第五章 白猫で妥協する
閉店時刻を過ぎても応対してくれた店員に礼を述べ、店を出ると、すぐに理真は、岡森の自宅及び所有車両に対しての捜索令状を取ってもらうよう丸柴刑事に要請した。が、
「ちょっと待ってよ、どう説明したらいいの?」
スマートフォンを手に、困惑する丸柴刑事に、理真は、
「証拠品を隠滅される可能性があるから」
「証拠品って……」
「犯行に使われた凶器だよ」
「来る途中でも理真が言ってたけど、空き地から発見された、あの白猫の加湿器は本物の凶器じゃなくて、実際に犯行に使用された凶器は、岡森さんが所持してるってことなのね」
「そう。恐らく、経緯はこう……」
理真は説明を始めた。
「まず、逆算すると、池町さんが殺害されたのは、午後七時半前後だったはず。犯人とアパートの部屋に二人きりでいて、口論などの諍いがあった末の結果だったんだと思う。逆上した犯人が手に取ったのが、池町さんの机の上に置いてあった猫型加湿器だった。それで頭部を殴りつけられたことで、池町さんは死に至ってしまい、犯人は逃走した。その様子は誰にも目撃されてはいなかったんだけど、実は、犯行の一部始終を聞いていた人物がいたんだよ」
「目撃はされなかったけれど、聞かれていた?」
「そう、聞かれていたんだよ。池町さんの部屋に仕掛けられた……盗聴器を通してね」
「ええっ? 盗聴器?」
「そう、盗聴器。盗聴していたのは、岡森さんだよ」
「どうして彼が……あっ! もしかして、岡森さんの車が池町さんのアパート近辺でたびたび目撃されていたのって……」
「うん。盗聴の電波を受信するためだったんだと思う。彼が仕掛けた盗聴器は、そう遠くまで電波が届くものじゃなかったんだろうね、だから、盗聴した内容を聞くには、盗聴器の近く――すなわちアパートのそば――まで行く必要があった。で、犯行にあった日――昨日も、岡森さんは盗聴目的で池町さんのアパート近くに車を停め、盗聴をしていて、そこで、聞いてしまった。逆上した犯人の声、さらに、凶器で殴りつける音を。その後、池町さんの声がいっさい聞こえなくなったことで、これはただ事ではない、と岡森さんは、池町さんの部屋に駆けつけた。犯人は現場から逃走することに必死で、鍵をかけることなんて頭になかったんだと思う。だから、岡森さんも難なく部屋に入ることが出来て、そこで、何が起きたのかを知った」
「池町さんが、殺害されていた」
「そう。そのことには当然驚いただろうけれど、岡森さんにしてみたら、さらなる――自身にとって、非常にやっかいなものを発見してしまうことになった」
「やっかいなものって?」
「凶器だよ。犯人は、よりによって、岡森さんが盗聴器を仕掛けた物品を凶器にして、池町さんを殺害してしまったんだよ」
「それって、まさか……」
「そう、『ビッグ!うるおうニャん』。あれはUSB電源で稼働する加湿器だから、中に仕込んだ盗聴器の電力も、そこから供給されるようになっていたんだろうね。
岡森さんは焦ったはず。このまま通報しては、盗聴器が仕掛けられた加湿器は当然、証拠品として警察に押収されてしまう。そうなったら、中に盗聴器が仕込まれていることも知られて、電波を追うことで、自分に行き着いてしまう、あるいは、盗聴器から、それが自分が購入したものだと辿られてしまうかもしれない。通報する前に岡森さんは、何としても、この凶器だけはどうにかしてしまわなければならないと思った。最初は、何か別のものに血痕をなすりつけて、凶器を偽装してしたうえで、実際の凶器――盗聴器を仕掛けた猫型加湿器――は持ち去ってしまおうと考えたんだと思う。でも、凶器を拾い上げて、その拍子に池町さんの死体を見て、そこで、とんでもない事実を知ってしまった。池町さんの頭部に残った傷口に……」
「特徴的な跡が残ってしまったんだ! あの、猫の前脚の形状が」
「そう。これでは、いくら凶器を捏造したところで、それが実際の凶器ではないとすぐに看破されてしまう。かといって、凶器を持ち去っただけでは、そのあまりに特徴的な打撲痕から、凶器がどんなものだったのか、警察の捜査力を持ってすれば、すぐに特定されてしまう。そして、どちらにせよ、“なぜ凶器が捏造されたのか”、あるいは、“なぜ凶器が現場から消えたのか”という謎が現出する。そうして、この部屋にあったはずの凶器として使用された『ビッグ!うるおうニャん』が、どんな経緯で被害者の手に渡ったのかを調べられたら、岡森さんに行きついてしまう可能性があったんだろうね。自分は殺人犯ではないにせよ、盗聴という犯罪が暴露されるのは避けられない。さらには、殺人の罪まで被せられてしまう結果にもなりかねない」
「加湿器から盗聴器だけを取り外して持ち去ることが最善だったんだろうけれど、そうしなかったというのは……」
「だね。仕掛けた盗聴器は、加湿器の電子機器部分に完全に組み込まれていて、とてもその場で取り外せる構造にはなっていなかったんだろうね。仮に、そのために加湿器をバラしたとしても、その痕跡は残ってしまい、どのみち“凶器に何かあったな”という疑いを持たれてしまうことは避けられない。窮地に追い込まれた岡森さんだったけれど、ここで天啓ともいうべき打開策を思いついた。それが……」
「まったく同じ凶器を用意して、それとすり替えてしまえばいい、ってことね」
「そう。幸いにも、現場の近くには、同じ商品を取り扱っている店舗があった。このことも、計画を思いつく材料になったんだろうね。そのときの時刻が、午後七時四十分前後。店舗まで片道、車で十五分。閉店時間に間に合わせるにはギリギリの時間だね」
「さっき理真が言った『逆算して』って、ここからのことだったのね。岡森さんが店に飛び込んだのは閉店間際の七時五十七分。現場からは車で十五分。犯行を知って現場に駆けつけて、加湿器を買いに走るという選択をするまで十分程度と見て、だから、池町さんが殺害されたのは、午後七時半と」
「そういうこと。で、話を戻すけど、実際の凶器――茶トラ柄の『ビッグ!うるおうニャん』――を回収して車に飛び乗った岡森さんは、閉店時間間際に店舗に到着して、そこで、凶器として捏造するための、新たな『ビッグ!うるおうニャん』を買い求めようとした、ところが……」
「凶器と同じ“茶トラ柄”の在庫が切れていた!」
「そう。そこで岡森さんは、やむなく“白猫柄”を購入することにした。大事なのは柄じゃなくて、“死体の傷跡と合致する猫型加湿器の形”なわけだから、違う柄のものでも問題はないと思ったんだろうね。しかし、犯行によって加湿器自体が大きく損傷してしまうことはなかったとはいえ、まったくのノーダメージで済んだわけがない。現場に細かい破片が残っている可能性は高い。だから、間違っても黒猫柄を選ぶことはなかった。現場に落ちている破片が白いのに、全身真っ黒に塗装された黒猫型加湿器が凶器として使用されました、というのでは、さすがにごまかせないもんね。
そうして何とか擬装用凶器を入手した岡森さんは、それが実際に使用された凶器であることに信憑性を持たせるため、持ち出してきた本来の凶器と見比べて、まったく同じ箇所――猫の右前脚部分――をどこかに打ち付けるかしてダメージを加工して、さらに、凶器から血痕も付着させた。でも、ここで問題が起きた。犯行から時間が経過していたため、血が乾きかけていたんだよ。だから、血痕を移す際、加湿器同士を強く擦りつける必要があった。その結果……」
「フェイクの凶器の血痕付着部分が一部、削られてしまったというわけね」
「そう。そうして、何とか偽装凶器を用意することに成功して、アパートに戻った岡森さんだったけれど、そこはすでに、荷物の配達に来た宅配業者が死体を発見して、警察に通報を行ったあとだった。アパートの前には、警察の到着を待つ宅配業者が立ち塞がり、部屋に入ることはできない。恐らく、その時間にはもう警察が出動していて、サイレンの音が聞こえていたかもしれない。やむなく岡森さんは、偽装した凶器を現場に置くことは諦めることにした。しかし、このまま凶器が発見されないというのはまずい。本当の凶器は岡森さんの手元にあるのだから、現状、現場では凶器が消えたことになってしまっている。そこで岡森さんは、凶器を現場の近く――遺棄する際に人目に付かず、なるべく発見されやすい場所に置いておくことにした」
「でも、そこを、ウォーキング中の人に目撃されてしまったわけね」
「そう。だから、まだ本物の凶器は、岡森さんの家か車の中に保管されていると思う。あの加湿器は大きくてかさばるものだから、そんなに簡単に処分は出来ないはずだし、ごみとして出すにしても、“燃やさないごみ”の回収は月に一日しかないからね。まだしばらく回収日は来ないはず」
新潟市では、陶器類は“燃やさないごみ”に分類され、理真の言ったとおり、その回収は月に一日しかなく、その回収日はまだ一週間以上先だ。
「オーケー、令状を請求する」
丸柴刑事は、令状を取るため、スマートフォンを架電した。