11 倒れるような無理はしなくていい
マルリーチャが、俺を庇うように立ち位置を変える。
すらりと、腰の剣を抜いた。
「グランツ、来るよ!」
そう言われても、使い慣れないナイフ一本しか装備のない俺は困惑するだけだ。
魔物の泉に集まる光の粒子のようなものを、ただ見ているだけ。
あれが魔物を生み出す魔力なのだろうか。
泉が湧くように、こぽこぽと光が一点から湧いている。
やがて光は飽和状態になって、内側から爆発した。
「なんでもいい! あんたの魔法をあれに叩き込め!」
なんでもいいと言われても。
迷っているうちに、爆発した光が徐々に消えていく。
光の中心に、緑色をした子どものような小さな姿が見えた。
あれが、魔物――。
「くそっ」
俺は、半ばやけくそになって魔法をそいつに撃ち込んだ。
なんの魔法かなんて、知らない。
無我夢中で、体の中心の魔力器官に通した魔力を放出しただけだから。
俺の放った魔法は、真っ直ぐ緑色の魔物を射抜いた。
魔物が、苦悶の声と共にひっくり返る。
ほんの一瞬の出来事だった。
俺は、呆然とその異様な光景を見ていた。
生まれたばかりの魔物が、死にそうになっていた。
ぴくぴくと震えながら、蹲って苦痛の声をあげている。
魔物は、それを無視するように自分で自分の首をぎちぎちと締め上げていた。
そのうち、苦痛の呻き声も徐々に徐々に弱まっていく。
なのに、首を絞める腕の力は一向に弱まる気配がない。
「こりゃ……とんでもない魔法だな。予想以上だ。けど実験としちゃ失敗だったね。魔物が弱すぎて、これじゃ話にならない」
「実験……」
俺の中で、何かがズレたような気がした。
全身がかたかたと震えていたことに、初めて気が付いた。
急激に視野が狭まって、目の前の魔物以外が見えなくなっていく。
「おい、グランツ! おいっ……っ! ……!! …………――!!」
熱い。
体全体が、胸やけでも起こしているようだ。
マルリーチャが何か叫んでいるが、何も聞こえてこない。
限界までせり上がってきた何か熱いものが、俺の中から飛び出した。
目を開ける。
俺を覗き込むマルリーチャと目が合った。
ぱちくりと瞬きをして、マルリーチャを見返す。
一体何が起こったのだろう。
俺から視線を外したマルリーチャが、深く息を吐いた。
「このバカたれ。首なんか絞めたって、そう簡単には死にゃしないんだ。なのに、とんだ無茶しやがって。まったく、肝が冷えたよ」
どうやら俺は倒れていたらしい。
起き上がってみるが、頭痛も吐き気もしない。
自分の体をあちこち見回してみたが、どこにも異常はなかった。
「……あれ?」
異常がないことに、異常を感じる。
俺の髪色が、元の黄味がかった灰白色に戻っていたのだ。
「最初の魔法で、あんたの髪色は殆ど元に戻ってた。なのに、同じような魔法をもう一発撃った挙句、スキルまで使いやがった。魔力枯渇だよ。あたしが魔薬を吸わせなかったら、あんたはここで野垂れ死んでたかもね」
「そうか。助かった。ありがとう」
「ふん。目の前で子どもに死なれたら後味が悪いからね。それより、そいつをどうするつもりだい?」
マルリーチャが顎で示した先に、視線を動かす。
死にかけていたはずの緑の魔物が、両手両足を揃えて床に伏せていた。
「なんだこれ?」
「さあね。魔物流の忠誠の示し方じゃないの?」
魔物に近寄ったマルリーチャが、剣の先で魔物の右手を浮かせて見せた。
右手には、真新しい傷ができている。
紋章のような、魔法陣のような、不思議な傷痕だ。
俺は、目を細めてその傷痕を見た。
「見たことないか。これは奴隷印さ。奴隷商が使うようなチャチな契約魔法とは全然違う。あんたのスキルで、この魔物はあんたの奴隷になった。こいつは死ぬまであんたの言いなりだよ」
「どういう、ことだ……?」
「あんた、あたしに嘘をついただろ。あんたの本当の魔法は、精神干渉の魔法だね」
「…………」
俺はまた、パトリーノがいたら締め上げを喰らいそうな失態を犯した。
マルリーチャの問いに、無言で返したこと。
一瞬だけど、思わず目を見開いてしまったこと。
それだけで、マルリーチャは全てを理解したようだ。
「ふん。なにが獣や虫を追い払うだ。その魔法、人間にも作用するんだろ?」
「……そうだ。けど、俺の魔力じゃどうせ大したことはできない」
「今までは、ね。あんたの魔法とこのスキルは恐ろしく相性がいい」
吐き捨てるように、マルリーチャが言った。
「はぁ。パートロの奴が一人であんたを育ててた理由がなんとなくわかったよ」
本当に、俺の魔法は大したもんじゃない。
人の精神に作用するといっても、せいぜい怪我の痛みを和らげるとか、よく眠れるようにさせるくらいのものだ。
誰かに無理やり何かをさせるようなことまではできない。
魔力が強ければ、そういうこともできるらしいとは聞いていた。
例えば無理やり犯罪を犯させたり、不自然に好意を抱かせたり。
だから、精神に干渉する魔法を使える人は、忌み嫌われる。
そのくらい俺だって知っていた。
けれど、俺には関係のない話だった。
目の端に、地面にひれ伏す魔物の姿がちらついた。
本当に、俺には関係ない話だったんだ。
俺だって、こんなことになるなんて思ってなかったんだから。
「あんたは最初の魔法でゴブリンの精神に干渉して、自分自身を攻撃させた。次の魔法で、前の魔法を止めさせた。とどめに、魔物の支配者のスキルで奴隷印を刻んだ。これがどれほど危険なことか、自分でもわかるだろ。悪いけど、とてもあんたを野放しにはできないね」
「俺も、処分されるのか?」
生まれ故郷を出てから、今までずっと考えないようにしていた。
けど多分、恐らく、きっと。
もう既に、パトリーノやグリザイハロイの村人はこの世にいないのだろう。
生きていても、禁忌奴隷にされて死ぬより辛い目に遭っているはずだ。
俺だけがおめおめと助かったと思っていたが。
どうやらこの世は、そこまで甘くはできていなかったらしい。
俺は、マルリーチャからの断罪の言葉を待った。
「別に、処分なんかしやしないよ。毒薬だって、上手く使えば薬になるんだ。あんたはこのまま勇者として、あたしの仕事を手伝いな。ただし、あんたにそれ以外の選択肢はないよ」
意外な言葉に、唖然としてしまった。
どうやら、俺はまだ死なずに済んだらしい。
「それより、この魔物だよ。ゴブリンなんて弱い魔物を奴隷にしたって、荷物持ちくらいしか役に立たないじゃないか。街まで連れて行くのも面倒だ。ここで殺すのが一番だけどね」
伏せたままのゴブリンから「ひっ」と息を飲む音が聞こえた。
魔物は怖いものだと思っていたが、このゴブリンからは全く恐怖を感じない。
ひれ伏してがたがた震えている姿なんて、かわいいものだ。
「生き物を殺すのは、蛇神様の教えに叛くことになる」
「殺して食べることが、だよ。第一、魔物は生き物として認められてない。いいかい田舎者の坊や。いちいちそんな戒律に従ってたら人間は生きていけないんだ。自分たちの縄張りを荒らす動物も虫も植物も、駆逐しなけりゃ人間の方が負けちまう」
「だとしても、こいつはもう俺の奴隷だ。生かすのも殺すのも俺の自由だろ」
「まあね」
溜息をついて、マルリーチャが剣を鞘に納めた。
「どっちにしても、街には入れられないさ。魔物奴隷ってのはね、そいつの歯並びが気に入らないって理由で簡単に殺されたりするんだ。飼うなら止めないけど、死ぬのが少し先延ばしになるだけだよ」
「それは……。なにか考える。おい、そこの……ゴブリン。お前、俺と来るか?」
伏せていたゴブリンが、初めて顔を上げた。
真っ直ぐ、俺を見返している。
「んです。どっちにしても、おれは死ぬまで奴隷ですだから。ご主人様に生かしてもらってるうちは、役に立つようにしますだよ」
「まったく。考えるだなんて、何の考えもないくせに軽率に言うもんじゃないよ。あたしもとんでもないガキを押し付けられたもんだ。いいかいグランツ、魔物の面倒は自分で見な。あたしは一切関知しないからね」
「わかってる」
そんなことを言いながらも、マルリーチャは自分の荷物から厚手のローブを取り出した。
ゴブリンへ放り投げると、ふんと鼻を鳴らす。
「もう捨てようと思っていた物だ。低級品だけど、認識阻害の魔道具だよ。着てりゃ、はっきりとは顔が記憶に残らないだろうね。はぁ、こんな場所でゴミの処分ができてラッキーだよまったく」
なんだかんだ言って、マルリーチャも甘い。
拾われたのがこの人で、俺は本当に運が良かった。
俺もゴブリンも、偶々生き残ってしまっただけだ。
この先どこまで生き残れるか、試してみるのも悪くない。
俺の勇者デビューは、こうして幕を閉じた。
*****
あれから十二年。
俺とゴブリンは、なんとかまだ生きている。
一度だけ、もう死んだと思ったことはあった。
天空楽園が出現して、皇帝がお触れを出した後だ。
俺が下級役人になりたいと言ったら、マルリーチャの額に青筋が立った。
おっぱいが理由だと言ったら、雷が落ちた。
比喩ではなく、本当に落ちた。
マルリーチャの雷の魔法で、俺は今度こそ死んだと思った。
でも、まだ生きている。
いつのまにか、ウィサーチの勇者としても古参になってしまった。
俺のことを昔から知ってる勇者なんて、もう何人もいない。
あんなに恐ろしかった魔物も、今では躊躇なく狩ることができる。
ただ、魔物奴隷だけはゴブリン以外に作らなかった。
だからスキルも一つだけ習熟度が全く上がっていない。
代わりに、黒の支配者という二つ名がついた。
ダンジョンで俺を見かけた他の勇者たちにつけられたものだ。
黒髪で、魔物を操る魔法を使うところからついた名らしい。
精神支配の魔法を使う俺を揶揄する意味もあるのだろう。
微妙に本来のスキル名が重なっているところが、なんとも笑える話だ。
「ご主人様、何か買い忘れがあったですだか?」
「いや」
どうやら、かなり長い間もの思いに耽ってしまったようだ。
ゴブリンが、跪くようにして下から俺を見上げていた。
「準備はこれでいい。今までより深く潜ることになりそうだからな。英気を養っているだけだ」
「はぁ、そうですだか」
スキルの一つ、谷の監視者を発動して、道行くおっぱいたちを紳士的に凝視する。
誰も俺に観察されているなんて気づいていない。
暫くおっぱいとは無縁の場所に行くのだ。
少しくらいいいじゃないか。
この仕事が終わったら、ミルクロードも待っている。
地上にある、辿り着けることのできる楽園。
「よし、帰るか」
やる気が満ちてきた。
できるだけ早く仕事を終わらせて、早く帰って来よう。
俺は、佩剣した魔法剣エルプレームにそっと触れた。
勇者デビューの後、マルリーチャから譲られた剣だ。
元はウィサーチダンジョンで拾ったものらしい。
この剣一本と、荷物持ちのゴブリンだけでダンジョンに挑む。
しかも、最強と言われるマルリーチャに怪我を負わせた魔物を相手にするために。
とても正気とは思えない。
今度こそ死ぬかもしれないな。
そう思うと、どうしてだか口元が緩んで笑いが消えなくなっていた。
チートスキル『短時間睡眠』を切望。




