負けを言い訳にしたのは
私のことなど、誰が見たって一緒なのだ。
確かに多少なりとの好みに左右されることもあるだろう。
だけどもこれまでの私の経験上、私の第一人称は、『怒っているように感じる』しか聞いたことがない。
誰かに対して怒っているのか?と言われるとそこまででもないのだが、何に対して怒っているのかといえば、『全て』。
全て 僕は怒っているし、嫌っている。
誰かを信用しないといけないといけない人生に怒っている。自分も他人も、他人に対して物申す自分も。
ねぇ、自分をキチンとするためには結局ね、色んな狭間の中で笑っているしかないんだ。
泣いている暇なんてないんだから。
たかが、20歳違う自分の子供に、この世の素晴らしさを絞らないといけない。僕は父親だから。
僕は産ませてしまったんだ。
ねぇ、責任ってどこにある? お互い、寂しかっただけなの。別にその寂しさを形にしたかった訳ではないわ。
なんでこうなるんだろう。もっと、冷静であればよかったのかな。君のせいになんて出来ない。寂しかったのは、僕も同じで、僕がキチンとすればよかったんだ。ごめんね。
この世の全ての生命が、愛があって生まれた命ではないことは凄く残酷なことだろう。
そうなると本当に『生きた意味とは』の連続である。生きるのを示すのは自分自身だ。なんて、
赤ん坊のような何も出来ない子達に言う言葉ではないのだ。
私に何ができるのだろう。自分のことさえ、儘ならない程度の人間が、一つの生命を支えられるのだろうか。
聖書や哲学を読んでばっかで、生きる言い訳を考えるしかない脳のない奴に、
父親と述べられる存在価値というものは発生するのだろうか。
しかしながら、このような情けない問いは、一瞬の温もりで腹をくくれるものだった。
彼女の手から、彼女の笑顔から渡された重み、温もりは、これまで私になかった何かを私の中に作り出してしまった。
聖母マリアに懺悔するがの如く、私は、跪き、反省した。
何の言葉も発していない。何の力もない一つの心に、僕は生まれ変わろうとしたんだ。
日常に平穏が訪れるまでにどれほどかけただろう。
子育ての基礎も知らない二人には。。という前に、謝罪や、契約だった。
一人の父親として、面と向かって受けなければならない。『娘さんと共に、この子を育てさせていただけないでしょうか。』
そりゃ、怖かった。だけどな、お父さんは逃げなかった。お前と母さんを守りながら、俺は父親だ。こいつのって。
いいか? 人に悪いことをしたら、直ぐ謝らないといけない。自分が悪いんだから当たり前だ。無知でも、相手の配慮不足でも同じだ。どれだけ酷い喧嘩をしたとしても、どうせ、関わり合うんだから。関わった時に、また喧嘩したくないだろう?
難しいなら、お父さんが着いて行ってあげるから。友達は大切にしろよ?
彼女が笑っていた。『やっぱり、二人とも似ている』って。
間違うところが同じらしい。子供に教えながら自分にも言い聞かせているのだが、『嫌いな奴は、嫌いだ!』って家に帰る。
彼女のいう通りだ。この子は僕に似ている。『嫌いだ』とは言ったけど、歯切れ悪そうな顔をしている。
この時は、僕から話を聞いてあげると、『明日、謝ってくる』と。自分の子供の頃は、話を聞いてくれる人がいなかった。
そんな時もあったなと、一人で笑って、彼女が横目で微笑んでいた。
彼女のお父さんともあの頃よりは喧嘩をしなくなり、彼女の実家に帰る際は、色んなことに精を出す。
終日まで、お父さんの畑のお手伝い、出荷や、お手入れ、家の掃除や、食卓の片付けなど。
『もう大丈夫だぞ。』と言われても、終わるまでやる。 お父さんの困った顔に彼女は大笑いだ。
作業疲れで就寝時の会話が出来ず、息子はハブててお父さんとお話をしに行った。
死にそうな顔を横目に、彼女は爆笑している。
こんな幸せの毎日。
長く続きたかったのだ。
本当にあの時、あの瞬間が心地よかった。
今になってはもう、風に吹かれて、なびく線香の香りに、虚に仏壇と向き合う日々。
夢ではないかと思いたい。なのに、線香の匂いで目が覚める。
既に切らした箱を、線香がないか漁っている。
素敵だった我が子と我妻を亡くしたあの衝突事故は、
私がいないところで始まったんだ。
もうすぐ、中学生にもなり、小学校の卒業祝いに買い出しに出かけ、帰っていた頃だったようだ。
私は会社で、彼女のお父さんから電話を受け、放心状態だった。
同僚に抱え込まれ、病院に行き、最後を見送った。
なぜ。なぜ。なぜ。肩を掴まれ、泣いている彼女のお父さんに、突然すぎて何も発生ない僕。
今にでも消えたかった。共に逝きたかった。
嵐の音だけが病院に響く。せめてでも、晴れていてくれ。と、私は独りで泣いていた。
※続きます。