07 生まれ変わったらイケメンになりたい
待って待って。
ほんとにちょっと待って。
一旦整理しよう。
えーと、あの、空に浮かんでるのは、えーと。
いやいやいやいや。
どう考えても、ウチの庭以外のなにものでもないわ。
だって、畑と牧場を覆う透明な船体ドームの端っこに薄らと、満腹号の船体識別番号が見えるもの。
0141-3150――オイシイサイコー
うん。間違いないわ。
あれ満腹号の船底だわ。
ウチの庭で決定だわ。
てことは、つまり、よ。
満腹号のメインルームはダンジョンに、屋台エリアはこの場所に、船底は空に存在してるってことよね。
そっか、時空の歪みのせいか。
船内は繋がってるけど、船外から見るとそれぞれが切り離されちゃってるのね。
異世界まじワンダーランドすぎるでしょ。
てゆーか、まってまって。
これものすごくヤバイ気がする。
なんか引っ掛かるのよね。なんだったかな、うーん。
ダメだ。全然思い出せない。
結構重要なことだった気がする以外、なんにも思い出せない。
「……うーん」
うんうん唸っているうちに、私は名案を思いついた。
今はジローもいない。
あれを見たのは私だけ。
よし。全力で見なかったことにしよう。
私は空なんか見上げなかった。
うん。無事解決。よしっ。
じゃあ早速、外の世界を探索するわよー。
「……ぅ……うーん……」
私が出てきたのは、森の中にある小さな民家の玄関だったみたい。
見事に自然と調和してる、小ぢんまりした可愛らしい家。
木の素材を生かした素朴な作り。
豪華じゃないし、ちょっと独特な形をしてるけど。
……だめだ、どうしても誤魔化せない。
これはどう見てもあばら屋よね。廃屋とも言うかもしれない。
まともな家じゃないわ。
設計がおかしいのか、明らかに屋根が歪んでるし。
見てわかるくらい、あちこちの壁に隙間があるし。
単純に、何年も放置されて傷んだってわけじゃなさそう。
いやいやでも、決めつけは良くない。
もしかしたら、異世界の文化レベルではこれが民家の標準かもしれないもんね。
ほら、この崖下に遠く見えてる街並みと比べても、遜色……ありまくるわ。
むしろ遜色しかないわ。
華やかな彩りの洒落た建物いっぱいの街並みと対称的な、ぽつんと一軒家。
家というのも盛り過ぎな、単なる小屋。
だめだこりゃ。
せっかく活動拠点になるかもしれない場所なのに、いきなりテンション下がるなぁ。
「……うぅ……」
それにしてもここ、一体なんだろう。
見る限り周囲に他の建物も何もないし。
人の気配もしない。
ひっそりこっそり暮らしたい私からしたら、人がいない場所ってのはありがたいんだけどね。
街中の民家なんかと繋がってなくてほんと良かったわ。
どうもここは、高台というより山の中腹っぽい感じがする。
ここから街並みは見えるけど、結構遠そう。
歩いたらどのくらいかかるのかな。
てゆーか、ほんとに人っ子一人いないわね。
「ううっ……ここは……どこだ……」
あーあ! ほんとに全然全くもってこれっぽっちも人がいないなあ!
アッシュブロンドの長髪の男の人なんて倒れてないし!
全身黒づくめの格好の男の人なんて倒れてないし!
やつれて疲れ切った男の人なんて倒れてないし!
見えない! 人なんて一人も見えないからっ!
「……すまんが、そこの君」
ああああああああっ!
空気読んでよこのバカちんがっ!
せっかく全力で見なかったことにしてたのに、なんで話しかけてくるのっ!
ばかばかばかっ!!
こんなタイミングで、こんな第一異世界人なんて発見したくなかったのにっ!
ていうかなんなの!?
おじさんといいこの人といい、異世界では倒れてるのがデフォなの!?
ああもうっ!
私は内心で深く深ぁ〜く溜息をつく。
顔には鉄壁の営業スマイルを貼り付けながら。
「どしたアルか? お兄サン、こんな場所に何の用ネ?」
「不覚をとった。すまないが、魔薬があれば分けて頂きたい」
ああ。これは、あれね。
低血糖――じゃなかった、魔力切れで倒れたのね。
おじさんの話だと、魔法を使い過ぎたり長時間魔薬を吸わなかったりすると魔力が枯渇して倒れるらしい。
人間でも魔物でも、魔力はそのまま生命力になる。
魔力切れは、放っておくとそのまま死に直結するそうだ。
ということは。
私がここで見捨てると、この人は確実に死ぬってこと。
あーもー、だから嫌だったのに!
ぐしゃぐしゃに頭を搔き毟りたい衝動を抑えながら、にっこり笑う。
「お兄サン、運が良いアル。ワタシ、魔薬一つだけ持ってるアルよ」
ポーチから取り出した青い粘性の液体を、お兄さんに見せる。
あー、ジローに感謝だわ。
無理やり持たせてくれた非常食は、早速役に立ったわよ。
使えるかどうかは、この人で実験してみないとわかんないけど。
「そうか。それでは貴女の分がなくなるだろう。……俺のことは、もう気にしないでくれ」
お兄さんは、倒れたまま静かに目を閉じた。
なによそれ。
私の分なんて要らないし。
例え必要だとしても、はいそうですかと簡単に見捨てるわけにもいかないでしょうが!
気にするななんて、無茶言ってんじゃないわよ!
「問題ないネ。魔薬なら、いくらでも作れるアルよ」
私がそう言うと、お兄さんは薄く目を開けた。
そうよ。魔薬ならいくらでもジローが作るし、誰も魔薬なんて必要としてないんだから。
にこにこスマイルをパワーアップさせて、お兄さんに魔薬を掲げてみせる。
「魔薬師だったのか。ならば、その魔薬売ってくれないか」
お。
思いもよらぬところで、外貨獲得のチャンス到来。
お金はあっても困らないもんね。
稼げるときに稼いどかないと。
お兄さんも魔薬使う気になったみたいだし。
「まいど♪」
私は、満面の営業スマイルを弾けさせた。
それは、なんとも不思議な光景だった。
お兄さんは、起き上がることもできないほど憔悴していた。
なので、私が手を貸して抱き起こしてあげる。
魔薬を持った私の手に、お兄さんの手が重ねられた。
次第に、腕の中のお兄さんの体がほんのりと青白く光っていく。
それに合わせるように、瓶の中の魔薬も淡い光を放つ。
お兄さんがすっと息を吹きかけると、魔薬は液体から気体になった。
一瞬で蒸発したみたいに。
煙になった魔薬は、お兄さんに吸い込まれるようにするすると取り込まれていく。
なるほど。これが異世界の“食事”なのね。
魔薬を吸ったお兄さんは、明らかにさっきとは違っていた。
青白かった顔には赤みが差して、くっきりしていた隈も消えている。
カサカサで老人のようだった肌も、健康的な若者の肌になった。
ぱさぱさだった髪も、つやつや潤っている。
一瞬でこれとは、異世界の食事恐るべし。
……ん? あれ?
今更ながらに気が付いたけど、このお兄さんとんでもなくイケメンじゃない?
私の腕の中で、イケメンがふっとこっちを向いて微笑んだ。
うわあああ。
なにこれなにこれ。
眩しい。眩しすぎて目を開けてらんない。
死ぬ、死ぬわこれ。キュン死するわ。
イケメンスマイルの破壊力怖っ。
私の営業スマイルなんて足元にも及ばない。
キュン死に耐えて目を細めた私を、お兄さんが少し不思議そうな顔で見た。
不審者ですみません……。
いやもう既に犯罪者なんだから不審者くらい別にいいか。
いや、それは違うか。全然よくないわ。
だいぶ混乱してる私を余所に、お兄さんがすっと立ち上がる。
本当に、すっかり回復してるようだ。
「助かった。礼を言う。命の対価だ、魔薬は言い値で買おう」
そういわれてもなぁ。
魔薬の売買価格なんて知らないし。
寧ろ、ジローの作った魔薬がちゃんと効くか試しちゃった部分もあるし。
ものすごいイケメンだし。
こっちは不審者で犯罪者で異世界人だし。
なんかもう、考えが纏まらない。
「その魔薬、初めて作った試作品ネ。お兄サンのお気持ちでいいアル」
「初めて……そうか……」
お兄さんは、何度も頷きながら魔薬の入っていた空瓶を見つめていた。
それからふと思い出したように、鞄から包みを取り出した。
中に入っていたのは、数種類の黒い金属だった。
あれがこの世界の貨幣なのかな。
お兄さんは何枚か金属を選ぶと、私に握らせた。
「では、これでいいだろうか」
うーん。全然わかんないけど、まあいっか。
私が頷くと、お兄さんがまた微笑んだ。
うひゃああああ。
破壊力まじやばっ。怖っ。
正面からまともに見たら目が潰れるわ。
「それにしても、こんな人気のないところで君は何をしていたんだ?」
聞いちゃう? ねえそれ聞いちゃうの?
ほんっと空気読めないイケメンね!
ただしイケメンだから許す!
「ワタシの家ここネ。お兄サンこそ何してたアルか」
「家……」
お兄さんが、とても物言いたげな目であばらマイハウスを見た。
しょうがないじゃない。
満腹号がここと繋がっちゃってたんだもん。
私だってもっとオシャレな豪邸がよかったもん。
「俺は仕事でこの近くまで来たのだが、迷っているうちに魔薬が切れてしまったんだ。いや、本当に助かった。改めて礼をしに来る」
「そ、それには及ばないネ。対価ならもう貰ったアルよ」
「いや、それでは俺の気が済まない。なにせ命を助けてもらった上に――いや、とにかく、改めて礼はさせてくれ」
いやいやいや、ほんとーに結構です。
てゆーか、ものすごく困るんですけど。
いいって言ってるのに、ぐいぐい来るなぁこの人。
でも、強引に迫ってくるイケメンってのもちょっといいかも……。
「そうか。君はここで店を開くつもりなのか」
はぁ? いきなり何言ってんのこのイケメン?
意味がわからずに、お兄さんの視線の先を追ってみる。
どうやらお兄さんは、あばらマイハウスの扉に目を奪われているようだ。
扉の上部にある、木製のプレートに。
全然読めないけど、何か書いてある。
なーんか、嫌な予感しかしないんだけど。
「しかしなにもこんな辺鄙なところでなくても……ああ、そうか。君の場合は……なるほどな」
だから何が「そうか」で、何が「なるほど」なのよ。
もーどうしたらいいの。
助けてジロー!
「では、改めて客として来よう。構わないか?」
取り敢えず今日のところは帰ってくれそうね。
そのまま二度と来ないでくれると、もっとありがたいんだけど。
「でも、お店いつ開くか決まってないアル。まだまだずーっとずーーーーっと先になるかもしれないネ」
「構わん。今後も仕事でこの辺りに来ることになりそうだしな。時々、顔を出すとしよう」
こっちは全然構うんですけどねっ。
颯爽と去って行くお兄さんの背中を見送りながら、私は泣きそうになっていた。
どうしよおおお。
こうなったら、もう帰るしかない。
帰っておやつにする。
美味しいもので疲れをとらなきゃ無理。やってらんない。
待ってて、私の美味しいおやつたち!
*****
「まあね、お嬢にしてはよくやったと思うよ。うん……」
ダンジョンに帰った私は、外での出来事をジローに報告した。
ジローのドローンは、溜息を連発しながらも私を労ってくれた。
だよね。私ものすごく頑張ったよね。
目の前の点心たちも、みんな私を労ってくれてるのね。
餃子さん、肉まんさん、小龍包さん、大根餅さん、桃饅頭さん、杏仁豆腐さん、マーラーカオさん、みんなみんなありがとう!
みんな美味しくて、みんないい!!
「ほふぇへ、ふぉんほほふぉほふぁへほ、はふぉいふぇへんふぁんはふぁはふふはひゃ――」
「だから食べながら喋るなっての」
また一つ、ジローが深い溜息をついた。
アンドロイドなのに、変な動作の癖がついちゃったなぁ。
「お嬢が外に行ってる間に、この世界の言語解析も終わったよ。で、お嬢が見た扉の文字って、もしかしてこれ?」
おーおー、これこれ。間違いないわ。
肉まんに齧り付きながら頷くと、ジローがまた溜息を吐いた。
「魔薬屋の看板じゃない。はぁ……まあ、屋台側ハッチの見張りを兼ねて、カムフラージュで本当に店をやってもいいかもね」
ジローがそんなこと言うなんて、意外だったわ。
山の中だし、今のところお客さんは一人しか来ない予定だけど。
あ、そうだ。忘れてた。
私は思い出して、ポーチに入れた黒い金属を取り出した。
お兄さんが支払ってくれたお金も、何かのときには役に立つかもしれない。
そんなふうに気軽に出した硬貨を見て、ジローが叫んだ。
「ちょっとお嬢! これベルサティレじゃない! もしかしてこの世界の通貨になってんの!?」
えええ、まじで?
それ万能金属だったの?
ベルサティレは、元の世界では万能金属と呼ばれてた。
その名の通り、加工すればあらゆる用途に使用できる万能の金属。
アルミより軽く、タングステンより丈夫で、チタンより生体に適合する。
腐食も劣化もしない。
加工方法によっては、液体としても気体としても使用できる。
ベルサティレの発見によって、宇宙航空技術や惑星開拓が飛躍的に進化したといわれてる。
産出量も豊富で安定供給されてはいるものの、需要を考えれば希少金属には違いない。
満腹号も一部にベルサティレを使っているけど、確か他の金属と混ぜてたはず。
「お嬢、ちょっと本気で魔薬屋やろう。この世界の硬貨、根こそぎ集めるよ! 異世界貨幣の流通量なんて、知ったこっちゃないね! 満腹号の拡張にも必要だけど、ゆくゆくは人工衛星でも一発打ち上げて、ダンジョン内からでも世界中の動向を探れるようにするよ。あははははははっ!!」
元の世界では勿論だけど、異世界でも硬貨を鋳潰すのは犯罪じゃないかな?
あと勝手に人工衛星打ち上げるのも。
って、私たちに犯罪とかもう今更か!
“魔薬屋”だって、元の世界なら確実に公安局に目を付けられそうな響きの名前だしね!
あはははは……はは…………はぁ……。
「ほえー、魔女様は外さ行ってたですだか。なら、天空楽園さ見たですだか?」
出掛けていたおじさんが、いつの間にか部屋に戻って来てた。
おじさんは、自主的にこのフロアの見回りをしてくれている。
そんなことしなくてもいいのに、どうも奴隷根性が染みついてて何かしてないと落ち着かないみたい。
ん?
天空楽園……?
「あーーーーーっ!!」
思い出した。
思い出してしまった。
思い出さなくていいことを思い出してしまった。
せっかく見なかったことにしたのに。
「……ねえお嬢、天空楽園ってなに?」
「十年前に、突然帝国の空さ逆さっこに生えてきた楽園ですだよ。美しく並んだ植物と、仲良く遊ぶ生き物さ住む瓶詰めの楽園ですだで、皇帝様が何としても行きてえて言うとるそうですだよ。んだもんで、帝国中の魔法使い様だの賢者様だの集めて、空飛ぶ方法さ探してるみてえですだ」
「……お嬢……まさか…………」
「あー、あはは……」
必殺、笑って誤魔化せ。
これはどうやら不発だったみたい。
また一つ、ジローの深い溜息がドローンから聞こえてきたから。
点心食べ放題したい。




