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第十幕:前篇

 昔々、とある王都に世界で最も大きな聖塔を持つ、世界で最も権威ある大聖堂がありました。

 立派な徳をたくさん積んだ、権威ある司祭たちが集うというその大聖堂に、ある一人の若い男が毎夜、熱心に礼拝をいたしておりました。


 突然なことを申しますが、この男は、とある神官に恋しておりました。



 それは凍てつくように寒い冬の夜。

 年に一度の聖夜の祝い月、その最初の仕事日でした。

 この男がその日の仕事を終えて、親方の言いつけ通り工房の戸締りをすっかりとし終えて、玄関に鍵を掛けた、まさにその時です。


 不意に、耳に心地よい声が聞こえました。

 それは誰かの街頭説教でした。


 後で知ったことです。司教見習いの神官は毎年、聖夜のある祝い月になると街頭に立って、往来の人々に無償でお説教や問答を施しなさるのがお勤めなのだそうです。


 説教をする、その声を聴いた途端、この男の足は自然と彼の方を向いておりました。そうして足を止め、聞き入っている聴衆の一員となって、この司教見習いの声に全神経を集中させたのです。



 男の年は数えで十七。宝石細工職人の親戚を頼って縁故で就職し、王都に上京して五年ほどが経ったでしょうか。

 生家は貧しく、残してきた兄弟姉妹のために仕送りを欠かしたことはありません。ただもう早く独り立ちをしたくて、がむしゃらに日々勤めをこなして来たのです。


「恋なんぞ、愛なんぞと言ったってしょうがない。そんなもので空腹がみたされるものか。明日買うパンの足しになる訳でもなし」と、

 これが平生この男の胸中での口癖でございました。



 そんな若い宝石細工職人が、生まれて初めて恋する心というものを覚えたのでございます。

 理屈ではなくて、その声を耳に入れたその一瞬間のうちに、この男の心中は塗り替えられたのでございます。

 その衝撃たるや、天使さまに光の矢でもって射抜かれたかのごとし。

 その夜の出会いは彼にとって、それほどまでに強烈な衝撃だったのです。



「さよならカミエルさま」

「ご機嫌ようカミエルさん」


「皆さんさよなら。お気をつけて」

 夜のお祈りが終わって、ご挨拶を終えた人から順に聖堂を出ていきます。

「さよなら、司教補さま」

 礼拝者がすっかりと退出した頃合いを見計らって、若い宝石細工職人も彼にご挨拶申し上げます。


「こんばんは、ユリウスさん」

 若い神官がにっこりと微笑んで挨拶なさいました。


「ユーリと呼び捨ててください、司教補さま」

「ふふ。それは君だって同じでしょう? 二人でいる時は、カミーユで良いと言いました」

「カミエルさま」

「カミーユで良いと言いました」

「…………」


 神官はしばらく待ってみましたが、なかなか眼前の青年が口を開かないので、少し砕けた表情と仕草で、


「さあ、ほら。ユーリ?」

「……しかし」

「ほら、呼んでみて」

「……カミーユさま」

「ふふ。今日のところは許してあげようかな」


「ところで食事は済ませたかい? 良かったら奥の部屋で一緒に」

「俺のような下等平民が、そのようなこと……」

「そんな風にご自分を卑下しちゃダメだよ。さあ、一緒に来て」

「待ってください、カミーユさま!」



 その夜もこうして奥の聖務室で夕食を取ることになりました。

 食事の後はたいていカミーユが、ユーリに文字を教えてやることが常でありました。

 勿論、いろいろなことを語り合ったりもしたようでございます。故郷のこと、家族のこと、王都での生活、仕事の話。


 こんな夜更けに、わざわざ聖堂を訪れる者もございません。

 自然、ユーリは下宿先に帰ることが少なくなりました。



 §     §     §



 工房街の職人たちの朝は早い。

 それくらいのこと、貴族出身のカミーユにだって分かっていた。

 けれどやはり、時々くらいは朝のお説教にも参列してほしいと思う。勿論これはカミーユの自分本位なわがままだ。

 しかし、彼のことが好きなのだ。


(僕がもっとお金持ちだったら)


 いつものように、教徒たち(と言っても、毎日同じ顔ぶれの十人程度なのだが……)に今朝のお話や聖典の一節などを諭して聴かせながら、思考の半分ほどではそんなことを考えていた。


(ダメだ、お説教に集中しないと)

 カミエルは意識を、目の前にいる迷える子羊たちに集中させた。



「では、今朝のお説教はここまで。今夜は中央大聖堂で大司教さまがお説法をなさるので、夜の集いはなしです」


 若い神官の号令で人々が立ち上がり、銘々に頭を垂れたり、お辞儀をしたり、胸に手を当てたりして感謝の意を表している。


「ありがとう。さよなら」


 こちらも一通り感謝の気持ちを示し、頃合いを見て奥の部屋に引き上げる。

 カミーユが聖務室に引き上げると、すかさず大きな声で名を呼ばれた。


「よぉ、カミーユ。メシ行こうぜ!」

「おはようクロノ」


 聖務室には見知った神官が、むしろ部屋の主よりも堂々とした態度で神官席に座してふんぞり返っていた。

 この神官の名を、クロノといい、その由来は、驚くほどに綺麗な漆黒の頭髪にあった。


 クロノのご実家はここより北の地方貴族で、しかし由緒ある伯爵家だとか聞いたことがある(詳しくは知らない。本人があまり話したがらないので)。


 男爵家出身のカミーユとは、本来なら家格が違うので接点も何もなかったはずだろうに、物心ついた時からの腐れ縁であった。

 両親の話では、教会付属の幼稚部からの幼馴染だと聞かされているが、その頃の記憶はほとんどない。けれどまあ、親が嘘をつく理由もないのだからそうなんだろう。



「いいよ。どこ行くの?」

「〈狼のしっぽ亭〉でいいだろ」

「いいけどホントに好きだね、あのお店」

「懐かしい料理が多いんだよあそこは。でも今日は決めてンだ。若鳥の丸焼き料理を予約してある」


 執務机の上を片付けていたカミーユは思わず手を止めて、クロノの方を見やった。


「お前の前祝いだよ」

「前祝い? 何の?」

「決まってンだろ。司教試験の合格だよ。もうじき合否が分かる」

「ああ、もうそんな時期か……」

「しっかりしろよカミーユ。まあ、お前が落ちてるなんて考えらンねえけど」

「…………」


 カミーユは気まずげに視線を逸らした。

 それを、クロノは見逃さなかった。

「何だよ。オレさまと同じ官位になれるってのに。一緒に仕事、したくねえのかよー」

「僕に司教位だなんて。まだ早すぎるような気が……」

「ふん。お前が気にしてンのは、説教の仕事が無くなったら、あのガキに会う時間が減るかもってことだろ?」


(――ッ!)


「な、な、な! なんで、ユーリが、関係す、るんだよ! だいたいユーリはガキなんかじゃない。君と四つしか変わらないだろ」

 カミーユは努めて慌てず冷静に答えようとしたが、そう思えば思うほどますます焦ってしまうものである。


「ばーか! オレからしたら、たいていの人間はみんなガキなんだよ」

「何言ってるのさ、僕は十九でクロノは二十一になったばかりだろ」

「うっせーオレは今年で百三十七億歳なんだよ」

「はいはい。冗談は顔だけにしてね」

「はあああぁ! キレそうなんですがッ」



 しばし言葉のぶつけ合いがあったが、勿論そんなのはじゃれ合いみたいなものなので、ひとしきりぶつけ合った後、

「……お腹空いたね」

「……おお、メシにすっか」

 キリの良いところで、二人は外套を着込み、身支度を整えた。


「なあカミエル。オレはいつでもお前の味方だからな」

「どうしたの急に」

 カミーユは懐中時計の螺子巻を捻りながら、顔を上げた。

 すぐに真剣な双眸の眼差しとかち合って、カミーユは自然と背筋を正した。


「教会も聖典も、同性愛に寛容だ。貴族には同性婚の連中も少なくない。しかし、それでも辛く苦しい場面に出くわさないという保証はない」

「うん」

「忘れないでくれカミエル、オレはいつだってお前の味方だ」

「うん、ありがとう。僕、本当にあの子が好きだ。昨夜もお布施してくれたんだ。僕なんかの説教に」

「ああ。それは、お前の手柄だ」


 云うなり、クロノはカミエルの方に腕を伸ばすと、優しい手つきで彼の頭を撫ぜた。

 そして優しい声で、言葉を続ける。

「あの子は、他でもない。お前の説教を聴きにきたんだ。聞けば家は貧しく、毎月家族のために仕送りしているそうじゃないか。そんな中で、たとえ銅貨でも布施をするのは大変なはずだ」

「うん。分かってるさ、もちろんそんなこと」


 二つ年上のクロノは時に親友であり、時に兄であり、ごく時たまにこうやって父のような寛大さと安心感をカミエルに与えてくれることがあった。



「なぁ、司教補さま? 大事にしてやっておくれ、あの子のことを」

 カミエルはしっかりと頷いた。

 クロノが撫ぜる手を退ける。二人はきっと見つめ合った。

 もう一度、カミエルはクロノの漆黒の瞳を凝視しながら確かに頷いてみせた。

 クロノは微笑みを湛えている。


 遠くで、正午を告げる鐘の音が鳴り響いていた。



 〈第十幕:前編・終〉

黒ノ「次はお前の出番だぞ、白ノ」

白ノ「うん。分かってるよ、黒ノ」

??『…………』

対鳥「「…………」」

??『見届けておくれ』

対鳥「「御意のままに」」

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