手袋と同じ、キレイな緑色の瞳に怒りを宿しながら、首元のチョーカーをいじる。
束の間、考えこんだ少女は何を思ったのか、足を大きく振り上げると有無を言わさず門を蹴りつけ始めた。丈の短いドレスの裾がひるがえって、大変はしたない感じになっていたが、彼女は気にも留めずにガンガン、ガンガン、門を蹴り続ける。
それでも、はやり何も起こらなかった。まぁ、音は鳴ったが。
疲れてきたのか、しばらくすると彼女は蹴るのをやめた。
少女は肩で息をしながら門を持ちあげようとしたり、撫でたり、殴ったり、あちこちいじっていたが、当然門は開かなかった。これはいよいよ「開け、ゴマ」とでも唱えるしかないのではないか、というところで彼女は何かに気づいたように視線を下げた。
少女の顔がわずかに赤く変化した。
彼女は門の中央当たりでしゃがみこんで、門と地面を繋いでいた落とし錠を開けた。立ち上がった彼女がそっと門を押すと、門はそれまでの抵抗が嘘のようにスムーズに内側へとその身を動かした。
「……あんなに小さいのは気付けないわよね。いくらあたしでもね」
少女は誰も聞いてはいないのに、そう言い訳すると車に戻って窓からリモコンをもう一度押した。
門は音も立てずに車を迎え入れる準備を終えた。リモコンを持つ手がゆっくり車内に引っ込んでいき、運転席のウインドウがゆっくりと上がった。
ブォン!
車のエンジンが鳴る。腹の底に響くようなエンジン音があたりに響きわたる。
車は爆音を響かせながら門をくぐり抜け、屋敷へと猛スピードで向かっていた。
高級車はタイヤが可哀想になるぐらい乱暴なドリフト走行で屋敷の玄関に横づけされた。エンジン音が止み、ついさっき、門と格闘していた少女が車を降りてきた。
車から降り立った少女は眼の前の大きな屋敷を仰ぎ見るように眺める。
この少女の名はディネロ・アルジャン。
たれ目がちではあるが、人目を引きつける整った容姿をしている。
そして、つい三日ほど前にこの屋敷を購入した正統な屋敷の持ち主でもある。
「ふふん。悪くないわ。立派なお屋敷じゃな~い。大金をはたいた甲斐があったわね。あなたもそう思うでしょ?」
ディネロは車の中を覗き込みながら言った。
「……ああ。悪くないね」
ゆったりとした渋めの声が彼女に答えた。
次いで、助手席のドアが開き、その渋い声の持ち主がスタッと地面に降り立った。
犬だ。それも小型のブルドック。
ただ、この犬は二足歩行であり、体に合った紺のスーツを着こなし、赤いネクタイをきっちり締め、つばの広い帽子をかぶり、マフィアみたいなサングラスを掛けていた。オマケのように、腰のホルダーには身の丈にあった銃がぶら下がっている。
どう見ても普通じゃない。
銃を装備し全身からハードボイルドな雰囲気を漂わせた犬がそこらにいるだろうか?
しかし、ディネロはそんなことは歯牙にもかけずにのんびりと言った。
「そうよね。あなたも気に入ってくれたみたいでよかったわ」
彼女の脳裏に、この屋敷を手に入れるまでの紆余曲折が走馬灯のように流れた。
屋敷を管理する不動産屋は頭が固くて迷信深く、この屋敷は呪われているから処分したいが、どうせ貴女も買ったところですぐに売り払ってしまうことになる、それだけならいいが、貴女が呪い殺されるかもしれない、そうなったらもうどうしようもない、云々。
ディネロは不動産屋のおっさんの泣き言を辛抱強く聞き、大丈夫だ、あたしはそんなことないから安心して売ってくれ、売り払ったらもうこの屋敷と関わらなくていいから安心しろ、仮にあたしが呪い殺されたとしてもあなたの所には化けて出たりしないから大丈夫、っていうかいいから売れよ! と安心させようとしたのか、脅迫だったのかイマイチ判断がつかないが、とにかく彼女は言葉の限りを尽くして説得しようとしたのだった。
それでも信用しないおっさんを散々、なだめたり、脅したりしたが、おっさんは頑として首を縦に振らなかった。
業を煮やした彼女は、絶対に使いたくなかった奥の手を使うしかなかった。苦渋の決断として、背は腹に代えられぬ、と彼女は自らの父親の名前を出した。
禁断の方法は劇的な効果を見せた。不動産屋のおっさんはいきなり表情を和らげるとこう言った。
「ああ。そうでしたか。なら安心ですな。いやーしかし、お嬢さんがあの方の娘さんだったとは! 驚きですよ、光栄ですなぁ」
嬉しがるおっさんを余所に、対するディネロの反応は冷たかった。
「いいからとっとと契約書を作りなさい。あと、このことは誰にも他言しないこと。誰かに言ったら、あたしがあんたを呪うわよ。わかってるわね? あたしにはそれができるってことを」
彼女のドスの効いた脅しに不動産屋のおっさんは顔を青くするとガクガクと何度も頷いた。
そこからの展開は実にスピーディだった。彼女の脅しを真に受けたのか、それとも手早い処理がその不動産屋のモットーなのかは不明だが。
しかし、いかに呪われた屋敷だとは言え、屋敷であることを考えると、それも大きな屋敷であることを考えると、いたいけな少女に購入できる金額なのだろうか?
もちろんそんなことはない。呪われた割引がついているとはいえ、一般庶民から見れば目玉が飛び出すような金額であることは確かである。
それなら、いたいけな少女に買えるのか?
というか、そもそもディネロはいたいけな少女なのか?
もちろん違う。
いや、少女であることは確かだけれど、決していたいけではない。
見た目はお淑やかなお嬢さま然とした彼女だが、内実はそうではないのだ。
炎のような気性を持った、激しい女なのである。まあ、開かない門扉をガンガン蹴りつけるような少女はお淑やかでないと言い切っていいだろう。
そもそも、生まれた家柄が普通ではない。
彼女の家は――というか一族は代々、高名な《魔祓い》を輩出することで有名だった。
《魔祓い》とは《闇》の生物である様々な怪物を祓う者で、この世界で退魔のエキスパートとして、頼られながらもひどく恐れられている人々のことを指す。
《吸血鬼》や《魂喰》、《喰屍鬼》など、人に害なす怪物から人を護る者。
それが《魔祓い》なのだ。
そして、彼女の父親こそ、当代最強――風神と云われる伝説的な《魔祓い》だった。
しかし、名が売れ過ぎた彼女の父親は一族と折り合いが悪く、彼らとの親交はほぼ断絶状態であり、ディネロと父は親族の間から弾かれて父一人娘一人で暮らしてきた。お金持ちだったので使用人はたくさんいたが、家族は二人だけだった。
彼女の父は厳格者としても有名で娘を厳しく育て上げた。
ディネロは幼いころに母を亡くしているので母親の顔は写真でしか見たことないし、物心ついた時から厳しい父との二人暮らしだった。
父親は高名な《魔祓い》として仕事が大変に忙しく、特に親族がライバル関係にある状態では娘に構う暇もないほどに激務の連続だった。それでも娘を厳しくきっちりと育て上げたことは称賛に値するが、彼女本人はそうは思っていなかった。
ディネロは仕事ばかりでロクに会えない、会ったとしても甘えることすらできない、厳しく接してくる父に反発を溜めこんでいた。十代の初め頃は暴れ回って反抗したものだったが、次第に落ち着き、表立っての反抗はしなくなった。
パパは、いえ、あの馬鹿親父はあたしの反抗期が終わったと思ってるでしょうけど、甘いわ。絶対に逃げ出してやる。絶対にギャフンと言わせてやる。
と、厳しい父に対して密かな執念を燃やし続けた。
『ギャフン』なんて時代錯誤もはなはだしい言葉が口をついて出てくることをみても、彼女が父親関連になると周りが見えなくなることはわかっていただけると思う。その反抗心が一体どこから来るのか――甘えたかったのに甘えられなかった反発心から来るのか、ただ単なる憎悪から来るのかは定かではないが、とにかく、父親にギャフンと言わせたかったのだ。
そんな父の口癖はこうだ。
『出し抜かれないように、常に気を張っておくんだ』
それは彼女が幼少の頃から繰り返し繰り返し、耳にタコどころか、全身にタコができるほどに聞かされていた言葉だった。
ははん、それならパパ……クソ親父がその言葉を実践できてるか試してあげようじゃないの。
彼女は『父から逃げ出し、ギャフンと言わせる計画』なる――ネーミングセンスは置いておいて――計画を考え始めた。
一人立ちするにしても、さしあたって金が必要だ。
正直、金があれば大抵のことはなんとかなる。
それが彼女の信条だった。
元々、彼女はお金には困らなかったし(有名な《魔祓い》である父の収入は半端ではなかった)父からお小遣いとして呆れるような額を貰っていた。
……まぁ、ざっくり、はっきり、端的に、ぶっちゃけて言ってしまえば、ディネロという少女は生来、お金や金目の物が大好きだった。
とにかく、何をしてでもこの計画を成功させるわ、絶対に成功させてみせるわ。
彼女はそう決意して綿密で緻密な『父から逃げ出し、ギャフンと言わせる計画』を練り上げ、慎重に血のにじむような努力を重ね、ついに、先日その壮大な復讐計画を発動、成功させたのだった。
その計画の大筋はこうだ。
『父の全財産を持ち出して、どこかに逃げる』
非常にシンプルかつ乱暴な計画だったが、練りに練った計画は意外なほどスムーズに進行し、彼女は普通のお嬢さまから、莫大な財産を手に入れた大金持ち少女へと進化したのだった。
ディネロはその金品をフルに使って以前から目をつけていた、例の呪われた屋敷を購入しようとした。
ただ、そこで金さえ積めば何とかなると思っていた、不動産屋のおっさんが売れない、と意外と粘ったので、計画にはなかった父の名を使うことになってしまった。
呪われた屋敷も最強の《魔祓い》がついていれば安心だ。
ディネロは父の名を出すことで不動産屋にそう思わせることに成功した。現実は父との関係を断って家出をしてきたのだったが。
父は全く自分の口癖を守れていなかった。
何が、『出し抜かれないように、常に気を張っておくんだ』よ。実の娘に出し抜かれるなんてマヌケもいいとこよ。
ざまーみろ!
そんなこんなで、最終ポイントがディネロの予想とは少々ズレたけれど、彼女は屋敷の購入に至たり『父から逃げ出し、ギャフンと言わせる計画』は終わりを迎えた。(彼女の父親が本当にギャフンと言ったのかは不明である)
「やれやれ、今思い出してもため息が出るわ。まったく、あの不動産屋め……」
ディネロはぶつくさ言いながら腰を使って車のドアを閉める。
「ま、いいわ。あんな頑迷不動産屋には、金輪際出会うこともないでしょうし。今から素敵なお屋敷でウキウキの新生活が始まるのよ、テンション上げていかなきゃ! そうでしょ?」
彼女は車のトランクを開けながら、ブルドックに話しかけた。
「……ああ、そうだな」
犬は相変わらずゆったりとした渋い声で答える。今にも葉巻なんかを咥えそうだが、そんなことはしなかった。もしかすると犬の鼻には葉巻の臭いはきつすぎるのかもしれない。
「ちょ、ペル、手伝ってよ」
トランクから大きな緑色のキャリーバッグを引っ張りだすのに、悪戦苦闘しながらディネロは悲鳴を上げる。
「やれやれ……」
ペルと呼ばれたブルドックは肩をすくめながら彼女からバッグを受け取った。そう大柄でもないディネロの膝丈程しかないブルドックに一体何ができるのかと思われたが、彼はディネロが持ち上げるのに四苦八苦していたキャリーバッグをひょいと担ぎ上げると、そのまま難なく歩きだした。
「さっすが! 頼りになる! モノ運ぶの後でいいかしら? まずは屋敷の中を見てみないとね」
彼女は荷物をペルに預けたまま、自身は一切物を持たずに足取りも軽く、スキップしながらブルドックの後に続いた。
数段の階段を登って、玄関扉の前に立つ。
何の木でできているのか彼女にはさっぱりだったが、とにかく、茶色で重厚な玄関扉の前に立つと、ディネロは胸元から鍵を引っ張りだして――どこに鍵を入れてたんだ、というツッコミをする者はいなかった――金色の鍵穴に差し込んでくるりと回す。
ガチャという何の変哲もない音がして鍵が外れた。彼女は抜いた鍵を、また胸元にしまいこむと扉に手を掛けて、ぐいっと力強く押し開けた。
「おおー……!」
ディネロの目の前に巨大なホールが広がっていた。大理石の床は鏡のようで、正面には二つに分かれた白い階段があり、壁は細かな意匠が施され、ホール中の装飾品も素晴らしかった。
何よりホールにはどこにもチリ一つ落ちていない。すべてがピカピカに磨きあげられ、清めきられていた。
これはよく考えると少しおかしい。
ここは管理者さえ恐れて近づかない屋敷――管理者たる不動産屋の親父の話をろくに聞いていなかったディネロは知らないが――なのだ。手入れはおろか掃除などなされているはずがない。
この不気味さに当然気付くことなく、彼女は無邪気に感嘆の声をあげる。
「いいじゃない、いいじゃない! 思ってたよりすっごくいい! 豪華だし、きれい!」
だから、きれいなのはおかしいんだって!
もちろんそんなことを言う奴はいない。
だが、こんなことを言う奴はいた。
「あんた、俺ん家で何するつもりなんだ?」
その上から降ってきた声につられ、ふと顔を上げたディネロの目に映ったのは、天井につら下げられたゴージャスなシャンデリアに足を引っ掛けて、つまり、逆さになってこちらを見ている謎の人影だった。
「きゃああああああああああああああああああっ!」
ディネロの絶叫がホール中に響きわたる。
それは謎の人物に対する恐怖の悲鳴、というよりは新居にゴキブリがいた、という嫌悪感からくる絶叫であった。
ディネロは謎の人物程度では悲鳴を上げない。
伊達に《魔祓い》の娘をやっていたわけではないのだ。おかしな奴らなら、慣れる程度には体験してきたつもりだ。
それよりも、彼女はこれから自分の城になるはずの新居に人がいるということが堪えられなかったのだ。
ここはあたしのもんだ! 何勝手に使ってんだバカヤロー、というわけである。
それからついでに言うと、彼女はゴキブリが大嫌いだった。
ゴキブリ扱いされた謎の人影は可哀想だけれど。