08 秘密を話さない男はカッコイイ
もう一人の主人公の話に切り替わります。
章ごとに視点変更します。
帝都ウィサーチ市街の中心地にある、勇者ギルド。
ネマァル帝国の各地に置かれているギルドの、ウィサーチ支部。
他国にも似たような機関はあるが、正式に勇者という職業が成り立っているのはこの国だけだ。
故に、勇者ギルドもネマァル帝国にしか存在しない。
俺は、そのウィサーチ勇者ギルドの前に立っている。
十四の歳から十二年間、今ではすっかり見慣れた建物だ。
見慣れてはいても、中に入るのは未だに少しだけ躊躇する。
すうっと深呼吸をしてから、建物の扉に手をかけた。
扉を開けると、中の人たちの視線が一斉に俺に集まった。
殆どの視線はすぐに俺から外される。
だが、不躾に睨んでくる者、こっそり盗み見てくる者もいるようだ。
そんな奴らは無視して、俺は真っ直ぐ奥の受付カウンターを目指す。
勇者ギルドというだけあって、ここに出入りするのは全員が勇者だ。
男も女も、数は少ないが子どもも老人もいる。
勇者といっても、人より少し魔力が強いというだけの奴らだ。
それだって、魔法研究の専門職である魔導師と比べればそれほど大したことはない。
勇者は、その力を使ってダンジョンの魔物を狩ることを生業にしている者たちのことだ。
戦争や護衛を生業にする傭兵ギルドや、駆除や採取といった何でも屋をしている冒険者ギルドにいるような破落戸どもとそう変わらない。
勇者であるというプライドが高い分、こちらの方がやや扱いにくくて面倒だろうか。
なにせ一般の人ならば命の危険しかない魔物を、容易く狩ることができるのだ。
魔導師も強力な魔法を使うが、あくまでも研究職だ。
主な仕事は、魔道具の開発や魔力についての研究など。
魔物討伐においては勇者に敵うべくもない。
そして、ネマァル帝国では勇者以外のダンジョン立ち入りは厳しく制限されている。
強い力を持ち、特権としてダンジョンに入ることを許されている勇者たちが、少しばかり図に乗るのも仕方ないことだろう。
基本的に勇者は個人で自由にダンジョンで魔物を狩る。
効率のために、数人でパーティーを組んでいる奴らも多い。
そして、勇者たちのダンジョン攻略の助けになるのが勇者ギルドだ。
ダンジョンの最新攻略深度、魔物の生態、ダンジョン内地図などの情報開示。
パーティーメンバーの斡旋、紹介。
他地域のダンジョンからの特定依頼公開、魔物討伐報酬の受け取り。
ダンジョンに入るだけの魔法が使えるか試験をし、勇者資格を与える場所でもある。
他国ならともかく、この国の勇者でギルドに所属していない者などいない。
この国では、ギルドが認めた勇者の資格がなければ、ダンジョンに入ることすらできないのだから。
ギルド内を見回すと、真っ昼間だからか人の数はそう多くなかった。
その中の一人、面倒そうな奴がこっちに向かってくるのが見える。
赤銅色の髪の少年。
これはなかなかに面倒そうな奴だ。
赤系の髪は、そいつの魔法が炎属性であることを意味する。
暑苦しくて鬱陶しい性格の奴が多いことでお馴染みの、炎属性だ。
「ちょっとちょっと。ここはお兄さんみたいな人が来る場所じゃないよ」
赤銅色の髪の少年が、声を顰めて俺に話しかけてきた。
どうやら忠告してくれているらしい。
なるほど。お節介なタイプの暑苦しい奴か。
喧嘩っ早いタイプの鬱陶しい奴でなくてほっとした。
さすがに、ここで勇者と喧嘩しても勝てるはずがないからな。
「心配無用だ。俺はこれでも勇者だからな」
「……はぁ?」
俺のことを知らないということは、この少年はつい最近勇者になったばかりなのだろう。
当然のことだが、ここには勇者しかいない。
勇者になれるような魔力の強い者は、濃い色の髪を持って生まれる。
だから、黄味がかった灰白色の髪の俺は、ここではかなり目立ってしまうのだ。
目立つからこそ、殆どの勇者たちは俺の存在を知っている。
「何言ってんの? そんな薄い髪色の勇者なんているわけないじゃん」
「それは良かったな。お前さんが、生まれて初めて見る薄い髪色の勇者だ」
少年は、ぽかんと口を開けた。
理解できないものを見るような目が俺に向けられる。
俺は、駆け出しの少年に年長者の余裕の笑みを向けてやった。
少年が、ますます理解不能といった顔をする。
「おいコラ、この腐れ役人!」
そんな少年と俺の間に、群青色の髪の男が割って入ってきた。
さっきから熱心に俺を睨んでいた奴だ。
余程、俺のことが気になって仕方ないらしい。
「ボウズ、気にするこたぁねえ。コイツはただの下級役人だ。ちっとばかし勇者に憧れてる妄想野郎だがな」
青系の髪色は、理知的で控えめな性格が多い水属性だ。
この男、風魔法で髪色を変えてでもいるのだろうか。
風貌と言動があまりにかけ離れている。
俺に忠告してくれた親切な少年は、男の言葉で俺から関心を失ったようだ。
こちらを一瞥すると、背を向けて行ってしまった。
「ほらほら、役人は役人らしく、上の階で役人の仕事でもしてろっての」
男が、追い払うような仕草で俺に手を振った。
おいおい、コイツは何を言っているんだ。
上の階に行きたくないから、こうやってここでだらだらしてるんだろうが。
この後は、受付でくだらない話をして、もう少し時間を稼ぐつもりだぞ。
まあせっかくだから、コイツに相手をしてもらってもいいか。
俺は、男に向かって口を開いた。
「生憎だが――」
「ちょっとそこの役人! 何アブラ売ってんの! 早くこっちに来な!」
男にかけようとした俺の言葉を遮って、奥の階段の上から声がした。
思いがけない人物の登場に、その場にいた全員がぎょっとする。
彼女の色濃い黒の髪は、世界規模でみても最高位の勇者であることを示しているからだ。
だが俺だけは、全く違う理由でぎょっとしていた。
――アンタに会いたくないから、アブラ売ってたんだよ。
そう言いたい気持ちを、ぐっと堪えながら。
*****
階段を上がり、三階の一番奥の部屋に入る。
ここは、黒髪の女勇者にウィサーチ勇者ギルドが与えている個室だ。
一般的には、ギルド長室と呼ばれている。
完全防音、盗聴防止の魔法も施されている、秘密の話にはもってこいの部屋。
呼び出された俺はいつも、ここで彼女と仕事の話をする。
黒髪の女勇者であり、ウィサーチ勇者ギルドのギルドマスター。
マルリーチャ・テトイ。
彼女は俺、グランツ・ケイの雇い主だ。
「ねえグランツ。あんたはいつになったら、秘密を守るってことを覚えるんだい?」
「さあね。その気になったら、かな」
マルリーチャから、盛大な溜息が漏れた。
「あんたが勇者だってことを秘密にするのは、お互いに納得して決めたことだろ。何が不満なんだ」
「別に不満はないぞ。ただ、秘密を背負っている男の方が、カッコイイからな」
二度目の溜息が、盛大に漏れた。
「だったら秘密を守ったらどうだい」
「本当に秘密にしたら、秘密を背負っていることが誰にもわからないだろうが」
もはや、溜息すら漏れなかった。
「あまりモーボイの仕事を増やすんじゃないよ。あんたが余計なことを口走る度にフォローしないといけないんで、最近はあんたの顔を見ただけで胃が痛むんだとさ」
モーボイは、下の階にいた群青色の髪の男のことだ。
彼は、マルリーチャ直属の部下らしい。
最近ますます俺を睨む目付きが鋭くなってきたと思っていたが、単に胃が痛かったのか。
勇者は体が資本だからな。
余計なストレスを抱えたりせずに、体調には気を付けてほしいものだ。
「たまに来たら必ず問題を起こす。あんたは、あたしに小言を言われたくてわざとやってんのかい?」
それは断じて違う。
マルリーチャに小言を言われるのが嫌でだらだら下で時間を稼いでいると、たいてい問題の方が向こうからやってくるのだ。
俺は悪くない。
「それにしたって、あんなひよっこ小僧とまで揉め事起こすんじゃないよ」
「揉め事ではない。彼は親切心から忠告してくれただけだ。ここは俺のような者が来る場所ではない、と」
「なんだって?」
それを聞いたマルリーチャは、腹を抱えて笑い出した。
「ひ、ひ、ひっ! 知らぬとはいえ、よりによって“黒の支配者”にそんなこと言うたぁ、随分度胸のあるひよっこだな、おい!」
俺は、軽く眉を顰めた。
揶揄するように語られた俺の通り名に不快になったわけではない。
これは、憐憫の目だ。
俺の視線がどこにあるか気づいたマルリーチャが、ぴたりと笑いを止めた。
「ふん。嫌な目を向けるねぇ。どうせあたしゃ貧乳だよ」
マルリーチャが、吐き捨てるように言う。
そうなのだ。
あれだけ大笑いしても、彼女の胸部はびくともしない。
どんなに強大な魔力を持っていても、一番大切なものを持っていないのは憐れなものだ。
天は、決して二物を与えない。
もしも与えることがあるとすれば、右のおっぱいと左のおっぱいの二物だけだろう。
「まあいいさ、仕事さえしっかりやってくれればね。そろそろあんたも副業にばっかり力を入れてないで、本業のこっちを優先したらどうだい」
「それは違う。俺の本業は帝国の下級役人であって、勇者の方が副業だ」
「勇者を副業にしてんのはあんたくらいだよ。下級役人なんて、なんの役にも立たないタダ魔薬吸いじゃないか」
この国での下級役人に対する一般的な認識は、そんなもんだ。
誰も表立っては言わないが、陰では“皇帝の御守り役”とか“ネマァルの国恥”などと呼ばれている。
ただそれは強ち間違ってもいない。
俺たちだって、自分らが給料泥棒だということくらいよくわかってる。
何故なら、俺たち下級役人の仕事は天空楽園へ行く方法を探ることだからだ。
この世の全てを手にしたと言われるネマァル皇帝が、たった一つ手に入れられないもの。
十年前、突如として空に現れた瓶詰めの世界。
空から逆さに生えたようなその場所は、見たこともない生き物たちが平和に暮らし、植物が訓練された兵士のように見事に整列している。
そこには争いもなければ、地上の生き物たちのように他の生き物を食べるような野蛮なこともしない。
完全に調和のとれた美しい世界。
それが天空楽園だ。
その美しい光景に皇帝は魅せられ、天空楽園への行き方を探すためだけの役職を作った。
だが実際にはいつまで経っても何の成果も上げられず、天空楽園が現れてから今まで十年にわたって漫然と税金だけを吸い上げている。
それが帝国下級役人の実態なのだ。
そんなふうに影でいくら蔑まれようとも、俺はこの仕事を辞めるつもりはない。
天空楽園に行くことができれば、皇帝陛下から望みの褒美を賜ることができるのだ。
辞める理由など一つもない。
俺は、褒美に帝国一の美おっぱいを所望するつもりだ。
ただ大きいだけではダメだ。
形と張りにもこだわりがある。
帝国一の美おっぱいのためなら、侮蔑も嘲笑も何ということはない。
下級役人の仕事は、俺の人生を賭けるに値する。
とはいえ、俺が勇者であることもまた事実。
積極的に勇者業を営むつもりはないが、与えられた仕事くらいは真面目に取り組むつもりはある。
何より、万年貧乏の下級役人の給金だけではやっていけないのだ。
「それで、今回の仕事は?」
「ダンジョンの地下五十階層。なんとか踏破できないかねえ」
「さてな。行ったことがないからな」
「皇帝陛下が、五十階の魔物に懸賞金をかけた。倒したら百万モノだとさ」
「なんだと!? 早く言え! ぐずぐずしていたら誰かに先を越されてしまう!」
「その心配はないさ。あそこの魔物は、あたしでも手を焼く化け物だよ」
マルリーチャが、腕に巻かれた包帯を軽く持ち上げた。
俺は神妙に頷く。
ああ、良かった。
マルリーチャの包帯には気付いていたが、てっきり転んで骨折でもしたものだと思っていた。
最強の勇者も歳には勝てないな、などとうっかり口走る前で本当によかった。
口走っていたら、俺は全身包帯だらけにされていただろうから。
「様子見を兼ねてね。油断してたってのもあるけど、もう一度奴と会うのは勘弁してほしいね」
マルリーチャは、一線を退いたとはいえ未だ最強を誇る勇者だ。
彼女をもってして、二度と会いたくないと言わしめる魔物。
俺は、ぶるりと身震いをした。
「ギルド長権限でも、懸賞金のことを黙っておけるのは一週間が限度だよ。その間になんとかできるかい?」
「いや、無理だな。この話は聞かなかったことにする」
マルリーチャが、にこりと笑った。
額には青筋が立っていた。
俺は、にやりと笑った。
額には脂汗が浮いていた。
「一週間。その間になんとかできるかい?」
俺の答えが聞こえなかったのだろうか。
マルリーチャが、再び同じことを言った。
俺も同じ答えを返そうと、冷や汗を垂らしながら戦慄く口を開いた。
その瞬間――。
マルリーチャの手元の紙切れに、俺の目が釘付けになった。
「あんたの魔法が効くかどうか、その情報だけでいい。支度金も用意する。もしも倒せたら、懸賞金は全額あんたの取り分だ。そんで、あたしからの報酬はこいつだよ」
そ、それはっ!
ウィサーチで話題のサロン「ミルクロード」の招待券んんんッ!!
一見さんお断り。
予約も半年先まで埋まっている。
にも関わらず、連日キャンセル待ちの長蛇の列ができる。
あのミルクロードにッ!
ご招待ッ!
されてしまう券ッッッ!!
店主が意図したわけではないが、何故か店員が巨乳美人ばかりの店。
店主が意図したわけではないが、何故か胸部を寄せて上げるような制服の店。
店主が意図したわけではないが、何故か客たちの鼻の下が伸びまくる店。
決していかがわしい店ではない。
純粋に、魔薬を吸いながら玄人店員との会話を楽しむ店だ。
娯楽の殿堂。紳士の社交場。男の憧れ、ミルクロード。
「承知した。出発は?」
「やる気になったか。そうだね、なるべく早くがいい。パーティメンバーに誰かつけるかい?」
「必要ない。一人の方が動きやすい」
「そうか。くれぐれも油断は禁物だよ。万が一にも“黒の支配者”を失うことがあれば、ウィサーチの――いや、ネマァルの勇者ギルドは大損失だからね」
「ふ。さすがに報酬を貰う前に死ぬほど、バカじゃない」
踵を返し、俺は勇者ギルドを出た。
建物が犇めく、帝都ウィサーチ市の狭い空を見上げる。
十年前から、いつもと変わらずそこにある、天空楽園。
その姿を、しかと瞳に焼き付ける。
一仕事を終えて、再びあの楽園を見るために。
俺の、理想のおっぱいに一番近い場所。
腕を上げ、張りのあるおっぱいを手に収めるように、半球状の天空楽園に自分の手を重ね合わせた。
*****
「よう、ケイ! 調子はどうだい?」
勇者ギルドから、本業の仕事場である役場に戻る。
下級役人の詰所には、同僚のコレゴイがいた。
俺は、勇者のときはグランツ、下級役人のときはケイと名前を使い分けている。
最近は姓を持つ平民もかなり増えてきた。
とはいえ、未だ姓がないことは別に珍しくはない。
幸い俺の姓は名でも通用するものだから、使い分けるのに丁度良かった。
俺が勇者であることは秘密だから、勇者として活動するときは偽名を使う必要があった。
ただ、下手に偽名を使うと混乱するから、このくらいが丁度いい。
もっとも、あの通り名のせいで俺をグランツと呼ぶのはマルリーチャをはじめとした数人しかいないのだが。
俺はコレゴイに軽く手を上げて挨拶をした。
「まあまあだ。昨日と変わらないな」
「あははっ、この仕事はそういうもんだろ」
巨体のコレゴイが笑うと、大きな腹がたぷたぷ揺れる。
コレゴイも、俺のように下級役人としての侮蔑を全く気にしない人物だ。
彼の場合、何もかもを全く気にしていないだけかもしれないが。
若草色のコレゴイの髪を見れば、それも納得できる。
緑系の髪は、おおらかで大雑把な性格が多い風属性だ。
コレゴイはそんな中でも、かなり大雑把な方だ。
なにせ体型からして大雑把だ。
「暫く休暇をとる。戻りはいつになるかわからん」
「えっ、あ、そうなの?」
窺うようにキョロキョロと周囲を見回して、コレゴイが俺に近寄ってきた。
その割に、普通の会話と同じ声量で話してくる。
近寄ってきた意味はあるのだろうか。
「また副業かい? 下級役人が副業で休むなんて、大丈夫かい?」
「禁止されているわけじゃない」
「そういうことじゃなくてさ。オレたちみたいな昼行灯が副業してるなんて知れたら、市民はいい気がしないんじゃないかなぁ」
そうは言っても、下級役人の稼ぎだけではまともに生活もできない。
副業もせずに生活できている奴の方が希少なのだ。
跡目の継げない、貴族や商家の三男坊以下がこれにあたる。
コレゴイも、確か大きな商会の末の息子だったはずだ。
彼らは、実家からの援助でそれなりに生活できている。
そんな下級役人が副業で小金を稼いでいれば、それは非難されるかもしれない。
だが、俺たちのような万年貧乏役人は違う。
下級役人は、籍を置くだけで僅かでも一定の給金が貰える貴重な仕事だ。
それにしがみついて、なお副業で稼がなければ生きていけないのが現状なのだ。
「しかしもう仕事を請けてしまったからなあ」
「はぁ、真面目だよね。さすが土属性」
俺のような黄系の髪色を持つ土属性は、一般的に真面目な性格だと言われている。
ただ、俺自身は全くそこに当て嵌まらない。
本当に真面目なら、とっくに下級役人など辞めて勇者業に身を入れているはずだ。
生活よりも夢を追い続けている俺は、真面目とは縁遠い。
「詳しくは聞かないけどさ、頑張ってきてね。あんまり根を詰めちゃダメだよ」
「ああ。なるべく早めに戻ってくるさ」
コレゴイはいい奴だ。
俺が理想のおっぱいを手に入れたら、一番に紹介してやろう。
勿論、お触りは厳禁だけどな。
意図したわけではない。そこにミルクへと至るロードがあるからだ。




