9・おいしい食事と綺麗なドレス
それから少し後、魔王城の使用人だという魔族の方々が部屋にやってきて、食事を用意してくれた。
「うわあ……!」
テーブルに並べられたのは、贅を尽くしたような豪勢な料理の数々。元々は伯爵令嬢であった私でさえ見たことのないものもあったのでジークハルトに尋ねてみると、ドラゴン肉のローストに赤ワインのソースだとか、魔族の国でも希少であるマナ・ロブスターのポワレだとか珍しいものばかりで、どれも舌がとろけるほどおいしい。
「すごくおいしいです。こんなご馳走……本当にありがとうございます」
「お前がおいしいと言って笑ってくれる顔は、とても愛らしいな、フィオナ」
ジークハルトに微笑まれて頬が熱くなるのを感じながら、デザートのベリーのタルトまで堪能し、使用人の方が淹れてくれた紅茶をゆっくりと味わった。
「食事がすんだら、次は着替えだな」
「着替え、ですか?」
現在の私の衣服は、8年前に家を出た時と同じドレスだ。だが、これも魔力の影響なのだろう、8年の歳月を経たにもかかわらず汗の染み一つないし匂いも感じない。
「ああ。お前に何かを贈りたいと思ってな。美しいお前を、俺が捧げるドレスで彩らせてほしい」
(……その……ジークハルトのお言葉、さっきから、かなり甘々で、勘違いしそうになるのだけど。他意はないのよね? 単に、命の恩人としての感謝だよね?)
油断していると、もしかして恋愛的な意味での好意を向けられているのではないかと勘違いしてしまいそうになる。だけど、心の中で頭を振った。
(いくらなんでも、それはない。私は、魔王様に女性として気に入られるような人間じゃないし)
ヴォレンスに無惨に捨てられたことを思い出し、かすかに心が翳る。だけど、ここまで優しくしてくれている相手の前でそんな顔を見せるのは失礼だと思い、決して態度には出さないようにした。
(私が助けた子が、生きて無事に育ってくれた。そして恩返しとして、こんなに親切にしてくださっている。それだけで、身に余る光栄だ)
「お前が目覚めた時のために、たくさん仕立てさせておいたんだ。好きなものを選ぶといい。気に入るものがないなら、新たにあつらえさせよう」
ジークハルトが指を鳴らすと、また使用人の方々がぞくぞくと入室してくる。トルソーに飾られたたくさんのドレスが運び込まれた。ルビーレッド、ローズピンク、パールホワイト……あまりにも色鮮やかで、まるで室内にいくつもの大輪の花が咲いたかのようだ。
ほうっと見惚れていると、使用人の女性が笑顔で語りかけてくれた。
「さあ、フィオナ様。どのドレスをお召しになりますか?」
「そ、そんな……どのドレスも素敵ですが、素敵すぎて、私には似合わないというか……」
「まあ、そんなことありません。よろしければ、鏡で見て合わせてみてはいかがでしょうか」
使用人さんに導かれるがままに、さっきドレスとともに運び込まれれきた、全身が映る鏡の前に立ち――
「あれ……」
「フィオナ、どうかしたか?」
「いえ。私、8年前とまったく姿が変わっていないなと思って。年をとっていないと言いますか……」
8年前、私は18歳だった。だから本来なら、26歳になっているはず。しかし顔が大人びたわけではなく、当時のままに見える。
「ああ。魔法による眠りについていたから、身体が成長していないんだ。だが特に問題はないだろう? 俺も18だから、年齢が釣り合っている」
うん? 釣り合っている? どういう意味だろう。確かに同い年ではあるけれど。
「ともかく、フィオナ。気に入るドレスはなかったか? 俺はどれもお前によく似合うと思うが、お前の好みでないのなら、新しくデザインさせよう」
「い、いえ! そういう意味ではありません。どれも本当に私好みで、見ているだけで目が幸せです。でもあの、私が着るとなると、こんな素敵なドレス達に申し訳ないような気がしてしまって」
「何故だ? お前を飾れる一部になれるなど、この上ない誉れだろう。仕立て人も涙を流して喜ぶさ。フィオナ、お前は身も心も、誰より美しいのだから」
「い、いえあの、そんな……」
社交辞令とわかっていても胸の鼓動が高鳴ってしまい、顔を俯ける。すると、ジークハルトの指でそっと顎を持ち上げられた。
「俺は、お前は美しいと言っている。俺が美しいと思うものを、お前は醜いと言うのか?」
「い、いえ! そんなことは……」
「なら、似合わないなどと気にすることはない。お前が好きなものを選ぶといい」
「っ、はい……」
もう一度、たくさん並べられたドレスと向かい合う。どれも本当に美しい色合いな上、レースや花飾りなどによる装飾も繊細で、何時間見ていても飽きないだろう。
(私には似合わないと思って、華やかなドレスは避けていた。でも……本当は、憧れだった)
生まれた時から、実の父にも忌避されるほど地味な顔立ちだった。更に、あるときマリーユに言われた言葉がきっかけとなって、なるべく華美ではない装いを心がけてきたのだ。
そう。あれはマリーユと2人で、とある舞踏会に行く際の言葉――
『お姉ちゃんには、華やかなドレスは似合わないわよ。だって私と似たようなドレスを着て二人で出て行ったら、お姉ちゃんは私と比べられて恥をかいてしまうでしょう? だからお姉ちゃんは、地味なドレスを選ぶべきなの。お姉ちゃんが皆に笑われないために、言ってあげているのよ』
私に、華やかなドレスは似合わない。その言葉は呪いのように私の中に残り、何年経った後もずっとくすぶり続けていた。
今だって、纏っているのはレースなどの装飾も最小限の、ヘーゼルブラウンのドレス。本来私の年頃の女のドレスとしてはかなり控えめだ。
(でも、本当に自分の好きなドレスを選んでいいというのなら……あ)
目の前のドレスはどれも美しくて目移りしてしまっていると、ふと、とあるトルソーの前で視線が止まる。
「それが気に入ったのか?」
「は……はい」
私が目を引かれたのは、ルビーレッドのドレスだ。その色が、ジークハルトの瞳の色と同じだったから。
「では使用人に着替えさせてもらうといい。俺は部屋の外で待っていよう。お前は今のままでも美しいが、そのドレスを纏った姿を楽しみにしている」
ジークハルトは笑顔でそう言うと、黒のマントを翻し、廊下へ出てゆく。
頭を下げて彼を見送った使用人さんが、笑顔で私の方へ来た。
「あらためまして、フィオナ様。お着換えの手伝いをいたします。あなた様は、陛下の命の恩人とお聞きしております。そのような尊い御方のお手伝いができ、光栄に存じます」
「そ、そんな。頭を上げてください」
伯爵家の娘とはいえ、使用人も昔からマリーユを優先してばかりだったので、これほど敬意を持って接してもらえたことはない。前世の記憶もあいまって、わたわたとした反応になってしまった。
だけど私が気のきいた受け答えができなくても、使用人さん達は気分を害した様子もなく、笑顔でドレスを着せ替えてくれた。
「それにしても魔王陛下は、本当にフィオナ様のことを大切に想っていますね。私は陛下が幼い頃からこの城にお仕えしておりますが、あのようにとろける甘い笑顔、初めて拝見しました」
「そう……なのですか? 私の第一印象だと、ジークハルトはよく笑う人だと感じたのですが」
「いいえ、ジークハルト様は、普段は滅多に笑顔をお見せになりません。ああ、といっても、恐ろしい方というわけでもないのですが。いつも冷静沈着で、表情を崩すことのない御方です。あなた様のこととなると別ですが」
「私のこと?」
私は8年間眠り続けていたというのに、どういうことなのだろうと首を傾げる。
「はい。陛下は魔王としての執務をこなしながら、時間があればいつもフィオナ様が眠るこの部屋へ、様子を見にいらしていました。そしてフィオナ様が目を覚まさないことを哀しみ……普段は滅多に表情を崩されないのに、その時だけは、痛ましいお顔をなさっていました」
「そう……だったんですね」
(本当に、私が目覚めるのを、8年間ずっと待っていてくれたんだ……)
意識がなかった間も、私の無事を祈ってくれた方がいるということに胸が温かくなる。そういうしているうちに、背中の紐が結ばれ、着替えが終わった。
「フィオナ様。とてもよくお似合いです」
「ほ……本当に? お世辞ではなく、正直に言ってほしいのですが」
「まあ、フィオナ様は奥ゆかしいですね。ではフィオナ様が自信を持てるように、もっとあなた様の魅力を引き出してみましょうか?」
「え?」
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