10・美しく変身、そして向かう先は
目を白黒させているうちに椅子に座らされ、使用人さんが取り出したのは――化粧道具だ。彼女は私にそっと白粉をはたき、唇に紅を引く。同時に、別の使用人さんが髪を梳いてくれて、ドレスと揃いの花飾りがあしらわれる。
「さ、フィオナ様。陛下に見ていただきましょう」
私がまだ戸惑っている間に、使用人さんがジークハルトを部屋に招き入れてしまう。
「――――」
私の姿を目に入れたジークハルトは、微かに目を見開いて硬直した。
「……美しいな、フィオナ。この世でお前より美しいものを、俺は知らない」
「いえそんな、さすがにそれは言いすぎです!」
「俺の言葉に言いすぎなどない」
(さすがは魔王陛下……!)
私にすごく敬意や感謝を示してくれるけれど、根底には絶対的な自信のようなものを感じる。卑屈な私とは対照的で、その堂々とした立ち振る舞いが眩しい。
「本当に、綺麗だ。いっそこのままこの部屋に閉じ込めて、俺以外の誰にも見せたくないくらいだが……」
またまたご冗談を、と言いたくなる台詞だが、なんとなくジークハルトの目は本気っぽい。なんだかまるで自分が咲いたばかりの薔薇のようになった気分で落ち着かず、そわそわと視線を彷徨わせた。
「お前から自由を奪うのであれば、お前を苦しめた人間どもと同罪だな。……だから、さあ。行こう、フィオナ」
ジークハルトが、私に向け手を出しだす。私を、どこかに導くように。
「どこへ行くのですか……?」
尋ねながらも、私は彼の手を取る。彼なら、ついて行ったとしても、決して私を危険な目にあわせることはないだろうと思って。
ジークハルトはふっと口角を上げ、美しい唇から底冷えするような声で告げた。
「お前を苦しめた人間どもに制裁をくわえに、だ」
◇ ◇ ◇
魔王城の外に出ると、ジークハルトは供もつけずに私を抱きかかえ、空へ飛び立った。
外見は人間とほぼ変わらなくても、彼は魔族の王だ。普段は具現化していないが、自分の好きな時に翼を出すことができる。
(にしても、まさか魔王様にお姫様抱っこしてもらうなんて……)
彼は私を横抱きにし、まるで黒竜のように立派な翼で夜空を飛んでいる。
「すごいですね、ジークハルト。こんなふうに空を飛ぶなんて、私、初めてです」
最初は正直怖かったけれど、ジークハルトは私の周りに結界をはってくれて、決して落ちないようになっている。……その魔法を抜きにしても、しっかりと私を抱えてくれる彼の腕は、決して私を離すなどないのだろうと信じられた。
おかげで今は、周囲の景色を楽しむ余裕すらある。夜空に浮かぶ星々も、眼下にひろがる魔族の国――魔法を用いた灯りで夜でも明るい都市も、私の目を楽しませてくれる。
「翼で空を飛ぶのは、ある程度位の高い魔族であれば、普通のことだが……こうしてお前と共に飛ぶのは、楽しいものだな」
ジークハルトは景色ではなく腕の中の私を見つめ、柔らかく目を細める。
「8年前はまだ幼くて、自由に魔法を使えなかった。空を飛ぶことすら、うまくできなかったが……。お前に救われてから、必死に努力したんだ。お前が目を覚ましたら、今度は俺がお前を守れるようになりたくて」
美しい景色と、ジークハルトの甘い囁きに酔いしれてしまいそうになるけれど、気になることがあって質問する。
「あの……これから、本当に私の家族のもとへ行くのですか?」
「行くさ。止めるつもりなのか? お前は優しいからな、自分を苦しめた人間どもでも、いざとなったら庇いたくなってしまうのかもしれない。奴らにもきっといろいろ事情や思うところがあったのだと、同情したくなってしまうのかもしれない。だがな」
紅玉の瞳は、その時々で雰囲気を変える。飴をかけた林檎のように甘かったり、全てを焼く業火のように苛烈だったり。
「お前が許したとしても、俺が許せんのだ。フィオナを苦しめた人間を、野放しにしておくことなどできん」
「でも……家を追い出されなければ、私がジークハルトを助けることはなかったと思います」
その言葉を受け、ジークハルトは片方の手でそっと私の髪を撫でてくれた。
「……お前が何も苦しまず、悲しみを知ることもなく家族に愛され幸せになれたのであれば、俺の命が救われなくてもよかったかもしれないな」
今の彼の瞳はどこまでも優しく、慈愛に満ちている。
彼は、私の記憶を見たと言っていた。だからこそ、だろうか。私の悲しみに寄り添い、少しでも晴らそうとしてくれる。
「もっとも、お前と、一瞬たりとも出会えないまま命を終えるというのは、確かに少し寂しいが」
「ジークハルト……」
「とはいえ、仮定の話は性に合わん。お前は家族に虐げられた。その結果として俺が助かったのだとしても、お前の家族の罪が消えるわけではない」
実際のところ、今すぐ家族やヴォレンスのことを許せるかと問われたら。すぐ答えることはできない。あれから8年経っていると言われても、ずっと眠っていた私にとっては、ほんの少し前のこととしか思えないから。
ジークハルトがマリーユやヴォレンスに何をするつもりなのかはわからないけれど、この件に関してはもう口を出さないことにした。代わりに、もう一つ気になることを尋ねてみる。
「ねえ、ジークハルト。聞きたいことがあるのですが」
「なんだ?」
「ジークハルトは私の記憶を見て、私の前世と、この世界であるゲームのことも、知ってしまったのですよね。……自分がゲームの中の、本来は殺されるはずだったキャラクターだと知って、ショックではありませんでしたか?」
「別に」
(別に!?)
あまりにも簡潔な答えに驚いていると、ジークハルトは、私の言いたいことを察しているようにふっと笑みを浮かべる。
「俺の心配をしてくれているのか? お前はやっぱり優しいな。……なあフィオナ、お前の目に、今の俺はどう映る?」
「どう、とは?」
「今の俺が、単なる死に役のサブキャラクターに見えるか?」
「いえ、それは全然。むしろ凛々しくて頼りになる、最強の魔王様に見えます」
「そういうことだ。運命など、自分で変えてやる」
私の手が、彼の胸に導かれる。
「この心臓の音も、この心も。ここに、確かにあるものだ。今ここにいる俺は、作り物の存在などではない。お前が生かしてくれた、一つの命だ」
「ジークハルト……」
「お前の知るゲームとやらは、もしかしたら並行世界をもとに作られた物語だったのかもしれない。だがいずれにせよ、運命は変わった。フィオナ、お前のおかげで」
――確かに。ここは、もとはゲームの世界だったのかもしれない。だけど私がジークハルトを助けたことで運命は大きく変わった。彼が魔王となり、8年の歳月が流れ、今ではもとのゲームの設定と何もかもが違う。
もはやここは、エンディングが決まっているゲーム世界ではない。私達の行動によって確かに未来が変わる、生きた世界だ。
「フィオナ、お前が気に病むことなど何もない。周囲の景色でも楽しんでいるといいさ」
「はい。ありがとう、ジークハルト」
漆黒の夜を切るように、ジークハルトの翼は羽ばたき続けた。




