第四幕
ある時、二人は老婆と赤子で、生まれた国も生まれた時間も、何もかもがちぐはぐだった。
老婆は年中、雪の溶け切ることのない凍てつく国に暮らしていたが、赤子は四季のある緑豊かな国で生まれた。
老婆が生まれた年、世界で大きな大戦が起こって、彼女のご主人も飛空士として出征したが、一度だけ戦場から手紙が届いたきり行方不明で、以来、女手一つで五人の子供たちを育て上げたのだった。
赤子が生まれたのはそれから半世紀も経ってからで、その時老婆は疾うに八十を超えていた。
赤子が這い這いのできるようになった頃に、老婆は長年の過労のためであろう、病気がちになって、赤子が自力で歩けるようになると、床することが多くなっていった。
老婆が一日の大半を病床の上で過ごすようになった頃、赤子はすっかり元気に走り回れるようになった。男の子が釣りをしたり、虫を捕ったり、山で野生の果物や山菜を見つけたりする度ごとに、老婆の身体は少しずつ衰えていった。
その日、老婆は愛する曽孫たちに看取られて、神のおそばへと旅立っていった。ごく平凡な、けれど彼女にとっては何より幸福な日々が幕を閉じた。
不思議なことがあった。まずそのことに気がついたのは曽孫たちだった。次に孫達たちが、最後に息子や娘らがそのことに気がついた。
街の空を一面、覆い尽くすかのごとく巨大な純白の神鳥が滞空していた。その美しい姿は遠く隣国からも見上げることができたという。
人々は何事かと大騒ぎしたが、彼女の子供たちには分かっていた。その鳥がおそらくは神の御使いで、使い鳥は愛すべき彼女の御霊を召し上げに来たのだろう、ということを。
その日、男の子の住む街にも巨大な黒鳥が現れて、しばし宙空を漂っていたらしい。国の預言師たちはどういうことかと慌てふためいていたようだが、男の子には何となく分かっていた。
あれは、きっと、自分に対して何か大切なことを知らしめに来たのだ、と。
男の子は黒い大鳥が優雅に滞空している様子を見上げながら、あれは一体どんな事柄を訴えかけているのかと考えたのだが、皆目見当がつかない。
やがて、黒きそれはゆっくりと上昇をしはじめ、と同時に端の方から色味を失って三分と経たぬ間に、その姿をこの世から消し去って行った。
男の子には分かっていた。あの大鳥は単に姿を消したのではなく、この世界の中から、完全にその存在を無くし去ったのだ、ということを。
そのことを直感的に理解した時、なぜだか男の子の頬は濡れていた。
やがて男の子は一人の立派な男の人へと成長して、満足できる職につき、ごく平凡だが幸福な家庭を気づいて、子宝にも恵まれ、何不自由なく平和に暮らした。勿論、辛いことや悲しいこともたくさんあったが、心の底から悲しみの涙が溢れ出て来るというようなことは一度もなかった。
結局、彼は最期まで、なぜあの日あの時、訳も分からずに涙したのか知らないままでこの世を去った。ごく平凡な、けれども何より幸福だった男の人生が幕を閉じた。
黒い鳥は、再び現れることはなかった。
白い鳥も、二度とその姿を見た者はない。
いつの間にか、人々は二柱の神鳥のことを忘却して行った。