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09 母(たぶん違う)は強し



 まずは、ダンジョンに潜る準備を整えることにしよう。

 装備をケチって命を落としたら元も子もない。

 言葉通りマルリーチャからは支度金をたっぷり支給されたし、ここは金に糸目はつけない。

 あれこれ揃えると、かなり荷物が多くなりそうだ。

 そう思い、俺は一度自宅に帰ることにした。


 帝都の居住区の中でも、ほぼ最下層にある集合住宅。スラム一歩手前。

 泥水が湧く共同の水場はあるが、便所はない。

 住人の殆どが定職を持てないワケありの連中。

 陽当たりが悪く、隙間風と雨漏りが通常仕様の安普請。

 野宿より少しマシな程度。

 その一室が俺の家だ。

 藁を詰めたベッドと、長持ちが一つ。それ以外には何もない。

 金がないのも勿論だが、俺がここに住む理由はそれだけじゃなかった。


「おい、出掛けるぞ」


 部屋に入ると、隅にあった布の塊に声をかける。

 布の塊がもそもそ動き、中から一匹のゴブリンが顔を出した。

 胸に詰め物をして、ローブの上からフリルのついたエプロンをしている。

 虚乳の女装したゴブリン。

 気色悪いことこの上ない。


 こいつは、俺がアムネムダンジョンで捕まえて奴隷に――いや、使い魔にした魔物だ。

 ウィサーチでも魔物奴隷は珍しくないが、そのほぼ全てが他国産の魔物だ。

 なにせウィサーチでは奴隷商がダンジョンに入れないし、普通の勇者は狩るべき魔物をわざわざ奴隷になどしないからだ。


 魔物奴隷は、大抵が一回使い捨てにされる。

 危険な場所での仕事や、人がやりたくない仕事をさせて、魔力が切れたらそれで終わり。

 俺のように十年以上同じ魔物を側に置く奴はまずいない。

 そもそも、魔物を街に入れるという概念がないのだ。

 当然、魔物を連れて住めるような場所などない。

 結局行き着いたのは、ワケあり住民ばかりが集うこの場所だった。

 

 俺は、この部屋で病気の母親と二人で暮らしていることになっている。

 全身が黴びて、肌が緑色になる奇病を患った母親だ。

 陽の光を浴びると黴が悪化するので、外にも出られない。

 普段からローブを目深に被って、肌が露出するのを避けている。

 そういう設定だ。

 同居人が魔物だとバレないように女装までさせたのは俺なのだが。

 気色悪いことこの上ない。


「留守の間、何もなかったか?」


「三軒隣りのエブリア爺さんと下のシュールドさんが来たですだよ」


「エブリア爺さんは、いつものことだろう?」


「んですだ。酔いの魔薬さ大量に吸って、部屋さ間違えたみてえですだよ」


 魔薬の中には、魔力回復以外の効果が付与されたものがある。

 気分を落ち着かせる鎮静魔薬と、逆に気分を昂ぶらせる興奮魔薬というものだ。

 効果付きはかなり高価なために、国から兵士や騎士たちに配給されることが多い。

 尤も、ここの住人が手を出せるのはせいぜい品質が著しく低下した魔薬くらいだ。

 魔力は殆ど回復しないが、ふわふわと夢見心地で気分が良くなる酔いの効果がある。

 ただ、この魔薬は吸い過ぎると毒になる。

 夢と現実の区別がつかなくなって、日常生活にまで支障を来すようになるのだ。


「まったく、毎日毎日あの酔っ払い爺さんにも困ったもんだ。それで、シュールドの奴は何しに来たんだ?」


「はあ、金さ貸せと言ってたですだけども。丁寧に、借用書さ用意してたですだよ」


「まさか貸してないだろうな」


「んです。ねぇもんは貸せねですだから」


 そりゃそうだ。

 シュールドも、ここの住人が金など持っていないことくらいわかっているだろうに。

 この辺りは、強盗すら入らないほどの貧乏人の巣窟だ。

 こんな場所でまで無心するほど追い詰められているのだろうか。

 大方、返す当てもないのにヤバいところから金を借りたんだろう。

 この最下層の住居すら追い出される日は近いかもしれない。


「顔は見られてないな」


 しかしいくら金目の物がないと言っても、全く何もないわけでもない。

 押し入られる可能性はゼロではないのだ。


 念の為に女装させているが、もしもゴブリンが見つかったら。

 二束三文で売られるか、憂さ晴らしに殺されるか。

 こいつには、そんな運命しかないだろう。


「んです。ドアの隙間からちいっと手ぇさ出したら、青い顔して帰ったですだから」


 母親の病気はうつる病気だと吹聴してるからな。

 俺の家を訪れただけでも、勇気ある行動だと賞賛してやろう。

 なにせ事情を知る近隣住民からは、俺自身も避けられているくらいだ。


「何もなかったならいい。商業区まで行くぞ。荷物持ちについてこい」


「わかりましたですだよ、ご主人様」


 ゴブリンが、のろのろと動き出した。

 あまりの動作の遅さに、まだ今日の分の魔薬を与えていなかったことを思い出す。

 俺は、鞄から市で買った低品質の魔薬を取り出した。

 きちんとした魔薬屋のものでないのは、単純に金がないからだ。

 自分の分の魔薬だって、大した差はない。


 魔薬屋で売られている魔薬は、五等級以上の品質と定められている。相場は三百モノ。

 俺一人なら、ギリギリ切り詰めてなんとか出せるか出せないか……出せないくらいの金額だ。

 しかも、うちにはもう一人いる。

 二人分の魔薬となると、店売りの魔薬には手が出ない。

 結局、市で売られている、素人同然の魔薬師が作った安い魔薬しか使えないのだ。


 とはいっても、ゴブリンはかなり燃費がいい。

 いつも使っている魔薬は、人間なら二割しか魔力が回復しない。

 だがゴブリンは、同じもので八割方魔力が回復するようだ。

 効果の薄い魔薬で日々凌いでいるが、いつも魔力が足りていないのは俺だけだ。

 俺は普段全く魔法を使わない。

 魔力枯渇しない最低限の魔力さえあればそれでいい。


 手に取った魔薬に微量の魔力を注ぎ、泥状から霧状にする。

 それをゴブリンの方へ向けると、煙がすうっと吸収されていった。


「ありがとうごぜえますだよ、ご主人様」


「早く支度しろよ。日が暮れてしまう」


 きびきびと動けるようになったゴブリンを見て、俺は満足して頷いた。

 胸の詰め物は取り、ローブでしっかり顔を隠させる。

 これは一応、認識阻害の効果があるものだ。

 ただ、いかんせん古いので効果はだいぶ薄くなっている。

 邪魔だろうが、顔が隠れるくらい深くフードを被らせないといけない。

 普段は出している手も、グローブで見えないようにする。

 街に出るときの、最低限の用心だ。


 魔物奴隷の命は、犯罪奴隷や禁忌奴隷の命よりもずっと軽い。

 例えば「目が二つあるのが気に入らない」なんて理由で殺される。

 もしこいつが殺されたとしても、殺した奴が俺に小銭を握らせて終わりだ。

 その金額は、さっきこいつに与えた魔薬よりもずっと安い。

 子どもの小遣いだってもう少しマシな金額だ。


 俺には、こんな面倒を抱えてまでこいつを使い魔にしておく理由はない。

 とはいえ契約が切れるのは、俺かこいつが死んだときだけだ。

 契約を切る機会がないまま、気付けば十年以上が過ぎていた。

 理由があるとすれば、それだけだ。


「お待たせしましたですだよ」


「では行くぞ」






 商業区に入ると、まず一番に武器屋へ行く。

 馴染みの店で声をかけると、奥から浅葱色の髪の男が出てきた。


「お久しぶりですね、ケイさん」


「暫くぶりだなアルミロ。俺の剣を出してくれ」


「準備できてますよ」


 武器屋の店主アルミロが、俺の預けていた剣を取り出した。

 剣を受け取ると、革製の鞘から抜く。

 刀身には曇りひとつなく、丁寧に保管されていたことがわかる。


「大した手間賃も払えないのに、すまんな」


「いえいえ。珍しい剣を預けていただけているのです。手入れくらいは当然ですよ。欲を言えば、売っていただきたいですけどね」


 アルミロは、商業区ではかなり珍しいタイプの商人だ。

 商売よりも自分の知的好奇心を満たすために武器屋を営んでいる。

 珍しい武器や防具を集めては、材質や効果を調べることが一番の目的だそうだ。

 そのついでに、調べ尽くした武器を売っている。

 半分道楽のような仕事でやっていけることが、純粋に羨ましい。


 俺の剣は、アルミロの最近一番のお気に入りだ。

 魔法剣エルプレーム。貰い物だ。


 普通、魔法剣といえば魔法で強力な炎だの氷だのを撃ち出すものだ。

 だがエルプレームは魔法を吸い取る。

 正確には、斬った者の魔力を吸って溜めておくことができる。

 溜めた魔力は、いつでも持ち主の魔力として使用することができた。

 人間相手でも使用は可能。

 とはいえ、殆どはダンジョンの魔物相手にしか使用していない。

 ただ、魔物の持つ魔力は、人間にとって微弱な毒のようなものだ。

 こんな色々な意味でアブない剣を持とうなんて、俺のような頭のネジが飛んだ狂人くらいしか考えないだろう。


 ただ、この剣の効果は俺のスキルとかなり相性がいい。

 エルプレームは、俺にとっては唯一ともいえる武器なのだ。


「そういえば、勇者ギルドは本格的にダンジョン五十階層の突破を考えてるようですね」


 何気なくアルミロが放った言葉に、俺はぴくりと瞼を震わせた。

 それはまだ、勇者ギルド内でも伏せられている話のはずだ。

 俺は、内心で舌打ちする。

 マルリーチャは何をしてるんだ。

 俺の懸賞金が誰かに横取りされでもしたら、どうするつもりだ。


「そうなのか。それは初耳だな」


「先発調査隊にも被害が出たと聞いています。ギルドは、とうとう“黒の支配者”に応援を要請したそうですね」


「ちっ」


 今度は、内心ではなく本当に舌打ちをする。

 いくらなんでも耳が早すぎる。

 アルミロにはマルリーチャの息がかかっているということか。


()()()()()()も、そちらのお連れさまも、お気をつけて」


 アルミロは口の端を少しだけ持ち上げ、静かに微笑んだ。


「誰のことか知らんが、俺たちには関係のない話だ」


 これ以上何か言うと、藪から蛇が出ることになりそうだ。

 知らなくていいことってのは、案外その辺に転がっているものだからな。

 俺は、アルミロに何枚かモノ硬貨を握らせた。

 視線でゴブリンに合図をし、俺たちはそそくさと武器屋を後にした。






 武器屋の後は、雑貨屋、魔道具屋、魔薬屋を回る。

 普段の買い物は市場ばかりだが、さすがにダンジョン装備は商業区の店の品物でないとダメだ。

 当然、魔薬もいつもより数段上の等級のものを買い求めた。

 ダンジョン内では、この等級の差が生死を分けることだってある。


 広場で休憩しながら、買い忘れたものがないか確認する。

 ふと顔を上げると、往来の雑多な髪色が目についた。

 これ程までに多種多様な色が揃うのは、帝都ウィサーチならではだろう。

 基本は火水風土の属性である赤青緑黄の四属性四系統色だ。

 それでも、濃淡によっては全く違う属性の色に見えることもある。


 魔力の強さは、そのまま髪色の濃さに直結する。

 絶対ではないが、やはり濃い色は富裕層、薄い色は貧困層に分かれる傾向にあるようだ。

 魔物を倒せるほどの魔力を持つ勇者ですら、魔力量にはかなり個人差がある。

 一般市民にしてみれば、勇者というだけで大差ないかもしれないが。


 ウィサーチで最強の勇者といえば、マルリーチャで間違いない。

 彼女の黒髪を見れば、一目瞭然だ。

 あそこまで濃い髪色だと、もはや属性など関係ない。

 彼女の現役時代の逸話は信じられないようなものばかりだ。

 一線を退いたとはいえ、それでもマルリーチャの魔力は現役勇者の誰よりも強い。


 だがそれとは逆に、全く魔力を持たない白い髪の人間もいる。

 俺は、商業区の向こう側、奴隷市場のある方角に目を向けた。


 白い髪は、禁忌を犯した者の烙印だ。

 この世界に平和をもたらし、人間に魔法を授けた蛇神様の教えを忘れ、享楽に走った野蛮な愚か者の印。

 他者の命を奪い、それを自らの糧とした異端の信徒ども。

 思い浮かべることさえ忌まわしい、白い髪の禁忌奴隷。


 嫌な……とても嫌なことを思い出した。




*****




 この世には、二種類の人間がいる。

 おっぱいがあるか、ないか。

 当然だが、俺はない方の人間だ。

 俺の母親も、ない方の人間だった。

 いや、あれが本当に母親だったのか、怪しいものだ。

 寧ろ女だったのかすら疑わしい。


 俺たちは、ウィサーチの隣、アムネムの外れに二人きりで暮らしていた。

 俺が十四になる歳まで。

 隣国との国境に近い、人里離れた森の向こう。

 母親(多分)の名は、パトリーノといった。






「死ねっ! パトリーノ!!」


「はっはぁ! そんなへなちょこ剣技でアタシが死ぬわけないでしょ!」

 

 隙をついて背後から忍び寄ったのだが、どうやら気付かれていたらしい。

 俺の振り降ろした木剣が、パトリーノに木端微塵に()()()()()()

 勿論、素手で。

 負けを認めた俺は、手元に残った木剣の残骸を地面に叩きつけた。

 それを見たパトリーノが、にやりと不敵に笑う。


 俺とパトリーノの間には、たった一つだけ約束事があった。

 一日一回、パトリーノを全力で攻撃すること。

 何故そんなことを強要されていたのか、それは今でもわからない。

 ただ結果的に、俺は幼い頃からパトリーノに戦い方を教わっていた。


「ふふん、甘いわね! まだ戦いは終わってないのよ」


 勝負を投げた俺を、パトリーノは容赦なく掴まえて締め上げる。

 筋肉の塊のような硬い腕と胸に挟まれて、俺は身動きが取れなくなった。


「ほほほほほ! ママのおっぱいに抱かれて死になさい!」

「ちょ、硬い硬い硬い! 痛っ、ほんとに死ぬっ!」


 思い出せば思い出すほど、あれは断じておっぱいなどではなかった。

 寧ろ、雄っぱいだったような気がする。

 俺が少しでも油断した行動をとると、容赦なくあれに締め上げられた。


 とにかく、俺たちは毎日同じような日常を過ごしていた。

 そんな日常がなくなったのは、俺が十四になってすぐのことだ。

 あの日のことは、今でも忘れられない。


 俺たちの家に、珍しく客がやってきたのだ。

 客は、マルリーチャ・テトイと名乗った。






「やあ、パートロ。あんた、いつの間に子供なんてできたんだ?」


「その名で呼ばないでちょうだい。アタシはパトリーノよ」


「ああそうだった、そうだったね。あんたは昔から、パートロと呼ばれるのが嫌だったね」


「ふん。相変わらず、人の嫌がることをするのが趣味の嫌なオンナね。子供は関係ないでしょ」


「それはあんた次第さ。村の人間と一緒に大人しく出頭するなら、子供は見逃してもいい」


「あの子は普通の子よ。アタシたちとは違う」


「髪の色を見りゃわかるさ。だからこそ、言ってるんだよ」


「本当に、嫌なオンナね」


 帝都から来た客とパトリーノが、表で二人で話している。

 パトリーノからは、決して家の外に出るなときつく言いつけられた。

 だけど、俺はこっそり表の様子を窺っていた。

 あんな真っ黒な色の髪は初めて見たのだ。

 気にならないわけがない。

 俺の黄色味がかった灰白色とも、パトリーノの白とも違う。

 おつかいでたまに行く、近くのグリザイハロイの村人だって、みんな白い髪なのに。


「あの子の面倒をちゃんと見てあげて。それが条件よ」


「いいだろう。あたしとしても、出来ればあんたを相手にはしたくないんだ」


「白髪なんか、相手にもしたくないって?」


「そうじゃない。昔の仲間と戦いたくないだけさ。負ける気はないけど、簡単に勝てるとも思ってないからね」


 二人の話はそれで終わった。

 俺はその後すぐ、マルリーチャに帝都に連れて来られた。

 パトリーノとはそれっきりだ。

 お別れの言葉を交わすことすらなかった。


 帝都に着いて、俺は白い髪の持つ意味をそこで初めて知った。

 この世界には様々な髪色の人間がいる。

 だが、白い髪だけは人間とは認められていない。

 唾棄すべき犯罪者よりも、更に忌むべき者たち。


 俺の日常は、禁忌を犯し人間をやめた愚か者たちの中にあったのだ。



無いぱいVS雄っぱいの戦いは避けられた。

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