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第七幕

 

 その国は五つの海と、九つの山脈を持ち、熱き地も寒き地も、遠く南の熱帯雨林から果ては極寒の永久凍土までを遍く領有する超大国だった。


 毎日、何万もの商人や旅人がその国を訪れ、毎年たくさんの国使が向学のために留学しにやって来るという。


 五百年続く大帝国の繁栄は、益々留め置くことはできないのであった。




 さて、ある御代(みよ)のこと、その人は次の皇帝となるべき皇太子で、その人は後宮に仕える宦官(かんがん)だった。



 天帝の定め、導かれたことなのであろうよ。



 皇太子がそれを恋心と自覚したのは、九つの時。

 宦官(かんがん)は十九になったばかり。


 またその時分に、皇太子は、「宦官」と呼ばれる者たちの真実を知った。

 宦官とは、犯した罪を償うために「性」を棄てた人々のこと。



 皇太子はその宦官のことを、穢らわしい罪人だと思った。きっとそうだと、思うべきだった。


 けれど、穢らわしく思えば思うほど、忌み嫌えば忌み嫌うほどに、愛しいと思う気持ちは日ごと増して行く。



 淡い好意は、やがて確かな恋の情へと成長しつつあった。





 皇太子十二の時、初冠(ういこうぶり)の儀とともに、大公爵家の令嬢との縁談話が持ち上がった。



 もちろん、政治には興味がある。

 いずれはこの国を父君から受け継ぎ、益々(ますます)豊かに発展させて行きたい。

 自分の手で民草(たみくさ)のため、この国の版図(はんと)を拡大させて行きたいと思うのは、至極当然のこと。



 そのためには好いてもおらぬ女子と結ばれ、好いてもおらぬそれを抱き、好いてもおらぬそれとの子を持たねばならぬことを、若冠十二の皇太子は分かっていた。





 十八の時、ようやく皇太子と令嬢との間に男皇子(おのこみこ)が産まれ遊ばした。玉のように光輝く、たいそう可愛らしい皇子のご様子である。


 世話役には、母君である皇后の進言もあって、密かに思うその人が就くことになった。



 その時、宦官は二十八歳。

 それは性を棄てた者の特権であろうか。はたまた積年の恋心による贔屓目のためであろうか。


 そろそろ人生も半ばに差しかかりつつあろうと言うのに、しかし一向に老け行く様子もなく、その肌は瑞々しくも艶やかで、年々美しさを増すばかり。



 皇族や王侯貴族の中にも少なくない数、この宦官を好いている輩がいるとか。


 皇太子の心情は日夜穏やかではなく、この宦官の一挙止一動作に一喜一憂し、その情愛の念はいよいよ押さえ難くなっていった。





 皇太子十九の夏。

 ついにこの宦官に、長年の思いの丈をぶつけてしまった。



 あれは、朝晩に秋の気配を感ずるようになった時分。

 奥方の「北の方」が偶然にも、体調の不具合のために里帰りをしている時であった。



「今夜のことは、無かったことに致しましょう」

 静かに、宦官が云った。

「いやだ。私は……オレは、お前を心底好いている」

 皇太子はしっかりと彼の目を見据えて述べた。続けて(のたま)はく、

「気まぐれでこんなこと、言えるものか。お前が愛しいのだ。愛しくてたまらぬ」


「それこそ、春宮(とうぐう)さまのお気の迷いでしょう。明日にでも皇后さまに申し上げて、私はこの職を退きます」


 皇太子はまだ何か言おうとする宦官を抱き寄せ、その口を塞いだ。

 強く抱き寄せて、その言の葉を吸い上げた。

 彼の身体は微かに震えていた。



「否定しないでおくれ。オレの恋心を」

「なりません、春宮殿下。まして穢れた我が身を愛するなど……」

「ならばなぜ、そなたはこれほどに震えている。一体何に怯えているのだ?」

「…………怯えてなど、おりませぬ……」


 宦官はうつむくと、それきり黙り込んでしまった。

 皇太子は十も離れたその人を抱き寄せたまま、時折彼の髪をすいたり、撫ぜたりしていた。



「……分かりました」

 卒然、宦官が口を開いた。

 皇太子からは、その顔をつぶさに観察することはかなわない。けれどその声は、なにか決心のついたような、強い語調を帯びていたのだった。


「分かりました、殿下。もう私は……俺は否定しません。貴方がそれほど俺のことを思うて下さるのなら、俺はもう」

「それで良い。何も案ずることなど」

「ですが殿下。いずれにしてもこの事は皇后さまに申し上げましょう」


 皇太子は口を尖らせた。


「何故だ。打ち明けてどうするというのだ。」

「聞いていただくのです。そして、知っていただくのです。誰よりもまず、貴方さまのお母上に。俺はもう、何からも逃げません」


「…………」


 宦官はそれ以上はもう何も話しはしなかったが、皇太子は彼の言う通りにしようと心に決めた。


 彼の昔には一体どんな過去があるのか。

 どうしてそこまで皇后に、大きな信頼を寄せているのか。



 聞きたかった。

 思いを打ち明け、それが受け止められた今、愛しい人のどんな事情でさえもつぶさに知り得たいと、願わない訳はなかった。


 けれど皇太子は、我が儘で傍若無人な愚か者ではない。



 彼が泣いていたから。

 さめざめと。


「…………ッ」

「…………」


 四つ足の寝台の端に腰かけて、膝の上に乗せた彼の(せな)を撫ぜていると時折、左から溢れるそれが嗚咽(おえつ)であることに皇太子は気づかぬ振りをし続けた。




 涙が皇太子の肩口を濡らしながら、晩夏の夜は更けていった。




 §     §     §



 その昔、国でも指折りの王宮神官がいた。


 陰陽道や仙術は勿論のこと、古今東西のあらゆる「妖魔術学」に精通し、算術や医術にも秀でた才を持つその者は、どんな不治難病もたちどころに治癒し、悪鬼や荒ぶる神でさえ浄霊・封印せしめることができた。



 そんな神官にも、たった一つだけ、不可能なことがあった。と言うよりは、決して踏み込んではならない神の領域。



 人の命を、甦らすこと。

 対価も無しに、すでに死した者を蘇生させること。



 これは、長い歴史の中で、万事を統べる天帝(てんてい)と太古の人々とが交わした堅い約束事であり、陰陽道でも道教でも、絶対不可侵の禁忌であると定められた事柄であった。




 ある時、この有能なる神官は禁忌を犯す。

 土地の神をたぶらかし、その神力を糧として黄泉の国への扉をこじ開けて、不死の世界を築こうと考えたのだ。


 この一件で甦った者二十余名。

 その中には皇子・皇女などの皇室関係者も大勢いた。

 この神官の妻子の名もあった。


 しかし、黄泉の扉は半日と経たずに閉ざされ、事態は直ちに収束した。

 天帝の遣わした黒翼の神鳥が空より舞い降り、この神官の身柄を拘束したためである。



 時の皇帝は、畏れ多くも天帝に奏し上げた。


「この神官はたしかに禁忌を犯した。許しがたい大罪を犯した。けれどもどうか、かの者の命だけは救って頂きたい。

 彼の貢献で、これまでどれほどの人民が救われてきたことか。

 どうか天帝よ、これまでの彼の行いを鑑みて、賢明な判断を給いたく――」


 皇帝は、およそこのようなことを申し上げなさった。



 天帝答えて(のたま)はく、


「なれば、命だけは。されど、犯した罪は消えぬ。罪は償うてこそ救われる。かの者には、持て余すほどの長寿の生を授けん。

 いつまでも老いず、いつまでも死ねず。そうして妻子といつまでも出会うこと(あた)わず。

 今後かの者が、一切の霊術を施すことも禁ずる。さもなくば、この国に滅びの呪を放たん――」




 時の皇帝に命を救われた神官は、生きることの一切の希望を失ってしまった。

 愛した妻子を甦らせ一目見た今、一体何を頼りにこれからの余生を生きていけば良いのだろうか。

 神官は途方に暮れ、涙も溢れては来なかった。

 本当に毎日、ただただ痴人のように過ごしていた。



 ちょうどその頃、親しく付き合いのあった親類の娘が後宮に嫁ぐという縁談が持ち上がった。神官が良く可愛がっていたその娘はどことなく彼の愛妻に似ていて、とても他人事とは思えなかった。



 勿論、他人のそら似だということは十二分に理解していた。けれど神官は固く心に決めた。


 そうして、神官は宦官となることを願い出た。

 ちょうど、その娘が正式に後宮へと迎えられた一年後の出来事である。




 宦官二十九、皇妃のちの皇后十六の年のことであった……。



 §     §     §



「――そ、んなことがッ…………」

「もう二十年も、前のことですよ」


 皇太子はたまたま後宮に立ち寄ったところを呼び止められ、たった今、母君である皇后から一切の過去を聞かされたのだった。



「馬鹿な! 母上、それでは彼の年齢の計算が合いませんっ」


 皇太子の問いに皇后は小さく笑った。


「言ったでしょう。あの方にとってもはや正確な齢など意味がないのです。無論、我らにとっても些末なこと。

 人の倍ほども遅く年を取り、ようやく少し老けたかと思えば十ほどの少年へと若返る……。老い行くことの許されぬ、哀れな定めを受けた悲しいお人」


「…………」



 皇太子は何も言えずに、ただ黙って椅子に腰かけたままどこか足元でも見つめていた。

 皇后は堪えきれずといった様子で、はらはらと涙を流している。

 人払いの命じられた居室には、その親子の他には誰の姿もなかった。



 どれほどの時間が流れたのか。

 暫くして、


「お前に、あの人とともに生きる覚悟があるか――」


 卒然、声が聞こえた。



「…………」

「…………陛下」


「聞け、息子よ。今はそなたの父親として」

「はい。父上さま」



 その国の皇帝陛下は――皇太子の父君は、妻のすぐ隣の椅子に腰を下ろすと、大きく息を吐いてから、


「あの人のことは先帝からくれぐれもと頼まれている。無論、私もそのつもりだし、彼が望むことはできるだけ叶えたい。

 どんなに重い大罪を背負うていたとしても、かつてあの人が国の英雄だった事実は変わらないから」


 皇帝は皇太子を見据えていた。

 皇太子は両親の目をそれぞれしっかりと見返して、それから頷いてみせた。


「仰せの通りに御座います、父上。だから、だからこそ、オレはあの人を――」



「皇帝皇后両陛下ッ! ならびに皇太子殿下! 失礼を承知で奏上致したくッ!」




 その声は、きっと陰陽督(おんみょうのかみ)のものに違いなかった。




 §     §     §




『天地万物、創世創造主、蛮鬼弱滅、悪鬼退散――』

『祝神金輪王、人智宮勝邪離鬼。急急如律令――』


「あな、恐ろしいや。あな、怖し……」

「何ゆえ皇太子さまの皇子(おのこみこ)さまが……」

「ご覧になりましたか? 皇子さまのお顔を……」


『御阿梵羯退呪遮能、摩可梵陀羅摩尼――』

『急急如律令、急急如律令、急急如律令――』


「なんと痛々しきや、なんと嘆かわしきや……」

「禍いじゃ、祟りじゃ。大地に息づく怪鬼どもの……」

「いやいや、きっと隣国の呪術師どもの仕業ぞ……」




 臣下の者共が口々に、皆好き勝手な言葉を囁き合っている。

 祭儀を執り行うための大神殿に集められた文武百官は祭庭に、皇族と殿上人は神殿に昇って待機している状態だった。


 祭庭の中央には儀式のための諸々の用具や祭壇が(しつら)えられ、皇子(みこ)を乗せた寝台を前に、陰陽官たちが一心不乱に何事かを唱えている。



(かんば)しくない状態です。何者かが男皇子さまに(しゅ)を放っております。強力な呪でございます」


「な、何じゃと? おのれ陰陽督ッ! お前、春宮(とうぐう)さまが誰かの怨みを買われていると申すか?」


「しかし右大臣殿。逆恨みと考えれば、それもあり得ぬ話ではなかろうて」


帥宮(そちのみや)さま。なれど、そのようなことがッ!」


「…………」



 殿上の皇族公卿たちでさえ、このような有り様であったから、最早宮中の混乱は計り知れないものがあった。王宮に関わるすべての人々が、皆一心にこの皇子の安否を気がかりとしていた。


 ただ一人を除いては……。


 皇太子にだけは、ことの真相が微かにではあるが分かっていた。

 誰が呪を放っているのかも、察しがついていた。



『許さぬ……おのれ、許さぬ――』


『許さぬ、お前の血をよこせ……お前の魂を――』


何処(いずこ)におられるか……許さぬぞ、許さぬ――』



 卒然、この世のものとは思われぬ不気味な声が殿内全体から聞こえ始めた。


「何じゃこの声は、気味の悪い! どこからの声だ!」

「一体何者ぞ、衛兵は何をしておるッ? 探せ探せ!」

「何でも良い陰陽師よ、この鳥肌の立つ声を聞こえなくさせてくれッ!」


 彼らの慌てふためく様子から、どうやら声は祭庭にも届いているらしい。

 あり得ない。その時点でこの者は、きっとまともな人間ではないのだろうことが容易に理解される。



『教えてけじゃれ……何処に、何処におはしまするか……。教えてけじゃれ、教えてけじゃれ――』



「鬼じゃ、鬼が出たぁ! 女の鬼じゃあ!」


「「「――ッ!」」」



 刹那、皇太子は叫声のした方を見やった。他の者たちも皆一斉にそちらの方へと視線を走らせた。


 その時、皇太子は、角と牙の生えた愛する妻の姿を確かに見たのだった。

 鬼は額から二つの、人差し指くらいの長さのある黒い角を生やし、同じく人差し指ほどの長さある黒い牙を上唇から覗かせて、しきりに皇太子と男皇子の名を唱えながら歩みを進めていた。


 勇気ある武官が五人ばかし近寄って、彼女を制止したが、特別な力に阻まれて太刀を抜くことすらままならない様子である。



「危険です離れてください、春宮(とうぐう)ッ!」

「殿下にもしものことあらば。我ら命に代えても!」

「お下がりください我が君! ここは陰陽督(おんみょうのかみ)にお任せあれ!」



「…………」


 近臣たちの制止を無視して、皇太子はゆっくりと神殿の(きざはし)を降りていく。やがて鬼のすぐ目の前へと歩み出て、彼女のなれの果ての姿をきっとその目に焼きつけるのだった。


『あひゃひゃひっ! よもや春宮さまご自身が? ここにおりまする、ここにおりまするぞ。貴方さまの妻がおりまするぞ。

 されど悲しや、されど悲し。愛しき貴方の御心は(わらわ)には……添わぬ』


 皇太子妃は白目を失った真っ黒な眼を細めると、また鳥肌の立つような高笑いをして、ついにはどす黒い血の涙を、その双眸から流し始めた。



『子が生まれてもなお、貴方さまの御心はかの者にのみ注がれる。あな辛や、あな悔しや。最早これまで、と。我が身を捧げて、君と死なむッ!』


「だから、鬼と成ったのか? 己が子に呪を放ったのか?」

 

『んふ、んふふ、んふふふふ、んふふふふふふっ』


「何がおかしい? なぜ笑う?」


『もう喋るな春宮(とうぐう)ッ!』



 ざしゅ――――



「お、男皇子さまぁ!」

「男皇子さまがっ!」

「おのれ陰陽官は何をしている!」


 人々の叫声が上がる。

 皇太子は彼女から顔をそらさず、横目だけで祭壇の皇子を見やった。

 首があり得ない方向に向いたまま、ぴくりとも動いていない。



『あひゃひゃひゃひゃひひ! 愛しい皇子とて妾は(しい)し奉れる。さて次は、春宮の番ぞえ』


「……くっ!」



 もう駄目かと思われた、まさにその時――。



 羯退羯退御阿梵羯退、呪遮能滅魔鬼、波羅蜜羯退……」

 卒然、宦官の静かだが染み渡る声が神殿と祭庭の空気を震わせて、皇太子の鼓膜に届いてきた。



「御阿梵羯退呪遮能、摩可梵陀羅摩尼、滅鬼去悪精霊招来……」


『やっ、やめてけじゃれやめてけじゃれ!』


「急急如律令、急急如律令、急急如律令……」



 宦官が何事かの聖なる呪文を唱える度、彼女の額に生える角は黒さを失い、白くなって、やがて徐々に小さくなっていく。


 鬼は泣き叫びながら地面の上を転がり回って抵抗するが、途中から加勢に来た陰陽師たちを取り囲まれて、やがては完全に逃げ場を失う。


「「天地万物、創世創造主、蛮鬼弱滅、悪鬼退散――」」

「「祝神金輪王、人智宮勝邪離鬼。急急如律令――」」

『おのれ許さぬぞ! おのれ呪い殺すぞ!』


「「御阿梵羯退呪遮能、摩可梵陀羅摩尼――」」

「「急急如律令、急急如律令、急急如律令――」」

『最早これまで。されど、このままでは済まさぬ……』


「御阿梵羯退呪遮能、摩可梵陀羅摩尼、滅鬼去悪精霊招来――」

「急急如律令、急急如律令、急急如律令……」

『と、春宮め……』



 どれほどの時間が経ったか。


「………………」

「………………」

「………………」

「と、春宮さま?」


『………………ッ』

「お前は悪しき輩に操られていたのだ」

『…………』

「もう大丈夫だ、もう心配ない。なあ、そうだろう?」

『…………』


 皇太子妃はうつむき沈黙したまま、けれどしっかりと一度頷いて見せたので、皇太子も一同の者たちもとりあえずは安堵のため息を吐いた。


 皇太子は彼女のそばに膝をつくと、御髪をかき上げてやってその顔を見てみたいと思った。

 もう牙も角も、何も生えてなどいなかった。


「……恥ずかしや、恥ずかしや」

 彼女は透き通る大粒の涙をぼろぼろと溢しながら、

「情けなや、情けなや、あな情けなや」


 ただひたすらに皇太子の腕にしがみついていた。

 そうして暫くの間は皇太子も、彼女の好きなようにさせたまま、その髪を撫でたりなどしていたのだが、次の瞬間――、



「おい、何を!」


 皇太子の太刀を抜き、彼を突き飛ばすと、


「我が罪の償いを――ッ」




 それが皇太子妃の最期の言葉となった。




 §     §     §


 〈side ?〉

 ―帝都より北東のはずれ、寂れた霊廟にて―



「……で、殿下。……なぜ入らしたのです? なぜここが?」

「知れたことよ。この辺りは以前、そなたの勤めていた場所だろう。

 追い詰められた人間は最後、結局馴染みの場所へと還ってくる」

「追い詰められたなどと。何ゆえ私が、貴方さまに追い詰められねばなりませぬ?」

「……もう止めろ、心にもない。本性を現せよ、この大馬鹿者」

「ふふ、されもそうですね。今更イイ人ぶったって仕方ない。

 しかしバレてたか。どうして気づいたのです? けっこう自信あったのになあ」

「呪符だよ、馬鹿者。あれの(せな)に小さかったが、確かに呪符が見えたんだ。

 それをお前がさりげなく懐に回収するところも、バッチリとこの目で拝んだ。弁明は出来まい」

「あははっ。これはお見逸れ致しました」

「それがそなたの、お前の本当の姿なのだな?」

「ええ、そうですとも。今さら取り繕っても仕様がない。これが本当の……素の俺です、殿下」

「…………」



「怒らないんだね、俺のこと。貴方の〈北の方〉をあんな姿に」

「起こってるさ、腸が煮え繰り返るくらい。陛下に奏し上げて、お前を斬首するお許しをいただこうとさえ考えた」

「そう……」

「でも止めたよ」

「どうして……?」

「そんなこと、不可能だから。少なくとも今のお前のままだったら」

「ははっ、そうだね。今のままだったら、不可能だ」



「それで? これは一体、どういうことなんだ?」

「うん? 見て分からない? また禁忌を犯すところさ」

「……そんなことだろうと思ったぞ。懲りないな、お前も」

「…………」

「馬鹿め。泰山府君(たいざんふくん)の祭りを行う気だろ?」

「――ッ!」

「分かるさ、お前の考えそうなことくらい。たとえ過去のお前が、どんな人間であったとしても。

 十九年の片想いを舐めるな」

「……そう」

「はっはっは! 動揺しているな?」

「う、うん」

「おのれっ、かわいい奴め」

「――――っ!!!」

「そこで黙ってしまうところがまたかわいい」

「…………ッ」



「お前、いつからその生を捧げる気でいた?」

「いつからもなにも……」

「今更はぐらかすなよ。別に怒ったりしないから」

「さっきは怒ってるって言った」

「なんだ? あんな冗談気にしてたのか?」

「多少は」

「彼女には申し訳ないことだが、オレはあの人に、心の底から愛してるとは言ってやれない。

 だから、これからお前がしようとすることはすべて、オレにとっては全然ちっとも嬉しくないことなんだ。

 分かるだろ? お前になら」

「だ、だったら――!」

「かと言ってあの子を呼び戻したとして、母親のいない世界で生きていかせるだなんて、オレにはとてもできない」

「じゃあどうすればいいの? どうすれば俺は償えるの?

 せめて最善の形で、って思って……。だから俺は――」



「オレは、ただの我が儘な人間だよ。自分のことしか考えていない、ただの我が儘な人間だよ。死にたかったんだ、どうしても。もう逃げ出したかったんだ、こんな世界から。

 あのお方がオレに嫉妬して、貴方のことで疑心暗鬼に憑りつかれていると知った時、オレは……」

「ああ。だから、俺の妻と子を身代わりにしたんだな」

「そうすればオレは、永遠の命から解放される。

 この身は天帝との約束で、決して朽ちることができなくとも、泰山府君の祭でならオレは誰かにこの命を移し、これでようやく死ねるんだと……」

「なんて愚かな考えだろうな、お前は」

「…………」



「オレも捧げよう。オレの霊と引き換えに、あの子を呼び戻してくれ」

「は、はあ? な、なんで? 何を血迷うたことを」

「いいやオレは正気だ。オレも捧げてあの子を呼び戻す。そしてお前はお前で彼女を呼び戻せ。そうすればすべてが丸く収まる」

「そんな……無茶苦茶な……」

「ああそうだな。無茶苦茶だな。だがやってできない事ではない」

「でも、呪いが……オレが術を使えば、この国に呪いが振りかかるんだ」

「良く言う。何を今更なことを」

「…………」

「それに第一、皇太子妃と男皇子が失われている時点ですでに、この国はもう十分不幸を被ってる。

 加えて皇太子たる俺まで失うことになるのだ。国の損失は計り知れないだろうよ」

「…………」

「…………」

「………………」

「………………」

「っ、くふふっ。ふははは! もう! 何で貴方はそんなに自信満々なの?」

「わ、悪いか? こんな俺では、嫌いになるか?」

「ふふふっ。それが全然なれないんだ。責任取ってよ、ねぇ殿下」



「ホントに良いんだね? 始まっちゃったらもう、後には引けないよ?」

「ああ、構わない。始めてくれ」

「ふふっ。……愛してるよ、――……さま」

「――なッ! おい、今なんとッ!!!」

「しーっ、黙ってて殿下。集中できないから――」




 人智を超えた禁断の秘術として、

 人の子が為すことを禁じられたその術を、

 かつて英雄とさえ称された神官と、

 栄華を極める「太陽の国」の皇太子とが、

 ともに手を取り合って儀式する。


 聖なる詞を唱え、笛を吹き、

 天帝と神々と泰山府君とに祈りを捧げて、






『また、繰り返すのだな…………』




 翌朝、後宮には、目を覚ました皇太子妃と男皇子の姿があった。



 §     §     §



 今は昔のことなれば、あるところに、

 栄華と繁栄とを極めし国ありけり。


 版図広大にして、幾千の山河を有し、千万もの人民を統べ、多くの国をば恐れ(おのの)かせ、

 果ては天竺(てんじく)のさらに奥つ方より朝貢(ちょうこう)の、使い奉るとか聞きし。


 この(よし)にや侍らむ。この国、「太陽の国」などと称さるる。



 あの人、次期皇帝と目さるる皇太子殿下におわしまして、

 その人は後宮に(つか)(たてまつ)る宦官なりき。



 その宦官、皇太子とその母君の世話役なれば、臣下としてこの上なき寵愛をば受く。


 母君すなわち皇后は、たいそうこの宦官をお気に入りのご様子に侍りて、常に御傍(おんそば)に侍らせ給へば、自然、皇太子がこの宦官に好意を寄せ給ふは必然にも近し。



 皇太子の思ひは遂げられ、宦官もこれを受け入れて、二霊の定め、ついに……、とて思はせられど、この庭の宿命強しや強し。

 二霊また自らでその世を去り、またさ迷ひぬ。




 先ほど語りしは、「太陽の庭」と称されるが、今は潰えたる箱庭の、愚かしくも哀れな昔話にや候はむとぞ伝え聞きし――。



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