第三章 犯人は“コネコ”
まだ岡森の聴取まで時間があるので、コーヒーを飲んだり、他愛もないことを駄弁ったりと、一休みしてから応接室に戻ると、理真と私は、捜査に関する付随資料を見せてもらうことにした。“付随”というのは、その資料が事件に直接関係したものではないためだ。
「『ビッグ!うるおうニャん』」
理真が、凶器として使用された猫型加湿器の商品名を口にした。特異な証拠品のため、どんなものかと警察で調べてみたらしい。製造販売元ホームページから、商品紹介ページを印刷したものがファイルされている。証拠品として押収されている“白猫バージョン”の他、黒猫、三毛猫、茶トラ猫、と四種類がラインナップされている。どれも形状に差違はなく、表面に塗装された柄が違っているだけだ。
「かわいいじゃん。理真もひとつ買えば?」
「買うなら、三毛猫バージョンね」
ラインナップ一覧を覗き込み、私と丸柴刑事は両脇から理真に声をかける。理真の実家では“クイーン”と名付けられた三毛猫を飼っているのだ。
「うーん、でも、クイーンは三毛は三毛でもサビ三毛だからなぁ」
理真の言葉どおり、クイーンの毛は、白、茶、黒がはっきりと分かれたタイプではなく、三色が細かく混ざり合った、いわゆる“サビ三毛”と呼ばれる柄なのだ。よって、このカタログにある典型的な三毛猫柄とは異なっている。
「でも、サビ三毛のグッズなんて、ほとんどないものね」
「そうなんだよ。だから私、いつも妥協して普通の三毛猫のグッズを買うしかなくって」
丸柴刑事の言葉に、理真は釈然としない顔で答えた。
「そもそも、これ、どこで買えるの?」
理真は印刷された資料の“取扱店舗”情報の欄を見た。この商品は関東の中小メーカーで企画、販売されているもののためか、販路も限定されているようで、どこでも買える代物ではないらしい。私も、この商品を店頭で見かけたことは一度もない。新潟県内に限れば、この『ビッグ!うるおうニャん』取扱店舗は、新潟市中央区と長岡市に一店舗ずつしかない。
「この、新潟市内の取扱店舗、現場から近いね」
理真が、店舗の住所を指さした。
「……そうね」と丸柴刑事も住所を確認して、「被害者の池町さんは、その店から購入したのかもね。まさか、それで自分が殺されることになるなんて、考えてもいなかったでしょうね……」
丸柴刑事の声が沈痛なものに変わった。理真も黙り込み、取扱店舗の住所にじっと視線を落としたままになっている。そこに、ノックの音がして、
「岡森さんが到着しました」
丸柴刑事に促されてドアを開けた警察官が、そう告げた。ありがとう、と答えると丸柴刑事は、
「理真、由宇ちゃん、行こう」
「……うん」
理真は、最後までカタログのページを見やったまま、私たちと一緒に立ち上がった。
岡森の様子は始めからおかしかった。会議室の一角にて聴取は行われたのだが、何を訊いても要領の得ない答えしか返ってこない。それも、終始しどろもどろで、春にはまだ遠いというのに何度も額に浮かぶ汗を拭き、丸柴刑事が、部屋の暖房を弱めようか、と言い出したくらいだ。
「もう一度訊きますが、岡森さん、昨日の午後八時半頃、どちらにいましたか?」
「そ、それは……自宅で、ひとりで……」
「現場近くで、あなたらしき人物を目撃したという情報があるのですが」
「……し、知りません」
「あなたのものと同じ色、車種の車も停車していたそうです」
「……い、行ってません、そんなところになんて……」
質問をしている丸柴刑事とまるで目を合わせないまま、岡森はこのような感じの受け答えを繰り返していた。ため息を吐き出した丸柴刑事は、
「岡森さん、では、あなたの車を調べさせていただいてもよろしいでしょうか」
「な、なにを調べるっていうんですか……?」
「カーナビです。今のカーナビには、通行履歴が残される機能が付いたものが大半ですよね。それを調べさせてもらいたいのですが」
カーナビゲーションシステムの地図上に、走行した路線に沿って点線が記される機能のことを言っているのだ。ああいった記録は一定距離を走行するごとに過去の履歴から順に上書きされていくが、昨夜の記録であれば間違いなく残ってるだろう。岡森が意図的にその機能を切っていたこともあり得るが、体をこわばらせて喉を鳴らした反応からして、その可能性はないと見ていいだろう。
「……お、お断りします……」
「それは、何か警察に見せられない記録があるのではないか、と疑いを持たれることになってしまいますが」
「…………」
丸柴刑事は、何度目かのため息を吐き出すと、理真と顔を見合わせた。と、そこに、
「丸柴さん」
ノックのあとに、中野刑事が顔を見せた。丸柴刑事は席を立ち、薄く開けられたドアの隙間越しに、小声で中野刑事と短いやりとりをしてから、
「岡森さん」席に戻ると、「あなた、過去に何度か、被害者である池町さんのアパートを訪れたことがありますね」
「――えっ?」
「あなたの車の特徴に絞って、改めて現場周辺で聞き込みを行ったところ、それに似た車が池町さんのアパート近くに停まっていたのを見たことがある、という証言を何件か得ることが出来ました」
「そ、それは、まだ、池町さんと付き合っているときに、何度か彼女の部屋にお邪魔したことはありますけれど……」
「いえ、車を目撃したという証言のほとんどは、時系列で言えば、あなたと池町さんが別れたあとのことでした」
「…………」
「どうなんですか? 別れたあとなのに、何度も池町さんの部屋を訪れていたということですか?」
「…………」
「あなたですか?」
「えっ?」
「あなたが、池町さんを……」
「――ちっ、違います!」
岡森の顔色が変わった。聴取が始まって――いや、始まる前から真っ青だった顔を、さらに色濃くして、岡森は、
「わ、私じゃない! 殺したのは私じゃありません! 絶対に、違います!」
「……その疑いを晴らすためにも、カーナビの履歴を調べさせていただけませんか?」
「…………」
その話題になると、再び岡森は口を閉ざしてしまった、が、
「……です」
「えっ?」
ぼそぼそと呟くように何事かを口にして、丸柴刑事は耳を寄せた。岡森は深呼吸し、今度ははっきりと聞こえるように、
「コネコ、です」
「……コネコ? “子猫”ということですか? それが、どうしたというのですか?」
「……犯人です」
「はい?」
「池町さんを殺した犯人は……コネコという人物なんです……。だから、その人を捕まえて下さい……」
「岡森さん、あなた、どうしてそんなことを知っているのですか? というよりも、“コネコ”が殺したとは、どういう意味なんですか?」
「私じゃない……。私は殺していないんです……」
その後も丸柴刑事は詰め寄ったが、ついにそれ以上口を開くことはなく、勾留するに足る材料もないということで、岡森はそのまま帰されることになった。
「いちおう、尾行と監視はつけるけれども……」岡森が出て行ったドアを見つめて、丸柴刑事は、「理真、どういうことなの? 犯人は岡森さんだと思う?」
一緒に話を聞いていた探偵を向いた。理真は、うーん、と唸ってから、
「まあ、あの様子からして、凶器遺棄現場で目撃された人物が岡森さんだということは、間違いないだろうね」
「やっぱり、犯人だと」
「凶器らしきものを抱えていたそうだしね。でも、『池町さんを殺したのか?』と訊かれたときのあの反応は、それまでとは少し違っていたように見えた」
「それは同感。じゃあ、凶器を遺棄はしたけれど、殺してはいない?」
「でも、心証でしかないからね。何の根拠があるわけじゃないし」
「被害者のアパート近くを頻繁に訪れていたことについては?」
「それも、間違いないと思う。しかも、別れたあとにも……」
「カーナビの履歴も消されちゃうでしょうね」
「仕方ないね。まあ、ああいうのって、あくまで履歴が残る期間にそこを通ったっていうことが分かるだけで、日にちや時間まで正確に記録されるわけじゃないからね。目撃されたのとは別の日にたまたま通っただけだ、と言われたらどうしようもないんだけど」
「それと、あの発言については?」
「『犯人は“コネコ”ってやつね」
「そう。何が言いたかったの?」
「丸姉も訊き返してたけれど、“コネコ”っていうのが、小さい猫の“子猫”を表しているのか、それにも答えてくれなかったね」
「凶器のことを言ってたのかな? 池町さんは猫型加湿器で撲殺されたから、『犯人は子猫』だって」
「あの加湿器のモチーフが子猫とは限らないでしょ。見た感じ、むしろ成猫っぽかったよ。表情がふてぶてしいし。それに、そんなこと、わざわざ言ったりしないでしょ」
「まあ、そうよね……」丸柴刑事は、この日幾度目かのため息をついて、「で、これから、どうする理真? 他の容疑者たちにも話を訊く?」
「それもしたいけれど、もうさすがに時間が遅いね」
私たちは掛け時計を見上げた。今の岡森の聴取からして、彼の勤務後に行われたわけなので、すでに現時刻は午後七時になろうとしている。
「それは、明日以降に手配するわ」
丸柴刑事の言葉に、お願い、と言うと理真は、
「じゃあ、今日は現場を見に行って終わろうか。そのあと、みんなで晩ご飯を食べよう」
椅子から立ち上がった。その表情からして、晩ご飯のほうがメインなのではないか?