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第参幕


※読後、ご気分を害されたとしても、当方は一切の責任を負いかねます。

※登場人物の「死」がテーマです。ご覧になる際は十分にご注意ください。

※誤字脱字等、御座いましたらご報告願います。

※ご意見・ご感想等、お待ちしております。


 その国は、一年のうちで二十日も雨が降らず、人々は「大蛇の川」と呼ばれる大河のほとりに肩を寄せ合って暮らしていた。


 巫女は、狭い宮殿の敷地の隅っこに居を構え、そこに何人かの侍女たちと静かに暮らしていた。


 彼女の仕事は日夜、天の神に祈りを捧げ、この乾ききった国土にわずかでも慈雨を降らせ給え、と乞い申し上げることであった。




 ある晴れすぎた日の昼下がりに、巫女は一人の王女と出会った。

 物心ついた時分にはすでに神職に就き、以来十年近くこの宮殿に住んでいるが、そんな王女がいたことなど今その時まで全然知らなかった。


 巫女もまあ、それなりに偉いが、相手は王族の姫君である。

堂々と通路の中央を塞ぐわけにもいくまい。

巫女は侍女らに促されて、成すがままに両膝を地につけた。

なるほどこれが、王族に対する正式な挨拶の形なのか。


 というのも、長らく宮殿に暮らしてきたのだ。すでに両の親のない彼女にとって王子や王女たちは兄弟も同然。王や王妃さえ、父・母のように接してくれる。そんな人たちだったから、正式な挨拶などこれまで一度もしたことがなかったのである。



「ご機嫌よう、巫女君」

「えっ? 私のこと、知ってるの?」

「ふふふ。さて、なぜでしょうね」

「ねぇ。どうして?」


「斎宮さま。お時間が……」

「そろそろいらっしゃいませんと……」


「分かっています」



 白装束を着た美しい侍女たちに囲まれて、王女は柱廊を厳かに進んでいった。



(なんて綺麗な人なんだろ)


「ねぇ、シロノ。あの人はなんて名前なの? 走って訊いて来ようかしら」

「これ巫女さま! さっきから聞いていれば、なんて無礼な! ちょっとそこに正座なさいませッ!」

「――っ!」


 この後、みっちり二時間、お説教を食らった。



(ああ。なんて可憐なんだろー)


 巫女の唯一の侍従であるシロノは頼りがいのある兄のような人物なのだか、少々小言の多い節がある。

 今日も今日とてシロノのありがたいお説教を右から左へ聞き流しながら、終始頭の中では今しがたすれ違った王女の姿がちらついた。


(綺麗で、それでいて可愛い人だぁ……)


 それが恋心であると気づくのに、さほどの時間はかからなかった。



§     §     §



 後日シロノにしつこく尋ねてみたところ、あの王女さまは神廟に暮らす斎宮であることを知った。

 神廟とは、王家の神々をお祀りする聖域のことで、斎宮とはその神廟の中に踏み入ることの許された唯一の巫女のことである。


 斎宮は代々、未婚の姫君の中から選ばれ、生涯を通じて勤めなくてはならない大役と聞く。占星術師たちの許可なく廟の外へ出ることは許されず、初潮を迎えた歳には、太陽神アミダラと夫婦(めおと)にならなくてはならない。そうなってしまえば、斎宮は二度と日の光を拝むことはできなくなるとか。



(いけない。ちょっと外の空気でも吸ってこよう)



 自分の屋敷にいても斎宮のことが気になって気になって仕方がない。少し頭を冷やさねばと、巫女は独り宮殿の中をあちこちぶらぶらしていた。

 すると、建物の中から男たちの話し声が聞こえてきた。


「斎宮さまがついに……。いよいよでおじゃる」調からすぐに文官貴族たちのそれであると知れた。


「婚礼の儀は、次の月の十三日? 何やら王はお急ぎのご様子」

「無理もおじゃらん。大河の水かさは減る一方じゃ」

「これで太陽神さまも、少しは御隠れになられまするか」

「姫巫女さまには気の毒だが……」




 文官貴族たちの口振りから、あと半月もしないうちに王女が太陽神と契りを結ぶということが分かった。




「…………もう時間がない」

巫女は覚悟を決めて一人呟いた。



§     §     §



 翌日、巫女は国王のもとへと参内した。


 玉座の間に通された巫女は、脇に控える文官たちにも聞こえるよう大きな声で、


「陛下、大変でございます。太陽神さまがたいそうお怒りにございます」

蒼白そうな顔をして、いかにもな身ぶり手振りで奏上した。


「なに? お怒りだと? 何ゆえだ、何ゆえ太陽神が怒らねばならぬ」


 ごく当然の反応として、王は巫女に問うた。巫女は答える。


 その言葉には皆驚愕しつつも、一定の説得力を持っていると思う者も大勢いた。実際、国王でさえもが巫女の言葉を聖なる御告げとして有り難がった。


 ただちに諮問会議が開かれ、王族を中心にたくさんの有力貴族たちが出席した。

 巫女はその席で改めて、丁寧に「御告げ」の言葉を述べ上げた。そして自身の解釈をほんの少し、という前置きとともに簡潔に奏上したところ、なんと巫女の進言は全会一致で可決されてしまったのだった。




 その日の夕刻には、斎宮はもう神廟から出て自由の身となっていた。


 すべて巫女の思惑通りに事が運んでいる。巫女は自室で独り、小さく嗤っていた。

 上手く行った。きっとこれからも、自分の思い描いた通りに進んでいくはずだろう。

 巫女は半ば確信していた。



 これまでも預言者として神々の御告げを人々に伝えてきたことはたくさんあったが、今回のように自分の意見をことさら強調したことはなかった。

 しかし、人間とは思いの外、簡単にあやつれるものらしい。最もらしいことを口にしさえすれば、あとは勝手に向こうが解釈してくれるのだから。ほんの少し、思考を導いてやれば、さはど労力もかけずに人心など操れる。



「失礼します、巫女さま」

 その時、不意に呼ぶ声がして、巫女は扉の方へと目をやった。侍従のシロノが声が再び聞こえる。

「お客様でございます。斎宮さまがお出ましにございます」

「ど、どうぞ! お迎えしなさいっ」



 ややあって斎宮――だった人が、気品溢れる所作で室内に入ってきた。

 彼女は目配せをして侍女や衛兵らを下がらせると、なお二、三歩近づいて来て改めて挨拶した。


「もう強がるのはやめます。ありがとう」

 王女は静かに、おそらくは声が震えないよう細心の注意を払っているのだろう様子で、感謝の言葉を述べた。

「正直に申しますと、ずっと心の底では怖かったのです。大桶の伝承では、斎宮となった者は短命でしたから」


 その話は以前、シロノから聞いたことがある。だからこそ巫女は、何としても神との婚姻の儀よりも前に、王女を自由の身にしてやりたかったのだ。



「いえ。私こそ殿下に感謝の言葉を申し上げねば。貴女が未来永劫、二度と日の光を浴びれぬなど、あってはならないことだと思いました」

「まあ……」

「貴女さまは、日の光の下でこそ、真の美しさを解き放たれます」

「……ふふ、恥ずかしいお人です。ねえ、今からお互いに名前で呼び会いましょうよ」

「それは大変良いお考えです。では改めて名をお教え致します。私の名は、――――……」

「心に刻みました。では私も。私の名は、――――……」




 そうして、二人は多くの時間をともに過ごすようになる。

 王女はその宿命のために、ほとんど城外に出たことがなく、王都にどれだけの人種が往来しているのかさえ知らなかったから、必然として、新しい見聞の場には巫女が同行した。


 二人の関係は急速に近くなっていったが、王も家臣たちも、野暮なことはと温かく見守っているだけだった。



 一部の家臣は、「このままでは雨が降らず、本当に国が滅んでしまうだろう。やはり王のご判断は……」などと陰口を言っていたが、それもすぐになくなった。


 本来、婚姻の儀を結ぶ予定だったその日に、久方振りの慈雨が降り注いだのだ。巫女はそれとなく、けれど繰り返し「アミダラさまの祝福だ」ということを訴えた。



 最早誰も、巫女と王女のことを悪く言う者はなかった。

 やがて二人は寝食を共にするようになる。

 その翌年には王の許しを得て、巫女は王女と生涯の契りを交わすことを許された。



§     §     §



 その国は、一年の半分以上も雨が降り続く、水の豊かな王国となった。人々は「大蛇の川」と呼ばれる大河を整備して八方に巡らせ、そのほとりに灌漑を施してのびのびと暮らしていた。


 巫女は王女とともに豪勢な宮殿で生活するようになり、たくさんの侍女・侍従たちを召し使って、毎日幸福な日々を送っていたが、気がかりなことが一つだけあった。



 それは雨のことであった。

 巫女が幸福を感ずる度、雨の降る頻度が高まっているように感じていたのだ。

 一度、王女に相談してみたことがある。勿論、考えすぎだと微笑み返された。

 侍従長となったシロノに話を聞いてもらったこともある。

 しかし彼もまた、「それは気にしすぎです」と答えて、休息は取れているのかと体調を心配された。



(考えすぎなら、良いんだけど……)



 あれからもう、五年が経つ。気象担当の役人に聞いたら、たしかに雨の日が増えているが、良いことだろうと笑われてしまった。


 確かにそうだが、しかし一昨年は年間五十日だったのが、去年は百日、今年はすでに八十日を超えている。まだ五月だというのに、だ。



(アミダラさま、まさか……)



 王に進言したあの日以来、久しく放置していた神殿を尋ねて、やはり天の神々にご相談申し上げよう。

 侍従長にも王女にも秘密にして、巫女は一人決心を固めた。



§     §     §



〈Side S〉




 巫女が顔面蒼白な面持ちで帰宅したので、すぐに何かあったのだろうことは理解したが、一人で神殿に行っていたと聞かされた時は正直に驚いた。


 今日は王女が不在で良かった。誰がどう見たって、彼女の顔は死期の迫った病者のそれである。



「巫女さま。しっかりなさいませ」

 シロノは巫女の腕を掴むと居室まで引きずって行った(文字通りの意味で)。

「今さら後悔してどうなります? 気をしっかり持ちなさい!」

 彼女には悪いが、あの日、玉座の陛の下で偽りの言を述べ上げた時から、いつかこうなることはわかっていたはずだ。


「私は、もう〈聖なる御告げ〉は聴けないの?」

巫女は震えながら続けた。「何度試しても、私の言葉が届かないの。何千回も試したんだよ? 悲しくて泣いてた。そしたらいつの間にかそばに、真っ黒い翼の鳥人が立ってて私を見下ろしてたの」

「……その者は、何と?」

「ッ! その者は……、そいつはね、言ったの。お前の言葉は穢れてしまった、って」



 シロノは、すでに自力では立つことすらままならない巫女を支えつつ寝椅子の方まで歩み寄ると、丁寧にその身を横たえた。


「ねえ、シロノ。そばにいて。お前だけで良い。誰とも会いたくないよぉ……」

「御意のままに」

 出すぎたことかとも思ったが、あまりにも弱りきった彼女を見かねて、その手を握って落ち着きを取り戻すよう胸中で念じた、


 横になりながら彼女がぽつりぽつりと語ったことに、シロノはそれほど動揺しなかった。

 少し早すぎるとも思ったが、いずれにせよこの国が、そう遠くない未来に滅んでしまうことは容易に推察できる事態だった。



 巫女は教えてくれた。その黒翼を持つ者の言葉を。


 その者は災いを司る神であること。

 その者は太陽神アミダラの代理で地上に顕現したこと。

 アミダラは地上で起きる一切の事柄に関して、すでに沈黙したということ。

 この雨は大地の不浄を払うためのものであって、決して慈雨などではないこと。

 そしてもう二度と、人間の為に神々が姿を現すことはないこと。



「ひっ、ひっく……!」

 巫女は大粒の涙を流している。


「…………」

シロノは改めて、人が神の言を偽って語る罪の重さを理解した。




 その夜はずっと彼女のそばにいて、他愛のない雑談ばかりして過ごした。必然的に話の内容は、彼女の幼少期の思い出ばかりだった。


 次の日の昼過ぎ、王女が隣国での晩餐会から帰って来た。すぐに巫女の変化に気づき、「二人で話したい」と人払いを命じられた。少し心配ではあったが、巫女も頷いたのでシロノは部屋の外で控えている旨を伝えて、その居室を退出したのだった。






 それが、二人を見た最期の姿となった――。




 行方が分からなくなって、直ちに捜索隊が結成されたが、二人に配慮して活動は秘密裏で行われた。



 翌朝、シロノは王に召されて宮殿に参内した。新しい方ではなく、かつて皆で肩を寄せ合って暮らしていた古い宮殿に来るよう命じられた。


 呼びに来た近衛騎士に連れていかれるがまま進んでいくと、やがて敷地の隅っこにある古い神殿に導かれた。

 良く見知った建物だ。ついこの間まで巫女と一緒にシロノらが暮らしていた場所なのだから。



「王陛下。シロノが参りました」

「うむ。早速だがな、共に改めておくれ。わし一人では、あまりにも荷が重すぎる」


「…………」


 シロノは王のその言葉ですべてを悟った。

 案の定、眼前に横たわる二つのそれは巫女と王女の亡骸であった。

 シロノは静かに(ひざまず)く。そして石床にその額を擦りつけて泣いた。



 二人の衣服が濡れている。

 シロノは手を伸ばして、彼女の額に貼りついた御髪(みぐし)をそっと退けた。湿り気を帯びたそれが、何とも生々しい。



「今朝早く、王都のはずれ、大河と支流とが交わる辺りの水草に引っ掛かっているお二人を発見しました……」

背後に控えた兵士が沈黙に耐えかねたのだろう、報告してくれる。

「そうですか……」



 シロノには分かっていた。

 この国に伝わる、かつて実際にあった(いにしえ)の生け贄の儀式。

 彼女は姫巫女を大蛇に食らわせて供物を捧げ、自らもその身を投げて果てたのだ。

 二週間続いていた長雨が先ほどから止んでいることを鑑みれば、たぶん二人の儀式は上手く成功したのであろう。




「え……?」


 不意に、シロノは妙な感じを覚えた。

 彼女の口許がおかしい。



 シロノは王の顔を仰ぎ見る。王は何も言わす押し黙ったまま、ゆっくりと首を縦に動かした。控えた近衛兵たちが固唾を呑んで見守っているのが、気配だけで分かった。



 黙祷する。次に、シロノは手を伸ばして、巫女の固く結ばれた唇をこじ開けた。






 巫女の舌は、鋭利な切り口で切り落とされていた――。




〈第参幕・終〉


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