04 歳をとると栄養ドリンクが主食になる
「お嬢! 大丈夫!?」
倒れた私の元へ、ドローンがすいっと飛んできた。
けど、衝撃から立ち直れない私は、ジローに答える気力もない。
「お嬢が倒れるのも無理ないよ。さすがに僕も、経口摂取してるだけで捕まる世界なんて、思いもしなかったもの」
私だって、まさかそんなことがあるなんて考えもしなかった。
「でもさ、考えようによっちゃラッキーだったよ。いきなり異世界の街中にでも飛ばされてたら、問答無用で捕まってたかもしれないしね」
本当に、まさかこの世に食べ物が存在しない世界があるなんて。
そんなこと、考えたこともなかった。
「…………画、が……」
「ん?」
倒れたままの私の呟きを拾おうと、ドローンのクレープ部分がこっちを向いた。
「異世界中の美味しいものを食べ尽くす計画を立ててたのに、ひどい……」
警邏委員会から逃亡して異世界に飛ばされたのは想定外だったけど、それはもうこの際仕方ない。
だったら逆転の発想だ。
普通なら絶対来られないような場所に来たんだ。それならば。
せっかくだから、異世界美味いもの紀行するっきゃないっしょ!
なんて思ってたのに。
計画がいきなり頓挫して、私はもう起き上がる気力すらなくなってしまった。
「この状況がわかってないバカお嬢とは、別にしっかり話をするとして」
何故だろう。
ショックから立ち直れない私を、ドローンのカメラが半目で見ている気がする。
ドローンのくせに。
中身はアンドロイドのくせに……いや、ジローは割と半目で私を見ることがある、かも。
そしてまたドローンが、すいっとおじさんの元に帰って行った。
「こちらでは、異世界の人間が流れ着くことはよくあることなのですか?」
「んでもねです。噂で聞くことがあるくらいで、ほんとかどうかは知らねですだ。んですけど、今もこの世界のどっかにどえれえ魔法の使える異世界人様がいるゆう噂は、有名ですだよ」
「魔法が使える異世界の人間もいるのですか?」
「それも噂ですだよ。異世界人様は、勇者様たちよりも強力な魔法さ使う魔導師様だとか、誰も知らんよな知識さ持ってる賢者様が多いですだとか。ただ、やっぱり食いもん食うだで、最後は狩られっちまうことが多いみてえですだが」
「なるほど……」
ドローンのクレープ部分の一つはおじさんに向いている。
こっちには通常のスピーカー機能。
もう一つのクレープは、私に向いている。
こっちは指向性スピーカー機能。
ジローはおじさんと会話しながら、器用に私と内緒話もしていた。
「わかってんのお嬢。あんたこの異世界で殺されるかもしれないんだけど?」
「もう、いい……こんな血も涙も美味しいごはんもない異世界で生きるくらいなら、死んだほうがマシ……」
涙に濡れ、自暴自棄にそう呟く。
そんな私の耳元で、唐突に私の声が叫びだした。
『わああん! こんなところで死ぬなら、栄養ドリンクしかないところに行った方がマシだったあああ!!』
驚いてドローンに顔を向ける。
ドローンは私の方には見向きもせずに、おじさんとの会話を続行していた。
『わああん! こんなところで死ぬなら、栄養ドリンクしかないところに行った方がマシだったあああ!!』
『わああん! こんなところで死ぬなら、栄養ドリンクしかないところに行った方がマシだったあああ!!』
『わああん! こんなところで死ぬなら、栄養ドリンクしかないところに行った方がマシだったあああ!!』
何度も何度も、私の叫び声が耳元で繰り返される。
ジローめ。ワームホール突入前の音声記録をリピート再生してきたな。
言ったわよ。
ええ、確かに言ったわよ。
間違いなく私の発言ですよっ!
だけど。
ムカつく~~~~~っ!!
「あのときは本気でそう思ったのよ! 死ぬくらいなら栄養ドリンクの方がマシだと思ったのよ! けど異世界はそれ以下じゃない! なによ煙って! 飲んですらないじゃないの!!」
がばっと半身を起こして、ドローンに向かって叫ぶ。
おじさんがびくっとして、ぶるぶる震えだした。
「異星間生物コンタクトマニュアル第八項に抵触!」
「うるさい!!」
自分が怒鳴られたと思ったのか、おじさんがまたびくっとした。
「いいわよ。どうせ元の世界に戻ったところで犯罪者なんだし、こっちの世界で犯罪者として暮らしたって一緒よ。だったら犯罪者らしく、一生コソコソ逃げ隠れしながら生き抜いてやるわ! 幸い、食糧なら一生困らないくらいたっぷりあるもの」
高らかに宣言して、まだびくびくと震えているおじさんをびしっと指差した。
「教えて。私がこの世界で生き残れる方法、何かあるでしょ?」
ドローンは、もう何も言わなかった。
ただ、溜息のような音が聞こえたような気がする。
びくびくしながらも、おじさんはおっかなびっくり口を開いた。
「このダンジョンから出なきゃいいですだよ。ダンジョンは魔物の領域ですだから、異世界人様を狩る人間はいないですだよ」
「ここなら、絶対安全なのね?」
「んですけれども……んでもねです。人間はダンジョンさ入らんですだけど、勇者様たちだけはダンジョンさ来て魔物さ狩っていくですだもんで。ただ、ここは……」
一度言葉を切ったおじさんが、きょろきょろと辺りを見回した。
「多分ですけども、ダンジョンの最下層でねえですかね? ウィサーチのダンジョン最下層は、到達不能点と言われてるですだから。勇者様たちだとて、簡単にはここまで来られねと思うですだよ」
「最下層?」「到達不能点……」
私とジローが、同時に声をあげた。
おじさんは恐る恐るといった感じで手をあげた。
震える指先で、部屋の真ん中の球体を指し示す。
「おれは見たことねですから、多分なのですだけども……それはダンジョンキーだと思うですだよ。ダンジョン最下層のどこかにあると言われとる、ダンジョンの形を自在に変えられる魔力さ詰まった鍵ですだよ」
ちろりとドローンに視線を投げると、ジローから返事が返ってきた。
「なるほど。この部屋の出入りだけじゃなくて、ダンジョンそのものの形を変える鍵だったのか。それ、最初に触れた人をマスター登録するように設計されてるみたいだから、このダンジョンはもうお嬢の好きに改造できるってことだね」
なんですと。
だったら、万が一侵入者が来ても、簡単に排除できるじゃないの。
「ただ、そこまで万能でもないんだよね。ダンジョンの変形には、それなりのエネルギーが必要みたいだから。試算だけど、今のエネルギー量だとこの部屋の扉をもう一回閉めたら終わりかな」
ちっ。
思ったよりも全然使えないわ。
「それよりも……到達不能点とはどういうことですか? あなたは到達しているようですが」
「ああ、おれは転移の罠さかかって偶然ここまで落ちてきたですだもんで。普通に進めば、途中にどえらい強い鳥の魔物がいるんで、誰もそいつを倒せんで先に進めんのですだよ。もっとも、あんた様たちがいなきゃあ、おれもこの辺の魔物さ食われて死んでたかもしれんですだがね」
「魔物は、魔物を食べるのですか?」
「んですだ。魔物さ魔法は使えねども、魔力は豊富ですもんで。魔物の死体食って魔力さ取り込むですだよ。他の魔物さ食えば、そのぶん魔力が多くなって力も強くなるですだからな」
「なるほど。魔力を取り込むために、食べることが必要なんですね」
「んです。人間も魔物も、魔力さ無くなったら死ぬだけですだから。人間は魔薬を煙にするですけども、ダンジョンでは魔物さ狩って魔薬代わりに魔力さ吸い取ることもあるみてえですだよ」
へええ。
魔物って美味しいのかな?
機会があったら食べられるかなぁ?
あーでも、このおじさんもさっきの虎犬も魔物なんだよね。
そう思うとちょっと食欲わかないかも。
「ねえお嬢、今ここの3D地形データを取得しようとしたんだけど、どうやらこのダンジョン自体、空間が歪んでいるみたいなんだよね」
不意に、ジローの声が耳元で聞こえる。
そういえば、時空の歪みがあるんだったっけ。
「このフロアの二階層上まではマップ化できるんだけど、それ以上は空間が歪んでて地形データが取得できなかった。ここが正確に何階層のどこなのかもわからない。ただ、ここが最下層ってのは間違いないみたいだよ。この下の階層は見つからなかったから」
「じゃあやっぱり、どこがこのフロアに繋がってるかは予測できない?」
「そ。空間の歪み経由で、どこから誰が侵入しても不思議じゃないね」
そっか。結局、ここも絶対安全地帯ってわけじゃないのか。
おじさんみたいに、偶然ここに辿り着けちゃう人がいるかもしれないもんね。
「最下層とは、具体的にどのあたりかわかりますか? 入口からどのくらい離れているとか、今まで到達した最高階層がどのあたり、とかは?」
「んんん、噂じゃ最下層は百階だて言われとるですだよ。誰も行って帰ったことがないだで、噂ですだども。今まで到達した最高階層は、五十階ですだよ」
「半分くらいですか」
「んです。例のどえれえ強ええ魔物さいる階層ですだよ。おれのご主人様があの魔物さ倒してなけりゃ、到達記録はまだ五十階で間違いねえですだよ」
「ご主人様……ですか?」
「んですだよ。おれはご主人様の使い魔ですだもんで。あんた様も、そっちの異世界人様の使い魔でねえですだか?」
おっと。
確かに、私がジローのご主人様かといわれれば、正解ではないけど間違いってわけでもないような。
ジローは、私が父親から奪っ……譲り受けて所有してる満腹号の一部だから。
使い魔ってのが具体的に何かはよくわからないけど。
そこはジローも同じように考えていたみたい。
「……そんなようなものかもしれません。あなたは、ご主人様と一緒にダンジョンに入って、罠にかかってはぐれたのですね」
「んではねですだよ。おれは使い魔つうても荷物持ちだったですだけど、ご主人様の魔薬が残り一つになってしまったですだよ。んだもんで、ご主人様はおれさ魔力吸って魔薬の代わりにするつもりだったですだから……おれは……」
うん? つまり?
おじさんの怪我は、ご主人様とやらに殺されかけたから?
はあぁぁぁぁ!?
ものを食べるのが野蛮とか言っておいて、よっぽどそっちのが野蛮じゃない!!
そんなご主人様とやらとは、離れられて良かったわよ!!
「逃げたのですか?」
「んでもねえです!」
意外なことに、おじさんは緑の顔を更に真緑にして捲し立てた。
「ご主人様さ逆らうなんて、とんでもねえです! そったらことしたら、おれの奴隷印が魔力ごとおれを消し尽くすですだよ!! んなもん、無駄死にもいいとこですだから!!」
あきれた。
ただの主従関係じゃなくて、おじさんは奴隷だったのね。
奴隷ってシステムについては知識として知ってる。
元の世界でも、大昔には存在していたシステムだもの。
だからご主人様とやらが、おじさんの命を軽く考えていて、自分のために簡単に殺そうとした理由もわかる。
おじさんにとってはご主人様とやらの命令は絶対で、そのために命を捧げなきゃいけない理由もわかる。
でも、こんなムチャクチャな倫理観が罷り通る世界は、キモチワルイなんてもんじゃない。
異世界のことは、よくわからないことが多い。
ただ、私はどうあってもこの世界の人間とは分かり合えない。
そんな気がする。
「だども、おれの奴隷印がきれいさっぱり消えたんは、これもあんた様たちの魔法ですだか? ここに彫り込まれてた印さ、起きたらねえくなってたです。だから、おれは……おれは……」
そう言いながら、おじさんは自分の右手の甲を指差した。
指先がぶるぶる震えている。
んーと……?
そういえば、なんか変な模様みたいな傷があった気がする。
あ、あれだわ。
多分だけど、医療ポッドのAIが古傷と判断して治癒しちゃったんだ。
って、あれ? もしかして、ま、まずかったのかな???
ドローンにそっと目配せするものの、ジローから返事はない。
不安になるくらいに、沈黙を守っている。
さてはあのくそアンドロイド、私に押し付ける気ね。
覚えてなさいよ。今日の夕飯は満漢全席を作らせてやるからっ!
「んんっ、えーと、その、なんというか……。人命救助を優先した結果の不幸な事故だったというか……不可抗力だったというか……」
もごもごと、言い訳じみたことを言ってみる。
と。おじさんが突然、がばっと勢いよく地面に伏せた。
えええ、なにこれ? 五体投地?
「ありがとうごぜえますだよ。ありがとうごぜえますだよ。おれは、もう、これ以上ご主人様の側さいるんは、辛かったですだから。異世界人様と使い魔様にはなんとお礼したらいいかわからんですだよ!」
ああ、なんだ。
おじさんも喜んで奴隷してたわけじゃなかったのね。
ほんと、良かった。
私のせいにならなくて。
伏せながら号泣する声が聞こえて、ちょっと安心したわ。
「これは、チャンスだね」
ジローの囁き声が、私の耳に届く。
とーっても悪い声に聞こえるけれど。
「そうね。チャンスだわ」
私も、とーっても悪い声で呟く。
ふっふっふっふっふ。
ただの偶然だけど、咽び泣くくらい喜ばれるほどの人助けをしたわけよね。
しかもお礼する気もあるみたいだし。
だったら、私のために働いてもらおうじゃない。
こっちは奴隷契約じゃなくて、れっきとした雇用契約よ。
文句は言わせないから。
慟哭するおじさんの側まで行って、そっと肩に手を置く。
おじさんが顔を上げた。
うわぁ、涙と鼻水でものすごくきちゃない……。
なんて思っても、決して顔には出さない。
私の鉄壁の営業スマイルは、こんなところでも大活躍する優れものなんだから。
「辛かったのね。もう安心していいわ。なんなら、ずっとここに居てもいいのよ?」
「あ、あっ、ありがとうごぜえますだよ! ありがとうごぜえますだよ!!」
さてと。
まずは、この世界のこと知ってるだけ洗いざらい吐いてもらいましょうかね!
さすがにゴブリンは美味しくないんじゃないかな。




